第119話:『シグマ』となりて 2
「さて、と。お前に少し話すことがあるわけだが」
自分を叱る相手もいなくなり、自由に煙草を吸い出した春が、背後から冬の肩に触れながら声をかけた。
「……僕も。聞きたいことが――」
ぎろりと。
声をかけてきた春を、冬は殺しかねない程の勢いで睨んだ。
「……言っとくが、俺はなーんも悪くないからな?」
『はぁ……永遠名冬も、隠されていたことに怒るのは結構ですが、ほどほどにですよ。時間も少ないですからね』
「怒っていないですよ。隠していたとかもいいんです」
「いや、俺はだな」
「僕から聞きたいことは一つだけですから。そうでしょう?」
冬のにこやかな笑み。普段は感じることのない威圧に、ひくりと春が冬の怒りに後ずさる。
「お・
この春という、許可証試験から見知り自分を目にかけてくれていた男が――
「……言われてみると、少し照れるな」
――実は義理の兄と言うことが、許せない。
だが、許せないと思う反面。
この春という男が、なぜ自分によくしてくれていたのか。そして今も、自分の人生を棒に振ってまで自身の許可証を渡してくれたことを考えてみると。
返せない恩もあれば、この人物が姉の旦那となったことに安心できる自分もいて。
知らないうちに出来た義理の兄に、複雑な心境を抱えることになった、冬であった。
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「冬、まずお前は、知らなければならないことが多くある。それは分かるな?」
春は前置きとして、冬にそう言った。
「むしろ、なぜ隠されているのかが分かりません」
姉のこと然り。スズのこと。そして今、何が起きているのか。
スズについては、無理に聞くべきことではないと、スズ本人からの話待ちだったことは今更ながらに後悔はあるが、今の状況と関連しているのは間違いないと冬は思う。
ただし、姉の話だけは別問題の気がしていた。
「自分と知り合った時にはすでに姉と一緒にいて。僕が姉を探していることを知った後も姉の正体を隠していた春お義兄さんの考えもわかりませんし、型式の力で近くにいたのに気づかなかった自分もどうかと思いますし、枢機卿も何か理由があって、あの時嘘をついたのだろうってことくらいは分かるのですが?」
「……よし。確実に妬まれてるな」
『当たり前ですよ……』
枢機卿が『なぜ私も……』と、疲れたようなため息をつき、春はじとっと睨む冬を見て楽しそうに笑う。
「ですが、それよりも。今は知るべきだということは分かりますよ」
ほんの少しの義兄弟のじゃれあいの後。
苦笑いと威圧たっぷりの笑顔を真剣な表情に変えて、二人は話し出す。
「今のままでは、何が起きているのかさえ分からないだろう」
春が言うように、何も分からない。
冬は、ただ漠然と、『今、自分の知っている近しい人が危険に晒されており、それもすでに日数が経っていて行方がわからない』ということだけである。
とはいえ、それだけ分かっていれば危機に陥っているということを理解するには十分である。
特に、守ると約束したスズが連れ去られているという事実は、内心ではかなりの動揺で、そこに和美と未保の二人も生命の危機に瀕しており、更に姉の正体を知ったことで、まともな思考ではないほどである。
B級殺人許可証所持者『ラムダ』という裏世界での名はすでに剥奪され、裏世界への道は閉ざされていたが、目の前にいる義兄の春より、A級殺人許可証所持者『シグマ』を譲り受け、今はまた裏世界へと向かうことができるようにはなった。
それはそれで、これからもスズを許可証の恩恵で守ることができて喜ばしいことではあるが、そのスズと、一緒にいたはずの和美と未保が拉致され、裏世界という、広く、未開拓地さえあるとも言われる場所に放り出されたと聞かされれば、冬じゃなくとも助けに行きたいと思うであろう。
ただし、今は何より急ぐべきであるのだが、その急ぐべき、向かうべき場所がどこなのかが分からない。
情報もなくただ降り立っても、何の意味がないことは、冬は『ラムダ』として活動していたときから十分に理解していた。
『スズ様が連れ去られたと言う意味を知るべきではあるのですが……難しいですね』
「スズの……?」
その冬の情報源である枢機卿は、今急ぐべき状況とはいえ、道を示せるほどの情報がないことに、若干の苛立ちを覚えていた。
枢機卿自身はスズの重要性を理解しているが、その連れ去った相手には行き着いていない。そこに和美と未保という二人も加われば尚更居場所の特定が困難であった。
先に先行した味方の許可証所持者達から何かしらの情報が得られないか、常に自身の情報を確認しながらも、予想を巡らせる。
「いや、枢機卿。分かっていることはあるだろう?」
『ええ……ですが、それだけでは……』
「すまないが、今はそう言っていられる状況ではない。そこは姫に任せて優先的にスズの奪還を考えるべきだろう」
『ですから、それだと私は……』
ピュアの後手に回ってしまったからの急ぎの指示から分かるように、スズだけであればすでに居場所は予測できていた。
枢機卿は、スズだけでなく、和美と未保も助けたいがために、考えが錯綜していた。
冬は先ほどの争いの中で聞こえた内容を思い出してみる。
美菜は、スズを誰かに言われて殺せなかったと言っていた気がする。だから人形で代わりにしていたと。
「スズの誘拐自体は、計画されていた……?」
それが、自分の許可証剥奪のタイミングが関係する。そう考え、当てはめていく。
「……ラムダの入れ替わりと関係している……?」
冬は、自分がなぜ、ラムダというコードネームを剥奪されることになったのか、少しずつ、理解しだした。
「……ラムダが、スズを、保護、していたから?」
スズを手に入れるために、その相手が、保護者を離れさせた。
枢機卿や、春が言うスズの重要性。姉であるピュアの焦ったような迅速な動き。
すぐ傍で冬がスズを護っていたが、遠くから、より多くの脅威からスズを護っていた存在として、春や、ピュアがいたとしたら。
「……スズは、一体、何者なんですか。スズが、裏世界に必要な存在なんですか」
冬は、スズのことを大事に想っている。
だからこそ、スズをもっと知るべきだったと後悔する。
そして、もう一つ。
「僕には、スズとは幼馴染みという認識がありましたが、それさえも違う」
認識はあるが、記憶が、ない。
小さい頃の記憶は忘れるものなのであれば納得はする。だが、何一つないというのは別であろう。
その原因の一つが。
「……姉さんが、記憶を、植え付けていたんですね」
「……ああ、そうだ」
『ピュアは、貴方達のことを想って』
自分にスズとの思い出が、実はまったくなかったことが分かっていても。
「理由は分かりませんが、そうせざるを得なかった、ということは、姉さんの正体やこの記憶の書き換えでなんとなくわかります」
記憶なんてものは、簡単に上書きされるものだと理解が出来ていても、スズの傍にいたいと思うし、傍にいてあげなければならないとも思う。
「そんなものがなくても……」
『永遠名冬……恨みますか?』
「……恨む?」
これは、『幻惑』によって植え付けられていた記憶が消えてしまったと認識しつつも、植え付けられていた記憶が知識として脳内に残っているという違和感を感じていても、スズの傍にいたいとそう想えるのだから、
「枢機卿。僕は恨んだりなんかしませんし安心してください。むしろ感謝していますよ。だって、記憶が書き換えられていてもなくなっても、僕はスズを――」
これは、本当の自分の気持ちなのだろうと、改めて認識する。
そう、冬が自身の気持ちを再確認した時。
<君が、『苗床』っていう成功体? 初めまして。僕は――>
ノイズが、走った。
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