破門の波紋

 講義時間中にも関わらず、ランコー学園長の部屋に新任教師が飛び込んできた。

 神殿から派遣されたばかりの男性教師アドヴェーナである。怒りのせいか顔を紅潮させている。

 尋常ならぬ様子に学園長はいぶかしんだ。

「一体、何があったのかね?」

「あの生徒を、大精霊契約者を破門にします!」

 ランコー学園長の痩せ顔が真っ青になった。頭の中は真っ白で、自分の未来は真っ黒に思えた。

「は、破門とは……ずいぶんと突然……だな」

「あの小僧は神殿を、神の教えを冒涜したのです! 大精霊に嘘をつかせ、私を侮辱したのです!」

 学園長は机の奥の椅子に崩れ込んだ。

(精霊が嘘をついただと?)

 あまりの無知ぶりに頭を抱えたくなった。

 精霊使いを養成する学園に、精霊の基礎知識も無い人間を送り込んだ大司教を蹴飛ばしてやりたい。

「その……大精霊は何と言ったのかね?」

「神が人間に、精霊の管理を任せた事実を否定したのです!」

 ランコーは耳を疑った。

 神殿の権威付けを真に受けるほど頭が弱い人間が司教になれるとは。

 あるいは物事には建前と本音がある、くらいの常識も無い世間知らずか。

 だが、そんな事を口にしたら自分まで破門されてしまう。

 ランコーは話題を逸らせた。

「中等部の最終学年では、もっと先を教えるものと思っていたが」

「最初の講義ですので、基礎のおさらいをしたのです。だのにあの生徒! 居眠りなどしていて、起こせば文句を言い、挙げ句に神の教えを否定するのですから!」

 そのまま寝かせておけば問題は起きなかったものを。

「前任者の……引き継ぎ書類は見たのかね?」

 あの生徒には関わるな、と書いてあったはず。

「世俗派の言い分など誰が見ますか。私は修道院で――ああ、学園には関係ないことでしたな」

 ランコー学園長は頭を抱えた。

 神殿の派閥争いで学園の生徒が破門騒ぎとは。王宮精霊士室長が怒るのは火を見るより明らかだ。

「だが……」

 学園長は思い直した。

 元凶は神殿だし、被害を受けるのはあの生徒ではないか。

 騎士から罵倒された原因の、あの不遜な平民が不幸になるならむしろ喜ばしい。

 それに神殿の決定に学園は関与できる立場にない。責任を問われる事はなかろう。

 ランコー学園長は姿勢を正した。

「確かに、神殿の教えを否定するなど不遜ですな。ただ、なにぶん相手は未成年です。その情状は破門を伝える、神殿への書状に入れていただけると助かります」

「ええ、ええ。書状ですね! 直ちに、奴の生地を調べてそこの神殿に送りつけてやりますとも!」

 アドヴェーナは意気込んで学園長室を後にした。

 残されたランコー学園長の口が奇妙なほどにやけ、低い声で笑いだした。

 学園は神殿に情状酌量を求めた、という保身ができたのだから。


                   א


 その日の帰り道、ルークスに危機感を持たせようとアルティは躍起になっていた。

「生徒たちの怒りなんて貴族でもそれほどじゃないわ。でも神殿はマズいのよ。本当に破門されるわよ」

「いいよ。どうせ神殿なんて、嘘を教えているし」

「それは、分かるけど大声で言わないで」

 神殿と精霊とで意見が異なる事は精霊使いには常識だ。そして精霊は嘘をつかない。よって答えは自ずと分かる。

 だがそこを踏み出してしまうと、権力を上回る権威に噛みつかれてしまう。

 そしてルークスは踏み出してしまった。

 しかも大きく。

 神殿の最終手段「破門」は全ての人にとって死刑より恐ろしい刑罰である。神の加護を失うという最悪の事態には、決して抗えるものではない。

 だがルークスは抗ってしまった。

 それも我慢するとかではなく「精霊の加護がある」と別の選択肢があると宣言。大精霊もそれに応えた。

 神殿のメンツは丸潰れである。

「この町の神殿がどうするか分からないわ」

 住民を管理するのは学園ではなく、町の神殿である。当然学園から連絡が行くだろうが、果たして司教はどうするか。

「ただでさえ貴族を中心に生徒たちに睨まれているのに、教師を怒らせた上に神殿までって、もうとんでもない事なのよ。それが分からないの?」

「全然」

