第二章 学園の軋み

帝国軍、東へ

「第三ゴーレム師団『蹂躙じゅうりん』、革新に向かって前進せよ!!」

 四角い顔と体型のアロガン師団長が大音声をあげた。

 紫色に染めた髪と髭の巨漢の将軍で、深紅の軍服の胸に勲章を並べている。その横には若い副官、三連隊長など師団の指揮官が並んでいた。

 命令を受け、師団長の斜め後ろに立つ長身ながら存在感が薄い少年シノシュが、足下の女性に命令内容を伝える。

「第十一ゴーレム偵察大隊、前進開始」

 上半身のみ地上に出した女性――土の大精霊グラン・ノームが大地に念を送った。

 その念は地面を伝って当該部隊のゴーレムを操る全ノームに届く。

 平原に集結したゴーレム四百基の、右端の部隊が動きだした。

 ゴーレムを操るノームの集団制御は、グラン・ノームのオブスタンティアには慣れた作業である。

 指示を終えると彼女は、土に同化させていた下半身を引き上げた。

 ノームの身長は人間の半分くらいだが、グラン・ノームは成人女性ほどもある。

 オブスタンティアを従えシノシュは東の方角を見やった。

 土煙をあげて一列縦列で進むのは、細身で軽装備の軽量型ゴーレム「クリムゾン・レンジャー」だった。

 帝国が世界に先駆けて実用化した内骨格式の七倍級ゴーレムである。

 従来のゴーレムより三割も軽量化したので、早足が可能となった。

 騎兵の並足に追随できるのが最大の利点である。

 ただし装備は貧弱だ。

 戦槌は軽く、鎧は胸と肩や膝など一部しか守らない。

 警戒や奇襲が役割であり、ゴーレム戦には耐えられない。

「進めー!! 輝ける革新に向かって前進だー!!」

 師団長のアロガン将軍は毎度のことながらスローガンを叫んでいた。

(それで何かした気になっているのだから、救いがたい)

 白髪の少年シノシュは内心を微塵も表に出さず、静かに師団長の斜め後ろに控えている。

(もっと救いがたいのは、それを本気で受け取る大衆だが)


