第15話 奈々の恋
何とか間に合った…。アイリはほっとして教室に入った。
シューズバックを机の横に出てるフックに掛ける。窓際で良かったよ。バクも目立たない。アイリはファスナーを少し開けて覗いた。中から小さな
あれ?奈々は? いつもは朝早い奈々が見当たらない。あたしより遅いなんて珍しい。
始業ベルの直前になって、ようやく奈々がふらっと入って来た。奈々は
「奈々、おはよう」
「おはょ…」
んー? やっぱ元気ない。なんで奈々、落ち込んでるんだ?
休み時間も奈々はふらっと出て行ったまま帰って来ない。放課後、部活の時間になって、ようやくアイリは奈々を捉まえた。
「奈々、何かあったの?」
「別に…」
「元気ないよ?」
「そんなことない」
取り付く島もない。
練習でも奈々は精彩なかった。アタックが決まらないだけじゃない。レシーブでミスって顔でボールを受けたりしている。そんな奈々が気になって、アイリも集中できない。
「こぉーらあ、つだあ! 足腰を使えー!」
「はいっ、すみません!」
「つだあ! ボールよく見ろお!」
「はいっ、すみません!!」
奈々はミスっても監督何も言わないのにあたしがミスるといちいち言われる。その日は散々な練習に終わった。
ボールとネットを片付けて、床をモップで軽く拭くと、アイリは奈々を追って更衣室へ向かった。奈々は一人ポツンと着替えている。後輩たちも近づき難い雰囲気を感じているようだ。アイリはそうっと奈々に近づいた。
「ね、奈々、やっぱ変だよ」
「うん」
「言ってみなよ。アイリさまが相談に乗るよ。校外模試の結果?」
「違う」
「じゃ、進路で親と喧嘩した?」
「違う」
「じゃ何? まさかとは思うけど、恋の悩みとか?」
「まあね」
「えーー! 優等生の奈々が恋?」
「ちょっと! 声、大きいよ!」
それを聞いた後輩たちはちらちらこちらを見ながら、しかし突っ込むことは出来ず、そそくさと出て行った。帰り道のフードコートで盛り上がるに違いない。
アイリは誰もいなくなったのを確認すると
「マジ? 誰好きなの?」
奈々はしばらくもじもじしていたが、やがて小さな声で言った。
「池田君」
うわ! 衝撃的…。
池田翔馬(いけだ しょうま)は同じクラスにいるサッカー部の人気者。成績もいいしルックスも涼やか。ま、奈々となら丁度お似合いなんだけどライバルは山ほどいる筈だ。今まで全然気づかなかったな…。アイリも二の句が継げなかった。
「アイリ、黙り込まないでよ、恥ずかしいでしょ」
「い、いや…。ちょっとびっくり。いや、そんな意味じゃないよ、余りにもお似合い過ぎて、うん、パーフェクト過ぎてびっくり。告ったの?」
「そんなこと出来ないよ。でもこの頃、よく目が合うからもしかしてって期待しちゃってた…」
「うんうん。それはイケそうだよイケダ君だけに」
奈々はムッとした顔をする。
「ごめん。茶化し過ぎた」
アイリは反省の態度を示し、続けた。
「で、それがどうかしたわけ?」
「今朝さ、2年の子と楽しそうに一緒に歩いてた」
「にねん?」
「うん。確か、吹奏楽部の吉川さん」
はあ、またあの子か…。
「見たわけ?」
「うん」
「誰も何も噂してなかったけどな。花音ちゃんならもっと騒ぎになるでしょ?」
「だって駅の反対側だもん」
「えー? 奈々、もしかして待ち伏せとかした?」
「待ち伏せって言うか、池田君って時々コンビニ寄って来るからさ、偶然会えるかもって思った」
「それ偶然って言わないよ。立派な待ち伏せじゃん」
「だって…」
奈々は押し黙った。これ以上追及しても仕方ない。しかし、あの花音ちゃんかぁ。昨年の文化祭からバレンタイン、そして桃の節句と、本物のお嬢様ポテンシャルを
「そりゃまた厳しい状況だねえ」
アイリは相談に乗るよと言った舌の根も乾かぬうちに、他人事のように呑気に返す。奈々は溜息をついた。
「あの子、可愛いしなあ」
「奈々だって可愛いじゃん。あたしと較べて見なよ、自信湧くでしょ?」
