第242話:『縛の主』夢筒縛


 辺りを見渡す。


 ここはどこだ?

 いつもの牛乳瓶はどこにいった。


 いや牛乳瓶ゆめづつ ばくはいる。

 目の前に。


 見て、違和感を覚えた。

 それは牛乳瓶が牛乳瓶の眼鏡をしていないからとも思ったが、そういう話ではなない。

 牛乳瓶は枢機卿との戦いでどこかへ飛んでいったのだろうと思うのが妥当だ。部屋の外は破砕と破壊に溢れていて、研究所であったそこは見る影もない。

 超常的な力を持つ者同士が戦うと人が作った物質は簡単に壊れる、壊そうと思えばいくらでも壊せるといういい例であると思える程だ。


 違う。

 そんなところじゃない。

 これは、根本的なまでな違和感だ。


「なぜ……だ?」

「こちらが聞きたい」


 牛乳瓶――夢筒縛には確かに聞かれても分からない話だろう。

 いくら頭が良くても、今起きている事象は初めて見るだろうし、その事象を知りたくて先の俺への質問になるのだろうから。



 だが、なぜ。

 俺は、夢筒縛を見て――



「怒りを、覚えない?」

「ん?……なんだ。お主は我に怒りを覚えていたのか。まさか、それがこの理由か」


 ――なぜ、怒りを覚えて。


 やり直しを、しない?




 わなわなと、体を震わせてしまう。


 やり直しが出来ていないなら、冬はどこへ消えた?

 あの光がやり直しの光なら、冬はやり直しができているはずだ。出来ていないなら冬はどこへ消えた。

 いや、出来ていたと仮定する。

 仮定した場合、ここに残っている俺はなんだ。

 俺はやり直しをしなかった。

 つまり、残留思念の冬が行ったことは、まさか、俺ではなく冬をやり直しの先へ戻す弄り方をした?

 自分を助けるために? 俺をここに置いて?


 まさか、あいつは……










       俺を、裏切った……?













「……察するに」


 その声に、びくっと震えてしまった。

 俺の思考を遮るように聞こえた声は、目の前の夢筒縛から聞こえた声だ。


「お主は、『苗床』を助けに来たわけでない、と我は思う」


 今まで聞くだけで怒りを感じてしまっていたその声は、俺の心にすんなりと侵入を果たす。

 久しぶりに聞いたかのようなその声は、染み入るように俺の中へと入り込んでは、その声に親しみをもたらした。



 ……ああ、そうだ。

 俺が記憶として残っている中で、最初に夢筒縛と会った時に聞いていたあの時と同じ声だ。


 まるで、俺のことを息子のように親しみ、慈しむような、それが伝わってくるかのような声。


「……『B』室を、どうしても助けたかった。いや、違うな。そうであれば、我に言えばいいはずだ。だが言わなかった。それはなぜだ? ん? そもそもなぜ我はお主に嫌われる? 我はお主に怒りを覚えられるようなことをした記憶は――……あるな。現に奴隷を殺しておるわ。だが、それとは別の意味で、怒りを覚えないと言ったと考えるべきか――」


 夢筒縛は、自問自答を繰り返す。

 俺は俺で、何があったのか自問自答する。


 俺はどうしてここにいる。

 どうして冬がいなくなった?


 やり直した。それは間違いないだろう。


 裏切った、とさっきは思った。

 だが、裏切ったのであれば、それこそ水無月スズを連れて行くはずだ。


 まさか水無月スズそのものが冬にとってどうでもいい存在だったとかであれば一人だけやり直しをしたのも分かる。

 水無月スズがあいつにとってどれだけの存在だったか、そんなことを考えるまでもない。

 であれば、裏切ったというわけではない。


 本当に、あいつは、やり直しをしたのだろう。


 では、なぜ。

 俺はここに、いる……?


