第13話 桃の日の裏切り(後編)

「本当にそんなに憎いのかなあ」


 ペダルを漕ぎながらアイリはバクに話しかけた。


「好きだっただけにな、悔しいのと悲しいのが合わさってるんだ」

「もう好きじゃなくなったってこと?」

「いや、いつかほら、車椅子押してた人が言ってただろ。小さい頃を知ってると憎み抜くことはできないって」

「そっか。ホントは仲直りしたいんだよね」

「多分な。きっかけを作るためにどちらが譲歩するか…だな」


「譲歩? どっちもしそうにないな、今日の調子じゃ」

「本気でしなくてもいい。譲歩したように見えたらいいんだよ。その分相手が出て来る。するとそこに隙が出来る。攻め入るチャンスだ」

「それって仲直りの話? 戦いの話に聞こえるけど」

「裏返せば一緒だ」

「なるほど」


 帰宅後もアイリの頭からは同級生二人を仲直りさせることが離れなかった。お風呂に入りながらも今日の会話を反芻する。どうしたらいいんだろ、ど-したらーいいんだろー、どーしたらー。


「あーあー、どーしたらー いいんだろ~♪」


 アイリは思わずメロディをつけて歌ってしまった。お、上手いじゃん。お風呂の中なので声が良く響き、自分の声とは思えない。あれ?これ使える? 


 バクは『譲歩したように見えたらいい』と言った。そうだよ。最初は形だけでもいいんだ。それに騙されて相手に少しでも頑なさが抜けたら、それを見た反対側も柔らかくなる… これがラリーみたいに続いたら互いに笑顔が出るんじゃない?


 そうだよ、アイリ、何故ここに気付かなかった。優茉は演劇部。見せかけるのは上手い筈だ。そして秋子、すぐに騙される性格だ。アイリは湯船から立ち上がって万歳をした。

 

 じゃっばーん! やったー! 


 風呂から出たアイリは転寝うたたねをしていたバクをひっつかむと抱きしめた。うぎゃ、うわっ。


「バク、ありがとーヒントくれて!イケそうなの思いついた!明日、花音ちゃんに相談する!」


 翌日の昼休み、アイリは1年生の教室を訪ね、花音を呼び出してもらった。


「どうしたんですか?」

「あのさ、ちょっと思いついたんだけど…」


 アイリは花音に秘策を打ち明けた。


「なるほどー、さすが先輩。二人の事、よくお解りですねー」

「でもさ、作るのって優茉駄目なんだよ。そこでゴーストパティシエ花音ちゃんの登場なんだけど」

「はいー、判りました。考えてみます。6号くらいのホールケーキでいいんですよね」

「そ、それから他の1年の子にはカラクリ言わないでね」

「はい、了解です!日は、終業式の日でいいですよね」

「うん。じゃ、あたしは役者を説得してくる」


 アイリは今度は隣のクラスを訪ねた。


「優茉ー、ちょっとー」


 昨日の今日だ、優茉はいささか疑わしい顔つきでやって来た。


「なに? 仲直りなんかしないよ」

「うわ、いきなり怖いな」

「どうせアイリ、秋子の伝言でも言いつかって来たんでしょ」

「違うよ。役者としての優茉に頼みがあって来たんだよ」

「役者?」

「そう。演劇部の男役トップスターなんでしょ」


 途端に優茉の機嫌が良くなった。両腕を指先まで伸ばし、胸を張る。


「♪ 嫌いじゃない……お前が嫌いじゃないって、そう言ったんだ! ♪」


「はい? 秋子の事?」

「違うよ。タカラヅカの名セリフなのよ、TAKAKOさまの」

「ふうん。でもホントは嫌いじゃないんでしょ、秋子の事」

「だから、それじゃないって。何の頼みなのよ」

「ま、いいか。あのさ、カッコいいパティシエの役やって欲しいのよ。作んなくていいからさ、ケーキを届ける役」


「なにそれ?」

「まあ、女子会へのサプライズ出演ね」

「どこで?」

「場所はまだ未定。どこかのパーティルーム借りるの」

「へえ、幹事がアイリなの?」

「そう。そのまま一緒に参加してもらっていいんだ。変装してカッコいいコック服着てるとモテるよ、きっと」

「ほっほうー。それ、いいかも」

「でしょ?」


「ケーキは作らなくていいのね?あんま得意じゃないから」

「そっちはそっちでプロ頼んでるんだ」

「へーえ、いつやるの?」

「終業式の日。だからまた細かいこと連絡するから」

「うん。あっそうだ。コック服とかコック帽ならあるからね」

「え?持ってるの?」

「ううん。馴染みのコスプレスタジオで借りるの」

「悪いねー」

「それ位ならいいよ。私、顔効くんだから」


 その後、アイリは飛び回った。まず近所のレンタルスペースを確保、花音を通じて『フルートパートの打ち上げ』として秋子に頼んでもらう。秋子は相変わらず大らかに『いいよー』で済んだという。ピザや飲み物は当日フルートパートの1年生に頼んだ。と言ってもフルートパート4名とアイリ、優茉の6人分だからそう大層なことではない。


