第6話 倒れた白雪姫(前編)

 紫苑高校の文化祭は近所にも開放していることもあり大勢の人で賑わう。模擬店は勿論、講堂で催される文化系クラブの出し物も結構満員御礼となる。演劇部は1年前、スターウォーズをもじった『スターウォーク』なるミュージカルを出したのだが、大道具係がR2-D2とBB-8風ロボットのベースにロボット掃除機を使った結果、動きが練習時と変わってしまい舞台上が混乱、散々な目に遭った。ヒロインであるプリンセス・レイア・オーガナに扮して出演した内藤実乃もBB-8を避けようとしてダース・ベイダーと抱き合ってしまい、結局喜劇で終わるという屈辱だった。


 そこで、今年の演劇部は『基本に還る』ことをモットーに、幼稚園生でもやりそうな『白雪姫』をやることとした。ヒロインは先生の一目惚れで本来バックで演奏してもらう筈の吹奏楽部の1年生・吉川花音(よしかわ かのん)。彼女が清純な花束が歩いているような、まさにヒロインに相応しい女子生徒であることは実乃も認めざるを得ない。                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                      

 この抜擢のどこが『基本に還る』なんだか判らないが、部員たちも概ね、あの子ならしゃあないか、になっていた。


 最初は「なんでやねん」と反発していた実乃も、稽古を重ねる中、花音の謙虚な性格に、この子ならしゃあないと思うようになった。しかし、そのまんまじゃあまりにつまらない。先代ヒロインとしてもここは一発かます必要がある。アイリに言ったみたいに、魔女役の役得として本当にリンゴに毒盛るってのが面白いのだが、ワサビはやっぱまずいな。大して考えたわけではないけど、あの時口走ったみたいにハチミツでも塗っとくか。花音の唇にも多少ハチミツがくっついて、スポットライトにもキラキラ光ることだろう。そしてそして、キスする王子様にもハチミツが移って、2度美味しい。もっとも王子様役は男子じゃなくて女子だから微妙と言えば微妙だが。


 小道具係にも実乃は、リンゴは私が用意すると宣言した。特に誰からも異論は出ない。そして、本番の前日、実乃は自宅のキッチンでリンゴにハチミツを塗ってアルミフォイルで包み、大きめのタッパに入れた。準備万端。ハチミツはキッチンのカウンターに丁度置いてあった。ガラス瓶に入った琥珀色の液体。きっと自然食品オタクである母のオリジナルだろう。長野だか北海道だかの生産者から直接手に入れた高級品に違いない。贅沢な話だが、ややさらっとした印象でリンゴには塗り易く丁度良かった。


 実乃は花音にリンゴを渡す場面を想像してみる。稽古ではテニスボールを使っていたので実質、本番が初めてだ。かじった瞬間、花音はどんな顔するだろうか。


#Cue

「ほーら、お嬢ちゃん、美味しい美味しいリンゴだよ。食べてみておくれ。このリンゴを食べるとその若さが100年は続くんだよ、あたしの魔法でね、ほっほっほ」

「あら、おばあ様ありがとう、ちょうどお腹もすいていたの。美味しそうなリンゴだこと、なんだか光ってるわ」

「そうさ、お嬢ちゃんみたいにきらきらなのさ」


 私がリンゴを花音に渡す。花音は受け取ったリンゴを眺め、齧り付く。


「あーまっ!、おいっし!」


 花音は思わず口走ってしまうかも。そうしたら内藤先輩として小声で言ってやらなきゃ。


「こら花音、芝居の世界は甘くないんだよ、さっさと倒れる!」

「あーーらぁー」


 バタッ!