 革新とは何か? 古く良くない事物を政治的に正しく改めることだ。


 政治的に正しいとは何か? 人々や社会を革新することだ。


 たった二問で循環してしまう、まったく空虚な概念である。

 評価する上位の者が好めば正しく、嫌えば間違い、それだけだ。

 さらに上の者が結果をひっくり返すことが「良くある」くらいでたらめなのだ。

 だが革新を繰り返した者が昇級する市民階級にとっては重要である。

 革新をせぬ者は昇級できず、三級市民で一生を終えてしまう。

 それでも大衆階級からしたら雲の上の生活ができるので、革新に挑戦する大衆は後を絶たない。

 それを指してサントル帝国は「能力ある者が上へ行く理想社会」と喧伝していた。

 実際は大衆階級と市民階級との間には、越えられない壁があるのだが。

 シノシュのように欺瞞ぎまんに気付いた大衆は他にもいるだろう。 

 それを市民に気取られたら死刑確実なので誰も表には出さないが。

 同じ大衆でも気は許せない。

 密告が奨励され、毎月「反革新分子」の摘発報告が全軍に通達されるほどだ。


 反革新分子とは、帝国の革新を妨げる敵国の間諜である。


 常識で考えれば、それほど多くの間諜が軍や政府組織に潜り込んでいたら、とうの昔に帝国など倒されていたろう。

 しかし「敵国が大量の間諜を潜り込ませている」との妄想は「それだけの攻撃を受けても政治的に正しいから帝国は揺るがないのだ」との妄想で補完されていた。

 今日もまた「帝国が掲げる価値観を疑った」とか「市民のご機嫌を損ねた」程度で大衆が「反革命分子」の烙印を押され、厳罰に処せられるだろう。

 だがシノシュにとっては遠い出来事。

 家族という大切な人たちを除けば、帝国の人間は全て敵に等しいのだから。


 第三ゴーレム師団蹂躙はサントル帝国北部、国境近くの平原に布陣していた。

 七個歩兵師団と共に北の国境を踏み越えるために。

 ところが先月急遽作戦は中止、延々と待たされたこの六月、進軍先の変更が命じられた。

 東へ。

 この変更にシノシュは驚かなかった。

 市民の思いつきで大衆が翻弄されるのは、帝国の日常である。

 とは言え、北へ向かうために征北軍と命名された大部隊が丸ごと、戦略目標を変更するのは一大事である。

 何しろ七万もの大軍勢、行軍するだけでも大変だ。

 騎兵を含む歩兵部隊が丸一日かけて出払ってから、日を改めてゴーレム部隊の移動となった。

 ゴーレムが橋を破壊でもしたら、後続部隊の移動に支障を来してしまう。

 ゆえに敵国内では先頭に立つゴーレム部隊が、国内の移動では最後に動くのが通例だった。

 向かう先がどこかはまだ不明。

 師団長のアロガン将軍が「吾輩に知らせぬとは参謀本部の怠慢だ」と喚くほど、極秘にされている。

 恐らく征北軍を指揮するホウト元帥など一部しか知らされていないのだろう、とシノシュは見当付けている。

 知らされていないのは少年も同様だが、見当は付いていた。

 既に始まっていた作戦を中止までして、急遽攻撃せねばならない東の対象など一つしかない。


 パトリア軍の新型ゴーレム。


 単基で六十基を撃破鹵獲ろかくしたとの噂が真実なら、ゴーレムの数で他国の優位に立っている帝国にとって重大な脅威となる。

 量産される前に叩き潰す、もしくはその技術を奪い取るのが常識的判断だろう。

 もちろん彼が知らない理由により、攻撃対象は別かもしれない。

 問題なのはその程度も推測できぬ無能が、一級市民で師団長な点だ。

 これが大衆階級の人間なら、洞察力を隠す為にわざと愚かな振りもしよう。

 だが市民階級は、能力を本来以上に見せかけるために見栄を張るものだ。

 しかもこの師団長、精霊使いでもなければゴーレムの専門家でもない。

 部隊編成を革新し、昇進した前師団長のコネで歩兵師団から来た素人である。

 基本さえ知らない素人が思いつきを革新と称して部隊運用を変えるので、ゴーレムコマンダーたちは難儀していた。

 もっとも前師団長にしても優秀にはほど遠く、悪かった状況がさらに多少悪化した程度の、帝国の日常であった。


 第三ゴーレム師団蹂躙はゴーレム百基を擁する連隊三個と二個偵察大隊、そして特殊大隊で構成されている。

 早朝に先頭の軽量型ゴーレムが出発してから延々と、ゴーレムが列をなして平原から出ていく。

 道路を崩さないよう、一列縦隊で間隔を空けるため、最後の特殊大隊が出発するのは昼近くになった。

 師団長ら師団本部は特殊大隊と共に最後に出発である。

 シノシュは「白い影」と呼ばれるくらい気配を消して師団長の側に控えていた。

 いつでも師団長の命令を全ゴーレムに伝えられるよう、それでいて目立たぬように。

 白は彼の髪の色で、最も色彩がない色だ。

 師団長は横だけでなく縦方向にも大きく目立つ出で立ちなので、側にいると長身のシノシュも目立たなくなる。


 目立たぬこと、それがシノシュの生存戦略であった。


 大衆階級の少年の一人や二人、上級市民に睨まれたらお終いだ。

 悪い事に、帝国では家族の連座が伝統であった。

 自分一人ならともかく、家族を巻き添えにはできない。

 家族の幸せ、それがシノシュのたった一つの望みだった。

 自分のせいで家族は危険にさらされているのだ。

 帝国の吹聴する「努力すれば市民になれる」を無邪気に信じて「革新をした」せいで、シノシュは目立つ立場になってしまった。

 彼の言動一つで家族は皆殺しにされてしまう。

 祖父母、両親、弟妹たちを守るために、立ち回りは慎重の上に慎重を期さねばならない。

 市民が望むだけの働きをしつつ、決して市民に睨まれないよう手柄は献上する。


