第110話:――御主人様

「ふあぁ~……なにこの御屋敷……」


 チヨが感嘆の声を挙げ、辺りをきょろきょろ、天井を見上げながらとことこと先を進む。


 なんてことはない。

 巨大な洋館だ。


 玄関口から入ったその広々としたホールの真ん中に位置する、何で屋敷内にあるのか分からない巨大な噴水が出迎え。

 噴水から湧き出た透き通る水が流れていく川のせせらぎに耳と心を癒し。

 その川の上に幾つかのオリエンタルな赤い橋がかかり集約し、噴水の向こう側へと歩を進ませる。


 そんな、巨大な洋館のホールだ。


「ここ抜けたら食堂があるの」


 黒猫ちみっ娘のナオの食堂という一言に、びくっと体を震わせてしまう冬と樹。


 その食堂に、世界を一体で滅ぼすことのできるギアが総出で退避しなければならないほどに警戒される何かがあると思うと、歩く足も心なしか震えてしまう。


「ねーねー! ナオちゃん、いや、師匠!」

「? なに」

「さっきの技術を是非あたいにも教えてくださいっ!」


 そんな二人の心境なぞ知らぬ存ぜぬ。

 チヨは先頭で前後を使用人の男女に囲まれたナオの隣にすっと並ぶと、数分前に会ったばかりのちみっ娘に技術をよこせと乞う。


「……ナオの修行は厳しいの」

「のぞむところっ!」


 師匠と呼ばれて嬉しかったのか、ナオがにやりと笑うと、チヨがそれにノる。妙に波長のあう二人だった。

 恐らくは技術者という部分での意気投合があるのではないだろうか。


『鎖姫』

「はい、なんですか、枢機卿カーディナル


 そんな二人の後ろを、数歩離れて歩く双子のようなメイド服の魅惑の女性二人。


『先程から内部の感情を司るチップにむずむずとした反応があるのですが』

「ああ……貴方にも分かりますか」


 姫は戸惑う枢機卿に、優しく微笑み、先の部屋を指し示す。


「あちらの先にその答えがあるのですが……安心しなさい。その前に私が貴方のためにそれを止めてあげますよ」

『止める? 答え……? それはなんなのですか?』

「ふふっ。……私はもう今すぐにでも我慢できなくなりそうですよ。止める? 誰にも譲るわけがないじゃないですか……ふふっ」

『……く、鎖姫……?』


 恍惚な表情を浮かべて唇を舐め悶えだした姫から少しだけ離れる枢機卿。更にその二人の後ろにいる冬と樹が、その姫の異様な気配に恐怖を覚え、びくりと足を止めた。


「覚悟は決まりましたか? もうつきますよ」


 そんな二人に、くすりと笑う姫が、二人に先を見せた。

 すでに先頭のナオ達は扉の前。

 使用人が扉についた豪勢なアンティーク調のドアノブに手をかける。


「ぁぁ……あぁぁ――」


 ゆっくりと扉の内部が開き、中が見え出すにつれて姫が堪らなそうな吐息を漏らし、惚けるようにその先をみる。


『な……なんですか、この感情は――』


 枢機卿も、その先にいる何かに体を震わせ。

 扉を開けた二体の使用人でさえぷるぷると何かを堪えるその異質な光景。


 ギアにしか、ギアだったものにしか分からない感情が、その先にあると、体が伝えてくる。


『鎖姫……これは』

「ギアは、誰もこの感情には逆らえないのですよ」


 姫が見つめるその先に、その答えがある。


 扉が、開ききった。

 その先に――









「――お? 永遠名とわなじゃん。久しぶりだな」







 そこにいたのは、数人の男女。


 その中の一人。

 片耳ピアスに、茶髪のショートスタイルの、目付きが少しだけ悪い男性がいた。


 その彼が、見知らぬ相手が部屋の外から扉に見え、その中に、後方に控えるようにいた知り合いである冬を見つけ、懐かしそうに声を挙げたその時に――







      ――弾けた。







「ご――」



 ――閃光が走る。


 閃光は、その発現者の背後にいた冬の帽子を遥か後方へと吹き飛ばし、樹も衝撃に腰を落とし、床に座り込む。



「しゅじん――」



 その弾けた衝撃に、床は割れ。

 その一帯のみに現れるは、穢れることのない純白の光だ。


 その発現者の隣にいた枢機卿も、それが起こす爆発にも似た音に、先程まで心の中に溢れていた感情が消え失せ驚き、爆発音とともに発せられた衝撃波に踊らされてよろめき壁に手をつける。




