序章
無敵の新型ゴーレム
石だらけの荒れ地で小さな影が小刻みに走る。
茶色い背中に白い腹、長い尾を持つ小鳥イワセキレイである。
石に隠れた虫や飛んで来た草の種などを探して細いくちばしでついばむ。
突然、轟音が荒れ地に響き渡った。
驚いたイワセキレイが飛び立つ。
その一羽だけでない。
荒れ地全体から、数十羽の鳥たちが一斉に飛び立った。
遥か彼方、荒れ地の外れで巨大な人間像が足を踏み出した、その地響きに驚いて。
人間の七倍に達する巨像は、いまや戦場の主役となった戦闘ゴーレムである。
丸太のような手足が樽のような胴体から生え、目鼻立ちもない土の塊が、土の精霊ノームによって魂を吹き込まれている。
人間が命じたままに動き、戦う。
一歩ごとに石だらけの荒れ地に深く足跡を刻みつけた。
その重量は石造橋さえ踏み抜き、拳の一撃で家など簡単に潰してしまう。
痛みを感じぬ不死身の巨体と腕力だけでも十分脅威なうえに、鋼鉄の甲冑で身を固め、城塞を砕く戦槌と、攻城兵器さえ防ぐ盾とで武装していた。
まさに最強兵器。
これを阻める存在はない。
戦闘ゴーレムには戦闘ゴーレムしか対抗出来ないのだ。
時に天歴九百三十八年六月一日。
上向きの牙を口元に生やした兜の戦闘ゴーレム、通称ボアヘッドがパトリア王国の王都アクセム近郊の荒れ地で前進を始めた。
ボアヘッドはリスティア大王国の主力ゴーレムで、正式名はオーガヘッドだ。
兜の造作が稚拙なせいで「猪に見える」のが通称の由来である。
今歩いているのはボアヘッドの中でも、ひときわ厚い鎧と大型の盾を装備した重装甲型であった。
先の戦いで鹵獲された一基である。
一歩ごとに地響きと土埃をたて、パトリアの十五才になる女王フローレンティーナの前を通過する。
女王の周囲は近習や文官武官らがおり、その周囲を多くの将兵が固め、さらに王都の民が左右に広がって目の前の光景を見守っていた。
民衆の中には外国の観戦武官や、間諜も紛れている。
ボアヘッドが向かう先には、同サイズだが遥かに細身の女神像が屹立していた。
見目麗しき土色の肌に整った顔があり、優美な白銀の鎧兜を身につけ、手に槍を携えている。
こちらもゴーレムである。
ただし、ノームが操る泥人形ではない。
表面こそ土だが中身は水で、中心部の高圧空気によって支えられている。
空気で膨らませた水の表面に土が貼りついている構造だ。
土の下位精霊オムと水の精霊ウンディーネ、そして風の大精霊グラン・シルフによる、前代未聞の新型ゴーレム「イノリ」であった。
新型ゴーレムが構造以上に他のゴーレムと違う点は、中に人間がいることだ。
このゴーレムに乗る人間ゴーレムライダーこそ、イノリのゴーレムマスター、ルークス・レークタであった。
まだ十四才の少年で、日焼けした肌に漆黒の髪と黒檀の瞳、小柄な体がイノリ胴体内の「水繭」に収まっている。
水繭の内面上半分は水面で、外部の様子が映し出されていた。
下半分は土で覆われ、ゴーレムを制御する呪符が貼られているほか、後ろから伸びた腕がルークスを支えている。
さらに前からの腕がルークスの両手両足を包み込み、細かい動きを直接イノリに伝えるようになっていた。
通常は声で精霊たちに意図を伝え、戦闘時など即座の動きはルークスの手足をイノリがトレースする。
「よし、じゃあこっちも前進だ」
ルークスが言うと、水繭内面が振動して女声がする。
「分かったです」
まだ舌足らずの幼女の声は土の下位精霊オムのノンノンだ。
精霊たちの役割分担は、オムのノンノンが運動神経と皮膚感覚の神経を、ウンディーネのリートレが筋肉と視覚聴覚を、グラン・シルフのインスピラティオーネが骨と発声を担当している。
さらにウンディーネは、内部の高圧空気からライダーを守る水繭というイノリの心臓部も担当している。酸素や温度を調節してルークスの命を維持する、一番重要な役目だ。
イノリが一歩踏み出す。
