第222話:『焔』を纏いて 5


「――っ! ――――!?」


 悲痛な声が聞こえた気がした。


 なんやねん、眠いから眠らせてくれへんか。


 そう思い、その声の主を確認しようとするが、目の前は真っ暗。おまけに少しずつその声も聞こえにくくはなるし、辺りは別の気配にあふれ出している。


 本当に何が起きてるのか。


 勘弁してくれへんかとため息をつこうにも体は動いてくれない。

 何かあったっけか? そう思って自分がなんで眠いかを考えてみる。


「――ったいに、――せないっ!」


 なんや。

 この声、雫やん。


 薄れていく意識の中で、その怒声のような声を張り上げているのが自分の恋人だったことに気づく。

 それとともに、少しずつ記憶が蘇ってくる。


 『久遠』。

 その名前に反応したのは自分だけであればこんなにも複雑ではなかったんだろうと思う。


 結局、傍におったんかい。


 なんて、先の衝撃の事実を思い出して呆れてしまう。


 自分が裏世界に訪れた理由。

 それは同期の冬と同じく、人探しのようなものである。

 冬自身は裏世界に探し人である姉がいると確信した上で裏世界に訪れている。冬の姉――永遠名雪は『運送屋プレゼンター』に売られて裏世界へと連れて行かれたという事実があるためであるのだが、自分は、自分を含めて致命傷を負って唯一生き残り、記憶さえ大半を忘れてしまい、家族が死んだ真相と、死体の数から家族の誰かが生きている可能性があり、それらを見つけるための裏世界への進出だった。


 その生き残りの手がかりがまったくないままに裏世界で生きてきた。

 この局面で、冬は姉と再会し、瑠璃は死の間際に自身の兄と出会うことができた。

 そして次は自分――と思っていたら、本当にフラグのように、自分の恋人が実の姉であったなんて。


 これから姉として接していけばいいのか、恋人として接していけばいいのか。



「――どっちが、いい……ねん」



 あまりの苦悩に、考えていたことが口を通して言葉となってあふれ出た。

 それとともに口内の状況を理解する。

 ごぼりと溢れて流れ出る感触。それは口内に溜まった血だ。その血があふれ出たことに、実際に言葉となっていたのかさえ怪しさを覚える。


 姉なのか恋人なのか。

 それはそれで重要であるのは確か。

 今まで姉を恋人としていたのだから。

 でも、それよりも問題なことも自分の体に起きている。


 声にならない痛み。

 痛いようですでに痛みさえも通り越して痛みとして知覚できない程の致命傷。

 即死であるとも言える今の状況――体内に血液を送り込むポンプの役割である心臓がないことが、今自分が意識を失いかけていることの理由なのだとすぐに分かった。


 そりゃそうや。

 心臓ないんやからそりゃ死ぬわ。


 痛みさえもなく、体も動かない。

 ただ耳だけは辛うじて辺りの音を拾っているが、それさえも掠れ掠れ。

 先ほど溜まった血液を口から排出はしたが、それは極自然な行為でもあったのだろうと思うと、もう死ぬ前の意識だけが残った状態なのではないかと思う。


 死ぬ前にこんな風に意識が残っているなんて、初めて知った。でもその初めて知ったということは何度も死ねるわけではないのだから当たり前のことだと思い脳内で笑ってみるが、自分の体は微笑むといった行為さえ起こさない。すでに死後硬直のように体の硬直も始まっているのだろう。


 他の人はどうなのだろうか。例えば――





「――ゆるせな――っ 全員この場で殺してでも――」



 激しい音。

 その音に、戦いが起きていることを理解する。


 戦っているのは誰?

 そこにいたのは誰だったか。

 雫とそして――


 ――全員?

 耳が捉えた自分の恋人の恨みの怒声に、この場にいたのはあの男だけではなかったのだろうかと耳を疑った。


 B級殺人許可証所持者『ラード』

 その男のことを思いだすと、怒りが沸く。

 その男の名前から想像できるに足るぽっちゃり気質な丸みを帯びた体型。足元までに長く灰色のファー付きの赤い厚手のダッフルコートのボタンをしっかりと留めるという奇抜なファッション。

 その見た目を思い出してより怒りがあふれ出る。


 その男が、以前自分の恋人をいいようにしていたのかと思うと腹が立つ。そこから逃げたというのならより苛立ちが納まらない。


 そんな男に胸元を穿たれて地面に伏している自分にも怒りが沸く。

 そしてその男の仲間であろう有象無象が現れて、恋人に攻撃を仕掛けているという予想にも、自分が助けられていない状況にもふつふつと怒りが煮えたぎる。


 今立っているのが自分ではない。

 それは男として、同じ女性に関係した男として、負けている、負けたことにもならないか。

 いくら彼女を護るためとは言え、護ったためとはいえ、ただの一撃で倒れるとは、なんとも無様ではないか。


 あんなにも簡単に負ける?

 なぜ? 型式?

 確かにそれなら納得ができる。

 人の体を貫くなんて、そんなの何かの力を使わなければ出来るわけがない。



 なんとしてでも動かなければならない。

 でも動けない。

 なぜなら、すでにこの体は死へと向かっているから。


 何度も何度も自問自答する。

 それは、自分の今に悔いが残っているから。

 体だけではなく、心がすでに、死へと向かってしまっているから。


 死ぬまでの一瞬。

 その一瞬の今に、必死に自問自答する。


「氷槍!」


 しっかりと聞こえたその声。

 その声は、戦いの声。

 

 雫に危険が迫っている。

 それは、自分の周りに生じた水気と冷気が、教えてくれた。




 だけども体は、動かない。

 もどかしさと悔しさ。

 そして死んでいく自分の体が恨めしかった。

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