f組

霜月 風雅

第1話 日曜日。明日の準備。

f組の学級日誌。

人はみんな、誰だって心に触れられたくない部屋を持っている。それ以上踏み込んで欲しくない場所をもっている。私たちは、その部屋が少し多くて、広すぎるだけ。

「誰か・・助けてよ。」

涙だって、笑顔だって、怒りだって、全部みんなと同じくらいの数しか持っていないのに。それを溢れてしまわないように必死に抑えているのに。

「ここから、助け出して・・」

どこにいったって同じだなんて言わないで。そんなことない。きっと違うんだ。

自分らしくいられる場所があるはずなんだ。



日曜日。明日の準備。

初めて彼に声をかけられたのは、始業式の日だった。緊張して自分のクラスを探せなくて戸惑っていた私に優しく声をかけてくれたのが彼だった。

「大丈夫?どうかしたの?」

柔らかそうだけど短い髪が、女の人みたいに綺麗な顔とちゃんと合っていなくて、低くて細い声が、やっぱり女の人みたいな小柄な体とも合っていなかった。

「う、うん。ありがとう、ございます。」

大きくて真っ黒な瞳が優しく細められただけで私は視線を逸らせなくなってしまった。

「具合でも、悪い?」

「ううん。自分のクラスを、見つけられなくてなんか緊張しちゃって。」

なぜか早口になってどうしてか熱くなっている頬を見られないように慌てて俯いた。彼は私と目線を合わせるために縮めていた背を戻した。

「あぁ、わかるよ。俺も昔はそうだったから。」

俯いた私には声が空から降ってくるみたいに聞こえた。あの時、私の身長は160cmだったけど、彼はもっとずっと大きかった。

「今は?緊張しないの?」

俯いたまま、勝手に口が動く。

「うーん・・今は、しないかなぁ。元々クラスとかにそんなにこだわりがないから、俺。」

“俺”そんな短い言葉に、ちょっと低くなった声に男を見つけて心臓が一瞬驚いたように跳ねる。ほんの少しだけ顔を上げて彼の姿を見上げる。

「どうして?仲がいい子はいないの?私は、仲のいい子と一緒になりたいってそればっかり気になって。始業式の前の夜は怖くて眠れないよ。」

小学校のときからずっとだった。クラス替えがあるから、進級なんて大嫌いだった。あの子やこの子と同じクラスになれるだろうか。あの男子とは一緒にはなりたくない。毎年、毎年、そんなことを考えては春休み中とても憂鬱な気持ちを飼っている。

「そんなこと、考えたこともないな。だってたった一年だよ。そんな深刻に考えるような問題じゃない。」

強い人だ、と思った。そして、眩しいと感じた。彼はきっと何かに迷ったり怯えたりはしないのだろう。羨ましい、この人みたいになりたい。そう思ったら、もっと近づきたいと感じた。

「じゃぁ、私と同じクラスになっても、どうでもいいこと?」

「え?何、それ。」

視線が一瞬だけ合ってすぐに私が逸らす。これ以上、見つめられたら顔が赤くなって熱くなって茹蛸になってしまう。

「ううん。別に、ただちょっと言ってみただけ。」

まわりからは、もう何の声も聞こえなくなっていた。みんな見つけた自分の場所に入っていくのだろう。

「・・なれるといいかもね。同じクラスに。」

「え、」

彼はそう言って笑った。無邪気な顔はくしゃりと崩れると子供みたいだった。嬉しくて心臓がまるで全力疾走の後みたいに苦しくなる。それなのにウキウキと心は弾んでいる。同じクラスになれるといい。私もそう願っていた。


願いが叶ったわけではないのかもしれないけど私が見つけたクラスの教室に彼はいた。

「あ!!」名前を呼ぼうとして彼の名前を知らないことに気づく。

(どうしよう、あぁ、もう本当にバカ!!)