#Cut


 こんな感じだろ。まあひと口だけでなくてもいいや。齧ってすぐに毒が回るのも不自然だし、何口か食べてもらっても差し支えはない。齧った後の花音の唇もキラキラ輝いているだろう。王子様役の優茉(溝口優茉 みぞぐち ゆま)はどうリアクションするだろう。実乃はほくそ笑んだ。


 文化祭当日、講堂は満員御礼だった。こんなベタな芝居に観客来るのかなと思っていた実乃だったが、ベタで終わる訳がないと思われているのだろうか。アイリもバク入りのシューズバックを下げて最前列に座っていた。以前の実乃の態度が若干気になっていたこともある。


 会場の照明が落とされスポットライトがMCを照らす。そこには主催者である生徒会執行部の生徒が立っていた。


「お待たせいたしましたー、続いては演劇部による劇です。本校の演劇部は男子がおらず、タカラヅカ並みの配役でお届けするのはー なんと歴史的名作! しらぁーゆきぃーひめぇー! 幼稚園の子でも知ってますね、意地悪なお妃が魔女に化けて美しく優しい白雪姫をなんとかーってやつです。ストーリー通りなのか、はたまたお妃の一発逆転劇があるのかぁー 紫苑高校演劇部は一筋縄ではいきませんよー、ではじっくりお楽しみくださーい」


 おい、何言ってんだ。んなもんあるかよ。勝手にハードル上げんなよ。演劇部の誰もが毒づいたが幕は上がってしまった。いきなり実乃の出番だ。


「あたくしが、新しいお妃様よ。皆の衆、がたかーい! 控えおろう!」


 観衆はいきなり爆笑した。


「王様はあたくしの美貌の虜になってあたくしをここに呼び寄せた。まあ大した男じゃないけどその目の高さは褒めてあげましょ。ねえねえ、鏡ぃ。世界で一番美しいのはだぁーれ?」


 鏡役がスタスタ歩いて来て挨拶をする。会場から微妙な笑いが漏れる。


「それはそれはー、お妃様、あなたでごーざいます。このお城でもお引き立てのことー、古道具屋には売らないで下さいねー、よろしゅうおねがいもぉしあげまーす」

「ふふん、なかなか好ましい態度ね。そうよ、あなたが正直である限り、お引き立てするわよ」


 舞台が暗くなり、場面が変わる。舞台には洗濯をする白雪姫、つまり花音がスポットを浴びる。その周りには小鳥ハットを被ったのが二人舞っている、というか回っている。


「おはよう、小鳥さん、今日もいい日ね、お洗濯もよく乾くわ」

「チュンチュンチュンチュン 可哀想なお姫様。なんでお姫様が洗濯を」

「あら、新しいお母さまからのご命令よ。ちっとも可哀想なんかじゃない、お洗濯は気持ちいいもの」


 アイリも花音の可愛さに目をみはっていた。実乃が言った通りだ。ホント、お姫様。性格も良さげ。


 舞台の端には再び実乃とまだ居眠りしている鏡役が現れスポットを浴びる。


「あーら、今日もいいお天気ねえ、ねえ鏡、今日も世界で一番美しいのはだぁーれ?」


 いきなり振られた鏡は慌てて体を震わせ、そして舞台の真ん中の白雪姫に気付く。鏡は欠伸しながら


「ふわぁ、おはようございますお妃様。それはー、ふわぁ、あーねむ、それは白雪姫様でございますねぇふわぁ」

「しらゆきひめ?」


 実乃の迫真のセリフだ。鏡が慌てて気をつけをする。


「白雪姫だと? なに寝ぼけてるのよ鏡。古道具屋に売られたいのかい?」

「いえいえいえ、朝からご冗談を。お妃様もおきれいでございますが、ほんのちょびっと、弾けるピチピチと較べますれば、ちょぉーっとたるみ気味と申しますかぁ…」

「おだまり!」 バシッ!