その歩みだけで人々がどよめいた。
人間と変わらずしなやかな動きで、足音も驚くほど小さい。
戦闘ゴーレムとはボアヘッドのように、一歩ごとに地響きを立ててその存在を主張するもの、という常識が覆されたのだ。
空気で膨らんだ水なのでイノリは自重が軽いだけでなく、空気がクッションの役割も果たし歩行の衝撃が軽減される。
さらに水繭が胴体内である程度上下左右するので、歩行の揺れはほとんどルークスには伝わらない。
イノリとボアヘッド双方が前進して距離が縮まった。
ボアヘッドは右手の戦槌を振り上げる。
イノリは無造作にボアヘッドの間合いに踏み込んだ。
ボアヘッドが戦槌を振り下ろしたと同時に、イノリは左に半歩ずれた。
たった今、イノリがいた空間を戦槌が通過する。
すれ違い、素早く反転してイノリはボアヘッドの後ろをとった。
敏捷なイノリの動きに人々が息を飲み、ついで歓声をあげる。
もたもたと足を踏みならして向きを変えるボアヘッドとの運動性の差は歴然だった。
ボアヘッドは戦槌を横振りする。
イノリは一歩下がるだけで間合いを外し、空振りさせた。
今、ボアヘッドはノームによる自律行動をしている。予め教えた通りの動きを、ノームの判断で選んでいるのだ。
そしてルークスはパトリア軍がノームに教えている自律行動の動きを全て知っていた。
町の郊外にゴーレム大隊の駐屯地があるので、学園が休みの日などは一日中入り浸り、飽きることなくゴーレムを見ていたのがルークスという少年なのだ。
ボアヘッドの事前動作で次の行動くらい簡単に読める。
それどころか、イノリの位置取りにより相手に「狙いどおりの攻撃をさせる」こともやってのけた。
イノリの頭を差しだし空振りさせ、地面を叩いた戦槌を踏みつけ、抜く邪魔をしたりと、やりたい放題である。
イノリがボアヘッドに空振りをさせていると、女王の近くで黒旗が上がった。
「ゴーレムコマンダーが逐一指示をする」
との合図である。
これからはゴーレムコマンダー対ゴーレムライダーの真剣勝負だ。
敵はゴーレム大隊長のコルーマ卿。
ルークスの亡父の元部下とあり、相手にとって不足はない。
「よし、やるぞ!」
ルークスが気合いを入れる。
「頑張るです」
「任せて、ルークスちゃん」
「存分に戦いください」
ノンノン、リートレ、インスピラティオーネがそれぞれに答える。
「カリディータ、出番だ!」
ルークスがイノリを通して外に声を送ると、イノリが持つ槍の穂先で炎が燃え上がった。
サラマンダーの娘カリディータが黄色い炎を燃えたたせ、穂先を加熱しはじめる。
「ぶっ壊してやれ!」
ルークスの戦意に共鳴し、火勢を強めている。
イノリは三人の精霊、風、水、土により構成され、火の精霊が武器を担当していた。
彼女ら全員がルークスの契約精霊だ。
ルークスは史上稀な、四属性の精霊契約者である。
精霊使いは四大精霊の一属性と契約できれば一人前だ。
二属性と契約できる者は滅多におらす、三属性ともなれば天才の範疇である。
風と土、水と火は互いに反発しあい、どちらかに好かれれば反対の属性からは嫌われるのが常だから。
もっとも下位精霊はカウントされないのだが、三属性でも現時点で大陸唯一である。
ルークスはイノリを間合いギリギリにおき、ボアヘッドの出方を見た。
ボアヘッドはフェイントを交えて小さく振る。
大ぶりの攻撃が当たらないのは再三見せたとおりだし、また必要ない。
水で形づくられたイノリは防御力が無きに等しい。
ゴーレムが持つ鉄壁の防御力を捨て、敏捷性に特化している。
軽い攻撃でも当たれば即致命傷だ。
何しろ中心部には人間という、極めて脆い部品があるのだから。
だが戦槌もボアヘッド自体も大質量なため、どうしても慣性によって動きの一つ一つに隙が生まれる。
重い物体は動きにくく、動き始めると止まりにくいものである。
それは「運動の現状をそのまま保持しようとする」慣性力が質量によって増大するからだ。
