Moment

増田朋美

第一章

Moment

第一章

ある日、ブッチャーが、買い物に出かけたところ、丁度食品売り場に杉三が来ていた。

「なあおばちゃんよ。ちょっとその上にある焼き肉のたれを取ってもらえんだろうか。僕、ごらんのとおり、車いすだもんで、届かないのさ。」

と、隣にいた店員のおばさんに声をかける杉三であったが、店員のおばさんは、無視していってしまうのであった。

「おい、取ってもらえんだろうか。」

杉三は、そういうのだが、誰もみなその問に、こたえてくれようとはしなかったのだった。誰も車いすの杉三の事なんて、見向きもしないで通り過ぎてしまう。

「あーあ、困ったなあ。それでは味なしの焼き肉か。それって本当に味気ないな。」

杉三は、でっかいため息をついた。

「結局、誰もみな余裕がないって事だね。」

杉三は、がっかりして、車いすを動かし始めた。周りには、沢山の人が歩いているのに、杉三の方なんて見向きもしない。みんな、困っている杉三を放置して、自分の事ばかり悩んでいる様なのだ。近頃、障害のある人が、家族とか、身内の人を大量に殺害する事件も多発しているので、そういう人に近寄らないという風潮もあるだろう。其れはある意味、安全性の確保という事に関しては解決するといえるのだが、そうなると、また別の問題もあるのではないかと思われる。

「おーい、杉ちゃん。」

ブッチャーは、そう、杉ちゃんに声をかけた。

「何をかいに来たんだよ?」

「ああ、焼き肉のたれを買いに来たのさ。と思ったら、あんな高いところにあって、届かないんだよ。」

杉三は、苦笑いしてわざと明るくそういった。たしかにブッチャーの背丈位あれば、すぐに届く高さなのだが、杉三に取っては、届かないのである。

「ああ、之か。杉ちゃん、甘口辛口とあるが、どうするんだ?」

「おう、辛口で頼む。」

という杉ちゃんであったが、ちょっとばかり言葉に覇気がなかった。

「気にするなよ。杉ちゃん。もうこういうことは何処でもあるんだから、もう気にしないでさ、早くお金を払って、買ってきな。」

「そうだねえ。でも、少なくともフランスでは、僕たちみたいな人でも届くように、高さを低くしてくれてある、店もあったけどね。」

ブッチャーがそういうと、杉三は、そう返した。

「まあいいか、郷に入っては郷に従えだよな。この店は、カードを使えるんだろうか?」

「ああ、使えるよ。スイカでも払えるよ。」

小さくため息をついて、杉三が聞くのでブッチャーはそう返した。

「そうかそうか。日本はそこらへんがしっかりしているからまだ良しとしような。フランスでは、現金ばっかりで、こういうカードを使える事はないからなあ。」

「杉ちゃん。」

ブッチャーは、そういう杉三が、何だか可哀そうだなあと思った。そういうことをして無理やり納得させて、なんとか生きているのであると思われる。

「よし、帰ろうぜ。ブッチャーさ、悪いけど、金を支払って来るから、一緒に来てくれるか。僕、カードの残額計算できないからさ。よろしく頼むよ。もし足りなかったら、心配だからさ。」

「わかったよ。杉ちゃん。付き合うよ。」

杉三にそういわれて、ブッチャーは、そう返した。杉ちゃんも可哀そうだから、という気持を持ってはいけないのか、其れはわからなかったが、とにかく今は、こういう人に対して、冷たくあしらう店員が腹立たしいのと、無理やりカードの支払が出来る事にかこつけて喜んでいる杉三に対する思いで一杯だったのである。

「じゃあ、レジ行こうか。」

ブッチャーは杉三の車いすを押した。レジは混雑していなかったので、杉三たちは、すぐに支払がッできた。カードの残額も十分残っていた。

「杉ちゃん、この後、家に帰るのか?」

ブッチャーは、ふいに聞く。

「ああ、この後特に用があるわけでも無し、家に帰るよ。」

「じゃあさ、杉ちゃん。俺の家に来ないか?」

ふいにブッチャーはそんなことをいった。なぜかそんな言葉がでてしまった。ブッチャーは、今日可哀そうな思いをした杉三を、何とか慰めてやりたいと思ってしまったのだろうか。其れとも、何だろう、よくわからないけれど、そういってしまったのである。

「ああそうか、ありがとうな。お前さんに助けてもらった以上お礼しなきゃならんな。よし、お前さんの家に、フライパンはあるか?そこでお前さんと一緒に焼き肉しようか。」

「お、ありがたいねえ。杉ちゃんの料理は、いつもうまいからよ。それでは、思いっきりごちそうになるよ。そうするんだったら、フライパンより、ホットプレートを使った方がいいだろう。たしかうちにしまって置いた筈だから、一寸探してみるよ。」