 そして終業式の日の午後。私服に着替えたアイリたちは、早めにレンタルスペースに集合した。ここでまず超お嬢様ファッションの花音から、自家製ケーキを受け取る。


「花音ちゃん、それ、どこへ来て行く服なの?」

「えー、例えば、舞踏会とか」

「そう言うものが身近にあるわけ?」

「いえー、将来的にあるかもって」

「まあ、コスプレに見えないとこが花音ちゃんの実力なんだろうけどねえ。めっちゃ似合ってる」

「有難うございまーす」


 花音はスカートの裾を、ちょっとつまんで見せた。


「で、箱の中は確認しなくて大丈夫よね」

「自信作です!米粉って案外使い易いですねえ。しっとり出来上がるし気に入りました」

「そうなんだ。有難うね」


 アイリはケーキの箱を共用スペース内に隠す。間もなくコンビニの袋を下げた秋子がやって来た。


「あれ?アイリ?」

「うん。特別参加」

「へーえ、まあいいけど」


 秋子はやはり何の疑問も抱かずアイリを見逃し、部屋に入って行った。すぐに騒ぎ声が聞こえて来た。あら、もう始めてる。あたしがいる事、忘れてるな。アイリは少しイラっと来たが、間もなく優茉が現れる筈だ。戸外でアイリは待った。


 程なくしてハイトールワゴンタイプの軽自動車がやって来て、建物の前に停まった。さっと助手席のドアが開き、メイクが決まったコック帽にコック服の、多分、優茉が颯爽と降りて来る。アイリは絶句した。こっちもプロだ…。


 優茉らしきはアイリの前でポーズを決める。


「思いのほかイケてるだろう、クリスティーヌ!」


 どうやら今日の優茉はオペラ座の怪人モードらしい。


「マジで優茉? ぜんぜん判んない… 優茉イケメンだなー」

「参ったか。惚れたろう、クリスティーヌ」

「はーあ。凄い… さすがはファントム」

「で、どうすんの?」


 そうだ。アイリは我に返った。


「あのさ、案内するからさ、ケーキの箱があるのね。これを、あたしが部屋に入ってから5分後にノックして持って来てほしいのよ。自分が作ったケーキってことで」

「うんうん」

「中の子たちは知ってる子もいると思うけど、顔に出しちゃ駄目よ。ぜーったいに駄目。パティシエ・ファントムで通してね。歌ってもいいからさ」


 優茉は手を胸に当て、腹から声を出す。


「任せてくれクリスティーヌ。私は一流のパティシエ・ファントム。決して期待を裏切るようなことはせぬ」

「その調子。ケーキの自慢もしてね。腕によりをかけたーとかさ」

かしこまった」

「じゃ、お願い」


「あのさ、アイリ。私も食べられるのかな」


 突然、地に戻った優茉にアイリはずっこけた。


「勿論だよ。ひと芝居打って合流したら仲間だからさ、一緒に食べて騒ごう」


 優茉はまたキリっとして言った。


「パティシエ・ファントムはバレー部と一体になろう」


 うーん、ちょっと誤解してるけどまあいいか。秋子見ていきなり叫ばなきゃいいけど。アイリはドアを開けた。

 大きな座卓の上には宅配ピザやポテチ、シャンメリーにコンビニのおにぎり等ぎっしり並んでいる。


「お、アイリ、何やってたの?」

「んー、ここの人と時間の話」

「ほお、アイリがやってくれたのか。それは申し訳ない。フルートパートのために」

秋子がシャンメリーを紙コップに注いで、アイリに渡した。

「アイリもフルートやる?」

「出来る訳ないでしょ」

「だって、フルート入れるケースまで持ってるじゃん」

「あれはシューズバック!フルート入れじゃないの」


 中ではバクが片目を開けた。


 間もなくドアがコンコンとノックされた。が、騒いでる秋子は気がつかない。アイリが立ち上がり、ドアを開ける。


 その途端、パティシエ・ファントムが朗々と歌いながらケーキの箱を捧げ持って入って来た。


「♪ ともーにー食-べよー、このケーキ The Phantom of the Kitchen そう 私だ~ ♪」


 一同がビクッとして振り向く。慌ててアイリが付け足した。


「えー、みんな、パティシエ・ファントムがケーキを持って来てくれましたー。みんなで食べられるケーキでーす」


 花音が拍手する。秋子も目を丸くしている。が、もっと目をみはっていたのはパティシエだった。セリフが出て来ない。仕方なくケーキの箱を受け取った花音がテーブルに置いて蓋を開け叫ぶ。


