第2話:空くんの小説 ――「祈り」

「柊木空(@hiiragi-sora)-カクヨム」


 ヒットした、驚いた。

 同時に、それはそうだろう、とも思った。

 イマドキの小説を書く若い世代が、ウェブ投稿サイトを使わない、なんてあり得ない。

 本名なのには戸惑いを禁じ得ないが、しかし、或いは別人ということも考えられる。

 ペンネームとかで、いかにもありそうな名前だからだ。

 その投稿サイトにアクセスする。

 画面が切り替わる。

 作家のプロフィールを見る。


 ――中学1年、男子です。拙文・乱文、お許し下さい。あまりうまくないけどがんばって書きます。(続く)


 空くんだ、間違いない。

 しかし本名で危ないなあ、個人情報も含まれてるし。

 拙文・乱文、お許し下さい、って、なんか太宰っぽいなあ。関係ないけど、


 ――異世界アウトローものを書くのが好きです。カテゴリーが無いので「現代ドラマ」に投稿します。(続く)


 異世界ファンタジーだろ!フツー!現代ドラマは無いだろー!

 でも意外だ、……

 でも子供って、案外そうかも、……

 選択肢がいろいろある場合、あえて児童文学とか子供っぽいものを選ぶのは、大人だけのような気がする、確かに。


 ――他にもいろいろ書きたいです。よろしくお願いします。(了)


 へえ、と思った。

 空くんの涙の理由ではなく、作家としての空くんに興味が沸いた。

 どうせ今日はもう寝不足なんだ、読んで見よう。

 そう思った。


 ――小説8 近況ノート17 おすすめレビュー 応援コメント15 フォロー7


 この投稿サイトの見方がよく分からないが、小説を八本書いているのは明らかだ。

 結構な作数だ。

 少し前に完結した作品を開いて見る。


 先に言って置く、びっくりした。

 完成度やレベル云々は、とりあえず置いといて、その内容に。


 ――タイトル:祈り


 砂漠化した荒野を歩いていた。

 ひどい砂嵐だった。

 擬装用の網が張ってある金属製のヘルメットと、砂防用のゴーグルが無ければ、こんな砂嵐の中を歩けなかっただろう。

 しかし足を止める訳には行かない。

 追手が懸かっており、すでに数人をこの手で殺害していた。

 軍装用の雨具を身に付け、フードを被り、風を避けるように顎を引き、前屈みになって歩いて行く。

 大きな背嚢と、他に、濃緑のシートに包んだ長さ一メートル位の重量物を担いでいて、一歩足を踏み出す度に、白く汚れたブーツが、砂に、足首の深さまで埋まった。


 街外れにある聖堂の前で足を止めた。

 木造平屋の、六、七十人を収容できる位の規模で、しかしその割には軒が高く、六メートル程もあった。

 正面の扉を開け、中に入る。

 砂嵐の音が遠退く。

 聖堂の中は薄暗く、少しひんやりとしていた。

 黴臭く、饐えたようなにおい。

 どれくらいの期間だろう、しばらく使われていない建物の雰囲気があった。


 導師――聖堂を管理し信者を教戒する聖職者、伝導教師――だろうか、ほとんど真っ暗な聖堂の前の方、左端の椅子に座り、下を向いて小さな声で、何かをブツブツと呟いている。精神に異常を来たしている印象だったが、特に気には留めなかった。