「まあ、それはそうだけど…」
おい! あたしは
「じゃあさ、あたしが今から事情を聞いてくるよ。サッカー部もさっき練習終わってたし、池田君捉まえて問いただしてくる。奈々と吉川さんとどっち取る?って」
「えー! そんな怖いこと…」
「あたしならできる。奈々は後ろでこっそり聞いときな」
盟友奈々のためだ。有言実行あるのみ。早速アイリはロッカーからスポーツバックとシューズバックを取り出した。あ。少し開いたシューズバックのファスナーからバクが顔を覗かせている。アイリはちらっとバクに目配せした。
「食べてやろうか。そこはかとなく悲しみが漂っている」
バクが小声で言った。アイリも声を潜め
「もうちょっと待って。まだどうなるか判らないから。駄目そうならお願いする」
と囁くと、更衣室を出た。少し離れて奈々がついて来る。アイリは校門近くで池田君を待った。奈々は大人しく木の影に隠れた。
15分ほど待っただろうか。サッカー部員が固まって歩いて来た。アイリは手を振って叫ぶ。
「イケダー!」
「あれ? 津田? どうしたの?」
「ちょっと聞きたい事あるから、こっち来て」
周囲のサッカー部員がざわめく。
「おい告られるんじゃないのぉ?」
アイリは連中を睨みつける。
「女子が告りたい時に呼び捨てで呼ぶ訳ないでしょ! バッカじゃないの? さっさと帰れ帰れ!」
「なんだぁ、つまんね」
「いけだぁ、津田に怒られとけー」
「俺たちゃ付き合い切れねえ」
「巻き添えはごめんだー」
口々に勝手を言うサッカー部員に見放され、怪訝な顔した池田君だけがそこに取り残された。
アイリは池田君を校門脇に手招きすると、奈々にも聞こえるよう、大きめの声で言った。
「イケダ、吹奏楽部の吉川さんと付き合ってるの?」
「え? ちょっと待って、なんでそうなる?」
池田君は慌てた。
「だって、今日の朝、仲良く歩いてたんでしょ? どっちが誘ったのか知らないけど」
「なんで知ってるの?人目は避けたつもりなんだけど」
「隠密が見張ってたのよ。あたしじゃないよ。あたしはそこまでヒマじゃない」
「じゃ、誰に聞いたの?」
「言う訳ないじゃん。隠密の素性は守らなきゃ。んで、どっちが誘ったの?」
「んー、まあ俺なんだけど…」
アイリは声を潜めた。
「そうなの。やっぱそうなのか」
「いや、そうじゃない!勝手に思わんでくれ」
「じゃ、何よ」
「あのな、津田、違うんだよ」
池田君は急に真顔になると奈々が隠れている木の方を手でアイリに示した。二人はそちらに数歩移動する。木の影で奈々は身体を硬くした。
「あのさ、本当はこんな事、人には言わないんだけどな、それにウチの話だから他の人には言わないで欲しいんだけど、津田に誤解されてるとまずいんで、特別だぜ」
「解った」
「俺、妹がいたんだ」
「妹さん?」
「うん。年子でさ、一つ下」
「それは解る」
「可愛かったんだよ。兄が言うのも何だけど」
池田家が美男美女家系であろう事は見当がつく。池田君は続けた。
「それに仲も良かったんだよ。二言目には『お兄ちゃん』って言って、小さい頃からずっと俺にくっついて来て」
イケダ、シスコンだったのか。アイリは認識を新たにした。
「それが、2年前に亡くなったんだ」
「えっ?」
アイリも、木の影の奈々も絶句した。
「突然過ぎて、もう訳判んない。悲しいを通り越して呆然だった・・・よ」
「な、なんで…?」
「バイクにはねられたんだ。新聞にも出たけど名前は伏せてもらったから誰も気づいていないと思う」
「マジ?」
「ん。もう、しばらく何も考えられなかった。学校にはお祖母ちゃんが亡くなったことにしてもらって、普通にしてたけどね」
「そうだったの…」
シューズバックの中で聞いていたバクが、大口で食べた。これはピュアだ…。
「そっくりなんだよ、吉川さん」
あ! そう言うことか。 アイリも奈々もはっとした。
