第四章 内なる敵

城内の敵

 六月二十五日の早朝、サントル帝国征北軍本隊はリスティア大王国北部の畑地を潰して野営していた。

 五万人もの将兵は一箇所では収まりきらず、後続は離れた場所で野営している。

 第三ゴーレム師団「蹂躙」の師団本部天幕に、白馬に跨がったいかつい将軍が乗り付けた。

 四角い風貌と体型は師団長のアロガン将軍である。若い副官が従っていた。

 将軍は天幕で待っていた部下たちに上機嫌で言う。

「ホウト元帥閣下がパトリア王国にシルフを送った。連中は震えあがるだろう」

 居並ぶ連隊長や幕僚らに語って聞かせた。

 最後通牒を意味するその文面を。

「新型ゴーレム並びにルークス・レークタを引き渡せ」

 列の端で聞いた白髪の少年シノシュは耳を疑った。

(皇帝の名前を出しての要求に、だと?)

 世界最強を自称するサントル帝国が「たった一人の少年を得るため戦争を始めた」と世界に宣言したに等しいではないか。

 作戦目的が新型ゴーレムであることは、シノシュにも予想できていた。

 それを隊内で共有するのは分かるが、世間に公言するとは夢想だにしなかった。

 世界革新党が、よく許したものだ。

 その世界革新党の政治将校が、満面の笑みで師団長にお追従を述べている。

 全体軍議には元帥付の政治将校が出ていたはず。上官が認めたのだから、部下である彼女が全肯定するのは当然だ。

(だのにどうして引っかかる? 帝国の愚行は今に始まったことじゃないだろ)

 無視すべきことに自分が拘る理由、考えればすぐ思い至った。

 気付かなかったのは、無意識で認めたくなかったからだ。


 ルークスが歴史を動かした、という事実を。


 シノシュは自分の意志で動くこともできないのに。

 つまり彼はルークスに嫉妬したのだ。

(嫉妬するなんて、身の程知らずにも程がある!)

 三才しか年齢が違わない大精霊契約者同士でも、彼は「帝国では奴隷とされている」平民の出、つまり人間ではないか。

 対して自分は大衆、つまり「家畜以下の道具」でしかない。

 ましてルークスは今や騎士である。

 帝国なら市民に相当する支配階級なのだ。

 かつてシノシュが夢に見た支配階級に、彼はもうなっている。

 別段誰かを支配したいわけでない。

 市民に不当に命を奪われないためには、同じ市民になる以外に道がないだけだ。

 そして帝国で市民になれる大衆など、市民に特に気に入られた例外でしかない。

 時代遅れとされる封建国家のように「生まれに関わらず、功績が正当に評価される」など、帝国では建前でしか存在しない事象なのだ。


 思考を暴走させていたシノシュは、呼ばれているのに気付かなかった。

 我に返ったとき、周囲の視線が自分に集まっている。

 彼を呼んだ女性政治将校ファナチが、鋭い視線で彼の全身を突き刺していた。

「土に愛された少年として、何かありますか?」

 シノシュは総毛立っていた。

 後悔したがもう遅い。

 思考が顔に出てしまったのだ。

 市民たちが喜んでいるときに大衆風情が・・・・・共感しないなど、革新精神を疑われたに違いない。

 だが今さら表情を繕っても手遅れだ。

(むしろ逆効果だ)

 必死に脳を働かせ、シノシュは回答した。

「場に水を差してしまいましたことをお詫びします。正直、彼に同情してしまったのです。皇帝陛下に名指しなどされたら、震えあがるどころか、卒倒してしまうでしょう」

「あなたと比較されることが多い少年ですから、対抗意識があるのでしょうね」

(来た!)

 大衆風情が「自分を敵支配階級と同等と考えている」などと報告されたら最後だ。

「それは、考えたこともありませんでした。自分の任務は師団長閣下の命令を各ゴーレムに伝達することと、離れたゴーレムの位置を把握することですので。ただ、恐れ多くも皇帝陛下のお言葉を、たとえパトリア王国が拒んだとしても、近い将来彼は帝国臣民になります。いずれ我が師団も、配備するだろう新型ゴーレム、早く見たいものです」