「分かれよ! 努力しろよ少しは! もうやだ、こいつ」

 アルティは足を速めてルークスを置いて行った。

 どれだけ心配してもルークスはまったく反省しないのだ。その無神経さにアルティは怒り心頭だった。

「アルティちゃん、ぷんぷんだったです」

 肩で言うノンノンにルークスは言う。

「味方だと思っていたのに、アルティは神殿側か」

 裏切られた気分でルークスはふて腐れる。

 悪いのは「精霊を嘘つき呼ばわりした」無知で無教養な神学教師なのに。

 風の大精霊がそよ風をまとって現れた。

「アルティは主様を心配しているのですよ」

「心配? 怒っていたじゃないか」

「あれは、心配しているのを『主様が気付かぬ』事への怒りでございます」

「心配なら心配と言えば良いじゃないか。だのに口うるさく言うなんて。それじゃ分からないよ」

 インスピラティオーネはため息をついた。

「確かに、主様には分かりづらい表現でしたね」

「なんであんな分かりづらい事するの? その結果二人して怒るんじゃ無意味だよ」

「素直になれない年頃なのです」

 ルークスもため息をつく。

「何それ? なんなんだよ、一体。それにインスピラティオーネ、だったらアルティがいるときに教えてよ」

「その……彼女の前で説明すると、かえって怒らせます。主様が理解していない事と、我が教える事の両方で」

「ああもう、面倒くさいな」

「主様、くれぐれも本人にそれを言わぬよう御自重ください。これまでに無く怒らせますゆえ」

「不公平だ。しょっちゅうアルティは僕の事を『面倒な奴』って言っているのに」

「それは、それだけアルティは主様を心配をする時間が長いということで、どうか御理解を」

 長い年月を重ねた上位精霊も、多感なお年頃の扱いには苦慮する。

 ただでさえ男女の機微に鈍感なルークスと、意地っ張りなアルティとでは、どうしても衝突してしまう。

「もう少し、アルティに話しかける回数を増やしてはいかがでしょう?」

 アルティの怒りの最大の原因が「ルークスの関心が自分に向けられない事」なのは精霊の目からも明らかである。

 だがルークスは興味を持った対象にしか目をやれない。

 それは欠点であるが、最大の強みでもあるのだ。欠点を直す為に長所を潰してはダメな人間になってしまう。

「もう少し、周囲に目を向ける余裕を持たれるとよろしいかと」

 後は彼の成長を期待するしかグラン・シルフにはなかった。


                   א


 夕食の席でルークスは今日の事を報告した。

 家長であるアルタスにも責任が及ぶ事なので、自分の言葉で全て話す。

 説明が破門に及ぶと、十才のパッセルが泣き出した。

「ルークス兄ちゃんがー、破門されちゃったよー」

 母親のテネルが抱きしめるも、大泣きする。

「ルークス兄ちゃんがー、地獄の業火で焼かれちゃうよー」

「大丈夫よ。そうならないよう、お父さんが司教様にきちんとお話しするから」

 説明を聞き終えるとアルタスは短くうなった。

「困った教師だな。精霊の事を何も知らないとは」

「司教様には何と言いましょう?」

 妻のテネルが水を向けると、アルタスは言う。

「明日話をしてこよう。そんな教師が派遣されたと聞いたら、嘆かれるだろう」

「僕も行くよ」

 アルタスが見つめ返す。ルークスは言葉を継いだ。

「余計な事は言わないから」

「お前の事だからな。付いてこい」

 なおもぐずるパッセルの頭をルークスは撫でてやる。

 幼い子供に恐怖を吹き込む神殿のやり口に、言い様も無い怒りが湧いていた。

 恐怖で縛って服従をさせるなんて、貴族より手口が悪辣だ。


 何しろ地獄など存在しないのだから。


 神が創った世界を維持する精霊が誰も知らない場所など、あるはずがない。

 天界に風を吹き渡らせるシルフが存在も知らず、火を司るサラマンダーが業火という言葉も知らず、血の河をウンディーネは一笑に付した。

 神の威光を傘に人々を嘘で騙す神殿は、精霊と共に正直に生きるルークスとは相容れない存在に思えていた。

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