一石二鳥

 ここは築50年のぼろアパート。


家賃2万で駅から徒歩30分で近くにはコンビニすらない。


おまけに今日は大雨のせいで、あちこち雨漏りがしている。


できることなら住むのは避けたい物件だが、住民の男には根本的に問題があった。


 理由は単純、お金がないのだ。工場の派遣社員には辛い世の中である。


 


 30歳独身の男は5年ほどこの4畳ワンルームで暮らしている。


とはいえキッチン、風呂、トイレが完備で押し入れ収納もある。


それでいて家賃2万なのだから雨漏りの文句は言えまい。


 事実、男も部屋そのものに不満は無かった。


 今、男が最も頭を抱える問題は、まず食事だ。


 


「またもやし炒めかぁ……」


 ついぼやいてしまうのも仕方ない。


すでに3週間連続もやし料理ばかりが食卓に並んでいる。


ダイエットには向いているかも知れないが、朝から晩まで身体を酷使する男の職業にとっては苦痛以外の何物でも無い。


 日に日に体重が減っているのが目に見えてわかる。


頬がこけ、全体的に骨の形が目立つ。


筋肉をつけたいが、きちんとした栄養を摂らないとそれも夢の話。


 肉や魚も食べたいが、甘党の男にとって長期間の糖分不足は深刻な問題だった。


 加えて男には体調を悪化させる要因がもう一つ。


両目の下にくっきり染みついた”くま”。そう、圧倒的な睡眠不足だ。


空腹のせいか、ストレスのせいか、1ヶ月前から続く原因不明の不眠症。


最近は日中の仕事にも影響が出ているため、早急に改善したい。


しかし、仕事が忙しく休みも取れない。


一つ一つの問題が積み重なって、身体が崩壊するんじゃないかと男は本気で心配していた。


「ごちそうさま」


 そんなことを考えながら、小さなテーブルに載った質素な食事を食べ終え、流し台で洗う。


 はあ、と手を動かしながらため息が漏れ出す。


幸せが逃げるなんてよく言われるが、ため息をするから不幸になるんじゃなくて、不幸になるからため息が出るのだ。


 時計の針は午後9時を回った。この後やることといえば、歯を磨き、風呂に入って寝ることだけだ。


それが男のいつもの習慣なのだ。


 洗面所で手早く歯磨き、そして入浴を済ませる。


残すは明日の労働に備え、早寝するだけだ――全然寝付けないが……。


押し入れから布団を引っ張り出して畳に敷く。


「ピンポーン」


 


 それはあまりにも突然だった。


 思わず身体が硬直する男。


 普段、呼び鈴なんてほとんど鳴ることがないからだ。


 