 実乃が手にした鞭で床を叩いた。なんでお妃、鞭持ってんだ。Sには間違いないけど… 寝そうになっていたアイリも一旦、目が覚める。実乃は手を翳し、目を細めて洗濯中の花音を眺めた。


「ほう、確か、前の妃の娘ね。家事係にスリーランク降格させた筈。ふうん、そうなの」


 いきなり背景がメラメラ燃える炎のような赤やオレンジに変わる。演劇部もプロジェクションマッピングの初心者バージョンを使えるようになったらしい。去年のロボット掃除機での失敗からICT能力は向上している。


「今に見てなさい。ほーほっほっほ…」


 舞台も背景も次第に暗くなり、暫く黒子が走り回る。アイリは再び睡魔に襲われた。暗くなると眠くなるのは本能だよ。


 次にアイリが目覚めたのは『ダース・ベイダーのテーマ曲』が大音量で聴こえたからだ。吹奏楽部、去年の資産をまだ使ってるな。アイリは『スターウォーク』を思い出した。シューズバックの中でバクももぞもそ動いている。

 薄暗い舞台。右にはどうやら小人の家がある。左端にスポットが当たると厳かに魔女役の実乃が現れた。手に籐籠を下げている。スポットが引かれ、小人の家も明るくなる。花音が椅子に座って縫物のようなことをしている。いい子だなあ、白雪姫。きっと花音はそのまんまなんだろうな。実乃が声を張り上げた。


「もぉーしもし、そこのお嬢ちゃん」


 花音が気がつき振り返る。実乃が両手を広げ親愛の情を示す。


「そこのお嬢ちゃん、いきなりだけどお腹空いてなーい?」


 うーん、上手いけど魔女と言うより普段の実乃じゃん。アイリは突っ込んだ。花音は少し顔を赤らめ、控え目に


「はい。この頃小人さんたち、キノコばかり持ってくるので」

「あらあ、それはヘルシーだこと。キノコにはね、βグルカンや食物繊維やビタミンがたくさん含まれてるからねえ、免疫力が上がって血液もサラサラになって、そしてメタボ対策にもいいのよー。まああんたにメタボ対策はまだ早かったわねえーほっほっほ」


 あかん、健康マニアの、みのぴょんのツボだ。これは長くなるぞー。やだ、あたし何に期待してんだろ。


「でもねえー、リンゴもいいのよー、習ったよねえ、ポリフェノールとペクチン。辛い便秘にもサヨナラよー」


 そっか、あたしも毎朝リンゴ食べよう。アイリはスマホを取り出し、『朝リンゴ』とメモをした。


「だからお嬢ちゃん、このリンゴ、お一つ召し上がれー、すぐにいいお通じが来るわよー」

「ありがとうございます、おばあ様。でもキノコばかり食べてるので腸内環境は大丈夫なんです」


 おい、花音まで。この流れは何なのだ。誰が台本書いたのだ。健康食品のPRブイか。みのぴょん、青汁とか隠し持ってるんじゃないの?


「あーら、それはいいこと。でもねお嬢ちゃん、リンゴは美肌にもいいのよぉ。あたくしを見てごらんなさい、100歳になってもこの美肌!毎日このリンゴを食べてるからよー」


 実乃はカゴからリンゴを取り出し掲げた。スポットライトにリンゴがキラキラ光っている。ありゃ、みのぴょん、マジでハチミツ塗ったのかな。


「おいしそう! でも小人さんたちに言わなくちゃ」

「あなたのお肌を守れるのはあなただけなのよー、お嬢ちゃん。幾ら小人と言ってもオトコなんてレディのお肌の敵にしかならないのよー」

「そうかしら」

「そうよ、だいたいリンゴを食べるのになんで人に断る必要があるの?」

「だって小人さんたちにもあげなくちゃ」

「あーら、それなら小人たちには、あたくしが後からリンゴ1ケース、宅急便で送っておくわぁー」

「それは安心!」

 