 一人しか、やり直しが、できなかった。

 そう考えることが正しい気もしてきた。


「……なんにせよ。我の計画の邪魔をなぜしたのか、というところを聞きたいのではあるのだが……」

「……お前の計画は……水無月スズを使って世界を支配するだけだろう」


 夢筒縛は、これから先、素体を大量に量産し、『世界樹の尖兵』とし、裏世界を蹂躙する。

 そして表世界をも蹂躙し、人を枢機卿で管理して、世界を牛耳る。


「世界の支配……?」

「お前は、これから先、『世界樹の尖兵』をどうする気だ」

「『世界樹の尖兵』……ふむ」


 どうでもいい。

 冬が裏切っていようが、俺がここにいる理由はどうであれ。


 俺が、やり直しの枠から外れたのなら。

 夢筒縛に怒りを覚えなくなったのであれば。


 ここで、聞けるだけ聞いて、すっきりさせてから死ぬとしよう。


 俺は床に倒れたままのチヨの体を抱きしめた。

 すでに体は冷たくなっていて、どう見ても死んでいることが分かる。


 これでもう、俺はチヨに会うこともなければ、生きているチヨをみることがなくなったわけだ。


「そのような名前をつけるのも、いいかもしれぬな。お主が名付け親というのもまたいい」

「……?」

「ん? 何を驚いている。確かに、我は『苗床』を使って今お主が名付けた『世界樹の尖兵』なる我の兵士を作ろうと画策しておる。だが、それがなぜ悪の組織のような世界の支配に繋がる?」


 見てきたから。

 世界の支配に繋がるその光景を。

 これから先に起きる結末を、俺は見てきたから。


 そう言ってしまえば楽なのかもしれない。


 いや、もう言ってもいいのか?

 楽になれるのなら。

 俺がここで、夢筒縛に言えば、いいのではないか?


「……俺が――」

「我が、この世界の支配者、か……なるほど。それなら我は、あやつを、超えられるということか」

「……あいつ……?」

「なにを驚く。……ああ、そうだったな。お主は、記憶がないのだったな。そうか。『B』室も。あれも記憶をなくしている様子だった。つまりは……覚えていない、というわけだな?」

「……?」

「そうすると。あれもまた、演技ではなかった、ということか」


 なにを、言っている?


「であれば、我に歯向かったのも、あれは自分の意志となるわけか。……相変わらず面白いやつだ。以前の戦いの最中でも面白いことをしてのけた。だから今があるのだがな」


 記憶がないことを、どうして夢筒縛が気にするのだ。

 俺の、俺達の知らないその記憶に、なにがあったのか。夢筒縛――『縛の主』にそこまで言わせる程の何かがあった。それだけは分かる。残留思念の冬にもっと聞いておけばよかったと思うが、時間がなさすぎた。


「……そうか。なるほど。つまり、お主と『B』室は……」


 そう言えば俺は。

 どこまで言っても、常に時間に追われているな。と。


 久しぶりに、笑いが込み上げてきたが、この笑いは俺自身の嘲笑なのか、それとも夢筒縛が言葉にして考え込んでいることに対しての理解が追いつかないことから出た笑いなのか。


「いや、お主は。やり直しを繰り返しているのだな?」

「っ!?」


 理解が、追いつかない笑い。なのだろうと、その言葉だけで理解できた。


「そうするとお主の先程の行動からして。『B』室を送り込んだのは初めてといったところか。なるほど。お主はどれほどやり直しを経験し今に至ったのだ?」

「なぜ……?」



 やり直しができることは、夢筒縛は分かっていた。

 だから俺を取り込もうとした。

 だから俺と水無月スズを取り込んで、あらゆる世界の支配を企もうとした。



 俺は、そう考えていた。



「やり直しができている。なるほど。であれば、あやつに我は勝てたのか、もしかすると、今この時なのかもしれぬな。我が世界を支配していると言うのなら、恐らくはその先への対処への結果だった、と考えるのが筋ではあると思うのだが」

「……なんだ。何の話を、している……?」

「ふぅむ。やはり覚えていないというのは難儀だな。我もあやつに何度か襲われ逃げ続けられてはいるが、いつ倒されるか分からぬからな。だからこそ、お主が見た世界で、我があやつに勝てていた、というのであればいいのだが。負けていた、という可能性も否定できぬか。いやそちらのほうが濃厚である、か」

「あやつ……とは、なんだ?」


 違う? いや、俺は夢筒縛から何度も聞いているではないか。


「うん? あやつとは――」


 世界を支配すると。実際本人から聞いているのだから。

 それが目的のはずだ。



「――、――だ」




 ……誰だ。

 それは、誰のことだ。




 俺は、自分の思っていたことが全て違っていたのではないかと、くらりと眩暈を覚えた。


 だがそれは眩暈ではないと気づいた。

 なぜならそれは、


 世界――俺がいるこの場が、揺れたからだ。

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