「すっごーい! イチゴ満載だ! うわー、しっとりしたスポンジ! 只モノじゃないよーこのケーキ」


 作者なのだから全て判っている。


「ほらー、鳥羽先輩、スポンジの間にもイチゴが挟んであるー。うわ、きっと米粉ですね、ねえ、パティシエさん」


 さすがは元臨時ヒロインの花音。アドリブにも安定感がある。優茉は止む無く答えた。役割を思い出したようだ。


「そうさ、このケーキは米粉で出来てる、たぶん…。アレルギー持ちでも安心の設計だー」


 ちょっと方向が違うけど、優茉は精一杯やってる。アイリはジーンときた。


 しかし、秋子は瞬時に見抜いていた。優茉じゃん…。何よ、無理しちゃって。緊張したらまばたき多くなるの、昔から一緒だもん。ずっと見てるんだからすぐ判るよ。ったくアイリのお節介、でもちょっと助かったかな。

 秋子も秋子なりに、桃の節句の日に言った暴言を気にしていたのだ。


 部屋の隅に転がったシューズバックの中で、バクは食べてみた。ちょっと甘酸っぱくなってる。言葉は要らないな。空気だけで解りあってる。やっぱり憎み抜くことはできないんだ。


 一瞬、場がしんとなった。秋子はパティシエの方を向いた。


「優茉、ありがと。優茉がこんなの作れるなんて思いもしなかった。キッチンじゃドンくさかったのに、いつの間にか上手くなっちゃった」


 優茉の目からポロっと涙が流れ、ドーランに筋を引いた。


「何だよ。アイリにまんまと騙されちゃったよ。ケーキ、ホントは私じゃない。でもこれなら秋子幾つでも食べられるよ、米粉のケーキだから」

 

 見守っていた花音が動き出した。


「はい、どちらの先輩方も召し上がれ、本当は花音お手製の米粉ケーキですよ。これ食べたらみんな、もちっとくっついちゃうんだから」


花音は可愛く微笑んだ。場の緊張の糸が一斉にほどけた。


 手際よくケーキを切り分け始めた花音を見て、アイリの両脇の優茉と秋子が目を交わす。秋子が肘でアイリを突っついた。


「アイリ、面倒掛けてごめんだった」

「いんや、面倒だったのは優茉の方だよ。どんだけ手が掛かってんだか、この顔」

「朝5時起きよ。メイクに3時間」

「役者魂だねえ」


 花音がケーキを配る。


「はいっ!鳥羽先輩は、幼稚園の時の分も入れて大盛りです!」


 秋子は、はにかみながら手を合わせた。


「有難う。いっただっきまーす」


 そのままケーキを頬張っていた秋子だったが、暫くすると顔に赤みが差してきた。そしてアイリを含めみんなも何だか気分がハイになっている。いきなり秋子が叫んだ。


「おーおー、優茉、なんでそんなまっちろい顔してんだぁ?」

「おまえのためだろーが」

「んだぁ? ファントムつうよりボンバーのダルじゃねえか」

「女々しくねぇわ!」


 騒がしくなってきた両脇に、アイリは両手を挙げ、二人の頭にそれぞれ載せる。


「こぉら。二人ともこれ以上面倒掛けさせるんじゃないの!コーハイ達の前なんだからね」

「だってさぁ、マホウのケーキだから、何だかきーもちよくなってさぁー、ふぁーあ」


 言いながら秋子がバタっと仰向けになった。アイリも感じた。美味しいけど何だか変。もしかして…


「花音ちゃん、ケーキに何か入ってる?」

「はいっ。米粉スポンジに大吟醸入れてまーす!」

「ダイギンジョウ…って?」


 優茉がとろんとした声で聞き返す。


「マボロシって名前の広島の有名なお酒ですよー。リンゴ使ってるみたいでちょっと爽やか。白い箱に入ってるんです。調理用にするには勿体ないんですけどぉ、お父さんの目を盗んで使っちゃいました!」


 その声を最後まで聞くことなく、ファントム優茉も仰向けに寝っ転がった。アイリと花音は顔を見合わせた。


「優茉は朝早かったからねえ。二人とも寝ちゃった」

「どっちもお酒、あまり強くないのは家系ですかね」

「だね。なんだかんだで似たとこあるんだ」


 アイリは微笑みながら両脇を見較べる。そしてふと思いついて、後に下がると、二人の手を取ってそっと重ねた。


「あは、津田先輩、グッジョブです」

「うん。じゃ、従姉同士はそっとしといて、そっちでUNOでもやろっか?」

「さんせーい」


 カードを取り出しながらアイリは二人をちらっと振り返った。ふふ、一体どんな夢見てるんだろうな。仲良しだった頃の夢でも見てくれてたらいいな。


 やはりハイになって騒ぎ始めた1年生たちに向かって、アイリは『しーっ』と人差し指を立てる。従姉同士の重なった手はいつの間にか固く繋がれていた。

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