第137話:抱っこで出発

「お前は、まずは世界樹を目指せ」


 その先に、冬達姉弟の本来の標的がいるとしても。

 それは今相手にするべき敵ではない。


 今行うべきことは、連れ去られた水無月スズの救出と、彼女を拉致し、彼女を利用しようとする『縛の主』の企みを阻止することが最重要である。


「今は相手をするな」

「はい。分かっています」

「だからこそ。今起きていることや、お前の出自を伝えた。お前が相手を間違えないために」


 話さなければ、きっと誰が相手なのかに迷うことはなかっただろう。

 相手がどれだけ強大なものか、伝えたかった。

 そして、その敵と戦うために、こうやって動いてくれる仲間がいることを再認識して欲しかった。


「今のお前の相手は父親じゃない。恋人を助け出すこと、その首謀者『縛の主』の撃退、殺人だ」

「はい」


 その中で、死んでいく仲間がいることも、理解して欲しかった。

 それだけ、今回の戦いが、大きな、犠牲を伴う戦いだと理解し、ただ恋人を助け出すだけに留まらず、世界を――表世界や裏世界を救うことになりかねない大きなものだということも理解してほしかった。


 殺人許可証所持者は、そうやって、人知れず。

 気づけば表世界を、裏世界を。致命的な何かが起こりうる前に秘密裏に処理してきた、世界でもっとも功労のある許可証なのだから。


「それが分かったなら、やるべきことをやれ。俺は俺で、バックアップするつもりだ」


 まずは、背後の敵から守ることが俺の役目だと心のなかで思いながら、春は冬達に背中を向けた。

 春の視線の先は、先に盗み見ていた食堂の壁だ。


『……春?』

「屋敷の主人には迷惑かからないよう伝達済みだ。……もう少しで、かけていた技も切れる」

『なにを……』


 枢機卿は春が何かこの場で起こそうとしているように見えた。

 先程から見ている壁。枢機卿にはその壁は何の変哲もないように見えるが、春にはそうは見えていない様子で。

 春が呟くように言った、「技も切れる」という内容から、そこにまじないの類をかけている、またはかけられていて、そこに何かが潜んでいるとも見て取れた。それは、先の「バックアップ」という言葉からも、ここに自分達がいないほうが都合がいいということに瞬時に気づく。


『分かりました』

「すまんな。後で合流するから、先に雪を助けてやってくれ」

「お義兄さん?」

『貴方の義兄は用事があるようです。さ、冬。お姉さんと行きますよ』


 枢機卿はそう言うと、立ち上がる。


「……え?」


 冬のその疑問の声は、枢機卿が自分のことをフルネーム呼びではなく、名前で呼んだからか、それとも急に姉と強調しだしたからか。


「……いえ、枢機卿?」


 弟かのように自分を扱い出す二人のメイド姿の女性と機械兵器ギア

 姫には荷物のように抱えられて裏世界を逃げ回ったが、今度は枢機卿に抱えられてしまって、どうしてこうも自分を抱えようとするのかと思わずにはいられない。


「流石に、これは……」


 いや――


「これは俗に言う、お姫様抱っこ、というものでは?」

『ですが、なにか?』

「流石に、恥ずかしいですよ?」


 ――いや。お姫様抱っこされてしまっていることに疑問の声が挙がったのは間違いないだろう。


『何を言うのですか。貴方がこれから行うべきことは時間との勝負ですよ。貴方は力を温存すべきであり、疲れを知らない私が運ぶのは体力温存には効果的です。後、私が運んだほうが早いでしょう?』


 お姫様抱っこを、と言うより、抱えたことについての力説が、返ってくる。


「いや、だからってなぜ――」


 枢機卿の説明は、確かに理解はできた。

 体力を温存してこの先を進めるのはありがたいし、体力不足もなく、常にトップスピードで走ることのできる枢機卿に抱えられるのも理解はできた。

 共に、なぜラムダとして逃亡中に、姫が冬を抱えていたのかも、同じ理由だったとも理解はできた。


「――なぜ、お姫様抱っこなのか、という所をですね……」

『何を。ですから、おんぶでしたら腕に負担がでますし、鎖姫のように抱えれば、どこかを痛めてしまうかもしれません。この抱っこであれば、後は首に手を回すだけで楽できますよ』


 ……僕の意見は。


 合理的な回答に、納得してしまったからこそ、その声は声にならず。


 論破された冬は枢機卿に、『さ、いきますよ。ほら、首に腕を回しなさい』と更に恥辱を与えられながら、抱っこされて食堂から去っていった。


「最後まで、こいつら緊張感なかったな……まあ、それはそれで、いいことなのかもしれないが……」


 そんな二人を春はちらっとわき見しながら見て、なんだかんだで二人はいいコンビになりそうだと、ため息混じりに笑いながら思う。


 そして、食堂には、春だけが残った。






「さて……と」


 春は、先程から見ていた食堂の壁を改めて見た。

 その壁はゆっくりと上下が歪み、溶けていく。その先に現れるは、まったく同じ壁である。

 その溶けた先の空間は広く。

 まるでその一区画だけを人目につかないように封印していたかのようであった。


「だぁれも気づかないってのも凄いものだよな……ま、これを仕掛けて隔離していたことに誰も気づかない技を使う俺も、俺か」


 その目の前の光景を作り出した、そうしたのは自分だと。

 誰に伝えるわけでもなく、独りごちる。

 枢機卿がいれば『何を芝居かかったことを言って悦に浸っているのですか』と酷いことを言われそうだと思ってしまい、鼻で笑ってしまう。


「後顧の憂いを絶つってのはこういうことを言うのかね……ま、バックアップしたらすぐに追いついて見せるがな」


 だが、この瞬間のために、春は一人ここに残ったのだ。


「……ふん。三人が拉致された? おめでたい奴らだよ。殺し屋組織のことを何も分かっていない」


 これから起きるのは、冬にも、枢機卿にも。

 ましてや、自分以外がまだ気づいていないことであり、仲間たちが知れば確実に意気消沈し、戦力ダウンしてしまうことであることは間違いなかったからだ。


「……久しぶりの殺し屋稼業。やってみるかね」


 その、拡がった空間の先には――複数人の女性達がいた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る