イノリは軽いので慣性力が小さく、動き出しも停止も早く、動く方向を変えるのも一瞬である。
フェイントに引っかかっても、ボアヘッドが振り直すより早くすぐ位置取りを変えて攻撃範囲外に抜けられるのだ。
「熱くなったぜ!」
穂先でカリディータが声をあげた。
イノリが持つ槍は
ゴーレムの攻撃は、莫大な土という筋肉の力で大質量をぶつけるのが主流だ。
だがイノリの基本素材は水なので腕力に欠ける。
防御力に加え、攻撃力もイノリには無いのだ。
イノリの非力さを補う武器こそ、火炎槍であった。
前進してきたボアヘッドが間合いに入るや、フェイントをかける。
ルークスは敢えて乗った振りをして、わざと隙を作った。
コルーマ卿がノームに指示し、戦槌を振り上げさせる。
しかしコマンダーがノームに念を送るその間さえ、ルークス自身より早く反応できるイノリにとっては十分な隙だった。
上から振られる戦槌に槍の柄を当てて逸らし、イノリはボアヘッドの右側面に回りこむ。
両順手に持った火炎槍を、敵の右脇の下、鎧の隙間に突き立てた。
穂先が埋め込まれ、その背後にある円錐型金具が穴をふさぐ。
ゴーレムを構成する土は強度と柔軟性を出すため水分を含んでいる。
その水分が高熱の穂先により加熱され、瞬時に蒸発した。
水が液体から気体に変わると、体積は一千倍以上になる。
ゴーレム内部で発生した莫大な量の水蒸気は、ゴーレム内部で猛烈な圧力と化す。出口を求め、弱い部分を突き上げた。
火炎槍を押し戻す手応えがイノリに伝わると同時に、ボアヘッドの頭部が兜ごと吹き飛んだ。
首元から泥と水蒸気を噴き上げ、鎧の中身を吐き出す。
支えを失った両腕が落ちた。
動体内部にあった青い結晶核が空っぽになった鎧の中に転がる。
コランダム結晶で作られた核は、ゴーレムを形づくるに必要な呪符の役割を果たす。
戦闘用ゴーレムに使われる核は、圧力で壊れないよう小さくても上腕程度の大きさがある。
これが破壊、もしくは除去されるとゴーレムは機能を失う。
上半身を失い核と分離され、ボアヘッドは動きを止めた。
イノリの反撃からボアヘッドの停止まで一瞬だったので、見ている人は何が起きたか分からなかった。
両者が交差するやボアヘッドの頭が吹き飛び、両腕が落ちた。
それが観客が見た全てだった。
事前に説明を受けていた女王フローレンティーナでさえ、言葉を失った。
それは壮年のフィデリタス騎士団長やプルデンス参謀長といった武官の重鎮も同様である。
戦場でこの奇蹟を目撃したヴェトス元帥や将兵たち以外、初めて目にした光景に絶句していた。
自重を支えられなくなったボアヘッドが倒れ地響きを起こし砂塵を巻き上げる。
人々が歓声をあげた。
何が起きたかは理解できなかったが、結果だけは分かった。
新型ゴーレムが、一瞬にして敵ゴーレムを撃破したという結果だけは。
イノリのお披露目としては申し分ない模擬戦であった。
このイノリと火炎槍とが、侵略してきたリスティア軍のゴーレム三十七基を撃破し、国家の危機を救ったのだ。
しかもそれを成し遂げたのが十四才の少年である。
この模擬戦は国民にその事実を知らせる以上の意味を持っていた。
パトリアという大陸の東端に位置する小国が「軍事力は戦闘ゴーレムの数で決まる」という常識を覆したと、諸外国に宣伝することも重要な目的なのだ。
リスティア大王国のような野心を持った国が、この国を脅かすことが二度と起きないように。
それがフローレンティーナ女王の願いだった。
しかしその願いは大きな波紋を広げてしまう。
その翌日、勲功を挙げた者の叙勲と戦勝祝賀会を催したパトリア王国では、誰もそのことに気付いていなかった。
特に、女王直属の騎士に任じられたルークス卿は「自分が当事者である」ことも知らずにいた。
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