 こんな時代の、こんな世の中で、完全に正気でいられる人間なんて、いる筈も無かった。

 十三年前に終結した世界大戦と、その後各地で相継いだ激甚な自然災害、歴史的な大凶作の影響は極めて深刻で、社会は混乱し、疲弊し切っていた。


 背嚢と長尺物の包みを床に下ろし、軍装用の雨具を脱ぎ、ゴーグルを外す。

 入口の横に架かっていた小さな鏡を見る。


 肩の辺りまで伸びた髪は銀髪だったが、砂埃と、乾燥した泥に汚れて白髪にしか見えなかった。

 その汚れた前髪に見え隠れする瞳は、髪と同じく銀色で、瞳孔の黒色とのコントラストが、「狼」の目を連想させる。

 分厚い生地の、やはり軍装用のベージュのトレンチコートを着ていて、ズボンは同じく丈夫そうな生地の、濃緑のカーゴパンツを履いていた。


「食い物と水を分けてくれ、金は払う、金貨も少しなら持ってる」

 壮年で、痩せこけていて、無精ひげを生やした目付きのオカシイ導師が、こちらを見る。

 一瞬、怯えの色がその瞳によぎる。

 それはそうだろう。

 オレのこの風体から連想される「素性」は、次の三つしかない。

 そのどれに該当しても、オレは非常に物騒かつ危険な人物、ということになる。


 一、賞金稼ぎ

 先の世界大戦後、膨大な数に上る兵役解除者が、大不況と深刻な飢饉に喘ぐ社会に奔流となって流れ込んだ結果、極度に治安が悪化した。

 警察力が破滅的な水準にまで低下し、為す術が無かった無能な現行政府が打ち出したほとんど唯一の治安回復策が、この、毒を以って毒を制する形の、いわゆる「賞金稼ぎ」という制度、というか職業だった。

 荒くれ者、ならず者共が、互いに殺し合っていなくなればいい、という考え方だ。


 二、傭兵崩れ、兵役崩れ

 何らかの理由から軍隊を脱走した傭兵、または正規兵役軍人のことで、徒党を組むと「愚連隊」なんて呼ばれることもある。

 傭兵、と言っても高い戦闘技能を有する専門職業軍人、と言うよりは、金で雇われればどの陣営にでも付くという「足軽」的な存在のならず者であることがほとんどで、或いは最初から食料や衣料、銃火器を盗み出すことが目的で入隊する、というケースも決して珍しいことでは無い。

 荒くれ者が本格的な武装をしている為、相当危険でタチが悪い、と言わざるを得ない。

 たぶんオレは、この「傭兵崩れ」に見えているに違いない。


 三、殺し屋

 いや、笑わないで欲しい。

 最もリアルな、荒くれ者の成れの果てが、この「殺し屋」ということになる。人数もこの三者の中で、確実に一番多い。

「賞金稼ぎ」として活動する為には、当たり前だが、現時点で犯罪者として登録・手配されていない、という、荒くれ者・ならず者達とっては結構高い(?)ハードルがあり、結果的に彼等は、正規「賞金稼ぎ」の殺人代行、というか「下請け」行為によって収入を得る、という流れが出来上がる。なので「殺し屋」の数は必然的に、「賞金稼ぎ」の数をはるかに上回ることになる。

 名うての荒くれ者で、しかも高名な賞金稼ぎが、調べて見たら実は殺し屋だった、というのは、よくある話だ。


「女神像が、血の涙を流してている、良くない事が起こる、もうすぐ世界が終わる」


 白い詰襟のシャツに黒の背広という、典型的な服装のその導師は、しかし目を真っ赤に血走らせ、口角から泡を飛ばして訴えた。

 食い物と水を分けて欲しい、というオレの要望は完全に無視された形だ。というか、たぶん耳に入っていない。


 オレに言わせれば、「良くないこと」は十三年前から信じ難い程のレベルで常に起こり続けているし、ある意味で、世界はすでに終わってしまっていて、その終わった後の世界を、現在、すべての人々は生きている、と言える。

 荒野を旅していて、街や村落を通過する時、路肩や広場の片隅に放置された人の亡骸を、見ない日は無い。

 村落の全員が餓死する、或いは全員が盗賊となって旅人や難民を襲う、なんてことも別に珍しくない。

「終わった後の世界」――つまり「地獄」を、今、人類は生きているのだ。


 聖堂の正面の分厚い木壁は、二箇所、天井付近から、高さ二メートルくらいの位置まで大きく刳り抜かれ、そこにそれぞれ一体、計二体の、全高四メートルくらいの木像が屹立していた。


