序章
戦場の支配者
侵略してきたサントル帝国軍一万を、シュタール王国軍一万六千がソムン河畔の平原で待ち構えていた。
夜が白々と明けゆく平原は濃密な霧に包まれていた。
そこは刈り入れ直前の麦畑であり、ここで両軍が一大会戦を行う以上収穫の激減は必至である。
たとえ命が助かろうと、侵略を受けるだけで人々の生活は破壊されるのだ。
白い薄膜がかかる麦畑で、王国軍の騎士や従者、傭兵たちは槍や弓を携え各陣で待ち構えていた。
払暁は最も戦端が開かれやすい時間帯である。傭兵たちも自発的に体を動かし、肉体を解すとともに頭を覚醒させていた。自らの命と稼ぎが懸かっているのだ。
王国軍を率いるアイゼン三世はこの年五十二才。中央の本陣で折りたたみテーブルに地図を広げ、騎士たちと軍議の最中である。
「そろそろ敵が動きそうなものだが」
王の問いかけに精霊使いを司る参謀が答える。
「敵のグラン・シルフが我が方のシルフを妨げているため、索敵に支障を来しております。若干遅くなりますがノームからの情報は上がってきております。敵方にノームは少ないとの事です」
「では、地形を変えられるのだな?」
「御意。敵の侵攻に合わせ地割れを作れば相当有利になるかと」
「敵の戦力集中を阻めればこの戦、勝てるであろうな」
王の問いかけに幕僚たちは頷いた。
攻撃側は防御側の三倍の戦力が必要なものだ。総数で負けている帝国軍は、局所的に三倍になるよう兵を動かし防御陣の突破を目論むはず。その動きを地割れや落とし穴で制限すれば、シュタール王国軍は圧倒的有利になる。
本陣の空気は楽観へと流れ始めていた。
通常、敵の偵察や部隊間の連絡は風の精霊シルフが担っている。
自在に飛べ、人が走るより遥かに速く移動できるからだ。
ところが敵に風の上位精霊であるグラン・シルフがいるため、その活動が妨げられている。
王国軍は土の精霊ノームや、人間によって敵の位置や規模などを探らねばならなかった。
その為に前線からの情報が本陣に届くには時間がかかっていた。
王国軍中央第一陣三千を預かるフランメ伯爵の元に伝令が駆けつけた。
前線から突出して警戒に当たっていた斥候班からの報告である。
馬から下り、跪く伝令は声を張りあげた。
「伝令! 敵陣に動きの兆候! 複数の大きな音源が接近中です!」
「大きな音とは何だ?」
「不明です。太鼓に似ていますが、地響きを伴っています。行軍太鼓にしては間隔が開きすぎております」
「うむ、ご苦労」
壮年のフランメ伯爵は伝令をねぎらい、すぐさま待機していた伝令に命じる。
「直ちに本陣に報告せよ!」
騎兵が駆け出す。
次いで精霊使いが赤い帽子を被った小柄な精霊ノームを伴ってきた。
「報告します。敵後方よりノームがやって来たとのことです。監視範囲で十。現在敵陣内を前進中」
「そうか。これでノームの数的優位は敵に移ったか」
フランメ伯の陣中にはノームが四体しかいない。
「それが妙なんです。敵のノームは地上にいるとの事」
「何?」
伯爵が視線を下ろすと、土の精霊ノームが口を開いた。
「地面の上にいるよ。地中でこそ真価を発揮する俺たちを、どうするんだろう?」
不思議がるノームに負けないほど、精霊使いも頭をひねっている。
フランメ伯爵は精霊使いに問いかける。
「何か理由は考えられないか?」
「ノームを馬車に乗せ、こちらが地形を変えた場所に運んで対抗させる、でしょうか」
それはありそうだ。フランメ伯爵は伝令を本陣に走らせる。
「前例の無い動きだ、と付けるのを忘れるな」
その直後に次の伝令が駆けつけた。下馬せぬまま叫ぶ。
「伝令! 敵軍が前進を開始!」
王国軍本陣に前線から次々と伝令が駆けつける。
国王と幕僚らは、敵が動きだした事を知った。
テーブル上の地図に自軍と敵軍とを赤と黒の駒を置いてある。黒は自軍で中央、左右の三列陣。赤は敵軍、中央、左右の一列陣だ。
伝令の報告に従い赤の駒を動かす。三つとも、正面にいる黒い駒に向かってくるのだ。
「全面攻勢だと? 敵将は錯乱したか?」
国王のつぶやきが全員の共通認識だった。