 会場は受けた。


「じゃあ試食の魔法のリンゴ召し上がれー、これを食べるとその若さが100年続くのよー、あたくしみたいにねー、ほっほっほ」

「ありがとうおばあ様、美味しそうなリンゴだこと!」


 実乃が花音にリンゴを渡した。花音はリンゴを眺め上品に齧りつく。


 一瞬後、花音は声にならない声を出した。


「&□$△%◎!」


 実乃はほくそ笑んだ。ほれほれ、本当に美味しいでしょうに。さっさと倒れろ。

花音はリンゴを落とし、手で口を覆ってしゃがみ込んだ。実乃は杖を立てたまま座り、花音に耳打ちした。


「花音、倒れなきゃ、バタッて」


 ところが花音は涙目で実乃を見返す。観客席からさざ波のようにざわめきが聞こえてくる。実乃は小声で聞いた。


「どしたの?甘すぎた?」

「か・かはい・・・。こへがふまくへない・・・」


 花音が掠れた声で返す。あれ? どうなってんの?

 どうなってんのって観客が聞きたい話だが、実乃にも理解し難い事態だった。


「じゃ、とにかく倒れて、暗くなって誤魔化せるから」


 花音は口から喉に手を添えたまま、仰向けに寝転がった。実乃はこのシーン最後の芝居を打った。


「ほーっほっほっほっ、これで白雪姫はおしまいね」


 舞台が暗くなる。


 アイリの膝でバクが暴れ出した。アイリはファスナーを少し開ける。


「どうしたの?バク」

「なんか変だ。捻れた悲しみが伝わってくる。こんな筈じゃない。信じられない、なんで?って」

「そりゃそうよ。白雪姫は魔女にだまされて毒リンゴを食べさせられちゃうんだから」

「ちょっと違う気がするなー、マジな感じ」


 その頃舞台裏は大騒ぎだった。


「ないほうへんふぁい、ひんこ、きゃはいれふ」


 掠れた声で花音は訴えた。


「えー?マジ? ハチミツ塗っただけだよ」

「ちかふとおもひまふ・・・」


 舞台から回収してきたリンゴを王子様の優茉が持ってくる。


「実乃、べとべとしてるよ。何か塗ったでしょ」

「だよ、ハチミツ。マヌカハニー並の高級品なんだけど」

「ちかひまふ。きゃはい」


 実乃はリンゴの表面を指ですくって嘗めてみる。


「&□$△%◎!」

「なになに、何だった?」


 表情を伺っていた優茉が聞いた。実乃は衝撃を受けていた。なんじゃこりゃ? カラい、確かにめっちゃカラい。尖った唐辛子?


「ごめん花音、間違ったみたい・・・、カラいはこれ、めっちゃカラい」

「えーー、どうすんのよ実乃。花音、声出ないじゃん」


 花音は他の部員からウーロン茶を貰ってうがいしているが、ショックもあるのか、まだ声が戻らない。優茉や他の部員たちは実乃の顔を伺った。


「しょうがない。お妃が責任とって王子と結婚することにしよう」

「えええー?」

「しょうがないじゃん、花音、声出ないしさ、あ、舞台にサイン送って!小人のダンス3分延長!踊り続けろって!」


 優茉が言い募る。


「それって小人の家にお妃が寝てるってことにするわけ?」

「それは変でしょ。白雪姫は予定通り死んでるのよ。王子様がキスしたければしてもいいけど、花音は喋れないから動かない。王子様が悲嘆にくれているところにお妃が現れて白状するの。白雪姫は不慮の事故で亡くなりましたって」

「不慮じゃないじゃん、殺人じゃん」

「それは最後にナレーションでカバー、お妃は殺人の疑いで、後日逮捕されましたって」

「じゃそれは後回しにして、王子はどうするの?」

「私が上手く言うからさ、それじゃお妃様と結婚しましょうって言えばいいのよ」


一人の部員が走ってきた。


「小人たち、体力の限界です!田中さんが目を回して倒れましたー、舞台袖に収容済みです」


「うわ、じゃ、舞台暗くして! 花音、寝てるだけだから大丈夫でしょ?」


 花音はこくりと頷いた。花音も訳が判らなくなっていたが、元々部外者だ。先輩の指示に従う。


「じゃ、この後の段取りはね・・・」


 実乃が皆を集めた。

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