地味な彼らのスピンオフ
織井
[一年生 二月] 若藤和月編
第1話 はふはふ塾仲間
1
かくかくと曲がりくねった廊下を進んで自習室のドアを開けると、何人かがこちらへ顔を向けてきた。オレは無視して空いている席を探し、奥にひとつだけあった机へ足を進め、音を立てないように椅子を引く。
机に残った消しカスを払い、リュックから授業で使っている教科書やノートなどをだしていく。オレの通っている塾の自習室は教室よりすこし狭いくらいで、パーテーションで区切られた机が壁に向かって何個もおかれていた。
準備を整えていたら、とんとんと肩をたたかれた。だれだと疑問に思って振り返ると、眼前に般若のような変顔があって、オレは慌てて下を向き、唇を噛んで笑うのをどうにか堪える。
顔を上げると、泉 いぶき(いずみ いぶき)センパイが長財布を見せてくる。前髪のそろったショートヘアで、厚みのある二重とぱっちりとした目がさらに強調されていた。鼻はつんと高く、唇はふっくらとして首が細い。丈が太股くらいまであるオレンジのプルオーバーのパーカーを着て、袖が爪の先くらいまである莫迦みたいにでかいカーキのMA1を羽織り、下は黒いスキニーに同色のゴツイスニーカー。全体的にオーバーサイズで、おにいちゃんから借りてきたんすか? って感じの服装だった。
オレはうなずき、カバンから財布を取りだした。泉センパイといっしょに自習室をでると「さっきマジ危なかったっすわー」とつぶやく。
「くっそ悔しいなー。絶対噴くと思ったのに」と泉センパイが云った。「つかワカと会うの久々? 自習室来んのめずらしくね?」
「もうすぐ学年末なんすよ。家だと集中できないんで、それで」
「あーなるほど。わかるわー。できないよねー」
「いやセンパイ受験生っしょ。してるでしょ絶対。適当に云わないでください」
「だーから恥ずいわそれ。センパイやめれって何度も云ってるっしょ? ふつうに泉でいいって」
「二コ上呼び捨てとか無理っすからふつうに。あ。泉センパイっ」とオレはわざとらしく声を高くして呼んでみた。「きょうさみーからおでんおごってください」
「いいよいいよ。そのかわり今度弁当コーナー横一列おごりな」
「いやおかしくね!? つーかぜってー食えないっしょそんなに」とオレは笑いながら云った。「センパイは追いこみっすか?」
「んまあそんな感じ。お腹空くと頭働かなくなってくるじゃん? それで夕飯買いに行こうとしたらワカがちょうど来たからさー」
「あれ、いつものお菓子ストックは?」
「尽きた。つかふつうに出費やばくて弁当だったりおにぎりだったりサンドイッチ持参してる」
「動いてねーのに太らないのマジすげーっす」
「いや聞いて。頭動かしてると案外太らないんよ。というか筋肉落ちて逆に体重減ったし。あたし受験勉強はじめてから足めっちゃ細くなったの」
「マジ? 身長は? 伸びました?」
「伸びた伸びた。たぶん二ミリくらい? なんか目線高くなった気がするんだよ」
「いやそれ誤差っしょ」
「うるせっ。いいんだもう身長は。諦めた。つか次に身長いじったら、そのオシャレパーマもどきの髪型マジで坊主にするから」
「やめて。髪質いじんのマジやめて。天然。オシャレでやってないっす」
泉センパイがからからと笑う。いつものようにやりとりを交わしながら、オレたちは階段を下りていった。期末勉強のときに自習室で会っているから、そこまで時間は経ってるわけじゃねえが、久々というのは事実なわけで。そのせいなのかはわからんけど、会話が妙に弾んでしまう。
そのまま泉センパイと並んで近くのコンビニへ向かう。オレの鳩尾くらいに頭があり、童顔でちっちゃいせいか、見た目は三年生という感じはあまりしない。でも話しているときは同級生にはない年上ならではの懐の広さと、どこか気持ちいい上から目線があって。泉センパイの人柄なのか、タメだといじられてうぜえなって思えることも、泉センパイならまあいいかってなってしまう。