 しゃべりつつシノシュは表情を笑みへと変えた。これなら頭の巡りが悪い「あるべき道具の姿」に見えるだろう。

「新型ゴーレムを吾輩が指揮するのか。悪くない」

 アロガン師団長が紫色に染めた髭を撫でて言う。直ぐさま部下がお追従を述べ、話題をさらってくれた。

「いやいや、此度の戦役の功績で、元帥になられるのでは?」

「何をおっしゃる。アロガン将軍からしたら、滅亡寸前の小国二つを食らったくらいでは、物足りないでしょう」

「然り。本作戦終了後にマルヴァドも食らってしまいますか?」

 談笑する師団幹部たちにシノシュは作った笑みを向ける。

 頬に政治将校の視線を感じつつ。

 彼女が自分を執念深く狙っているのは間違いない。

 ねっとりと粘つく視線は恐怖とともに生理的嫌悪をかき立てる。

 その視線から逃れる術は、シノシュには無かった。


                  א


 サントル帝国が新型ゴーレムと共にルークスの身柄引き渡しを要求してきた。

 それはフローレンティーナ女王にとっても衝撃だった。

「ルークス卿はもう少し、自身の評価を上げるべきですね。彼の存在価値は戦術級ではなく、戦略級なのですから」

 女王の執務室で事も無げに・・・・・言ったのはプルデンス参謀長だった。

「予期、していたのですか?」

 女王の問いかけに痩せた武官は首肯する。

「帝国軍が過大な戦力を投入した理由は『適正戦力が読めなかった』で説明できます。そして大陸東部にそんな不確定要素は、新型ゴーレムしか見当たりません。もっとも、ルークス卿の身柄引き渡しを要求するなどは予想できませんでした。まさか大帝国が『未成年の男子一名を求めて戦争を始めた』などと喧伝するとは、さすがに」

 参謀長は笑ったが、誰も同調はしなかった。

 軍議の場にルークスはいない。

 ネゴティース宰相が「当人がいては議論できぬ」と言い出したのがきっかけだ。

 青ざめた顔からルークスの衝撃のほどが分かったので、フローレンティーナは休ませたのだ。

「帝国の目的が彼とそのゴーレムなら、引き渡してしまえば良いのでは?」

 と宰相が言うや、ヴェトス元帥がテーブルを強く叩いた。

「バカな! 祖国を守った英雄を『帝国に引き渡せ』など、良くもそのような恥知らずなことを言えますな!?」

「鼻息を荒くしたところで、四百基七万の帝国軍は押し返せませんぞ!」

 青筋立てて睨み合う両者。

「やれやれ『ルークス卿と新型ゴーレムを引き渡せば帝国軍が帰ってくれる』などと思われているとは、嘆かわしい」

 ヴェトス元帥の隣でプルデンス参謀長が大仰にため息をついた。

「帝国軍にとって脅威となり得るのは、新型ゴーレムだけです。それを引き渡し、将兵の士気を地の底まで下げた小国など『鎧袖一触で滅ぼせる』と攻め寄せるは必定」

「しかし――」

 宰相の反論に参謀長は被せて言う。

「これは我が国を分断する離間策です。宰相ともあろう御方が、敵の手に乗ってしまわれるとは、実に嘆かわしい」

 再度ため息をつく。

「そうとは限るまい!」

「限ります。謀略の基本は、敵の内部に味方を作ること、敵の団結を妨げること、敵の抵抗力を削ぐこと。帝国は基本を忠実に守っています。それとも百年もの間、全周を敵に囲まれてなお膨張してきた帝国が『その基本をやっていない』などとは思いますまい。帝国が基本を行った事例、歴史から紐解きましょうか?」

「ならば問おう。貴官はどうせよと?」

「こう返答しましょう。『単基で四十基撃破を見て、その十倍寄越せば事足りると思ったなら浅はか。先日は開発直後の不安定時。新型ゴーレムの真の力を見たいなら、ゴーレム四百基を供物として寄越すが良い』ですかな」

「そ、その様な挑発をして、帝国軍が怒ったら我が国は滅ぼされてしまうぞ!」

 青ざめるネゴティース宰相を、ヴェトス元帥は笑い飛ばした。

「敵軍の怒りを恐れるとは笑止。そもそも前線の将に開戦の決定権などあるはずもない。どう回答したところで、戦は避けられぬ。それとも宰相殿は、帝国が我が国の独立を尊重してくれるとでも?」

「いや……それは」

 プルデンス参謀長が追い打ちをかける。

「新型ゴーレムを引き渡すか否かに関わらず、帝国軍が侵攻してするは確実。我が国は粛々と迎撃準備を行うまでです」

「帝国軍と戦って勝てるわけがない!」

「はて? 帝国と戦う意思が無いにも関わらず、対帝国包囲同盟に加盟していたと? 私の記憶が確かなら、条約に署名したのは当時外務相だった、閣下でしたな」

「それは……我が国は帝国と国境を接してなかったからで……」

「リスティア相手と違い、同盟諸国の援軍は期待できますぞ。ことにマルヴァド王国は、自軍を叩かれゴーレムを奪われています。そこまでされたうえ、たった一軍も撃退できぬとあれば『東方の雄』の看板は下ろすしかありませんな」

「援軍が来るまで持ちこたえられるものか!」

「ルークス卿がいなければ持ちこたえられません、確実に。しかし彼がいれば、可能性は十分にあります。幸いリスティアとの国境には、ソロス川に倍する幅のテルミナス川という天然の水堀があります。水源がマルヴァド王国なので、かの国が水量を減らすような真似さえしなければ、ですが」