――優秀な道具になる――


 それが帝国で大衆が生き延びるたった一つの道なのだ。

 グラン・ノームと契約してから二年あまり、シノシュは息を殺してひたすら道具に徹し続けた。

 目立たぬよう、言葉も最低限しか発しない。

 精霊と交流するためにしゃべるなど考えもしなかった。

 道具である自分に使われる精霊もまた道具だと、割り切っているから。

 土に愛された少年、などは帝国の宣伝文句でしかない、そう思っていた。


 だから精霊が自分を心配しているなど、夢想もしなかったし、知ったところで行動を変える余地はなかった。

 彼は「お市民様」に使われるだけの道具なのだから。


                  א


 パトリア王国の王都アクセムから西へ馬車で半日あまり、鉱山で知られたフェルームの町がある。

 先王が「貴族平民の区別なく優秀な人材を育てる」ことを目的に王立精霊士学園を設立したのはゴーレム大戦末期であった。

 それから二十年あまり、悲願だった大精霊契約者を誕生させた学園は新たな時代を迎えた。

 シルフが飛び交い、等身大ゴーレムが作業を行う学園の講堂に、朝から生徒が集められていた。

 戦勝祝賀式典でルークスが騎士に任じられた件について、演壇でアウクシーリム新学園長が語っている。

「諸先輩が研鑽けんさんを続けた、その成果こそ彼の新型ゴーレムなのです。まさに我が学園の誇りであります。

 それでは、新たな騎士ルークス・レークタ卿から、叙任の喜びを我が校で学んだこととともに語っていただきましょう」

 拍手の中、ルークスが演壇に上がる。

 初等部から高等部までおよそ五百人に編入生を加えた大勢を、ルークスは不思議な感覚で見た。

(他人のことなのに、何が嬉しいのだろう?)

 横を向けば笑顔のアウクシーリムら教職員たち。

 どうにも理解できない。

 だからルークスは発言は疑問から始まった。

「僕の努力を理解しないだけならまだしも、バカにして、中には邪魔さえした人たちが、僕の成果を喜んだり、果ては何か貢献したかのように得意顔をするのは何故ですか?」

 講堂の空気が凍り付いた。

 教職員も生徒たちも絶句するなかルークスは続ける。

「ゴーレム関連以外で役に立った講義は、算術などの実学くらいで、他は役に立つどころか――精霊学の各教化は頭に入れないようにする努力が必要でした。だって精霊たちと見解が違うんですから。嘘をつかない精霊と嘘をつく人間、言い分が違う場合どちらを信じるかは明白です。ましてや自分たち精霊のことですよ?」

「ル……ルークス卿、君は……」

 言葉を詰まらせる新学園長にルークスは顔を向けた。

「僕を無理やり風精科に入れようとしたこと、一生忘れません。、あなたは僕からゴーレムを取り上げようとしたんだ」

 ルークスは嫌味を言ったわけではない。

 アウクシーリムはルークスを紹介する前に「自分が教頭から学園長に昇進したと」話したのだが、それを聞いていなかっただけである。

 嫌いな人間の言葉は聞き流すのがルークスの習慣になっていたのだ。


 新学園長は、メンツを潰され絶句していた。

 これまで学園は土精科中心だったが、風精科出身のアウクシーリムが学園長になったことで主導権を握れた。

 得意の絶頂だった分、学園最大の功績である生徒に全否定された衝撃は大きかった。


 自分を追い落とした元部下の不面目に、学園長から降格されたランコーはほくそ笑む。

 痩せた老人が口元を隠すその動きを、ルークスの目が捉えた。

「学園から精霊を追い払った神学教師を入れた人が、しれっと並んでいるのも納得できません」

 ランコーの笑みはたちまち霧消し、渋面をさらす羽目になった。

 表向きランコーは「神殿が推した人間を止められなかった管理責任」である。

 だが実際は神学教師の暴走を、ルークスへの意趣返しに利用した共犯者なのだ。

 万一そこを突かれ、精霊の前で証言をさせられたら身の破滅だ。

 学園を所管する王宮精霊士室長のインヴィディア卿さえ彼は欺いたのだから。

 ましてや今、その室長が登城できぬほど体調が良くないと聞いている。

 ランコーを推薦した彼女が引退すれば、不祥事を起こした責任が蒸し返される公算は大だ。

 何しろ生徒と教職員の大半が契約精霊を失い、学園から精霊が去るという、創立以来最大の事件だったのだ。

 その危機を脱した立役者でもある、学園最大の功績である生徒が自分を睨んでいた。

 しかも騎士階級と、家人階級のランコーより格上となって。

 危機感を抱いたランコーも新学園長も、インヴィディア卿が意識不明であることは知らなかった。

 事は極秘にされ、公には「登城できない体調不良」と発表されていたのだ。


 ランコーは土精科の列の、体格が良い平民教師に小声で命じた。

「彼を黙らせなさい」

「騒ぎが起きますが、よろしいですか?」

 とゴーレム戦実技を担当するマルティアルが答える。

「既に起きています。増長した生徒を下ろすのはやむを得ません」

「以前からああいう生徒でしたが?」

「まさか」

「彼はお世辞を言えないくらいバカ正直なんです。そんな正直者に、学園で学んだことを語らせれば、こうなるのは当然ですよ」

「彼は文句を言っているのですぞ」

「ですから、ゴーレム関連以外は実学ぐらいしか役に立たないどころか、邪魔だったとの認識なのです」

「まさか」

「学園長――いえ教頭もご存じのとおり、彼の成績は学年最下位です。ゴーレム関連の座学では抜群に成績が良いにも関わらず、です。実学以外、特に精霊関連が壊滅的でしたが、その理由は今本人が述べたとおり。精霊に関して彼は、本学園ではなく精霊たちから学んだのです」

