夢の扉

カフェオレ

夢の扉

 目の前に扉がある。

 ドアノブを回し、扉を押すと、そこは長い渡り廊下


 俺はその景色に見覚えがあった。去年卒業した中学校の渡り廊下だ。左手にはグラウンドが見え、廊下へと吹き抜ける風を感じる。A棟からC棟へ向かって歩いていると誰かが居た。女の子だ、制服を着た女の子が立っている。俺とその子との距離はみるみる縮まっていき、そのまますれ違った。


「また、あの夢だ」

 秋の涼しさで目を覚まし、俺はそんなことを呟いた気がする。こんな夢を見るのは何回目だろう、不快な夢ではないが、いつも目覚めると疑問が浮かぶ、なぜ母校の中学で、3階の渡り廊下なのか、そして、あの女の子は誰なんだ。

 しかし、そんなことをじっくり考えている暇はない。今日は朝から英語の課題テストだ。ベッドから起き上がり、学校へ行く支度を済ませると、家族に顔を見せることなく家を出た。


 俺の通う高校は、いわゆる自称進学校と呼ばれ、死ぬほど課題が多く、テストも死ぬほど多い。今日も英語の課題テストもとい、参考書の暗記テストがある。点数が6割を切ったら補習に行かされ、放課後を拘束される。


「おい、つかさ!絶対合格しろよ!」クラスメイトの武田さとしにプレッシャーを掛けられる。

「また、補習受けるやつ増えたら、前澤、絶対ブチギレるからな」

 前澤とは俺たちのクラスの数学を担当する教師であり、学年主任だ。教科が違えど補習には必ず顔を出し、良く言えば教育熱心、悪く言えばやかましく鬱陶しい教師だ。

「おぉ」

 俺は生返事をすると、参考書の一字一句をひたすらノートに書き連ねていった。


 俺は部活に入ってないし、熱中するほどのものもない。放課後を拘束されることで不都合なことはないが、テストに落ち、落胆する者、ヘラヘラする者たちが集まり、教師から喝を入れられるあの教室が気に入らない。


 英語の課題テストも乗り越え、退屈な1日を終えた俺は部活に急ぐ武田を捕まえて話し相手にしようとしたが軽くあしらわれた。


 武田とは中学からの仲だ、中学1年の時、1度同じクラスになっただけだったが、やけに話しやすく、向こうも俺とつるんでくれる。部活はサッカー部でスポーツ万能、頭も良いため、周りからの評価は高かったし、高校でもそれは変わらない。俺も武田のことは尊敬している。他人をすごいと思うのは17年間生きてきて、そうそう無いことだった。

 高校2年で武田と同じクラスになって俺は嬉しかった。また、あいつとくだらない日々を過ごせる、そう思っていた。


 放課後の教室は勉強モードで部活に行ってないやつは大抵、静かに勉強している。


 武田も3年になったら、こうなるのかな


 高校に入っても武田は変わっていない、いや、周りが変わっていない武田を評価しているようだった。中学と違い、うちの高校は勉強や部活の成績がその人間の価値と言ってもいい。武田はとにかく教師からも一目置かれる存在なのである。


 俺は本当の武田を知らなかったのかもしれない。

 最近そう考えることが増えてきた。


 何もやる気がなく、机に伏せて寝ていようかと思ったが静寂が落ち着かない、校舎でもブラブラするか。


 校舎を一周するように廊下を歩いていると、今朝見た夢を思い出した。ここ最近、俺は扉の先にある母校の渡り廊下で知らない女の子とすれ違うという夢を何度か見ている。毎回その女の子の顔をはっきりと見ることなく夢から覚める。

