第193話:繰り返す先へ 10


 リビングの奥で倒れているチヨへと向かって、半円を描くように近づいていく。

 その動きに合わせ、同じく間逆に半円で同じ距離を保ち互いに牽制し合い――『焔の主』からすれば、茶番ではあるのだろう――俺は時間をかけてチヨの傍へと辿り着く。


 警戒を解くわけにも行かず、足で軽くこずくと、「うっ」とチヨの声が漏れた。

 まだ生きている。起き上がろうとしている動きも見えた。まだ意識もあるようだ。

 それだけを感じられただけで気持ちがほんの少し安らぐ。


「お前殺して、自由な奴隷になったチヨちゃんもらっていくからいいや」

「いや、違う。チヨは奴隷から解放されている。だからとっくに自由だ」


 奴隷でもなんでもない。

 ただの同居人――いや、俺の恋人だ。

 想い人だからこそ、俺は、裏世界の暴力から護れなったことに俺自身が自分へ怒りを抑えきれず、その暴力を振るった相手を目の前にしているからこそ怒りは膨れ上がる。


 世界最強?

 だからなんだ。

 今俺が、この男を殺したくて仕方がないことに。



 相手が誰かなんて、関係あるわけがない。



 鎌を向けた手に力が入る。

 体内から溢れる怒りが、脚部に集まり力となって爆発を待つ。


 奇襲だけが、初撃だけが、世に聞こえる『焔の主』に対抗できる一瞬だと。

 一歩。その間合いを詰める一歩に。


「はんっ! じゃあお前殺してもらっていくわ」


 全てを――


 型式砲天から、



 ――ぱんっ



 と、無慈悲に。

 『焔の主』から腕から発せられた音が、



「……な、んで……」



 俺の前へと身を乗り出した肉壁に、到達する。



「い……い……っくん……」


 先ほどまで、俺の後ろで倒れこんでいたはずの肉壁――チヨに。

 俺の前へと踊り出た彼女の体に。その柔肌に。右胸に。ぽっかりと穴が開く。


「まも……れ、なかった、ね」


 それは俺の台詞だ。

 何を、何をやっているのかと。


 穿たれた穴の衝撃で俺に身を預けるように倒れこんできたチヨを抱きかかえる。

 こぷりと口元から毀れる血液。

 救いなのは、即死ではなかったこと。

 まだ会話はできる。


 だが致命傷だ。

 そんなチヨに、「なぜ? なぜ前に躍り出た?」なんて聞けるわけがない。



 初撃を取られた。

 だけども、予測は出来ていた。避けることはできた。

 恐らくは、避けた上で一撃を――いや、無理だ。



 チヨの傷口を見る。何かが通り過ぎた跡がぽっかりと開けられているが、何をされたかが理解できない。

 何か大きなものが通り過ぎたようにも見える。家の壁を突き破っていった何かの跡が壁にもあったが、何が射出されたのかは見えていなかった。

 見えていないなら防ぐことができない。


 では、例えチヨと同じように体の一部を吹き飛ばされながらも噛み付けば一矢報いていたか――いや、それさえも無理。


 もし一矢報いることが出来ていたとしたら。

 チヨを無視して、渾身の一撃を当てるべきであった。

 それが唯一の手段であったはず。


 チヨもそういうつもりだったのかもしれない。

 だが、そんなことは。


「お前は、馬鹿だ」

「ひど――う……ん」


 口を動かすたびに表情を歪めるチヨはすでに痛みは感じないようだ。ひゅーひゅーと息が抜ける音がどこかから聞こえてくる。


 冷静になった。

 そうして考えてみる。


 世界最強と戦う?

 戦ってどうなる。チヨのためになるのか。いやならない。

 ならば、チヨの傍に到達できたのだからチヨとともに逃げればよかっただけではないか。


「お前なにしてくれてんだよっ!」


 何が起きたのか一瞬理解できていなかったのか、『焔の主』は激昂した。

 何に対してなのか分からない。



 チヨが致命傷を負ったことか? それはお前がやったことだ。

 チヨがこのように俺の前に出たことか? それは俺が目の前にいたからだ。俺がお前の攻撃を避けられそうにもなかったからだ。そんなことチヨがわかるわけないだろうけどな。

 チヨがどうして俺の前にでたかについてか? それは俺だってわからない。だけども、俺を護ろうとしたのだろうとは思う。

 そう仕向けたのは誰だ? お前だ。



 ぐっと、俺の服を引っ張る力に、怒りに飲まれそうになる自分を取り戻す。


「チ、ヨ……?」


 眠い。

 なんだ。急激に眠気が。


「なんだ、まだ終わっていなかったのか」

「ぁあんっ!?」


 別の意味で怒りで狂いそうになっては自身の体から『焔』を噴き出して本来の姿へと変わろうとしていた『焔の主』の背後。今は玄関であるそこには、『縛の主』夢筒縛が立っていた。


