第180話:大きな大きな樹の下で 14


「スズ……やっと……」


 長い間――それこそ、何年も出会えなかったかのような、その再会。


「ふん」


 そこにいるのは、求める相手と求める者を奪った相手。


「……我の求める姿ですまぬな」


 それが発した謝罪の言葉には、どこにも謝意はなく。

 社交辞令。

 あたかもスズがそうであることが正しいと、それ以外が誤りだと断言しているかのように冬には見えた。


「……貴方が、求める……姿……?」


 この傲慢さが『縛の主』なのかと。


 その言葉が示すのは、彼の横に。試験管の中にある。

 それは『スズ』という女性を求めたということに他ならない。

 だがその今の姿は、冬の求めたスズではなく。冬が求めるスズはどこにもいない。


「……スズを、元に戻してください」

「断る」

「……スズは貴方の所有物でもなんでもありません」


 玉座から面倒そうに立ち上がった『縛の主』は試験管の前まで歩いていく。


「いや、所有物だ。だからこそ、このように――」


 その歩みの先にある試験管には、一つの棒が突き刺さっていた。『縛の主』はその棒に手をかけると、ぐいっと勢いよく引き抜いた。


「いくらでも、自由にすることができる」


 穴が開いているにも関わらず、そこから内部の液体が毀れることもなく、ぼこぼこと、内部で液体の一部が形を作っていく。

 まるで。その棒が中の液体を制御していたかのように、戒めのように突き刺さっていた棒が抜かれたことで、その姿を解放していくかのように。


 その試験管の中に


「……スズ……っ」


 意識はないのか、瞼は開いているがその瞳には光はなく。

 口元から時折溢れる気泡から、生きているのは確実ではあるが、その口は半開きに虚ろさを現し。

 体全体が力なくだらんと。一糸まとわぬ姿で力なく液体の中に浮かび続けるスズがそこに現出した。


「このように。貴様が望む姿にしてやることもできるのだが――」

「望む? スズはスズでしょう!」

「そうだな。貴様が望む姿にしたところで、我が望む姿ではない」

「望む望まないではないと――っ!」


 冬の怒りを全身に受けた『縛の主』は、その牛乳瓶の底のように厚い眼鏡を取ると、白衣の胸ポケットにしまう。

 呆れたように、疲れたように。目を細めて冬を見て眉間に皺を寄せると、その辺りに痛みでも感じたのか、目頭を押さえて玉座へとどかっと座りなおした。


「……平行線だな。もっとも。貴様と我が仲良くできるはずがない。伴侶は一人だからな」


 座って、疲れたかのようにため息混じりに言う略奪者は、まるで自分が被害者の様相であった。


「それ以前の話ですっ! 貴方のその扱いっ! 隣にいるいないは関係ないでしょうっ! スズをなんだと思っているんですかっ!」


 ここは、世界樹。

 それが全てを物語っている。


 人体実験施設の最奥。

 だからこそ、この場にもっとも似つかわしくないながらも正論、詭弁。


 だが、言うべきであった。


 あまりにも、自身の最愛を馬鹿にしたその態度に。

 自分から最愛を奪い、相手の気持ちを考えずに自身の最愛だといい、被害者面して傍に置こうとするその男に。



 冬の怒りも、頂点に達し――


「――実験材料」

「……は――?」

「と。我の隣にいるべき。我の駒。そして」




「永久に。

  我だけの為だけに駒を作り続ける、伴侶だ。


  もっとも。

   原子を崩され液体スープと化した

       生命の水万能液としての、価値だがな」




 ……ぁぁ。なるほど。そういう事でしたか。


 冬はこのとき、理解した。


 この男は、自分とは考えが違う。

 それは、この裏世界で言うべきではない言葉ではあるが、『一般的』に考えて、駒として、であれば理解は出来たかもしれないが、傍に置く相手を、ただの材料としてしか見れない、可哀相な存在なのだと。