「好きとかじゃない。そんな気持ちにはなれない。妹だから。だけど妹が帰って来たみたいで、一緒に歩いてみたかったんだ」
「そっか。ごめん。そんな大変なこととは知らなかった。騒いでごめん」
アイリも目を伏せた。
「いや、仕方ないよ。誰も知らないんだし」
「うん。で、どうだったの? 妹さんと似てた?」
池田君は淋しそうに笑った。
「いや、違った。笑うツボとかちょっとした表情と か、やっぱり違う。当たり前だよな、他人なんだから」
バクはまたちょっと食べる。アイリは聞いた。
「じゃあ、どうするの?吉川さん。彼女はイケダに好かれてると思っているかもよ」
「それは、ない。だってはっきり言ったもん」
「何を?」
「俺には好きな子が別にいるんだって。妹とそっくりだから一度喋ってみたかったんだって」
周囲は暗くなりつつある。アイリはしんみりしていたが、自分の役割を忘れてはいなかった。
「好きな子って?」
「言わせるの?」
「だってここまで聞いたら知っとかなくちゃ」
「ま、そうだよな。包み隠さずって奴だよな。うん。津田の仲良しだよ」
「え? それってもしや」
「うん。島倉さん。これも誰にも言ってない。今日は大バーゲンだよ」
池田君はにっこり微笑んだ。
アイリはほくそ笑んだ。よっしゃあ、大当たりだ! 撃てーっ!祝砲100発!
「でもさ、津田は言わないでくれよ。言う時には俺が直接言いたいから」
「解ってるよ、何も心配要らないよ」
アイリもにこっと微笑むと木の方を振り向いた。
「ななーっ! 聞こえた?」
「え?」
池田君が仰け反っている。
「出てお出でよ、奈々。あたしの役目は終わりだよ!」
木の影から奈々が手で口を押え、潤んだ目で出て来る。アイリは奈々の肩をそっと抱いて前に押し出した。
「イケダ、後は任せたよ」
アイリは自転車置場へ走った。はあーっ、予想以上の急転回だけど、結果は上々。前カゴにシューズバックを乗せてアイリは校門を出た。あたりは既に薄暗い。
「ね、またバクが食べてくれたの?」
「ああ」
「ありがとね、奈々、元気になるよ!」
「ん」
「あれ? バクも喜んでよ」
バクは何も言わない。アイリは自転車を止めた。
「バク、大丈夫?」
「辛いな…、大切な人を失うのは」
バクの声は沈んでいる。
「そうね。面影求めちゃうんだね。切ないよね」
そうだ。アイリの言う通り、ある筈のない面影求めるんだ。くそっ。
「掛け替えのないものを失った穴は塞がらない…」
バク、イケダの事、自分の事のように感じてるんだ。アイリもちょっと詰まった。
「アイリ、ずっと前、車椅子押してた人いたよな。妹が亡くなった」
「ああ、結局名前判らなかった人?」
「うん。あの時ボクがアイリに言ったことは間違いだ。すぐに思い出なんかにはならない。穴は埋まらないんだ」
黙り込んだシューズバックをアイリはそっと撫でた。バクが言うこと、それはそうかも知れない。だけど…アイリはちょっと考えた。穴にもいつかは草が生えて、緑で覆われるよ。イケダもあそこで止まったりしていないよ。
「でもさ、その穴から別の芽が出て花が咲くことあるよ」
「…」
「今朝の子どもたちのチューリップもそうでしょ。時間かかるけどまたきれいなマリーゴールドが咲く」
「ぅ」
「池田君にとっての奈々だってそう。池田君はきっと妹さんの分まで奈々を大切にするよ」
「ぅ」
「悲しみを知ってる人ほど、人に優しく出来ると思う」
バクはシューズバックの中で目を見開いた。アイリはまた自転車を漕ぎ出す。
「バクが悲しみを食べてくれたら本当にいい事が起こってる気がする」
バクは黙ったままだ。
「ね、バク。みんなバクのお蔭で助かったんだよ。だから元気出してね」
「ぁぁ」
「明日も頑張っちゃおうねー」
アイリの声は、魔法の光のように、シューズバックの中のバクに降り注いだ。
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