 この二人が一緒にいることについてはなんら不思議ではない。

 二人は協力関係なのだから。

 だが、夢筒縛がもっと早くにここに来ていれば。

 この状況も、何とかできたのではないかと。

 『主』は『主』が止めるべきではないのか。互いが互いに抑止力となる、その為に四人もいるのではないのか。


 『縛の主』への怒りが溢れ出す。

 だがその怒りも、抗うほどが出来ないほどの眠気に、霧散していく。


 眠るな。何故眠い。

 どうしてこのタイミングで。

 起きろ。死ぬぞ。


「どうしようもねぇほどに腹が立つことが起きてんだから、邪魔すんじゃねぇよ縛の旦那っ!」

「お前が前任者の忘れ形見が欲しいというから案内したのに、自分で傷つけておきながらよく言う」


 黙れ。

 怒りたいのはこっちのほうだ。


 辺りは『焔の主』の怒りで炎が飛び火し引火し、俺の家はもう真っ赤に燃えてしまっている。

 家を燃やされたことについては正直どうでもいいが、チヨに対して行われた行為については許すことはできない。


「もう、どこぞの誰かの炎で、ここは燃え落ちる。ついて来い」

「は~? 旦那、こいつは俺がどうしても殺さねぇと気がすまねぇ。俺のコレクションがこいつのせいで台無しになったんだぜ」

「……いや、お前がこの状況を作り出したんだろうに」

「俺が、こいつから! チヨちゃんを救い出そうとして! こうなったんだよっ!」

「……救うも何も。この二人は元々仲がよかった記憶はあるがな」



 夢筒縛も。この男も。

 この状況を、何だと思っているんだ。

 チヨが、死に掛けているんだぞ。

 今にも死にそうな状況で、言い争い? 辺りは燃えて今にも崩れる? であればチヨを先に外に出して然るべきところへ連れて行き、延命処置でもするべきではないのか。


 人の命を、なんとも思っていない。

 自分にとって都合のいいなにかであって、生死にはまったく興味がない。



「――ん? お前……その光、まさか……」



 夢筒縛が驚く声が聞こえた。

 光?

 何の話だ。
















 ぱたんっと。

 本が閉じられた音で、意識を覚醒させた。


「またまたこちらへ。いらっしゃ〜い」


 狐面だ。

 狐面の巫女装束の女性が、アンティークな丸机に、閉じた本を置き、くいっと小指を立てて優雅に紅茶を飲んでいる。



 俺は、どうして……


「少しは頑張ったみたいだけど。何で周りに助けを求めなかったの?」


 助けを求める?

 いや、求めるまでもなく、聞くだけしかできないだろう。

 なんだあの詰んだところからのスタートは。

 戻すならもっと前から戻してくれ。いくらでも融通の効くタイミングで戻してくれないと何も出来ないだろうに。


「いやそう言われても。助けを求めなかったのは君だし。戻しているのは私じゃないからね?」


 戻しているのは私じゃない。

 そう言われて、何を言っているのかと驚いた。


「ま~、なんにしてもだよ。私はただ何度もここに――観測所ポートの輪廻の輪から逃げようとする君をたまたま来るたびに見かけちゃうから声かけてるだけだし。次は頑張りなよー」



 ちょ、ちょっと待ってくれ。


 教えてくれ。

 逃げるとは? 俺は何もしていないぞ? 俺は何を、貴方が何もしていないと言うなら、どうやって――





















「――奴隷を、やろう」

「……」



 牛乳瓶の眼鏡が怪しく光る、夢筒縛。

 お前はなんだ。壊れたテープか何かか。


 思わずまたこの場所へ戻ってきてしまったことと、また会うことができて説明途中のこれに、「あの、狐面の巫女装束相変わらずの最高のコスプレめっ!」と苛立ちを隠せなかった。


「いや、だから、な? 奴隷を、だな?」


 無反応で怒りのオーラを出している俺に驚いたのか、夢筒縛は珍しく焦っている。


 だけどそんな珍しい夢筒縛よりも。



「……え? なんなの、かな、かな? これ……」



 ぼそりと。

 小さな声で、俺を驚愕の表情で凝視するチヨがそこにいて。


 確かこの時この場所でチヨが困惑していたのは確かだが、それは奴隷といわれたことによる困惑であったはずで、今のように、今の状況に困惑しているものではなかったはずだ。


 まさか。と。

 俺も、チヨの驚きに、驚きで返すことしか、できなかった。

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