スイーツ戦争
「ねえねえ、おじいちゃん」
「ん。どうしたんじゃ?」
小さなキッチンにある椅子に腰掛け本を読む老人に、少年が話しかけた。
「今日さ、学校で歴史の授業があったんだけどさ、その時『スイーツショック』って習ったんだけど、おじいちゃん知ってる?」
「ああ、もちろん。知っとるよ」
本を閉じ、立派な髭を弄りながら答える老人。
「ほんと!? じゃあ教えてよ! 学校だとあんまり教えてくんないんだもん」
不満そうに口にする少年。
「そうかそうかぁ。ならすこし昔の話をしようか。……あれはもう60年くらい前のことじゃな――」
主食である麦類に感染する新種の疫病が確認された。さらに新型の口蹄疫に鳥インフルエンザの流行、サトウキビの害虫――ガの一種の幼虫――が気温上昇と共に各国で大繁殖してしまった。その影響で麦類・牛乳・卵・砂糖の収穫量が著しく減ってしまった。各国が対策を打ち出す頃には時すでに遅く、これ以上被害を出さないようにする現状維持が精一杯だった。
しかし、一応生産はされているし野菜も肉も魚も採れるので、今のところ人類の危機というほどではなかった。
最も影響を受けていたのは人類の中でも“甘党”の人々だった。
麦がなければスポンジ生地もホットケーキミックスも作れない。牛乳は生クリームにもバターにも必要だし、卵は生地作りにはもちろん、プリンにも必要不可欠だ。当然、砂糖は全ての甘味に使われている。
後の「スイーツショック」とはこれを指す。
困る世界中のスイーツ業界。
顧客の甘党達も日に日に不足していく糖分を求めて町中を彷徨った。だが急激な消費が拍車をかけ、各材料はその国中のキッチンから蒸気のように消え失せた。
いや、正確に言えばまだ残りはあった。
ただそれは主食やおかず用だったのだ。麦があればパンが焼けるし麺も作れる。卵も牛乳も砂糖も色んな料理に使えるだろう。それぞれが食卓で必要とされていた。少ない流通分は国の統制下に置かれ、緊急の備蓄用として倉庫も作られた。
が、そこに待ったを掛ける者達がいた。例の“甘党”だ。
彼らはネット上で呼びかけあい、こう主張した。
「生物は食べなければ生きてはいけない。人は雑食であるから何でも食べて生きている。しかし! われわれ甘党は『スイーツ』を食べなければ生きていけないのだ! フルーツじゃ駄目だ。砂糖の純粋な甘さと、小麦のフワフワ食感と、濃厚な牛乳と、全てを調和させる卵がなければ生きていけないんだ!!」
日を追うごとに賛同を増やす彼らは、やがて国を超えて結束し出す。ネット上でたった数人から始まったこの運動は1ヶ月後には100万人を越える集団に膨れあがった。その中には芸能人、アーティスト、有力な政治家など各界の著名人も少なくなかった。
そして数が増えれば勢いも増す。
彼らは自分たちを「スイーツ解放同盟=Sweets Liberation Alliance」と名乗り、現実でのデモ運動を活発化させた。
それでも彼らにとって事態は好転しなかった。
各国政府は不足する4品を、スイーツよりも広く人々が食べられる一般的な料理への使用を推奨した。反対にSLAの活動を「人々をいたずらに扇動する馬鹿げた行為だ」と批判した。
真っ向から対立する両者。もはや分断は避けられないところまで来ていた。
スイーツショックから半年後、そしてSLAが大規模抗議を始めてから3ヶ月後のこの日。300万人を越えた彼らはついに各国政府と国連に向けて宣戦布告した。
これがいわゆる「第一次世界スイーツ大戦」の開戦である。
主要国の国会前や政府関連施設前に両者の兵が集った。SLA側は計100万人、対する連合国軍側は銃火器による武装兵だけで計200万人以上が動員された。