ただでさえ数が少ない攻撃側が、わざわざ戦力を分散して正面全体に攻勢をかけているのだ。
自殺行為でしかない。
「いかがされます?」
臣下からの問いかけにアイゼン三世は答えた。
「各前線に伝えよ。油断なく、敵軍を殲滅せよと」
勝ち戦を意識して兵が命を惜しむ事くらいしか、もう懸念事項は無いように思えた。
王国軍中央第一陣のフランメ伯爵の元に、ノームからさらなる報告が来た。
「向こうのノーム、泥人形の中にいる。こっちに向かってくるのは全部そうみたい」
「泥人形……ゴーレムか」
ノームが操る泥人形をゴーレムと呼ぶ。
生物ではないから痛みを感じず死にもしない。矢で射られようが槍で突かれようが、平気で向かってくる。
盾として強力だが、ノームがかかりきりに欠点がある。
戦場でノームは落とし穴を掘ったり、あるいは埋めたりと、臨機応変に使うのが常道である。作業を終えればすぐ別の事に向かわせられるノームを、盾役だけで縛り付けるのは効率が悪い。
ともあれ敵陣にノームが少なかったことと、後方から来たノームが地上にいる謎は解けた。
フランメ伯が伝令を走らせた所に、斥候から伝令が駆けつけた。
「伝令! 敵軍の先頭にいるのは、巨人族です!」
「なんと!?」
「人間の四倍はある巨人が、確認しただけで十体以上。正面の敵の最前列は全て巨人です! 太鼓のような音は、連中の足音だったのです!」
「た、直ちに本陣に伝令を!」
巨人一人は兵何人分の働きをするだろうか?
それ以前に、巨人を前にどれほどの兵が士気を保っていられるか?
敵軍の前衛が全て巨人だとしたら、数的優位など覆されてしまう恐れがある。
フランメ伯の背筋が寒くなった。
王国軍の本陣は情報が錯綜していた。
「敵軍が巨人族を押してて来た」
「帝国がゴーレムを組織的に投入してきた」
この二つの報告がそれが中央、左右の全前線から寄せられたのだ。
それだけなら「敵が両方を投入した」に過ぎない。
だが巨人についてノームが一切報告しない事が国王や幕僚を混乱させていた。
「ノームが巨人を判別できなかったのではないか?」
王の問いかけに精霊使いが即答する。
「巨人のような重量物にノームが気付かないはずがありません」
「では巨人族との報告が間違いか?」
参謀が反論する。
「お恐れながら、巨大な人影を複数の斥候が目撃しています」
「ではノームが巨人の存在を報告しなかった事はどう説明する?」
精霊使いが思案してから、答えた。
「考えられますのは――」
朝霧が急激に薄れ、戦場の視界が開けた。
王国軍中央第一陣の騎士や兵たちが見た物は、地響きを立てて迫り来る巨大な泥人形――ゴーレムの数々であった。
目鼻立ちも無い、出来の悪い泥の塊である。ただし、大きさが人の四倍もあった。
一歩ごとに地響きを立てる巨大ゴーレムが、中央だけで二十五体、横一列になって進撃してくる。
その背後に穂先を煌めかせた帝国軍の本隊が続いていた。
本陣からの命令を待たずして、フランメ伯爵は命じた。
「迎撃せよ!」
弓隊が矢を一斉に放った。雨のような矢を浴びたゴーレムだが、速度を緩めず前進を続ける。無数の矢が刺さっても、痛痒も感じないのは明らかだ。
「精霊使い、ゴーレムの足を止めよ」
ノームが使える精霊使いはフランメ伯麾下に四人。ノームを放ってゴーレムの足下に落とし穴を掘り下げた。
ゴーレムが次々と足を穴に落とす。
だがしかし、片膝を着かせただけだった。
人間を想定した穴ではゴーレムを止めるには至らない。両手を着いて足を引き抜き、他のゴーレムに遅れるもすぐ前進を再開する。
ノーム四体が力を合わせ地割れを起こした。
だが、ゴーレムは簡単にまたいでしまった。
後方の帝国軍がゴーレムの頭越しに矢を放ってきた。
「シルフで矢を逸らせよ!」
風精使いがシルフを飛ばせる。強風で矢を流そうとしたが、敵のシルフたちがそれを邪魔する。風の大精霊グラン・シルフが戦場周辺のシルフを動員しているので、シルフの絶対数が違う。
無数の矢は風に妨げられる事もなく、王国軍の前衛に降り注いだ。