「ど、同盟国を疑うのか?」

 不快げに言う宰相。それに参謀長は呆れた声を出す。

「リスティア軍を通過させた裏切り者を、まーだ信じておられるのですか? なぜ我が国が外交でしくじるか、その原因が見えましたな」

「帝国を利する行為を、マルヴァドがするわけがない!」

「リスティアが帝国の支援を受けて我が国を侵略したは明白。それに加担したマルヴァドは既に、帝国に利しておりますぞ。事実、戦力を失ったリスティアは帝国の手に落ちました」

「マルヴァドの助力なくして、我が国の独立はあり得ない」

「裏切り者にそこまで頼る理由などありますまい。これを機に南の都市国家群と結ぶことをお勧めします」

「共和主義者など、革新主義者と変わらぬ!」

「しかし我が国を裏切った前科はありません。貿易で友好を積み重ねてきましたので」

「ルークス卿は陛下の騎士。引き渡さねば『陛下が身びいきした』と思われますぞ!」

「そのような世迷い言、誰が言うのです? 将兵にとりルークス卿は『功績には身分を問わず国が報いる』証拠です。彼を引き渡すのは『平民は所詮使い捨て』と宣言するに等しい。将兵は二度と、命を賭して戦いますまい」

「その様な不忠者など、我が国にいるものか!」

「陛下の身びいきを疑うのが不忠でなければ、その忠義は誰に向けられたものですかな?」

 文官代表の宰相と、武官の知恵袋である参謀長との舌戦は続く。


                  א


 ルークスはベッドに横たわって天蓋を眺めていた。

 頭の中がグルグル回っている。

「僕のせいで戦争が起きた」

 戦争を終わらせる為に必死に働いた少年にとって、あまりに重い現実だった。

 王城の貴賓室には彼の他、従者と精霊たちがいる。

「ルールー、しょんぼりしてるです」

 枕元で手の平サイズのオムがルークスの頭を撫でていた。

 ベッド脇に控えるフォルティスが、元気付けるよう言葉をかける。

「英雄は、大きな影響を与えるものです。好むと好まざるとに関わらず」

「僕は英雄になりたかったんじゃない」

「英雄はなりたくてなるものではありません。常人を遥かに凌駕した功績によって、人々に選ばれるものです」

「僕は陛下と、皆の暮らしを守りたかっただけなのに」

「その活躍に帝国は恐れを抱きました。彼らはルークス卿を怖がっているのです」

「イノリは抑止力になるどころか、戦争を招いてしまった」

 強い軍事力を持てば他国は攻めるのをためらう、それが抑止力である。

 そしてより強い抑止力を持った側が平和を望めば、戦争は防げる――はずだった。

「確かにイノリは戦局を覆しました。しかしそれは戦術レベルの話です。帝国は小国相手の出血より、新型ゴーレムが量産される方を恐れたのです」

「イノリ程度・・じゃ、帝国には抑止力にはならなかったか」

「ゴーレム一基にそこまで求める者はおりません。兵器単体はあくまで戦術レベルの存在。戦略を変えるほどのものではありません」

「変えてしまったじゃないか。帝国の戦略を」

「あ……」

 フォルティスは言葉を失った。

 帝国は侵攻先を変えてまでイノリを奪いに来たのだ。

(イノリではなく「ルークスが帝国の戦略を変えさせた」と言うべきか)

 それを口にするべきではないとフォルティスは理解している。

 自分の手に余るので、主に断り彼は部屋を出た。窓際に姿を見せていたグラン・シルフに目配せをして。

 城の中庭に出た少年従者の元に男性シルフが飛んで来た。

「インスピラティオーネから、用事を聞いて来いって」

「君はルークスの友達か?」

「ああ、そうさ」

「ルークスに内緒で伝言を、フェルームの屋敷にいるクビクリ侍従長に伝えてくれないか?」

「ルークスに内緒? そりゃごめんだ」

「なら別のシルフを寄越してくれ、とインスピラティオーネに伝えてくれ」

「それは悔しいな。ルークスの為なんだろ?」

「そうだとも。彼の苦しみを減らしたい」

「どうして秘密にするんだ?」

「ルークスは家族思いだ。心配をかけたがらない。だが今は、家族の支えが必要なのだ。だから彼に内緒でフェクス家に相談したい」

「だったらどうして、屋敷の人間を通すんだ?」

「帝国軍の狙いがルークスだと知られたら、後先考えない連中がフェクス家を襲う危険がある。絶対に秘密にしなければならない。侍従長ならその辺を任せられる」

「なるほどなあ。そいつは重要任務だ」

「頼めるか?」

「インスピラティオーネには言っておく。あとはフェルームまで誰にも言わないさ」

「その後でも言わないでくれ。ルークスの家族の安全がかかっているのだから」

「分かった。任せろ」

 シルフは上昇してゆく。

 そのときフォルティスは「重大な抜け」に気付いた。

「それともう一つ! インスピラティオーネに頼むことがある」

 少年従者は冷や汗を拭う。

 呼びかけが遅かったら、陛下とルークスに多大な迷惑をかけるところだった。

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