 こんなことが、あるのは宿題やら予習やらで寝不足なのと学校生活のストレスが祟ったのだろうと思うようにしていたが、それが1ヶ月近くも続くと只事ではなくなって来る。


 まだ誰にも相談していない、というより相談しようなんて思わなかった。


 そんなことを考えながら廊下を曲がり、職員室前に出ると懐かしい顔があった。

「池野」

「わ、司じゃん、懐かしいね」

 池野拓美たくみも武田同様、中学からの仲であるが高校に入ってからというもの、一切話してないと言っていい。

 池野とは中学3年の時に1度だけ同じクラスになった。隣の席になり、昨日見たテレビがどうだったとかお互い好きだった漫画の話をしてた気がする。目立つ生徒ではないが誰とでも打ち解ける、そんな女子だった。


「池野何してんの?」

「日直の日誌出しに来た」

「そうなんだ、めんどくさいよな、日誌」

「司は何してんの?」

「ブラブラしてんの」

「変な人だぁ」


 ぎこちない。

 こんなに話の弾まないやつだったか?


 そんなことを思い、何か話したかったがこれ以上気まずい雰囲気には耐えられないので適当な返事をし、そのまま徘徊を続けた。


 池野は気さくな上、可愛らしい顔立ちから中学の時、陰で男子からの人気があったが高校に入ると垢抜けた彼女はあっという間に活発で目立つ男子達、いわゆる陽キャの間ではアイドル的存在となり、恋愛話となると、皆んな池野の名前を口に出していた。


 池野は俺と違う


 そう思うのに時間は掛からなかった。


 池野は自分とは住む世界も価値観も違う、別の存在になってしまったと思っていたが、俺のことを覚えてくれていたようだ。


 俺のことどう思ってたのかな?


 そんなことが頭をよぎった後、廊下を引き返して俺は教室へ戻った。


 目の前にはいつもの扉があった。

 扉を開けるといつもの渡り廊下、いつもの女の子、すれ違う。

「戻りたいの?」


「武田、中学と高校、どっちが楽しい?」

 翌日の昼休憩、俺は武田に聞いた。

「そりゃ、高校だろ。部活も行事も本格的だし、勉強はキツイけど」

 武田はサッカー雑誌を眺めながら、当たり前だろと言わんばかりであった。

 やっぱり、こういう輝いてるやつにとっては、ここは充実してんだろうな

「で、お前は?」

「どっちもどっち……かな」

 俺は部活に入ったことなんてないし、行事なんて興味が無い。そりゃどっちも楽しくないわけだ。

「意外だな、中学って言うかと思ったのに」

 武田の口から出た言葉こそ俺にとって意外だった。

「お前、結構女子と話してたじゃん。チャラ男」

「まあ、そんな時期もあったな」

 無論、彼女などではない。俺は思春期の割に色恋沙汰に疎かったらしく、女子と話すのも特に臆病になるようなことでは無かった。

 まぁ、恐らく武田の言う女子は池野のことだろう。2人にこれといった接点はないが俺が池野と付き合っているという噂は当時、武田の耳にも入っていたと思う。

 わざわざ、武田は聞いて来なかったがあいつには言わないでも分かると思ってた。


 また扉だ、俺はその先に続く渡り廊下を歩き、女の子とすれ違った

「戻りたいの?」

 最初に夢でこの言葉を聞いたのは池野と廊下で久々に話をした日の夜だ。そして、今日も夢の女の子がそう言うと俺は目を覚ました。


 戻りたい?

 中学時代にか?


 夢は深層心理を反映するなんて聞いたがこういうのって普通、夢の中で願望が叶うものだろ、俺はその願望すら分からないじゃないか。


「学園祭のポスター貼ってもらいに今度中学行くんだ、お前も来る?」

 武田は生徒会の役員もやっている。うちの学園祭のポスターを出身校に貼ってもらえるよう、頼むのも生徒会の仕事らしい。俺を誘ったのは昨日のことがあったから武田なりの気遣いかもしれない。