 この目の前の男は自分のことを見ていない。

 それこそ、実験材料としてさえも。

 すでに、自分は実験の結果だから。

 それこそ。

 伴侶と言うスズでさえ、彼の目に映っていないのだろうと。


 見ている世界さえも違うのだろう。


 だから。

 永遠に分かり合えない。と。



「真面目に話し合おうという気も、スズを手放さないというのなら――」



 冬が、目の前の男――『縛の主』と戦うことを決め、戦闘態勢に入ろうとした時だ。


「――随分と。息巻いていることだ」



 『縛の主』の指が、冬を指した。

 指差して、そして、その人差し指を、冬から地面へと、下げた。



 ただ、それだけで。



 冬の目の前。

 冬の世界が、暗転した。



「かっ……くはっ――っ!?」



 それは、圧迫。

 辺りに撒き散らされた、高濃度な純粋な力だ。

 その力が、冬に襲いかかった。


 目を開けたくても圧力が強すぎて意識とは逆に閉じていく瞼。

 自分の体の何十倍もの重しを全身に装着されたかのように、立とうと、抗おうとする力を嘲笑い、その膝を地につけさせる。



 気付けば、四つん這いになって、ただ、地面に横たわらないように抵抗するだけに。


「指だけでこれか。貴様はその程度でよく我の前に出てきたな」


 『縛の主』の言葉がすんなりと冬の心に染み渡る。


 圧倒的実力差に、【敗北】という二文字が脳裏を過ぎる。


 勝てない。

 そうあっさりと思えてしまうほどに、実力差がここにある。

 以前、冬は殺し屋組織『血祭り』の構成員、不変絆と相対し、その殺意によって、同じように勝てないと感じたことがある。

 今感じているのはそれ以上に。戦うという気概さえ失わせる程の圧倒的な力。


 玉座に座っている。


 酔狂だと思っていたその姿が、これが『王』としての力だと、ただの指先の動きだけでそう伝えるかのように。冬は彼に頭を下げてしまっていた。



 それだけであればいい。

 自分が負けるだけならそれでもいい。


 だが、この負けは、ここまで連れてきてくれた今も戦い続ける皆の負けとなる。

 自分の後に続く誰かがいるのであればそれでもいい。

 一矢報いてでも、その後に続く誰かに託せばいい。


 しかし、今は自分の後ろには、誰かがいるわけでもない。

 誰もこの後に続く者がいない。


 ここで、勝たなければならない。

 勝たなければ、スズさえ助け出すことができない。



 ならば。

 立つしかない。

 立って戦うしかない。



 冬は決意し、体に力を込める。

 ぐぐっと次第に持ち上がっていく体。ゆっくりと起き上がって行き、二本の足で立ち上がる。


「……所詮は、『B』室の丙種か。この研究結果に何があるのだ、だからあの時この研究は必要ないと言ったのだ」

「っ!」



 その言葉は、この男から聞きたくなかった。


「確か、なんといったか。……名前さえも忘れたが、女の研究者が必死に研究の停止に抵抗していたな。……ああ、まあ、あれそのものを研究し裏世界を支配するための駒と考えなければ今のような反抗勢力も生まれることもなかったわけだ。……ふむ。我も若かったものだ」

「……あなたは……人の命をなんだと思っているんですかっ!」



 なぜ自分がこれほどまでにこの男を理解できて、この男が許せないのか。

 スズのことだけじゃない。



 この男の管理下の研究結果の末に生まれた存在だから。



 自分がそうだと、自覚してしまったから。





  ̄ ̄    ソウ―― ダカラ


    ̄ ̄        ダカラ ボクハ コノオトコニハンキヲヒルガエシタンダ






「研究結果と、その失敗の末に産まれた失敗作」



 その答えに。

 冬はやはり、この男とは、この男のことがなぜか理解できても、相容れない。



 そう思い、動く。










 ここで。

 冬について、考えてみて欲しい――



 彼は――

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