運よく同じクラスになった友達を見つけて話しかけながらも、頭の中はぐるぐると後悔ばかりが回る。友達の話に耳を傾けながら、視線は彼を見てしまう。遠くから見ていても彼はかっこよかった。人が本を読む姿は美しいと前に誰かが言っていたけれどそれは本当だと叫びたくなるほど本を読んでいる彼の姿は、すっと伸ばされた背筋も、本の表紙と背表紙に添えられた手と長い指先も、真剣な瞳がキラキラしてる横顔もそして、少し窮屈そうに伸ばされた長めの細い足も、その全てが綺麗だった。

(うぅ、なんだろうこの気持ち。胸の奥がムズムズする。)

どうしてしまったのだろう。いくら目を逸らしても友達の話に集中しようとしても体がちっとも言うことを聞かない。まるで名前を呼ばれた犬みたいに彼のほうへ。

(あ、れ。)

一人で座っていた彼のところに次々と人が集まっていく。てっきり同じクラスに知り合いがいないんだと思っていたのに。

(会いたいとか、同じクラスになりたいとか、思ってたの私だけか。)

心の奥がズンズンと重くなって気持ちがだんだん暗くなる。私ばっかりがうかれているなんてわかってたことなのに。彼はきっと私とさっき話していたことすら忘れちゃってるんだ。嬉しさに膨らんでいた気持ちが一瞬で沈んでいく。悲しくて、悲しくて、

「ねぇ、加奈ちゃん。聞いてる?」

「え、うん。聞いてるよ。」

「あんまり嬉しくない?私と一緒で。」

「そ、そんなことない。すっごく嬉しいよ。」

ちょっとだけ肩を落として拗ねたような表情をしている美加にわざと肩を軽くぶつけて笑う。最初はそっぽを向いていた美加だったけどすぐにケラケラと明るい声を出して笑ってくれた。良かった、そう思うけどさっきまで彼のことでいっぱいだった私の頭の中がいつの間にか美加の機嫌を直すことで満員状態だ、なんて。情けないような悲しいような。私だってちっとも彼のことをいえないじゃん。そう思った。私たちの記憶なんて感情の前では酷く曖昧だな、と思った。


その後も結局、話すきっかけがつかめなくて名前がわかってからも胸の奥にムズムズとする不思議な感情を抱えたまま、彼の横顔ばかりを見つめて過ごしていた。一日眺めても飽きないほど、彼の顔は綺麗だった。

「ね、加奈ちゃんって好きな子とかいるの?」

「え、何で。」「いーじゃん、教えてよ。」

美加はそう言って私の目をじっと見つめてくる。最近、美加は化粧に凝っているらしい。休み時間のたびにトイレに行っては崩れてもいないメイクを必死に楽しそうに直している。私もちょっとだけやってみたけど難しくて上手くはできなかった。それに化粧品というのはとても高いので私のお小遣いではリップをいくつか揃えるので精一杯だった。それにしても、今日の美加の唇の色はとても華やかな桃色をしている。

「い、いないよ。」「えーそうなの?」

私の普段の様子を見ていたら、きっと誰だってわかるだろう問いかけを美加は何も考えていないような顔で尋ねてくる。それが、一瞬だけ心のどこかにひっかかってうまく消化できなかった。

「私はねぇ、どうしようかな。言っちゃおうかな、高山君ってかっこいいな。って思うんだ。あ、これ誰にも言わないでねー。」

ドンッと心臓が大きく驚いてすぐに元に戻る。美加の顔を一瞬だけ見て、それから慌てて彼のほうを見た。相変わらず、綺麗な顔で彼はそこにいた。

「あ、た、高山くん。」

言葉が上手く出なくて、息が上手く出来ない。辛うじて笑顔だけを浮かべて美加を見た。艶々と輝く桃色がなぜかさっきと違って禍々しく見えた。

「高山くんってかっこいいし、勉強もできるし。好き、かも。なんちゃって。」

「そ、なんだ、」

その時になんとなくわかった。私は、彼のことが好きなのかもしれない。と、


それからも、彼を見るたびにその周りには人がいつも集まっていて、その中を掻き分けてでも話すようなことは、私にはないから。それでも、私の頭の中ではいつも葉月くんは私の名前を呼んで笑ってくれていた。それだけで、幸せだったのに。