 向かって左側が、筋骨隆々とした体躯と、厳しい相貌の男性を象った「太陽の神」、

 そして右側が、柔らかい衣服に包まれた豊かな肢体と、優しい容貌の女性を象った「月の神」。


 その「月の神」像の二つの目の縁から、コールタール状の真っ黒い液体が流れ出ていた。

 確かにそれは「血」を思わせたし、いや実際に血液なのかも知れなかった。


 人格者である筈の導師が取り乱し、精神を失調してしまうのも、或る意味頷ける気がした。

 血糊と見紛う液体に、顔面と身体をどす黒く汚すその女神像を見た時、オレは驚き、暫く身動き出来なかった。

 二十九年生きてきて、間違いなく百人以上は殺害してきた、自らの知る限りにおいて最悪の人殺しである、このオレが、だ。


 或る者は「ジャッカル」と呼んでオレを怖れた。

 或る者は「ハイエナ」と呼んでオレを蔑んだ。

 或る者は「オオカミ」と呼んでオレを尊崇した。

 オレは殺人の、謂わば名人で、そして、唾棄すべきヒトデナシだった。


 しかし、その時のオレは、……きっと情けない顔をしていたに違いない。

 苦しくなった。

 胸が塞がって、息が出来なくなるような、そんな感覚。

 理由は分からない。

 オレは幼くして母親と別れ、母親がその後どうなったかを知らない。

 母親と会えば、或いはこんな気持ちになるのだろうか?


「世界がもうすぐ終わる、我々は神の審判を受けねばならない、世界はもうすぐ……」

 導師は、もうオレを見てはいなかった。

 宙空を固く凝視し、椅子の間をゆっくりと、目的も無く移動しながら、ボソボソと呟き続ける。


 聖堂の後側に湯沸室のような小部屋があり、そこに、銀色のワゴンに乗った、パンとチーズ、あとワインが入っていると思しき陶製のデカンタが見えた。信者が集まる時の儀式で使うものなのだろう。他にも何かしらの食料、そして水もある筈だった。

「オイ」

 導師に声を掛ける。彼は歩くのを止め、こちらを見る。

「血の涙が止まったら、そこにある食い物と水を分けてもらうが、いいか?」

「え?……」

 意味が飲み込めないらしく、導師は訊き返した。

 オレは答えない。返事など、どちらでもよかった。


 濃緑色の防水シートに包まれた荷物を、女神像の正面に置き、その包みを解く。

 シートの上に、意外なくらいの数の銃火器が並ぶ。


 ■アサルトライフル マガジン式フルオート 装弾数三十発 ×二挺

 ■ショットガン 元込式スライドアクション 装弾数五発 ×一挺

 ■ショットガン 元折式ダブルバレル 装弾数二発 ×一挺

 ■ライフル 元込式ボルトアクション 装弾数十発 ×二挺


 そして最後に、これは「一挺」と表現すべきなのか、凄まじい火器が紛れていた。


 ■対戦車ライフル(小型・可搬仕様)マガジン式レバーアクション 装弾数十六発 ×一挺


 導師は、少し離れた位置で、言葉を無くして立ち尽くしている。

 オレは月の神――、女神像に正対する形で立っていた。

 月の神を見上げる。

 血と埃とが、何重にも折り重なって、ひどい汚れ様だ。

 しかし、それでも、柔和にして優美な造形は、見るものに「母」を想起させる。


 ダメだ、そう思った。

 オレはきっと今、母親の前で泣きそうな、そんな子供みたいな顔になっている。

 オレはきっと今、母親に「赦し」を乞い、目に涙を溜めた子供の顔になっている。


 ライフルを手に取る。

 十連装ボルトアクションという前時代的な、現代銃撃戦ではほとんど使用されない方式。

 だが、これが銃だ。

 連射、速射にはまったく向かないが、シンプルで、頑丈で、命中精度が高い、「腕がモノを言う」、そういう銃だ。


「何を……、?」

 少し正気に返った導師が問いかける。オレは答えない。

 ボルトハンドルを起して薬室のロックを解除すると、ボルトを一度手前に引き、再び元あった位置まで押し込む。弾丸が薬室に装填される。銃身を上げて構える。「月の神」、女神像の心臓の位置、左の乳房のやや下に狙いを定める。