「さっ、みー……雪、降りそうじゃないっすか?」
「わっ、かる……ありえない。マジで」と泉センパイが肩を縮めて両腕を下に伸ばしながら云った。「あたしマジにおでん食おうかな。シェアして食べね?」
「いいっすよ。肉まんとあんまんも食いません?」
「食う食う。あーでもあたしあんまんよりピザまんのほうが好きだなー」
「別にそっちでもいいっすよ」
なにを食べようか相談しているとコンビニが見えてきた。ドアを開けると、入った瞬間からおでんのだし汁の香りが漂ってきて、オレたちは湯気立つ容器の前でどれをいくつ買うかを決めてからレジに移動してそれぞれ注文する。店員が準備するあいだに泉センパイがお菓子を追加して、合計が八百三十七円。
「ワカ。五万ある?」
「なにさらっとカツアゲしてんすか。つかレジ前でボケるのマジやめてくれよ……ほんとはいくらほしいんすか?」
「二十一円」
オレは財布を開いた。「あーっと。あるある」
「マジか。ナイス。すみません、これでお願いします」
レジに小銭をおき、泉センパイが千円札をおいた。会計を済ませると、オレはレジ袋をあずかって外へでる。
「あーさっみー……このくそ寒いなか外で食うってマジで自殺行為なんじゃないっすかね?」とオレは袋を広げながら云った。
「逆にそれがいいんって。はやく食べよ食べよ」と泉センパイが手を擦りながら云った。「ワカ先に器持つ係な」
「おっけ。いやーその役割分担逆にナイス。はー、あっ、たけえ」
「おでん食べさせてあげよっか?」
「いらんいらん。自分で食うっす。センパイ絶対ほっぺた当ててくるっしょ」
泉センパイが笑った。「ちょ、しないからーそんなこと」
オレらは曇天の寒空の下、邪魔にならないところでおでんをはふはふしながら交互に食べ進めていく。こうしていっしょにコンビニへ行くのも何回目だろう。きょうみたいに付き添うようになって、会計をまとめるようになり、あとからレシートを見て精算を合わせるようになった。
そんな仲になっても、オレは泉センパイの連絡先を知らない。たぶん、訊けば教えてくれるんじゃねえかなって思うけれど、必要かと云えばそうでもない。あっちも訊いてこないってことは、たぶん同じようなことを考えているんだろう。
端的に云えば、オレたちは塾仲間だ。たまに会って、時間が合えばこうしてコンビニまで買い物をして、話をする、ただそれだけの関係。
別にオレはそれでいいと思ってる。知り合って、仲良くなったから、必ずしも連絡先を交換しないといけないわけでもねえし。塾って場所で完結してる関係だからこそ、適度な距離感があって、いっしょにいると心地いいのだ。
「ワカさー、明後日、塾来る?」
おでんなどを食い終わって、オレらは塾へ戻っていくと、泉センパイがふいに訊ねてきた。
「なんかあるんすか?」
「あたしその日、試験前、最後なんだ」
「そっすか」
「うん」
オレはブレザーのポケットに手を突っこみながら空を見上げる。きょう一日中、空を覆い隠している厚い雲を眺めながら「雪、降んなければ」とつぶやいた。
最後、という言葉が妙に頭に残る。ちょいと感傷にふけってしまい、胸の内側が急速に冷えこんでいった。もうすぐ泉センパイはいなくなって、こんな風に付き添うこともなくなんだなって考えてたら「絶対来いよなー」と笑いながら腕を小突いてくる。
明るく振る舞う姿を見ていると、そんなオレの胸の内なんか本人はまったく気づいてなさそうで。オレはぐっと気持ちを飲みこんで、悟られないように笑いながら「イってぇ折れたんすけどー」と冗談めかして云った。
連絡先も交換してないような浅い関係で、ましてやオレが「寂しい」って云ってもキモがられるに決まってる。そういうガラじゃねえってことくらい、自分でもわかってるんだ、オレは。
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