第145話:そしてヒーローは

 逃走するか、戦うか。

 そのどちらかを選択せざるを得ない状況下に、シグマは焦る。


 ただ、その焦りは、選択によるものではなく、すでに選んだ結果による次へのアクションへの焦りであった。


「……早く。早く――」


 シグマ達には逃走という手段が残されてはいない。なぜなら、負傷者を抱えており、進むべき道が、その先にあるからだ。


 シグマを犠牲とすれば逃走も可能である。

 だが、それを、彼が良しとしても、背後にいる彼女達は許さない。

 なんであれば、彼女達はシグマの為に犠牲となることを考えてしまうほどであろう。


 だからこそ。

 今、シグマにまだ余力が残っていて、まだ抑えていられる間に、次の好機が必要であった。


 その条件は――


「――複数人でもいいから、この防衛を脱することのできる圧倒的な、力……この場に縫い付けるほどの、圧倒的な力が……」


 ギアの鋭い数発の手刀や拳をいなしながら、思い付く圧倒的な力は、一つ。


 以前、シグマ自身が受けたことのある、圧倒的な力。あれであれば、この場を逆転させることが可能だと、目の前の暴力への対抗手段としてもその一手のみが頭の中でちらついてはまた浮かぶ。


 逃走ができないなら、戦い抜く。

 そう判断し、今生き抜き戦い抜くなら、あの力を何より早く欲していた。


 シグマは、その力を、知っている。



 それは――




「――舞い踊りなさい」




 その、言葉から始まる――



「――『鎖姫』」



 シグマが知る中で、恐怖として、脳裏に焼き付く圧倒的な光景――それは、シグマの背後から一斉に放たれた白い光。


 B級殺人許可証所持者

 コードネーム『水原』こと水原姫。


 それは、彼女の弐つ名『鎖姫』たる代名詞となった、小型化されたガトリング式の銃口から鎖のように背後に繋がり消える数珠繋ぎの銃弾の束から発せられた、秒間数百発の光の銃弾だ。


 姫の、ギアが嫌う、対ギア決戦兵器から放たれた、シグマ自身も受けて知る知りうるべき中で最強クラスである力が、轟音と共にギアを襲いかかり、器用にシグマを避けて自動追跡するかのようにギアへと着弾していく。


『――っ!――!?』


 言葉も発せずに重々しい音を立てながら着弾する銃弾とそれが着弾とともに引き起こす小さな爆発に、シグマの針とは違って、ギアの前進しようとする重い体は後方へ吹き飛び、次第に壁を壊して埋まっていく。

 休む間もなく万遍なく体に襲いかかる光の銃弾に、埋まり続けることしかできない。それ程までに激しく、その激しさは、目の前の光景からも、辺りのあらゆる音をかき消す銃撃音でも見ることができた。


 だが、そんな轟音より。

 シグマの耳には、コツコツと妙に響く、優雅な足音が異様によく聞こえた。


「永遠名冬」


 その音と聞こえるは、妖艶さを漂わせる美声。

 その美声が、シグマの名を呼ぶ。


「よく耐えましたね、永遠名……いえ、これからは冬と呼びましょうか」

「水原……さん」


 激しい銃撃音を響かせながら、背後からゆっくり近づくメイドの美声に、絶対の安心感を感じて安堵する。


 そんな彼女は。

 右手には、光り輝く『牛刀』を携え。

 左手には、白い光を撃ち続ける小型のガトリングを対象に向け。

 その機関銃からの光は、彼女の背後に連なり純白の光の鎖の光輪を撃つ度にくるくる回し、まるで彼女を後光のように照らす。


 その姿はまさに、天から降りてきた戦いの女神かと思えるほどの美しさ。


 そう言えば、彼女には他にも弐つ名があった。その中には、『女神』という敬称もあったことをうっすらと思い出し、シグマはその弐つ名をつけた誰かもこの光景を見たのではないかと、初めて見た誰かしらに少し嫉妬してしまった。


 ……ただ。それと共に。

 なぜ、女神のような神々しさがあるのに、クラシカルタイプのメイド服なのかと。

 素朴な疑問を覚えてしまう。



 そんな女神が、シグマを見て、言葉を紡ぐ。












「すうねぇ









「……え?」


 今、この女神は、なんて?


枢機卿カーディナルのことを、先程、すう姉、と、呼んでいましたね?」

「え……ええ……?」

「でしたら、私もそのように呼ばれるべきでは、ありませんか?」


 まさか。

 こんな時に、何を言い出したのかと、シグマは言葉を失った。


「ひめねぇ、と。私を呼ぶことを許しましょう」



 この人達は、なぜ。

 僕に、姉と呼ばせたいのでしょうか。

 なぜ、水原――ひめ姉は、すう姉に対抗したのでしょうか。


 自分の呼び名が変わったのは認めてくれたからなのかと、嬉しかった。

 それもあるのだろうが、恐らくは認可よりも、こっちのほうが本命だったのだろうと思うと、がっくりとうなだれるくらいの抵抗しかできなかった。



 なぜなら。

 姫だからこそ。そう、これから呼ぶという、選択肢、一択しか、ないから、だ。



 そんな姫のエプロンドレスは今日も輝き言葉を映し出す。




    『御主人様。弟が出来ました』




 今日も、彼女の感情をあらわすエプロンは、絶好調である。




「……とはいえ。厳しいですね」



 姫の歓びを表すエプロンドレスとは裏腹に、姫の表情は険しい。


 姫が見つめる先の敵は、まだ、現存しているからだ。


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