 ランコーの中に暗い感情がうごめいた。

 ゴーレムは土精科の領分なので、土精科としての面目は立つ。

 だがランコーが学園長として采配した時代を丸ごと否定されて、プライドが大きく傷ついていた。

(この報い、必ず受けさせてやる)

 伯爵家に生まれながら貴族としては底辺の家人階級に甘んじた老人は、未成年のうちに自分を追い越した少年への嫉妬の炎を燃え上がらせた。


 ルークスの暴走に中等部の列に並ぶ幼なじみの少女アルティはため息をついた。

(なんでフォルティスを横に置かないのよ)

 背の順なので女子としては上背あるアルティは男女混合の列の中程、声を上げてもまず聞こえまい。

 こういう時に止める役の従者は、級長として列の先頭にいる。

 フォルティスは痛む胃を押えてルークスに視線で合図を繰り返していた。

 だがルークスが気付くことはない。

 多少声を出しても、話に夢中のルークスには聞こえやしない。

 級長が演壇に乱入などしたら大事おおごとになってしまう。

 ルークスの肩にいるオムかグラン・シルフが気付いてくれる事を祈って、合図をするしかなかった。


 しゃべっているうちに、ルークスは女王陛下との約束を思い出した。

 味方を増やすために、和解を求めてきた者は許さねばならない。

 だが過去に敵対した者は一人も和解は求めて来ず、自分たちの所行を無視する挙に出たのだ。

 なら和解を求めるまでは止める必要はない。

「ああ、教職員の全員が問題あるわけじゃありません。平民教師の皆さんは良く教えてくれました。ただ貴族の教師は、生徒の教育より自分の研究や他科との競争を優先するので――」

「彼をなんとかしなさい!」

 たまりかねたアウクシーリム学園長は部下に丸投げした。

 貧乏クジを引いたのは、ゴーレム構造学を教えているルークスの理解者だった。

 コンパージがここでは女性教師として演壇に声をかけた。

「ルークス、新型ゴーレムはどこまでが機密事項なのかな?」

 ゴーレムという単語を耳にした途端、ルークスの脳内から膨大な情報があふれ出る。

 情報の大軍は瞬く間にルークスの意識を占領し、それまでの話題を押し出した。

「ああ、話して良いのは精霊まで、オムのノンノンとウンディーネのリートレ、までです。彼女らの助力なしに新型ゴーレムは生まれませんでした。

 でもオムとウンディーネがいれば再現できる訳ではありません」

 ルークスは肩に乗せたノンノンを紹介し、彼女がどれだけ練習し「オムには不可能な人型の制御」を身につけたか熱を込めて語りだす。

 ゴーレムについて語らせれば、ルークスは他のことなど脇に追いやってしまうのだ。

「僕は何もしていません。友達が、親友たちが尽くしてくれたから新型ゴーレムはできたのです。彼女らとの絆は、契約なんて浅い関係ではありません。再現するなら、精霊と友達になることから始めませんと」

 話が一区切りされたところで、アウクシーリムはようやく口を挟めた。

「ありがとう、ルークス卿。生徒たちにとても参考になったろう」

 見え見えのお世辞を口にする新学園長に、ルークスは呆れ果てた。

 精霊の前で平気で嘘をつける神経に。

 自分がなぜ演壇に登ったか思い出したが、言うだけは言ったので引きずることなく中等部の列に戻った。

 自分が何をしたか理解していないルークスの態度に、貴族の教師たちは怒り心頭である。

 一方で平民の教職員は眉をしかめつつ内心で拍手喝采していた。

 誰からも評価されぬ地味な教育を、学園最大の成果が認めてくれたので。

 形の上ではルークスは今や貴族の一員である。

 だが本人も周囲の認識も、まだ平民のままなのだ。

 貴族、平民双方の教職員で一致したのは「あの生徒は扱いづらい」という認識だけであった。

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