「え、こ、告白したの?」

「だってぇ、みーんなしてるから。なんか、ノリで?いけるかなぁって。でも、ダメだったぁ。もう、バッサリ?」

「なんて?」

「うん?あぁ、なんだっけ?君のことはクラスメートとしてしか思ってないーみたいなこと?はー・・ショック。けっこー脈ありだと思ってたのに。」

美加ちゃんは、昨日買ったばかりのラメ入りのリップがついた唇をまるでアヒルみたいに突き出した。光が当たってキラキラ光るたびに私の胸が黒い何かが、

「脈ありって、美加ちゃん・・高山くんと話したこと、あるの?」

「えー?ふつーにあるっしょ?・・え、何?・・・加奈ってば、話したことないの?何で?葉月くん優しいからどんな話でも笑顔で聞いてくれるよ?え、もしかして、好きなの?」

さっきまでふられた、とあんなに落ち込んでいたのに美加ちゃんは、もうニコニコと笑って私を見る。楽しそうに笑う唇を見る。心の中が真っ黒く染まっていくのが、わかった。


「ねぇ、加奈聞いた?葉月くんってば、あの獅子澤とも仲良くできるんだってよ。さっすがだよねぇ。」

どんなに時が流れても彼のまわりは人だらけだった。けれど、最近は彼の席にはあまり人が寄り付かない。すぐ隣りにいる黄色の髪の男の子が原因だということは、誰が見たってわかる。

「ってことはさ、葉月くんってば、喧嘩も強いってことだよねー。」

キャーやっぱいいなぁ、なんて美加ちゃんは悲鳴みたいな声をあげる。見た目はそんなに筋肉なんてついてなさそうな体で、葉月くんは本当にあの背も大きくて凶暴な獅子澤くんに勝てるんだろうか。それとも、もしかしたら獅子澤くんはそんなに凶暴じゃないのかもしれない。1年生の最初の頃はよく廊下で暴れてたり、顔中に傷を作っていたけれど、今はそんな姿を見かけなくなった。

「もしかして、獅子澤くんってそんなに悪い人じゃないのかも。」

「えー?もう、加奈ってば、何言ってんの?んなわけないじゃん!」

美加ちゃんが笑いながら、けれどまるで汚いものでも見るように獅子澤くんを見た。葉月くんを見ているときとは全然違う、目。

「あーいう、力が強くて調子乗ってるヤツって本当嫌い。マジでこの世から消えてくれればいい。」

「美加ちゃん・・?」

そう冷たく言う美加ちゃんの冷たい目の向こうで葉月くんは獅子澤くんに楽しそうに笑いかけていた。


それは、テストの朝だった。テストの日は、毎回普段の席ではなく出席番号順に座ることになっている。だから、あの人はそのことには気づいて、だけど。

(自分の席が、わからないんだ。)

青色の髪と同じくらい青ざめてしまっている獅子澤くんを誰も見えないみたいにわざとらしく避けていく。葉月くんがいるときは、みんなこんなことしない。彼が今、一人だから。わかっていて、避けている。

「・・・どうしよ、」

こんなときに限って葉月くんはいない。机にカバンはあるから、校内にはいるみたいだけれど、いつ戻ってくるんだろう。もし、どこかで勉強しているんだとしたら?そう考えている間にも、獅子澤くんは座り込んでしまってもしかしたら帰ってしまうんじゃないか、

「・・・どーしよ、」

私のじゃない声が私の気持ちを表に出す。それは他でもない青色のライオンが言った言葉だった。あの人は、今、何て。

「ど、どうしようって・・言った。」

当たり前のことなのに今更気づいて驚く。あの人は、人なのだ。言葉のわからないライオンではない。私たちと同じ感情のある人なんだ。

「いいや、もう帰ろう。そうしよう、」

呟かれた言葉を聞いた途端に私の体は、弾かれたように勢いよく獅子澤くんの元へ駆け寄っていた。

「ま、待って・・あ、」「え?」

目の前に立って、それだけ言った。けれど、どんなに口を開こうとしても次の言葉は出なくて。とてもびっくりしたような表情をした獅子澤くん見ているだけで、口はカラカラに渇いてくる胸はドクドク血が流れているのがわかるくらいに。