 照準は見ない。

 引き金を絞る。

 激しく、短い炸裂音が、顔面を、頭蓋を、そして鼓膜を打つ。

 弾丸が女神の左胸に命中し、小さく木片が飛び散る。

 銃声が、聖堂の天井と、壁と、窓ガラスを叩いて、オレに跳ね返ってくる。

 その時にはすでにボルトハンドルを素早く操作してリロード(排莢-再装填)を完了している。

 続けざまに、右胸、左肩、右肩、左肘、右肘、左膝、右膝の順に撃ち抜き、残弾二発を左目と、右目に撃ち込む。黒い液体が飛び散り、その飛沫が、オレの鼻と頬を掠める。ここまで約七秒、十発全弾を撃ち切り、すべて命中させた。

 床に無造作にライフルを放り出すと、アサルトライフル(自動小銃)を拾い上げる。

 さっきのボルトアクションとは「真逆」の銃だ。

 セレクターをフルオートにして引き金を握りっ放しにする。三十発全弾を三秒で撃ち切り、マガジン交換ももどかしく二挺目のアサルトライフルを手に取り、派手に連射する。これも三秒で撃ち切る。三十秒を待たず、女神像は「蜂の巣」の様相を呈している。頭部に開いた複数の弾痕から、黒い液体が流れ出ているのが見える。

 ――、下らない銃だ。

 アサルトライフルを乱暴に床に放り投げると、五連装ポンプアクションのショットガンを掴む。鈍くて低い破裂音と共に、散弾が女神の顔面を破壊し、そのまま喉元、右の乳房、左の乳房、腹部の「肉」を大きく削り取る。

 そのショットガンも同じく、道端にゴミでも捨てるように放り投げると、今度は年代モノのダブルバレル、元折二発装填のショットガンを拾う。拾った前屈みの姿勢のまま狙いを変えながら続けざまに二発ブッ放し、両耳を削り取る。二重の銃身を折り排莢すると、それも折り曲げたまま後に放り投げ、次に、二挺目のボルトアクション十発装填のライフルに手を伸ばす。女神の、その豊かな胸の前で広げられた両手の、その上を向いた、花のように広げられた両手の指を、左手の親指から順番に一本ずつ撃ち飛ばしてゆく。左手はボルトハンドルを握ったまま、右腕一本で銃身の重さと反動を支える。機械の様に正確で素早いリロード、六秒で十発全弾を撃ち切り、十指すべてを折り飛ばした。


 オレは今、目から涙を流していると思う。

 硝煙にまみれ、尖った肩で銃を構え、無精ヒゲに薄汚れた顔をしかめて。

 だってそうじゃないか?

 必死で生きてきて、何度も命を落としかけて、折れるくらいに歯を食いしばり、反吐にまみれ、呻きながら身に付けたものは、戦闘と殺人の技術、それだけ。

 ヒトゴロシの腕前と、ケダモノの闘争心。

 それだけしか、……


 オレは幼い頃、気が弱く、泣き虫で、少しぼんやりした子供だった。

 発達の遅い子供だったと思う。

 母親に叱られた時、子供は、それでも母親にしがみついて泣き、甘えるものだ。しかしオレは、母親に、うまく甘えることができなくて、いつも、ひとりで窓際に行って、外を見ながら、なるべく声を出さないように、静かに泣いていた。

