支える者たち
フェクス家をルークスの侍従長が訪れた。
パッセルを伴った彼は、テネルに重大事を伝える。
驚いたテネルはすぐ工房のアルタスを呼び、学園にも連絡してアルティを早退させた。
そして台所で四人、緊急家族会議を開く。
「なんでルークスを引き渡さなきゃならないの!?」
アルティは納得できない。
そんな長女にテネルが言う。
「もちろん家族は全員反対よ。話し合うまでもなく結論は出ているわ。問題はルークスがショックを受けていることよ。自分が戦争の原因になってしまったなんて、どれだけ苦しんでいることか」
「ルークス兄ちゃんかわいそう。何も悪くないのに」
妹のパッセルがこぼしたのに、アルティは大きく首肯する。
「そうよ。ルークスは何も悪くない。帝国が勝手に怯えて戦争を始めただけ。どうしてルークスがそこで苦しまなきゃならないの?」
「それがルークス兄ちゃんだから。アルティも心配でしょ?」
「誰が。帝国が攻めてくるってときに、落ち込んでいる場合じゃないって話よね」
口では否定しておきながら、アルティは「素直になれない自分」に苛ついた。
パッセルのように正直に言えれば良いのに、照れが先に立つ自分が嫌になる。
「今考えることは、どうしたらルークスを元気付けられるかよ」
迷走する娘たちに母親が道を示した。
パッセルの「手紙を書く」が一番現実的だった。
「手紙はいいけど、その内容がね」
アルティはため息をつく。
「理屈を言っても意味ないよ。自分に責任が無いくらい、ルークスだって理解しているはず――理屈としては。ただ『帝国が自分を狙って戦争を起こした』って事実が重すぎるのよ」
「じゃあどうするの?」
「私たちは味方だって、伝えるのはどうかしら?」
次女の疑問にテネルが答える。
「ルークスが家族を疑うなんてないけど、改めて伝えれば力になるわ」
アルタスもパッセルも賛成する。
確かに意味あることだ、とアルティも思う。ルークスを下支えできるはずだ。
でも、それだけでは足りない。
ルークスを奮起させなくては。
彼は後ろから押されて動く人間ではない。
目標に向かって真っ直ぐ突き進むのが、ルークス・レークタという人間なのだ。
そんな少年を動かす方法、アルティは薄々感じていた。
だがそれを認めたくない。
自分を含め家族ができないことが、他人にはできると認めたくなかった。
(いいや、違う。もっと別な理由でしょ!)
自分の、嫌な部分に目を向けたくない気持ちが思考を妨げる。
「アルティ、何かないかしら?」
テネルに問いかけられ、アルティは息を飲んだ。
(これだから母親って嫌なのよ)
子供の心など全て見透かしているようで。
「あるにはあるんだけど……」
「したくないの?」
「そうじゃない。まるでルークスを追い込むようだから」
違う、と心のどこかで否定している。「別の理由でしたくないのだ」と。
「えー、そんなの反対」
パッセルの反対をテネルはやんわりと遮った。
「でも、ルークスの為には必要なんでしょ?」
「そりゃ、嫌々戦うより、自分の意志で戦わせてあげたいよ」
「その為には誰からどう言えばいいか、アルティには分かっているんじゃないの?」
これだから母親は嫌なのだ。
א
昼近くになってもフローレンティーナ女王の御前会議は、武官と文官とが論争を続けていた。
「陛下、これは陛下に私心無きを国民に示す為の、必要な犠牲ですぞ!」
「陛下、これは帝国の離間策です。功臣を切り捨てては、国民は国を見限ります」
宰相と参謀長とが正反対の意見を述べる。
少女は完全に窮していた。
心情的にも理屈でも参謀長が正しいとは分かっている。
だが、今ここで文官たちが反抗を始めたら、戦争どころではなくなってしまう。
ただでさえ心が乱れているのに。
先ほど「姿を消したシルフ」に衝撃的なことを耳打ちされたのだ。
「フォルティスからだ。家族にルークスを元気づけさせる。反対なら首を振れ」
情報漏洩の打診である。
必要なことだ、とフローレンティーナは強く思った。
自分ではルークスを元気づけられない。
だが彼女なら、アルティ・フェクスならできるだろう。
ならば止める理由など、どこにも無いではないか。
だのに、止めたい自分がいた。
十五才の女王は自己嫌悪のあまり吐き気さえ覚えた。
ルークス一人の為ではない。
祖国を守るために必要なことなのに。
つまらない嫉妬心で
「いいな、なら行くぞ」
フローレンティーナは他人に分からぬよう、微かに頷いた。
さあ
露見したらルークスも自分も窮地に追いやられ、祖国は戦わずして負ける。
だが、希望はルークスにしかない。
彼しか、この国難を乗り切れる人間はいないのだ。
不安を心に秘した女王の前で、知謀の参謀が文官たちと舌戦を続けていた。
そんな執務室の扉が勝手に開けられた。
そのような無礼を働く者など――
「この国の男どもは全員金玉を抜かれたのか!?」
暴言と共に乱入してきた女性に、全員が度肝を抜かれた。
染みだらけの白衣をまとった長身女性に、フローレンティーナは見覚えがある。
だが記憶にある彼女とは別人のように、汚らしかった。
髪はぼさぼさ、顔色も悪く化粧の痕跡さえない。
だが、その長身と声は間違えようがなかった。
「まさか、エチェントリチ?」
「ああ、陛下。お久しぶり」
信じがたいが、小汚いその女性はデリカータ女伯爵だった。
フローレンティーナが知る彼女は夜会で見る優美な姿である。
王宮工房の要職にあるとは聞いていたが――こんな小汚い格好でいるとは。
しかも自分以外の誰もが、彼女の登場にこそ驚いているが、その身なりを
どうやらあの格好、かなり周知されているようだ。
(まさか、王宮関連の変人って――)
その変人女伯爵はテーブルを強く叩いた。
「ルークス卿は次代の王宮工房を
宰相に罵声を浴びせる。
「しかし女伯爵、要求を撥ね付けたら我が国は侵略されてしまいますぞ」
「で、新型ゴーレムを帝国にくれてやる、と? 明白な利敵行為だ。対帝国同盟を裏切る気か?」
「しかし――」
「ならば外相、直ちに全加盟国にシルフを飛ばせ! 『我が国は一基当千の最強兵器を帝国に引き渡す。近い将来に新型ゴーレムが帰国を蹂躙するが、我が国の安寧の為に許して欲しい』とな!」
とばっちりを受けたアリエーナ外相が蒼白になる。
「デ、デリカータ女伯爵。貴殿は軍議のメンバーではありませんぞ」
「同盟を裏切るのだから、根回しくらいできているんだろうな。聞かせてもらおう」
「それは――」
外務大臣はネゴティース宰相に救いの目を向けた。宰相は汗をハンカチで拭いつつ、小さく言う。
「今後、検討すると言うことで」
文官の結束が乱れた!