「・・あ、・・・・あの、そ、そこ・・・」

「え?・・・えっと、あー・・・あ、俺の席?・・って、こと?」

辛うじて搾り出した言葉に獅子澤くんは、形のいい眉毛を寄せて困ったように私を真っ直ぐに見つめた。それから、すぐに私が指した先の机に視線を移して、不思議そうに私を見た。

「・・・・・。」「・・・・・・・、」

そこから、どうしていいかわからずに、黙っていると獅子澤くんはにっこりと笑った。優しそうで柔らかい笑顔だった。

「ありがとね、助かった。」

「う、うん・・・」

やっぱりこの人は悪い人ではないのではないだろうか、そう思っていたら不意に後ろに人だから現れた。そうして席に向かう獅子澤くんと入れ違うように私の前に葉月くんがやってきた。いつの間にか、予鈴の時間になっていたらしい。

「・・あいつのこと、助けてくれてありがとうね。火野さん。」

「う、ううん・・・」

さっきよりもずっと高く心臓が跳ねた。葉月くんは優しく笑って自分の席に座った。

葉月くんに名前を呼ばれた。葉月くんが私のことを覚えていてくれた。

それだけが胸の中を跳ねて、飛ぶ。


美加ちゃんが、私を見ないで呟いた。

「加奈ってば、獅子澤のことが好きなの?さっき、真っ赤になって話してたよね。」

「え?」

くすくす、美加ちゃんのじゃない笑い声が教室から聞こえた。一瞬、何のことかわからなくて頭が真っ白になった。そんなことあるはずないのに、教室中の視線が私を見ているような気がした。足が、震える。

「あんな不良が好きなら、言えばいいのに。紹介するよ、そのへんにいるやつ。」

「み、美加ちゃん?」

獅子澤くんを見ていたのと同じ目で美加ちゃんは、私を見ている。

どうして?

さっきまで一緒に笑っていたのに。

どうしたの?

さっきまであんなに優しかったのに。

「・・・葉月くんが好きとか、言ってたのに。うそつかれちゃったぁ。」

くすくす、ひどーい。美加ちゃんのじゃない声が教室のどこかから聞こえる。一体何が起こっているのか。頭がショートしてしまっている。

「な、なに言ってるの。美加ちゃん、」

怖い。怖い。怖い。

獅子澤くんに話しかけたときとは全然違う怖さが、私の中を支配する。

どうして?

さっきまでそんな表情しなかったのに。

どうしたの?

さっきとは全然違うことを言うの。

「だって、私言ったよね。獅子澤のこと嫌いだって。なのに、加奈ってばさっき獅子澤と顔赤くして話してたよね。それって、好きってことでしょ?」

「・・・・み、美加ちゃん?」

何を言っているんだろう。何を言われているんだろう。全然、わからなくて何も考えられなくなる。息をすることすら忘れてしまったみたいに呼吸が苦しい。

「ねぇ、加奈。もう、獅子澤と付き合うの?」

怖い。怖い。怖い。怖い。

真っ白な頭が、出した答えは一つ。

「き、嫌いだよ。獅子澤くんのことなんて・・もう、話なんて・・しないよ。・・ほ、本当に。」

途端に美加ちゃんは笑顔になって私の手をとった。

「なーんだ。びっくりした。ごめんね、加奈ちゃん。私、誤解してたみたい。」

もう。美加ってば。美加ちゃんのじゃない笑い声が教室で広がる。何が起こっているのか、わかる人なんてここにはいない。獅子澤くんは、悪い人じゃないのに。

「じゃぁ、加奈。一緒に帰ろうよ。」

美加ちゃんの一言で、彼は


それから、私は獅子澤くんとは話さなくなった。

視線が合っても逸らすようにした。視線に入らないように必死になった。

その度に、あの日の葉月くんの笑顔が、声が思い出されて泣きたくなった。

こんなに毎日一緒にいて、話しかけたいと思っていたのに。

いとも簡単にその瞬間は、あの時に訪れた。

獅子澤くんに話しかければ、葉月くんは笑ってくれるのに。

「加奈、お昼食べよう?」

「うん。」

この生活を守りたいがためだけに、私は獅子澤くんを見ないふりしている。

どんなに葉月くんが獅子澤くんを大事に思っているのか、あの一瞬だけでわかった。

だから、獅子澤くんと話せば、葉月くんは私を見てくれるのに。

あの時みたいに私を見てくれるのに。

「加奈?どうかした?」

「・・ううん、なんでもない。」

美加ちゃんに、嫌われたくないから。

私は、葉月くんと話せない。


それからしばらくしてから、だった。

席替えで私の席は、獅子澤くんの前の席になった。もう、二度と獅子澤くんと話したりしないと決めたのに。話しかけられたらどうしよう。なんて思って泣きたくなって。それでも、獅子澤くんの前ということは、自然と葉月くんの斜め前になる。今までにないくらい葉月くんの近くに私は座ることになった。