盾で庇うも、負傷者が続出する。
その間もゴーレムの進撃は緩まず、槍隊の正面に迫る。
「膝を狙え!」
「突撃!!」
雄叫びをあげて槍隊が突進した。
ゴーレムは足を止め、腕を振り下ろす。
巨大な拳を掻い潜り、ゴーレム一体に十人以上が槍を突き立てる。
しかしゴーレムは怯みもせず、足下を腕で払った。
一撃で槍はへし折れ、離れるのが遅れた兵を吹き飛ばした。
不自然に折れた体が宙に舞う。地面に落ちる前に死んだのは間違いない。
その無残な死が兵たちの心を折った。
次にゴーレムが足を踏み出したとき、槍隊は総崩れになった。
兵たちは振り回される拳を避け闇雲に逃げる。中には避けたとは別のゴーレムの拳に殴られ吹き飛ぶ者も。
半分潰れた死体が別の兵にぶつかり薙ぎ倒す。
転んだ兵は容赦なく踏み潰された。
騎士が槍を構えて突撃するが、馬が怯えてゴーレムに近づけもしない。
火の精霊サラマンダーが炎を上げてゴーレムに絡みついた。
火を纏う人影が先程刺さった矢や槍の柄を燃やすが、ゴーレムは平気で暴れ続ける。
可燃物が無くなったゴーレムからサラマンダーは虚しく離れた。
「ゴーレムに弱点は無いのか!?」
フランメ伯に怒鳴られた精霊使いは、唯一の弱点を口にした。
「ゴーレム製作には呪符が欠かせません。それを剥がすなり破るなりすれば、動きを止められます」
「それはどこにある?」
「通常は額に貼りますが、見当たらないので別の場所でしょう」
「場所に心当たりは無いのか?」
「確実に言えるのは『表面ではない』です。それなら先程のサラマンダーによる攻撃で焼かれたはずです。しかし効果はありませんでした。ならば体内しか考えられません」
「体内にある呪符を、どうやって破るのだ? その前に、どうやって見つける?」
「体を破壊しない限り、破壊はおろか発見も不可能です」
「打つ手……無しか」
ゴーレムは槍隊を蹴散らし、弓隊へと迫っていた。
「やむを得ん、後退だ!」
フランメ伯爵は決断した。
ゴーレムに有効な対策が無い以上、留まったところで無駄に兵を失うだけである。
「騎兵は敵陣を迂回して背後から攻撃せよ」
騎士や従者ら騎馬の戦力が左右に分かれる。
だが、そこで彼らが目にしたのは、帝国軍の左右両翼の端まで並ぶ巨大ゴーレムであった。
本陣が状況を把握したとき、既に第一陣は後退を始めていた。
巨大なゴーレム五十体によって前線は崩壊している。
アイゼン王は歯がみした。
「まさか、あれほど巨大なゴーレムを、しかも五十も使うとは」
本来なら自殺行為となる少数による全面攻撃だが、巨大ゴーレムが常識を覆した。
歴戦の将兵たちが為す術なく蹂躙され、撤退を強いられているのだ。
このままではシュタール王国軍が敗走するのは時間の問題である。
「あれを、どうにかする方法は無いのか?」
国王の問いかけに精霊使いの司は首を振った。
「場所がいけません。これが谷間なら落石や濁流によってゴーレムを破壊できましょう。しかし平原であの大質量を破壊するのは、土の大精霊をもってしても難しいでしょう」
「そなたが使える大精霊は水だったな?」
「はい。グラン・ウンディーネです。しかし、これだけ平らですと水を流したところで膝下を洗うがせいぜい。地形の助け無しでは威力が出ないのです」
「打つ手は無いのか?」
王は幕僚を見回した。領主や騎士の目から力が失せている。嘆息するしかない。
「無念だが、現状では巨大ゴーレムに対抗する術が無い。無為に兵を失う愚を避けるべく、全軍を撤退させよ」
こうして払暁に始まった戦闘は太陽が昇る前に決した。
シュタール王国軍が撤退する平原を、五十のゴーレムが地響きを立て進む。
朝日が昇り、それらの姿を照らした。
巨大ゴーレムたちの影が長く長く、平原を覆うかのように伸びている。
時に天歴九百十六年九月十五日。
三年目に突入した長き戦を「ゴーレム大戦」と命名させた、歴史の転換点の日であった。
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