第120話:『シグマ』となりて 3




<ねぇ。君はいつもそこで浮いてるけど、話とか出来ないの?>

<――……――>

<あはは。話、出来るんだ。ねぇ。だったら、僕と、お友達になってほしいんだけど、だめかな?>

<――……――>

<え? 友達ってなにかって言われても>

<――……――>

<うーん? だったら、お互いの自己紹介から始めようよ。じゃー、君はなんて名前ですか?>

<――……――>

<疑似人工生命体? 個体名称『鈴』? 長い……もう、スズでいいんじゃないかな?>

<――……――>

<ああ、僕? 僕は、『B』室・遺伝子配合組み換え強化研究実験準成功体・身体複合型被験体・個体めいしょ――>

<――……――>

<え。僕の方が名前長い?……あ、ほんとだねっ>

<――……――>

<だから僕の名前はなんだって? 途中で途切れさせた君が言わないでよ。僕はね>





   <『冬』って、言うんだよ>






「……え?」


 ふと脳裏を過った、その会話。

 その会話と共に、ノイズ混じりに浮かんだ、一人の、見窄みすぼらしい白い貫頭衣のような服を着た小さな少年。


 その少年が恥ずかしそうに「友達にならないか」と聞いたのは、液体だけがぼこぼこと音をたてる、子供一人が入るほどの大きな試験管だ。


 何もない。

 試験管の液体に語りかける少年。

 その少年が自分であり、その少年が語りかける試験管は、


「……スズ……?」


 そうであると。

 何もない、液体だけの、試験管のそれが、最愛の人だと確信する。


「……一つも思い出がないわけじゃ、ないじゃないですか」


 その思い出が何かなんて、冬にはまったく分からない。

 だが、それは、冬がスズと、小さい頃に会っていたという思い出なのは間違いないと、断言ができた。


「お義兄さん。本当に、この『シグマ』を、譲り受けていいんですね?」


 そして、これから何をすべきか。

 改めて考え、春へと聞いた。


「ああ。今のお前には必要だろ?」

「はい。スズ達を助けるためには……裏世界で戦うためには、許可証が必要です」

「だったら。公式上、お前は『シグマ』だ。俺の代わりにシグマとなって、裏世界に抗え」


 シグマという、義兄の意志をも継いで。

 冬はこの時、シグマという、譲り受けた許可証のコードネームに、自分がシグマという許可証所持者だと、はっきりと認識し、認め、自分の心に植え付けた。


 自身を『ラムダ』ではなく、『シグマ』として。


「裏世界で水無月スズという存在は、過去にあった大きな争いを知っている奴等からすると、重要だ」


 春は、「スズという名前からわかれば、の話だがな」と、付け加える。

 だが、今のこの状況は、スズの重要性を知っている敵が、その『スズ』という名前から判別したからこそ今の状況に成り得ている状態だと、冬に再認識させる。


「……スズは――いえ、スズがどこにいるのか、お義兄さんは知っているのですね」

「ああ。間違いなく、いるだろうな、そこに」

「……どこ、ですか?」



 その場所が。

 シグマとして、冬として。進むべき、道だ。









「世界樹だ」





 ――世界樹。

 それは、裏世界の樹海の中にある、遥か遠くからでも見ることのできる、巨大な大木だ。


 松と瑠璃と、三人で、自分達の家族の行方を知る手がかりがあるはずと、大きな仕事のついでに抜け出して向かおうと話していた場所であり、その世界樹に関係する施設があったことを思い出す。


「……月読機関つくよみきかん……まさか、スズを連れ去っていったのは」

「そのまさかだ。スズ――疑似人工生命体、『苗床の成功体』と呼ばれた、個体名称『鈴』を連れ去ったのは――」




   「『縛の主』、夢筒縛ゆめづつ ばくだ」






 四章『A級許可証所持者『シグマ』』


 完
























「メイドさん……助けにきてくれたんだ……」

「ええ。……間に合わず。申し訳ありません」


「……冬ちゃんは、無事ですか……?」

「私がついていたのですから。大丈夫ですよ。今は安全な場所にいます」

「そう……よかった……。水無月さん……暁さんは……?」

「……貴方は、まずは自分の心配をしなさい」

「えー……っ」



「すぐに治りますから安心しなさい……体も、心も。貴方なら、永遠名冬に慰めてもらえばすぐにでも治りそうですよ?」

「あはは……メイドさん、水無月さんがいるんだから、冬ちゃんは私のこと見てないのわかってますって。……きついなぁ」


「軽口叩けるならまだ大丈夫ですね」

「分かります、よ。……私の体なんだから。私が、もう……」

「……そう、ですか」


「暁さん……は……」

「ですから、まずは自分の心配を」

「だめだったんですね」

「……」


「じゃあ、水無月さんは?」

「……あの子は、大丈夫です。今は」

「そう、ですか」




「あーあ。水無月さん、ずるいなぁ」

「ずるい?」

「そう、でしょ? 冬ちゃんに心配してもらえて、冬ちゃんに見てもらえて。……まだ、助けてもらえそうで」

「せめて、間に合えばよかったのですが。申し訳ありません」

「やだなぁ。……責めてないですよ」






「看板娘さん。永遠名冬は、貴方達のことも、変わらぬ心配をしていましたよ」

「あはは。嘘でも嬉しいです」






「……裏世界って怖いところ、ですね」

「ええ……貴方みたいな力なき方が関わるべきではない場所ですよ」

「そう、ですね。そう、今、身に染みて感じてます。とはいっても。今の状況の私は、無理に関わらされた感もありますけどね」



「恨んでなんかないし、むしろ迷惑かけちゃったかなって思うくらいで。私が進んだ道だから。……でも、もう少し生きたかった。……って言ったら、暁さんに怒られちゃうね」


「……私は……」

「え?」

「私は二度ほど、生き返っておりますので、お二人もきっと」

「生き返――やだなぁ。そんな嘘……」

「残念ながら。一度目は御主人様と死闘の末。自爆しばらばらに。次は、御主人様の目の前で惜しげもなく内部を晒して。一度目はとにかく、御主人様を悲しませることをしました。……だから、今、この気持ちは、御主人様があの時感じた気持ちと一緒なのでしょうね」



「……メイドさん、不思議な体験ですね。私もそれ、嘘でも出来たらいいのに」

「御主人様のおかげですが。そうなりたいなら、もう少し、生きなさい」

「えーっ……そうしたいですけど。あ。メイドさんの御主人様ってどんな人?」

「……今度、会わせますので、頑張りなさい」

「あははっ、そうきましたか」






「……」

「……」

「……眠られ、ますか?」

「…………あっ。メイドさん……。うん。何だか眠くなってきましたね」













「メイドさん……そこに、まだいますか?」

「はい」




「ちょっとだけ、心残り、あるんです」

「……はい」





「冬ちゃんを、最後に一目、見たかったなぁ……。こんな汚れてたら、失礼、かな?」

「……汚れてなんかいませんよ。貴方は綺麗ですよ」

「あはは。もぅ……そう言うのは、冬ちゃん――に、言われたかった……です、よ……そ――」











「看板娘――坏波和美さん。暁未保さん」




「もう、誰も。貴方達を苦しませるものはいません。……貴方達の体は、私が、私達が。安全な場所へと、きっと。……ですから、今は」





「安らかに、お休みください」






「お疲れ様でした」

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