 母親は、―― 母さんは、ある時、窓の外を向いて膝を抱えて泣いているオレの、―― ぼくのすぐ後に座り、ぼくの頭を優しく撫でてくれた。

 銀色の髪の、その軽くて、柔らかい手触りを確かめるように。

 小さな頭の、その小ささと、子供らしい温度とを確かめるように。

 気が付いたぼくは、涙と鼻水でびしょびしょに濡れた頬を、母さんに向ける。

 嗚咽にわなないて、震える口元を、母さんに向ける。

 そのとき母さんは、白い腕で、まだ小さいぼくを、ぎゅっと抱き締めてくれた。その柔らかい胸に……、優しく、だけどしっかりと。


 あなたがとても愛しい、――


 母さんの気持ちが伝わってくる。

 泣きたいくらいに、強く伝わってくる。

 ぼくは、少し怖い気持ちと、戸惑いと、恥ずかしさと、そして、うまく言えない、こみ上げる不思議な熱量に圧倒されて、きっとまた、

 泣いてしまったんだと思う。

 母さんに優しく髪を撫でられながら、その柔らかな胸にしがみついて、きっと、

 泣いてしまったと思う。

 涙でかすむ目で、ぼくは母さんを見ようとする。

 でも涙の向うで微笑む母さんの顔は、――


 対戦車ライフルを両手で掴む。

 対装甲ライフルとも呼ばれるこの強力な火器は、本来、銃身を地面に寝かせ、操者も腹這いになって使用する。反動が強すぎるためだ。重量も、通常の対戦車ライフルだと、四十九キロくらい、長さも二.二メートルくらいある。

 全長一.二メートル、自重八キロの、この小型・可搬式の対戦車ライフルは、二十ミリ×百二十七ミリの徹甲弾の射撃を、立位にて可能にしようとした、軍の「試作品」だった。


 濃緑色の防水シートに包まれた複数の銃器は、二週間ほど前に軍の補給廠を単独で襲撃し、そこから持ち出したものだった。逃走に役立てたかったのと、場合によっては途中で売り払い、現金に換えようと考えていた。


 この立位射撃形の対戦車ライフルは、結果的には実戦配備されることは無く、試作品のまま終わった。理由は、強すぎる反動、短すぎる銃身、そしてあまりに軽量であった為、その取り扱いが困難を極めたことによる。強度や安全性に問題があり、普及していた通常のロケット・ランチャーの方が、ずっと安全で便利だった。銃火器メーカーの技術者が、謂わば「思い入れ」だけで、或いは「冗談」か「悪フザケ」で設計したようなシロモノだった。いや、バケモノだった、と言うべきか。


 コッキングハンドルを引き、百二十七ミリ弾を装填する。

 ストロークが長い。

 銃身を上げ、対戦車ライフルを構える。

 思わず口元に笑みが浮く、苦笑いだ、笑ってしまう。

 重い、重すぎる、バカじゃねえの、何を考えてるんだ。

 逆に、こんなに軽くて大丈夫なのか、とも思う。

 以前に撃ったことのある対戦車ライフルは、銃、というよりはちょっとした、砲、だった。

 軽量のタイプでも、これよりはだいぶ重かった。もちろん立位での射撃は想定外だ。

 銃身に装着された二脚、または橇を使って、地面に据えて撃つものなのだ。

 それに二十×百二十七ミリの徹甲弾って、対空機関砲に使うヤツだ。


 女神像の、破壊された顔面の、まだ残っている目の部分が、薄暗い聖堂の中、赤く光ったような気がした。オレは女神像の、そこだけ裾がはだけて見える裸の右膝を狙って、引き金を、ためらわずに引く。

