邂逅

 山中の休憩場所にイノリが戻っても、なおルークスは紙にペンを走らせていた。

 既に夕刻、暗くなってきたのにお構いなしである。

「主様、敵の足止めをして参りました」

 インスピラティオーネが外部に声を伝えてやっと、ルークスは顔を上げた。

「お疲れ。ああ、いつの間にか暗くなってきたね」

「いつの間にじゃないわよ。一心不乱も大概にしなさい」

 放置されていたアルティは口では叱るが、内心では「ルークスがゴーレムに夢中になれた」ことを喜んでいた。

 今日は良い息抜きになったろう。

「じゃあ帰ろうか」

 やっとルークスは重い腰を上げるのだった。


                  א


 翌日もルークスはアルティらと山にこもった。

 今度はシルフを飛ばして帝国軍のシルフを妨害する。

 襲撃前の常套手段だ。

 ところが征北軍は厳重警戒こそすれ、前進は止めない。

 たとえ不意打ちで損害を出そうとも、行軍を遅らせるよりマシとの判断である。

 敵の反応を聞いたルークスは次の手を指示した。

 友達を大勢動員して、強烈な向かい風を送ったのである。

 雨は止んでいるうえに地面は潤っているので、砂埃などで視界を妨げられない。

 それでも強風に逆らって歩けば兵たちは疲労する。

 せめて軽量型を前に、と兵の誰しもが願ったが、クリムゾン・バーサーカーを守る位置は変えられなかった。


 一方のシルフたちは張り切っていた。

 古株の友達からしたら「ルークスはゴーレムに没頭する」ものである。

 脇目も振らないでゴーレムに取り組むためとあらば、風を吹かせる力も入った。

 征北軍司令ホウト元帥は弱りきり、自軍のグラン・シルフに対応を命じた。

 しかしトービヨンは首を横に振る。

「この場に通りすがりのシルフはいない。皆ルークスの為に来た者ばかりだ。我が何を言ったところで、聞くはずもない」

「何なのだ、そのルークスとやらは!?」

「忘れたならばもう一度言おう。精霊の友達だ」

「貴様らも精霊の友達になるくらい、できるはずだ!」

 元帥に無茶を言われた精霊士たちは青ざめるばかりである。

 哀れんだトービヨンが代弁する。

「上官を精霊より優先する者には無理な話ぞ」

「ル、ルークスと言えど上官には従うだろうが!」

「聞くところによると、ルークスにとってはパトリア女王も友達、精霊と同格だな。貴様らならばさしづめ、我々精霊を皇帝と同格に扱わねばならぬ」

「あ……ありえぬ……」

「あり得ぬをやってのけるからこそ、ルークスは特別なのだ。そのルークスを狙う者たちに、精霊が味方するはずがなかろう」


 途方に暮れた帝国軍に追い打ちをかけたのが、負傷兵の合流である。

 第七師団が敗北した戦場に、征北軍は向かっているのだから必然だった。

 戦力にならないのに食料を消費してくれるだけでも厄介なのに、恐るべき流言を流してくれた。

「自軍ゴーレムは味方を踏み潰したのに、パトリアの新型ゴーレムは帝国兵を避けて歩いた」

 戦死した歩兵師団長が「督戦隊の役目をゴーレムにやらせた」事実は征北軍司令部も把握していた。

 しかも当の本人が、命令を履行したゴーレムに踏み殺されてしまった。

 それに対して新型ゴーレムは、倒れている兵を避けて歩いたらしい。

 確認しようにも「敵を評価する」という反革新的行為に該当する証言をする者など皆無だ。

 兵数は増えるのに戦力が下がるペースは速まり、今や坂を転げ落ちるがごとく士気が低下していった。


                  א


 セリューが目を覚ましたのは、ふかふかの枕の上だった。

 信じられないほど柔らかいベッドと毛布の間でもある。

 石造りの部屋で、ランプに照らされた天井には絵が描かれ、壁にはタペストリーなどの飾りが貼られてあった。

 窓からは星まで見える。

 花の香りに少女は気付いた。

 頭を動かすと、部屋の隅、暗がりに置かれたテーブルの上に、絵が描かれた大きな花瓶が置かれ、見知らぬ花々が山盛りに咲いている。

 日中明るいときに見たら、どれだけ美しいだろう。

 十四歳の少女はぼんやりと「自分は市民になれたのだ」と考えた。

 大衆風情が、こんな居心地が良い部屋に寝かせられるはずがないのだから。

 毛布をめくると、脇腹が痛んだ。

 左腕に包帯が巻かれてある。

 頭も同じくグルグル巻きで、意識していなかった頭痛にやっと気付いた。

 右膝が固定されており、動くに動けない。

 治療してもらえたのは良いが、トイレに行けないのは困った。


 程なくして、質素な服の女性が入室した。

 さほど年は行っていないが、所作に無駄がない。

「お目覚めの気分はいかがですか? ご自分のお名前は分かります?」

「セリュー、三等曹であります」

「セリューは姓ですか?」

「いえ、自分は大衆であります」

「ああ、帝国の大衆には姓がありませんでしたね」

 女の物言いで少女は理解した。

 ここが帝国領ではないことを。

 そして思い出した。

 所属部隊が今、リスティア大王国に進駐していることを。

 表情に出たのか、女性は微笑みかける。

「安心なさい。ここはリスティアの王城です。あなたの安全は保証されております。捕虜として」

 セリューの全身の毛穴が開いた。

 リスティアが裏切った、と上官たちが憤っていたのを思い出したのだ。

 自分は今「敵に捕えられている」と理解した。

 だが――少女は疑念を抱く。

 自分は今、生まれてきて最高の寝台に寝かされているのだ。

「なぜ私を?」

 しがない大衆風情を厚遇する理由など、どう考えてもあるはずがない。

「それについては私からは答えられません。あなたを客として扱うよう言われただけなので」

 疑問を抱いたままのセリューに、食事が運ばれてきた。

 スープには湯気が立ち、信じられないくらい白いパンが添えられている。

 少女の胃袋が悲鳴をあげた。

 毒物混入を疑うには、あまりにも空腹過ぎた。

 セリューはがっついた。

 これほど美味しい食事は生まれて初めてだ。

 そもそも温かい食事が滅多にない。

 スープは味が濃く、パンは柔らかい。水には柑橘類が絞られてさえいた。

 全てを腹に収めたかったが、胃が受け付けなかったので残念ながら半分も残す。

(これを土産に持って帰れたら……)

 食事が下げられるのと入れ違いに、セリューと同年代の少年が入ってきた。

 黒い髪に日焼けした顔、いかにも大衆然とした容姿だが、身なりが良すぎた。

 服に染みも継ぎはぎも無いなんて、貴族としか思えない。

 そして左肩に妙な代物を乗せている。

 土の下位精霊らしいが、そんな無能に何の用があるのか?

「やあ、気分はどう?」

 少年は馴れ馴れしく話しかけてくる。

「誰だ?」

 警戒を前面に出すセリューに、少年は答えた。

「僕はルークス・レークタ。ゴーレムマスターさ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る