夏の終わり、花火の夜

蓬莱汐

プロローグ

 その日、古山こやまあつしは神社の境内から空を見上げていた。

 時刻は午後10時を直前にした頃。

 賽銭箱の側に座り、星々が彩る夜空を眺める。

 風は生暖かい。肌にまとわりつくような、蒸し暑い8月の終わり。

 ついさっき時刻を確認したばかりのスマホを取り出し、再び時刻を確認する。


 ––––デジタル時計は午後10時を回った。


 次の瞬間、鼓膜を突き抜けるような轟音と共に、夜空が鮮やかに彩られた。

 夏の終わりに催された町内祭り。そのフィナーレを飾る豪快な、合計500発の打ち上げ花火が次々と空へ昇っていく。

 神社がある丘の下では子供たちが川原へと向かっていき、少し離れた商店街は花火を邪魔しないためか電灯が消えている。

 淳はスマホをポケットにしまい、空へ視線を向ける。


 その時間、計500発の花火が町を包み込んでいた。

 夏の終わりを飾るにはこれ以上のものはない。

 恋人と消えない思い出を作ったもの。家族団欒で過ごしたもの。友人と青春の1ページを綴ったもの。

 きっと、この夏は誰の記憶からも消えることはない。

 大人になって、再会して、良き思い出として再び色を取り戻す約30分間。

 空を見上げていた人全ての心に刻まれた花火は、これまでもそうであったように、きっと、これからも伝統として残っていくのだろう。

 なんて素晴らしいことだ。

 淳の表情に苦笑が浮かぶ。


 ––––そんなのは……残酷すぎる……


 誰もの記憶に刻まれた夏の終わり、花火の夜。

 そのどのページにも、彼女の––––鷺沼さぎぬま茜音あかねの存在はないのだから。


 淳は唇を噛み締め、神社の境内で、声を押し殺して人知れず神を恨んだ。運命を恨んだ。全てを恨んだ。

 そして––––彼女の全てに感謝をした。

 流れた涙はどの感情のものなのか。

 淳自身にも分からない。


 常にクラスの中心にいた彼女。その彼女が淳に見せた感情の数々。

 嬉しそうな顔。寂しそうな顔。悲しそうな顔。辛そうな顔。淳の中で何よりも大きくなった彼女が最後に見せたのは、涙だった。


 ––––これは、淳が体験した、たった一度の高校3年の夏の出来事だ。


 ––––そして、茜音が経験した、最初で最後の夏の淡く儚い恋物語だ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る