「おう」

 夢の場所も気になるし、もしかしたら、あの女の子が……

「じゃあ、木曜の放課後な」


 その日の夜も夢を見た。

 いつもの扉だ。開けると渡り廊下、またあの女の子とすれ違う。

「戻りたいの?」


 それを確かめに行くんだ。


「せっかくだし校内見ていこうぜ」

 職員室から出て来る武田に俺は言った。

「あー、俺学校帰って部活だわ」

「そっか……俺残ってくって言ったら?」

「そんなに気になるのか?」

「ま、まぁ久々だしな」

「じゃあ、帰りはちゃんと受付通れよ」

 武田は深く追求せず、俺にそう告げるとそのまま来賓用の玄関へ向かった。


 ここへ来るのは卒業式以来だ、曖昧な記憶をたどり階段を上り3階へ向かう、もちろん、あの渡り廊下だ。

 夢で見たのとは違うアルミサッシにガラス板がはめ込まれた扉を開けると、そこは夢の景色のままだった。長い渡り廊下、放課後であるため生徒がいる気配は無い。左手にはグラウンドが見え、風が吹き抜ける。

「夢の続きだ」

 そう心の中で唱え、廊下を渡る。ちょうど夢の中であの女の子とすれ違う場所で立ち止まり、グラウンドが見える左手を見た。


 懐かしい景色だ。


 その時、俺はここで夕日を見たのを思い出した。ちょうど今のような秋の寒い夕方頃だった。確か隣には池野が居た。2人で夕日を見たんだ。


「あれ?帰ってなかったっけ?」

「忘れ物取りに来たわ」

 嘘だ、俺は忘れ物なんてしていなかった。俺は、池野に会いたかったんだ。

「あ、見て見て!夕日スゲー!」

 池野が無邪気な笑顔で見た方向を向くとそこには確かに綺麗な夕日が見えた。


「そっか、忘れ物取りに行かなきゃだったね」

「さっきから探してるけど、見つかんないから、もういいかなって……」


 ふと、グラウンドに視線を落とすとサッカー部の練習が見えた。そして、武田を見つけると俺は目が合わないように夕日が眩しい振りをした。


 武田ごめん、俺は知っていたんだ。お前が池野を好きだったこと。


 武田も池野もいい奴で俺はそんな2人が大切だった。でも俺はお前に池野を取られたくなかった。

 だから、武田には何も言わなかったんだ。噂が嘘であるとも、本当にそうでありたいとも


 何も変わって欲しくなかった。

 でも、それを願った先には退屈な学校生活しか無かった。

 確かに俺は何も変わらなかった。しかし、武田は何でも出来て、将来有望。池野は皆んなの人気者だ。2人とも変わった。何もかもが変わってしまったじゃないか!!


 俺は迷うことなく扉を開き、渡り廊下を進む。相変わらず女の子はそこに居る。

「忘れ物は見つかった?」


 最早、受付なんて通らず俺は渡り廊下に夕日を見に行っていた。


 忘れ物を取りに来た。しかし、もうここには無い。そんなことは分かっていた。でも、ここに置いてきた気持ちを俺は探していた。


 校門を出て、坂道を下る。この中学は丘の上に建っており、帰り道はしばらく下り坂が続く。


 坂の下から誰かが上って来る、武田だった。

「じゃあな」

 すれ違いざま、武田はそう言った。俺は振り返らず坂を下る。


 しばらく歩くと、また誰かが上って来た、池野だ。

「ありがとう」

 池野はそう言うと俺に道を開け、笑顔で立ち止まっていた。

「ありがとう」

 池野の方へ顔を向け、そう言うと俺は坂を下り続けた。


 想像以上に坂は長い、その間俺は何も考えず歩いた、何かに導かれるかのような、何かがその先で待ってるような、そんな気がした。


 坂を下り切るといつもの扉があった。


 ドアノブを回し、扉を開けると、夕日に眩しく照らされた長い渡り廊下が続く。その先には中学の制服を着た垢抜けていない無邪気な笑顔があった。

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