第127話:『純雪』が見据える敵
『
それは、スノーというS級殺人許可証所持者の名を轟かせた型式である。
人は、息をするたびに少なからず水分を発生させる。人の六割は水分であるからこそ、その発生した水分を操り、辺りの水気と『流』の型で作り出した水と合わせ、急激に冷やし、氷結させたのだ。
だが、普通に行ったところで、ただ単に水に濡れて冷たい、または氷が出来て少し寒い程度である。
それだけで人が凍ることはまずないし、ひと一人を包むほどの面積を使って凍らすには圧倒的に水分が足りない。また、ただ冷やして凍らすだけでは、簡単に防がれてしまう。
ましてや相手は、スノーより格下とはいえ、荒波に揉まれてきた所持者であるから、そう簡単に凍ってくれるわけがない。一人であればまだ分かりやすいが、目の前にいたのは一人ではなく、多数でもあった。
そんな数を一気に凍らすには、やはり、仕掛けと、準備がいるのだ。
氷結に至るには、まず、相手の深層意識に、『氷』という表現を与える必要があった。これがなければ、それこそ、単なる氷漬けであり、芯まで凍らすには至らないだろう。
それが、後の『幻惑』の原型、彼女が独自に創り出した技法だった。
『幻惑』の原型は二つ。
『
どちらも、人体を巡る水分さえ操り癒やす力とする『流』の型に通じる能力だ。
人の表層意識に語りかける『表意』を使って、相手の意識に自分の周りには水や氷があることは当たり前だと認識させ、深層意識に『憑依』し、過去の水に関する意識を浮き出させることで、本人に、『流』の型を強制的に発動させる。
その水に、スノーが『流』の型を使い、凍るように指示を出し、意識上氷水が当たり前に傍にあると、強制的に認識させられた標的は、その氷が体を蝕もうが気づくことはなく、外部に集まった水分と、自身を構成する水分の凍りつきに抗うこともできず、抗うことさえ許されず、氷漬けになったことさえ気づかず、すべてを止められるのだ。
それは、A級殺人許可証所持者『紅蓮』の『焔』の型の極地である、『紅蓮浄土』ともよく似ていた。
『紅蓮浄土』は、内部の水分を電磁波を浴びせたかのように沸騰させて、内側から破裂させる技だ。
『氷の世界』は、内部の水分を操り外側へと放出させ、外気と合わせて外側から内側へと向かって凍らせる技である。
どちらが優秀かという、無粋な話はない。ただ、紅蓮浄土よりも複雑な工程を必要とする、同じく必殺の一撃であることは間違いない。
その結果が、今、スノーの前に立つ、活動を止められ、芯まで氷漬けされた、氷像であった。
凍りついた五十以上の氷像は、スノーに襲いかかろうとした体勢のまま凍りつき。ぐらりとその勢いのまま地面へと倒れていく。
受身もとらずに地面を滑り削れながら。ぱりんと、酷く儚げな音を立てて地面に叩きつけられてはばらばらになっていくその氷像から、冷気と、細かな破片が散らばりその場に舞う。
その舞いは、あたかも空から落ちる粉のように。
穢れを知らない純白の雪のように氷像に降り注ぐ。
「……ありゃ。意外とあっさりとまー」
誰一人として抗うことさえできなかったその暴力の発動者は、降り注いでは消える儚い雪を、呆れたように見つめる。
彼女の周りに降り注ぐ、彼女の髪と同じ色の真っ白な雪。
彼女の弐つ名は、『
枢機卿はその弐つ名の示す通りの、生き延びなければ見られないその光景を数年ぶりにみて、その弐つ名を改めて認識した。
『相変わらずですね……一網打尽ですか』
「……」
『でも、これが何を意味するか、貴方はわかっているのですか?』
「……」
その彼女の無言は、枢機卿には行ってしまったことの問題について、理解した上で答えないのだろうと判断した。
『貴方は今、殺人許可証所持者を、まさに言葉の通り、一網打尽にしたわけです。現在の殺人許可証所持者が何名いたか、殺人許可証トップであった貴方ならご存知ですよね?』
「す~ちゃん……」
『現人数は百二十二名です。そのうち、貴方の仲間として活動している者がおよそ三十名――』
いまだ静かなスノーに、枢機卿は説明を続ける。
『そんな少数が、裏世界のあらくれどもの抑止力として活動していたのに。貴方が今倒した数を、貴方が言ってみなさい』
枢機卿は、その態度とその行為に、腹をたてていた。
理由は簡単だ。
スノーの傍にいる枢機卿は、末端とはいえ、許可証協会の中枢を担う情報統括システムだ。
協会の、裏世界での役割――裏世界の住人の表世界への流入、防波堤の重要性をよく知る枢機卿にとって、協会は絶対である。
スノーが行った行為は、表世界を陥れる行為なのは間違いなかったからだ。
「……す~ちゃん」
『五十二名です。……貴方は、どれだけの数を――』
『氷の世界』で散ったのは、現殺人許可証所持者の半数である。
ただでさえ少ない抑止力が、敵対したからと言って減らされたことは、これから先の協会の行く末と防波堤となりえないこの許可証という制度の未来が危ういからこそ、枢機卿は理解させようと現実を伝えた。
「分かってる」
『いえ、分かってなんか――』
返ってきたスノーの言葉に、甘く見ていると感じた枢機卿は、更に意見を述べようとした。
「分かってるから先にす〜ちゃんに説明したし、だから私は、この協会を潰すとも伝えた。だから、これがその結果」
『ですから、それは、表世界さえも危険に晒す行為だと』
「違う。やらなかったら、表世界への脅威は止められなかった」
『何を……?』
枢機卿には、スノーの言うことが理解出来なかった。
減らしたから脅威が減るとは到底思えない。脅威が増えるなら理解はできた。
「彼女の言うことは正しいよ」
そこに突如、スノーを肯定する男の声が響く。
「あれが、理由よ、す〜ちゃん」
『理由……ですが、あれは』
エントランスの奥に、まだ生き残っている人がいた。
その人物は、枢機卿にとっては馴染み深く、生き延びたことに納得できるほどの実力の持ち主であった。
長髪の上品ですらっとした見た目をした優男風な男性で、若干顔色が悪い。
その見た目は「名は体を表す」と言う言葉がぴったりの、病弱そうな風貌をした男性――
『疾の主……貴方が、スノーの、敵……?』
――そこにいたのは四院。『疾の主』。
「あれが、『縛の主』の下に付いて結託して、協会を私物化したから、正しくあるがままにするために、一度潰さなきゃなの。分かって」
『っ!? ば……『縛の主』と……』
『主』が『主』の下に付くなど。ましてや、行方不明であった大罪者、『縛の主』の名が出てくるなど、枢機卿はまったく想定していなかった。
少しずつ。
枢機卿は、自分の知る裏世界と許可証協会が自身のなかで崩れていく音を聞いた。
取り返しが付かない状況まで事が進んでいる中で自分は目覚め、理解が何一つ追いつけていないのだと、枢機卿は、津波のように溢れる状況に、ただ混乱するしかなかった。
『スノー……』
「なあに?」
思わず。
『情報がなさすぎて、何を信じたらいいか分かりません』
愚痴が出てしまうほどに。
スノーは、そんな枢機卿を苦笑いで申し訳なさそうにしながらも、目の前の敵を見据えている。
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