 やや警戒気味に玄関に近づいてく。扉の向こうに誰がいるだろうか。


新聞の勧誘?こんな夜には来ないだろう。


通販の配達?金がないのに注文する品がない。


家族や友人?親は何年も会ってないし、友人なんてほぼいない。


 心当たりが浮かばないまま、ドアの前までやってきた。


音が出ないように、そっとのぞき穴から様子をうかがう。


雨中の暗闇、切れかけた電球に照らされた古くさい廊下が見える。


が、他に人影は見えない。イタズラだろうか。


だとしたら腹立たしいほど迷惑な話だ。


 一応確認、と男はドアを開けた。ギイィッ、左右を確認しても誰もいない。やっぱりイタズラか、そう思いドアを閉めかけた時、


「おおおあ!!」


 目線の下に正体がいた。


 竹?で編んだ笠を被り、継ぎ接ぎだらけの木綿服を身にまとい、わらじの草履を履いた、小学校低学年くらいの幼い少女がいた。


ひどく前時代的な格好をしている。


そんな笠でこの大雨を防げるわけがない。全身がびしょ濡れだった。


「あの、どちら様……?」


 怖さより不憫さが勝った。男は声を掛けた。 


「…………」


「何か用?どこから来たの?」


「…………」


「あ~……君何しに来たの。」


「…………」


 無言。このままでは埒があかない。


とはいえ雨に濡れた子供を放っておくのもばつが悪い。


幼女はじっと男の顔を見ていた。


今にも泣いてしまうんじゃないかと不安になるほど潤んだ瞳。そんな目で上目遣いは卑怯だ。


 それに――


「ねえ、その手に持ってる箱は何?」


 幼女の手にはその華奢な体の幅より一回り大きな段ボール箱が収まっていた。


見たところ中身は空ではなさそうだ。


箱と一緒に濡れた両手が小刻みに震えていた。彼女にはずいぶん重そうだ。


「……っ!ああもう。とりあえず入りなよ、中で話聞くから。まずは風呂でも入ったほうがいい」


 男は見事、根負けした。


 しかし、幼女の入浴中、ことの重大さに気付いた。


「俺は大変なことをしてしまったんじゃ……。このご時世、見ず知らずの子供をこんな夜更けに家に連れ込むなんて、誰かに知られたら――」


 嘆いても後の祭りだ。


 適当に服を見繕って、さっぱりした幼女と机を挟んで床に座った。


「……で。そろそろ話してくれないか?ここに来て理由を」


「これ、あげる」


「その段ボールを?」


 幼女はこくん、と首を動かした。 


 弱々しくも強目の語気。


 そして初対面の人物からの贈り物。


 その相手がいくら子供だとしても不信感はぬぐえない。


「はあ。てか中身は何よ」


 そう言われると、幼女は無言で箱を開け始めた。


濡れた段ボールはテープを剥がすと一緒に破れた。


おかげで中身はすぐ露わになった。男は身を乗り出し中を覗く。


「全部リンゴ……?」


 どんな怪しい物が詰まっているか心配したが、なんてことはない。


真っ赤に熟した丸々膨らむリンゴがぎっしり30個ほど入っていた。


「なんでこれを俺に?」


「お腹減ってて、眠そうだから」


「え!?いや確かにそうだけど、なんで君が知ってるの?」


「…………」


 肝心なところは無言を貫く幼女。


どうやっても自身に関することは明かさないらしい。


とにかくこっちの事情は筒抜けみたいだ。


「まあいいや。でもお腹減ってるからリンゴはわかるけど、眠そうだからリンゴっていうのは……?」


「食べて」


「へ?」


「今食べてみて」


 可愛らしい声に似合わず、押しが強い。


 己の腹を確認、もやししか入っていない胃は、すぐそこにある赤い実を欲している。


「じゃ……いただきます」


 段ボールから1個取り出し、かじりついた。果汁が口に広がる。


「うまい!!めっちゃ甘い!」


 必死にほおばる男。


いつぶりだろうか、こんなに甘いものを食べたのは。


心に充足感が広がり、疲れが減っていく。


それに、不思議と眠気も出てきて――


「あ、れ?」


 リンゴの中に引きずり込まれたかと思った。


 男はそのまま後ろに倒れ、仰向けに夢の世界へ旅立った。


 



「ふぁ~。あーよく寝た……」


 1ヶ月ぶりの心地よい目覚めを感じた。


「すっきりした……え、すっきり?」


 視界は良好。


 幼女も消え、1人きりの4畳の自室がいつもより広くなった気がする。


否、気のせいではなく事実広くなっていた。


「おいおいおいおい!!」


 何もないのだ。


小さい机もボロい冷蔵庫もトイレットペーパーも押し入れの布団も、全てが一夜にして煙のように消えた。


 空の部屋には唯一の名残、リンゴでいっぱいの段ボールだけ。


「………………」


 唖然とする男。


 犯人はあの幼女だろうか。


人間には到底不可能に思える所行だが、不思議な雰囲気のあの子ならできそうな気もする。


 


 だが、家財道具がなくなり仕事も遅刻だ。


 これからどうすればいいのか。



「まあ、どうにかなるか」



 金銭問題は解決してないが、食料と睡眠という大きな問題が2つも解決したのだ。



 男はリンゴをかじって、再び、あまいあまい眠りについた。

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