 ズダーンンッ、という窓ガラスが割れそうな爆発音が響き渡る。

 跳ね返ってきたその爆音が腹の底に響き、痛いほどだ。

 予想を完全に上回る強烈な反動、身体が一瞬小さく宙に浮き、後方によろける。

 こんなの「ライフル」じゃない、対戦車「砲」だ。

 熱を持ち、中から煙が立ち上る銃身。

 ブーツの底が床を捉え、足を踏みしめると、すぐにコッキングハンドルを引きリロードする。

 次に腰の辺りを狙う。

 今撃った膝の部分が、木片を飛散させて大きく損壊し、像全体が前方に傾ぐのが見える。

 引き金を引く。

 マズルが白く光る。

 音が衝撃となって体の外側と内部とを強く叩く。

 さらに数歩、後によろけ、よろけながらハンドルを引き再装填する。

 マズルから煙が出ている。

 腰の辺りが砕け、木像の身体が半分に折れ曲がる。

 最後は首だ、首を飛ばす。

 片足の靴底が床についたのと同時に、オレは引き金を引く。

 その爆音の直後、対戦車銃から手を放し、そして更によろけた足に当った銃を右手で拾う。

 ダブルバレルのショットガン、――

 月の神の、その首が、大量の破片と共にヘシ折れて、頭部が落下するのを、オレは見る。

 コートのポケットから、左手で、二発の散弾を取り出しながら。

 手元は見ない。

 人差し指と中指の間に一発、中指と薬指の間に一発を挟み、元折れ式の横並びの二本の銃身に、オレはゆっくりと散弾を込める。

 時間的な間合いを計るように。

 女神像が、崩れ落ちる様を、その光景を見ながら。


 落下した女神の頭部が、床を激しく叩く。

 そして、こちらに向かって、猛烈なスピードで転がってくる。

 少し不自然なくらいの勢いで、飛ぶように。


 直径五十センチほどの木の「塊」。

 散弾は二発だけ。

 オレは右手に、まだ装填が完了していない銃身が折れたままのショットガンを握り、

 そして左手を、素早くトレンチコートの懐に入れる。

 念の為だった、不安があった。

 コートの下に、大口径の拳銃を三挺下げていた。

 ほぼ無意識の、一瞬の判断だ。

 どんどん距離が縮まる女神の頭部との距離を目で測りながら、

 ウィンチェスターのショットガンでよくやるスピン・コッキングみたいに、

 オレは右手でダブルバレルの銃身を振り、

 その反動を使って銃身をまっすぐにロックし弾丸の装填を終えると、

 その勢いを止めずにそのまま銃そのものを一回転させ、

 銃口が女神の頭部を捉えた瞬間、

 引き金を引いた。

 実際に掛かった時間は〇.二秒くらいだったろう。


 女神の頭部半分が砕けて吹き飛び、

 だが残り半分がこちらに向かって素っ飛んでくる。

 チッ、――

 しくじった、不機嫌に片目を細め、舌を鳴らすと、

 転がってくる物体の軸芯に、散弾をもう一発ブチ込んだ。

 爆発したかのように、女神の頭部半分は内部から破裂し、

 中に溜まっていた黒い「血糊」が、足元に音を立てて派手に撒き散らされる。


 左手を懐に入れ、拳銃を握ったまま、オレは片手でダブルバレルの銃身を折り、慣れた動作で排莢する。

 ゴトンッ、――

 焼けた薬莢が二発、重い音を立てて床に落ち、

 足元にブチ撒けられた黒い水溜まりまで転がって止まる。

 液体が蒸発するときの音が一瞬して、その後、白い煙が細く立ち上る。

 古いオイルが焼ける臭いがした。


 キンッ、——

 次の瞬間、小さな金属音が鼓膜を弱く、微かに叩いた。

 オレは目を剝く、血液が逆流する。

 しまった!——

 伝導教師の存在が脳裏を掠める。

 見てなかった、何というドジさ加減だ。

 拳銃の撃鉄を静かに起こす音、薬室に弾丸が装填される音。

 しまった!——、しかしそう思った時には既に、トレンチコートの懐から左手で拳銃を抜き、振り向き様に銃把を横向きに握ったまま、銃口を、その金属音の音源に向けていた。

 流れるような動作、一ミリの狂いもない正確さ。

 しかし、