SLAがいくら人を集めようが相手はこの“世界”そのもの。力も頭脳も経験も、強みの人数だって見るまでもなく彼らが不利であった。勝敗はすぐに決すると思われた。
……彼らはそんなに甘くはなかった。
宣戦布告前、SLAは綿密な作戦会議で「真っ向からぶつかれば負けるのは必至」と冷静に判断。そこで奇襲を計画していた。
味方にいる大国の軍事関係者を中心として戦闘部隊と工作部隊を組織して、事前に世界中の主要都市の国家食料倉庫に根回しをしていた。
戦いが始まると同時に倉庫の地下が爆破。用意周到に掘られた地下坑道から根こそぎ目的の4品を次々と掻っ攫っていった。倉庫の警備兵は買収済という隙の無い作戦だった。
完全に不意を突かれた政府と連合国軍。
いくらSLAが武力行使をすると宣言しても自国民もいるため、最初から殺そうとは考えていなかった。多少の犠牲はやむを得ないが、数と技術で圧倒すれば全て鎮圧できる、そしてこの抗議活動を収束させられればと、端から舐めていた。
一瞬の決着に前線部隊はため息をつき、司令部は机を叩くことしかできなかった。
たった3時間の世界大戦。打ちのめした世界を尻目にSLAのメンバー達は歓喜と興奮のスイーツ作りパーティを行なった。数ヶ月ぶりの甘みが全身の細胞一つ一つに染み渡る。彼らは一晩中笑いと涙に包まれた。
だが彼らの至福の時は長く続かなかった。
国が管理する4品の喪失が今度は一般の食卓を直撃した。結果SLAに対する反対デモが沸き起こったのだ。
そしてデモ団体の中から“パン派”と“麺派”が誕生した。両者はそれぞれ別組織だが共通してSLAから小麦や卵を奪い返そうと戦いを始めた。
さらに対立する三者から次々と分裂しては“ケーキ派”、“食パン派”、“ラーメン派”などの新勢力が現れて、当時の争いは終わりの見えない混迷を極めていった。
「――これ以上は長くなるから、まあこんなものじゃな。どうだわかったかの?」
メガネをくいっと眉間に押さながら老人は言った。
「へーそんなことがあったんだね! ぼく全然知らなかった! なんか先生、ぼくが質問しても答えてくれなかったんだ~、なんでだろう?」
今日の学校でのことを話す少年。
老人はその疑問を解消しようと答えた。
「わはは。それはな、学校の先生は今の政治や戦争について生徒に『これが良い・悪い』みたいな偏った意見を言ってはいけない決まりがあるんじゃよ」
「え? どういうこと?」
少年はまだ言っている意味がよくわからなかったようだ。
老人はもう少し詳しく言葉にしようとした。
チリリリン。
軽妙な音が鳴り響いた。
「おおっと、ちょうど焼けたようじゃ。お前も食べるか?」
老人はよいしょっと重い腰を上げた。
「うん! 食べたい!」
少年は興味が移ったのか、その提案に大いに喜んだ。
老人はキッチンの下部に備え付けられたダッチオーブンを開けた。
湯気が昇るその奥からミトンをつけたしわがれた腕で中身を取り出す。
「ほれ、わし特製のマフィンじゃ。熱いから気をつけるんじゃぞ」
トレイに乗せられたきつね色の焼き菓子。
「おじいちゃんのマフィン、おいしいから大好き!」
少年からの嬉しい言葉に老人も笑顔になる。
しかしすぐに真面目な顔に戻って、こう言った。
「それはよかった。じゃがな、今これが食べられるのもわしら“マフィン派”が今年の第七十三次大戦を勝ち抜いたおかげなんじゃ。感謝して食べるんじゃぞ」
「うん! ありがとうおじいちゃん!」
むしゃむしゃとマフィンを食べながら少年は、大きくなったら自分も“マフィン派”に入ろうと決意するのだった。
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