王宮工房は軍に関する研究が主要な仕事ではあるが、構成員は文官である。
その文官の中の最高位、伯爵階級から反対者が出たのだ。
フローレンティーナは決した。
「では同盟各国の了承を得るまで、新型ゴーレムとルークス卿を帝国に引き渡す議論は保留にします」
「――!?」
事実上の却下である。
ネゴティース宰相は歯がみし、デリカータ女伯爵を睨みつける。
同格の伯爵位、女性にしては長身のエチェントリチは上から見下す。
「他国のご機嫌取りは得意だろ?」
「このツケ、高く付きますぞ」
「おお怖い怖い。殿方の脅しには、か弱い女性は震えあがってしまいますわん」
大げさに震えて我が身を抱く女伯爵。
「やれやれ、うかうかしているとルークス卿を王宮工房に取られてしまいますな」
プルデンス参謀長の惚けた声が、険悪な空気をやわらげた。
「取られるも何も、彼は既にうちの特別研究員だぞ」
勝ち誇るデリカータ女伯爵に、参謀長は直ぐさま反論する。
「それをおっしゃるなら、彼は軍の予備役扱いとなっております。先の戦いで、パトリアの紋章を付けるに当たって既に」
「な、卑怯だぞ! 早い者勝ちじゃないはずだ!」
「同感です。最終的には本人の意思でしょう。彼の才知とゴーレムへの熱意、工房が欲するのは理解しますが、それは貴女が引退した後でもよろしいのでは?」
「それはダメだ! あんな面白いのは渡せない!」
思わぬ援兵にフローレンティーナは手を打って喜び、武官らは苦笑する。
文官たちは、苦虫を噛み潰したように顔を歪ませていた。
א
太陽が傾き西日が王城を照らしている。
昼食も食べずにルークスはベッドに寝転んだままでいた。
答えが出ない思考を繰り返して。
圧倒的多数の敵を一掃する新兵器が無ければ、パトリア王国は敗北していた。
しかしそんな兵器があれば帝国は奪いに来る。
(どうすれば良かったんだ?)
いくら考えても思考は堂々巡りだ。
枕に座ったノンノンが、休む事なく頭を撫でてくれるのがルークスの救いだった。
扉が叩かれ、フォルティスが入ってきた。
油紙に包まれた手紙の束を持っている。
「フェクス家からの手紙です。残念なことに、門を通す際に封を切られてしまいました。異物確認と、内通防止のためです。私は文面を見ていません」
身を起こして受け取ったとき、ふとルークスの心に疑問が浮かんだ。
「これ、郵便で届いたんじゃないよね?」
「はい。ルークス卿には家族の助けが必要と判断し、屋敷に連絡して早馬で届けさせました」
「まさか皆に戦争の原因を!?」
「はい。勝手ながら教えました」
「どうし――」
立ち上がったルークスは、フォルティスの固い表情に愕然となった。
皆を巻き込んでしまったという悔恨、心配をかけてしまう自分の不甲斐なさ、そしてそれに思いが至らない未熟さに打ちのめされた。
(自分のことばかりで)
ルークスはベッドに座り込む。
今までずっと、夢を追いかけることしか頭に無かった。
それがどんな影響を与えるか、などは考えもしなかった。
(僕は子供のままだ)
第一に考えるべきことは、家族の安全ではないか。
フォルティスが退出すると言うので、ルークスは呼び止める。
「アルティや、アルタスおじさんたちは?」
「今日中に屋敷に移る準備をしています。警護小隊には連絡済み、フェクス家から屋敷にかけて重点的に見守らせています。明日からは屋敷から学園と工房に通っていただく予定です」
「さすがだね」
「クビクリ侍従長の采配です。屋敷に戻られましたら、お言葉をかけてください」
「そうだね」
フォルティスが扉を開けたとき、またルークスは呼び止める。
そして告げた。
「ありがとう、フォルティス」
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