 マッチ箱大の金属片が、暗い床の上で、コインみたいに回転しているのを見た。

 導師は聖堂の後方で、黒いスーツの背を丸めたまま立ち尽くしている。

 女神の額に嵌っていた筈のカギ形の紋章。

 小さく息を吐くと、オレは引き金を引いた。

 銃声と同時に、そのカギ形の金属片は回転を止め、変形して床板にメリ込む。

 硬いサスティン音が、聖堂の薄暗い空気を切り裂いて響く。


「食い物と水をもらう、金は置いていく」

 女神像の方は、もう見なかった。見たくなかった。

 オレは背負ってきた背嚢を手に取ると、導師の面前を通って湯沸室に足を運ぶ。急いでここを離れる必要があるのは分かっていたが、補充の必要があった。あれだけの銃声がしたのだ。街外れにあるとは言え、誰かが聞き付けて保安吏員に通報した可能性が高かった。

 オレは銀製のワゴンに乗ったデカンタの取手を掴み、近くに置いてある汚れたカップに構わずワインを流し込み一息に飲み干す。ひとつ息を吐く。少し酸敗していたが、美味かった。

 背嚢に食料を無造作に詰め込むと、金貨を十枚、そのワゴンの上に置く。持っていた金貨全部だった。半分痛んだような食い物と水の代金としてはあまりに高額すぎたが、双神像の片割れを完全に破壊してしまった訳だから、全財産を置いてゆくのは当然と言えた。金なら途中で、また何とかなるだろう。


「何ということを!……、悪魔の所業だ!」

 オレは導師を見る。その、彼の表情にはしかし、怒りは無かった。恐怖の表情だった。

「神罰が、神罰が下るぞ!」

 神への恐怖から逃れるように、その責任の所在を自分から遠去けるかのように、まばたきも忘れて彼は言い放つ。

「神罰なんか無い」

 オレは導師を見たまま、そう断言する。

 もし「神罰」があるなら、世界は、きっと、こんなに残酷じゃない筈だ。

「何を言う!馬鹿なことを、……」

 導師はさらに言い募る。ここで言い負けたら、神罰が自分に下るとでも思っているみたいに。

「浮かばれないだろう」

 オレは彼から目を離して言う。意味が分からないのか、導師は黙った。

 浮かばれない……、それはそうだろう。

 もし神罰があるなら、過酷な世界にすり潰されるように死んで行った無数の人々が浮かばれない。神はその時、何もしなかったではないか。

 もし神罰があるなら、オレの手に掛かって殺害された多くの男達が浮かばれない。オレは今も、のうのうと生きている。


 ボルトアクションのライフル一挺と、ダブルバレルのショットガンを拾う。残りの銃器はここに放置して行くことにした。時間が惜しかった。もうすぐ保安吏員か鉄道警備隊、或いはその両方が、銃を片手に、大勢で乗り込んで来るに違いなかった。


 聖堂の入口に掛けてあった鏡を見る。銀髪の下の目は、泣いていなかった。頰は、黒いオイル状のもので汚れていたが、涙が流れた形跡は無い。急に、ひどく悲しい気分に見舞われた。しかし顔には、ニヤリと、寂しげな笑みが浮いただけだった。ヒト殺しのオッサンは、泣いてみることも出来ないらしい。


 軍装の防滴着を着込み、ヘルメットとゴーグルを身に付けると、吹き荒れる砂嵐の、その黄色い景色の中に、オレは足を踏み出す。荷物は減ったが、足取りは何故か重かった。

 いや、気のせいだ多分。

 母さん、そう呟いてみる。

 声になったかどうか、分からない。

 ドンッ――、という風の音と衝撃とで、何も聞こえなくなった。

 オレはただ、足を踏み出し続けることしか出来ない。

 時代と運命という嵐の中で、

 もがくように、そして、

 逃れるように。


 ――「祈り」、了

























































































































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