 それは、辺りに螺旋のような弧を描き、辺りに荒れ狂う暴風を。




「――さまぁぁぁぁぁあああああーーーっ!」



 まるで。

 その声さえもそれの後から訪れるほどに。


 それは、白い光を纏ったいかづち


 そう形容するべき一矢が、彼に向かって弾け飛ぶ。


「――へ?」



「御主人様ぁ! 御主人様ご主人様ごしゅじんさまゴシュジンサマァァァッ!「おぅ、姫帰ったのか、おかえ――ちょ、な、なにしてんだ、ひめぇぇっ!?」姫はお会いしとうございましたっ! ああっ、御主人様の匂い、御主人様の声っ!「落ち着けっ。ちょ、ちょい待――むぐっ」ああっ! 御主人様エキスがエキスになってエキスとして姫の中に「ぷはっ! 待て! 落ち着けっ」早くぬぎぬぎしてエキスを私に「ちょ、待て脱がすなっ!」黙りなさい露出狂のロリコン、早く脱いで皆さんにみせてしまいなさい「お、おいお前今すげぇ酷――ってなにすんの、やめ、やめっ! いやぁ! やめてぇぇっ!」なんですか恥ずかしいのですかっ、あんなにも昔は露出したくて堪らないって顔してたのにっ!「んな顔したこ――あるかもしれんけどもっ!」ここで駄目なら今すぐ二人っきりで寝室向かいましょう! ええ、今すぐにでも!「いやお前なにいって――」では皆さん、私は御主人様と大事なお話があるので「ま、ちょ、お前ら、たすけ――」さあさあ御主人様! 何年も会えなかった姫とめくるめく愛の世界へ向かいましょう。ええ、向かうべきです!」

「いや、だから数日ぅぅーっ!」

「私にとっては数年にも思える程の時間でしたよっ!」


 と。

 彼は「俺まだほとんど何もしゃべってねぇぇ!」と、叫びを残して姫とともに消え。


 そこにはひらりと。

 彼の上半身の衣服が床に落ちる。


「姫ちゃん、情熱的だよぅ……」


 食堂というには広すぎな部屋で一部始終とその姫の行動に呆れるように苦笑いする女性がいた。


「あ。お久しぶりですの。永遠名さん」


 気持ち垂れ目がチャームポイントな、喋らなければ深窓の令嬢、喋ればはんなりお嬢様が、そこに。


「お、お久しぶりです。さん」

「はいな。皆さんも初めまして」


 深々とお辞儀する彼女の、漆黒の長い髪がさらさらとその行動とともに滑らかに滑り落ち。


「姫ちゃんから保護して欲しい方がいると聞き、この場に来ていただきましたの。ここなら見て頂いた通り、安全ですの」


 碧というお嬢様が発したその言葉に、ここが姫の言っていた目的地なのだと知る。


 実際この場所なら、裏世界の住人に関わらず、表世界の人間でさえ、どんな人物からでもあらゆる面で守ってもらえそうにも思えて安心する。


 誰が何十体ものギアを抜けてこの屋敷へ来れるのか。

 誰がこの財閥に対して抵抗できるのか。


 ほっと、これでやっとゆっくり休めるのかと、冬の体の緊張感が一気に抜けていく。


「お疲れだと思いますの。まずは食事でもしてごゆっくり疲れを癒してくださいな」


 そんな切れた緊張感の後に優しい声で告げられる、言葉に。


 ああ。ここに、常識人がいる。と、冬はより一層ほっとした。


 だが――


「本当はしっかりとディナーを用意したかったのですが……姫ちゃんが帰ってきた時に用意してた料理なので、お口にあえばよろしいのですが……」


 ――二人は、やっと休めると、ほっとしてはいけなかったのだ。

 ――常識人がいると、ことここに至っては、まだ、思ってはいけなかったのだ。


「「……まさか」」


 ことり、と。

 用意されたそれに、



 水原さん(あの女狐)まさか……これを回避するために……っ



 二人の胸に去来する考え。



 確かに。

 あの時、彼女は、御主人様を確保すると言っていた。


 有言実行。確保はしている。

 凄い愛情表現で確保して、この場から瞬時に去った。

 それは、本当に愛情表現だけだったのだろうか。




「まさか、これを……」

「た、食べ物……なのか……?」



 にこやかに綺麗な笑顔を浮かべるはんなりお嬢様に聞こえないように、二人は思ったことを口にする。




 それは、食堂の長机に鎮座する。




 黒く、ぐつぐつと。

 煮えたぎった、黒い物体。




 丼に入っているのだから、丼物ではないかとは思うが、見えるのは闇という病みを思わす黒のみだ。


「し、失礼ですが、水原碧さん。これはいったい……」


 思わず。

 ぐつぐつと煮え――ぽわんと泡ちょうちんが出来、破裂しては悲鳴のような旋律を奏でるその黒い物体を指差し聞いてみる。



 今では、その笑顔がホラーに思えるほどに。

 目の前の女性に。二人は、それを当たり前のようにこの場に出した彼女に、恐怖した。








「牛丼?――ですの」








「「これが!?」」


 思わず。

 驚愕の一言を発してしまう。


 姫が焦るほどの危険なものが何なのか。

 しっかり助けるべき目標を確保して去っていった姫。

 あれは、大げさにここから逃げるためのアクションだったのではないか。

 そうとさえ思えてしまうほどに、目の前に置かれたそれは――


「俺は、まだ。死にたくないんだが」

「僕も、ですよ……」


 ――裏世界を生きてきた二人から見ても、それは危険だと感じられる代物だった。


 ここで死ぬのだろうと。

 二人は自身の死を身近に感じながら、ごくりと喉を鳴らした。

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