「は、葉月くん。よろしくね。」

「うん、火野さん。理央が来たら、色々よろしくね。」

「え・・あ、うん。」

席替えの後、やっと搾り出した言葉の返事はそれで。席替えをして、やっと向けてもらえた笑顔は、優しくて。あぁ、私ってばやっぱり彼のことが好きなんだな。なんて思った。

なのに、すぐ隣りから見ている美加ちゃんの視線が怖くて私は結局、獅子澤くんがきてもなるべく席を外して話さないようにしていた。葉月くんはそれに気がついているのか、それとも始めから私のことなんてどうでもいいのか。何も、言わなかった。

美加ちゃんは、前よりももっと私に獅子澤くんと関わらないようにいうようになった。私も黙ってそれに従った。

そのせいで席は近くなったのに、葉月くんとは前よりも話せなくなった。

美加ちゃんと一緒にいたいから。

私は、葉月くんと離れていく。


そうしてついに、私は気づいた。

きっと美加ちゃんは私に嫉妬しているんだ。

前に美加ちゃんも葉月くんに告白したと言っていた。だとしたら、美加ちゃんも葉月くんのことが好きだということになる。だから、あの日私が葉月くんに笑いかけられたのが悔しかったんだ。だから、私に獅子澤くんと話すことを禁止したんだ。

絶対、そうに決まっている。

美加ちゃんは、私に嫉妬している。


美加ちゃんが、私に嫉妬している。

そうわかってからは、美加ちゃんの行動の全てが私の邪魔をしているみたいに見えた。

朝、一番に挨拶するのは葉月くんのすぐ隣りにいる美加ちゃん。それが嫌だから、私は意味もなく教卓の側にいた。そうすれば、教室に入ってきた葉月くんに一番に挨拶をすることができる。

教室の中で彼に一番に挨拶するのは私になれる。

「おはよう、葉月くん。」

「おはよう、火野さん。」

毎朝、毎朝、毎朝、

私は一番に挨拶をした。

「おはよう、葉月くん」

「あぁ、おはよう。火野さん。」

それだけが、嬉しくてたまらなかった。

「おはよう、葉月くん。」

「おはよう、火野さん。」

そんなある日、私は聞いてしまった。

葉月くんと獅子澤くんが話していた、こと。

葉月くんと獅子澤くんは楽しそうに話していた。

葉月くんの、好きな人のことを。

二人の会話に、よく出てくる女の子。

葉月くんが、好きな女の子。

「なぁ、深雪ちゃんのニックネームは、ムック。なんてどう?」

「は?なんでだよ。」

「ほら、確か雪女の名前って深雪じゃん?だから、ムック。」

「・・理央、ムックは雪男だ。」

「・・・・・知ってる。」

深雪ちゃん。

獅子澤くんと葉月くんの話題に最近出てくるようになった女の子。

最近、二人がどこかに行き始めたことも二人の話を聞いて知っていた。

だから、すぐにわかった。

そこにいる深雪という女の子だ。

その子が、葉月くんの好きな人なんだ。

「・・・・・・・・・・・・・、」

美加ちゃんが、獅子澤くんと話すことを禁止さえしなければ、私が葉月くんと仲良くなっていたのに。

そうしてきっと葉月くんと獅子澤くんの話に出てくる葉月くんの好きな子は私だったはずのなのに。

あとからきた、深雪って子が私の邪魔をした。

これから、仲良くなることだってできたのに。

あとから出てきた深雪って子が、私の場所を、奪った。

美加ちゃんもその子も、憎い。ずるい、酷い。

私が、全部全部、欲しかったのに。


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