「そんな贅沢はしなくていい。フライパンさえあればそれで十分さ。」

ブッチャーの心遣いに、杉三はにこやかに笑った。ブッチャーも、杉三の顔に納得して、そうするかとにこやかにわらった。

「それでは、俺の家で、焼き肉パーティーと行くか。今日は、杉ちゃん特製のうまい焼き肉が食べられる。」

二人は、スーパーマーケットを出て、タクシーに乗ってブッチャーの家に向かったのであった。ブッチャーの家は、まだ明かりがつくのには早い時刻であるはずなのに、明かりがついていた。入ってみると、有希が台所で何かしている。

「あれ、もう姉ちゃん帰ってきたの?たしか、今日は、病院に行って、遅くなるはずではなかった?」

と、ブッチャーが尋ねると、

「お帰り聰。今、冷蔵庫からカボチャ出して煮ておいた。ご飯も炊いて置いたから、もう食べてくれていいわよ。」

と、台所から有希がそういった。部屋は、カボチャの匂いが充満している。と、同時に炊飯器が稼働している音が聞こえてきた。

「おい姉ちゃん。メール送っておいただろ?今日は、杉ちゃんと、一緒に焼き肉しようって、いった筈何だけどな。」

ブッチャーがそういうと、有希はこまった顔をした。

「だから、あんたたちが、焼き肉を少しでも楽に食べられるように、作って置いたのよ。」

「余計なお節介するなよ。姉ちゃんは家でまっててくれればそれでいいとメールした筈なのに、見てなかったのかい?」

「おいおい、ちょっと待て。」

ブッチャーの話に、杉三が割って入った。

「一体どういう取り決めだったんだ?僕たちが、焼き肉を作ろうと言った時、ブッチャーはお姉さんに連絡しておいたのか?」

「ああ、帰りのタクシーの中で、俺は姉ちゃんにメールしておいたんだ。今日は杉ちゃんが、焼き肉を作ってくれるから、姉ちゃんはご飯を作るなんてしなくていいからな、と。」

「で、お姉さんはそれを受け取った?」

「知らないわよ。電車の中でも、スマートフォンは鳴らなかったわ。」


杉三がそう聞くと、有希はそうこたえた。

「一寸みせてみな。」

ブッチャーが、姉のスマートフォンを取る。

「あ、これでは、LTE通信が入ってないよ。外へ出たら、Wi-Fiではなくて、LTE通信に切り替えなきゃ。それで、俺のメールが、受信出来ない状態だったんだな。これでは連絡がつかない訳だ。」

「待ってよ、LTEはお金がかかるから、付けてはいけないって言ったの聰でしょ。」

ブッチャーは原因を明らかにしたが、有希はそういうのだった。たしかにLTEはお金がかかるといわれるが、それがないと、そとではインターネットが出来なくなってしまうというのもたしかである。

「姉ちゃん。LTEをちゃんと付けておいてくれ。そうでないと、こういう連絡をしたときに困ってしまう。たしかにお金はかかるけど、うちの家は其れさえも払えないほど、貧困家庭ではないぞ。」

「何を言っているの。だってお金がないないばかりで、少しでも節約してって言ってたじゃないの。」

「其れとこれとは話が別だよ。とにかく俺のうちは、そんな物が払えないほど貧乏ではないんだよ。それを、勘違いしないでくれよ。」

「分かんないわよ!そんなこと言ったって!」

有希は、頭が混乱してしまったらしく、持っていた、菜箸を、放り投げた。其れは、杉三の顔にべしっと当たる。

「一寸、杉ちゃんにまで、被害を出さないでくれよ!」

ブッチャーが注意しても、こうなってしまった有希を止めることはできない。大声でワーッと叫びながら鍋の中身をゆかへぶちまける。

「おい、何をするんだよ!せっかく作ったのに勿体ないじゃないかよ!」

「何よ。お金がないくせに、焼き肉何て、そんなもの作ってんじゃないわよ!」

「ああ。まて待て。要するにだなあ。」

ブッチャーが有希をしかりつけると、杉三が、又割って入った。

「こういう時はな、お姉ちゃんのしたことを悪事だと決めつけてはだめだよ。だって、そういう事しか出来ないんだもん。其れより、そういう事に踏み切った理由をしゃべらせろ。」

「杉ちゃん、そういう事じゃなくてさ。」

ブッチャーは困ってしまったようだ。

「もうしょうがないな。じゃ、僕がやるよ。おい。ブッチャーの姉ちゃんよ。おまえさんはどうしてそんなに騒いでしまったんだ?」

杉三は、淡々と言った。別にどちらの味方でもないという口調だった。

「わからなかったのよ。」

有希は、杉ちゃんの問いかけに答えた。こういう時に、家族ではなく他人に何とかしてもらうほうが、効率がいいのかもしれない。

「わからないって何がだ?」

杉三がもう一回聞く。

有希は、焦点の定まらない目で、天井を見つめた。この有様をブッチャーは申し訳なさそうな顔で見つめていた。

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