第108話:その名を紡ぐ
財閥屋敷前庭園。
その庭園にたどり着いた冬達は、庭園すべてを見渡せる位置にある東屋で、姫に勧められるままに休憩をすることにした。
冬自身は姫に小脇に抱えられていたため疲れはほぼないが、それでも、東屋の一席に座ったときには、ほっとため息を思わずついてしまっていた。
肉体的には疲れはない。だが、やはり引き摺っているのか、精神的な疲労は消えず。
やっと手に入れることができた殺人許可証。
その為にこれまで努力し、死と隣り合わせの試験に受かり、仕事も裏世界も理解し始めた時。
これから姉の行方も分かるかもしれない世界樹へと向かおうとした矢先の、許可証の剥奪。
そして。
普通の一般人として、裏世界全てから追われる身となり。
急激に変化した自分の身の状況に、冬の精神的なダメージは計り知れないものだった。
「心にも癒しが訪れるといいのですが」
チヨが疲れているという理由だけではなく、それを察したからこそ、姫は美しい風景に囲まれたこの場で冬の心に癒すことも考え、休憩をこの場に選んでいた。
「さて……」
この場の景観にほっとしている冬を見て、少しだけ頬を弛ました姫は、更に冬にゆっくりしてもらうため、周りにいる駄々漏れの気配に意識を向ける。
姫からしてみればなんとも思わないが、どうやらそれらは器用に姫以外に殺気を当てていたようで。
姫が辺りを一睨みし、片手をあげて手招きする。
ざざざっと、辺りに急に聞こえだした雑音。
あらゆる方面から聞こえる人が忙しなく動くような音に、チヨがびくっと体を震わした。
「跪け」
語るように言われたその一言に、姫の背後に数名の男女が突如現れた。
いずれも、姫や枢機卿と同じ姿。
メイド姿や執事姿の男女のイケメン美女尽くしな彼女達がその場に現れ、姫の背後で片膝立ちに、言葉通りに跪く。
「み、水原さん?」
「ご安心を。お客様である皆様にご無礼を働きましたので、止めさせました」
先程から値踏みするかのように殺気を放っていた本人達だと分かるとともに、その纏った衣服に、この屋敷の使用人なのだと冬は理解したのだが、
「御主人様はメイドが特にお気に入りですので――いえ、メイドというより私のことが大好きで仕方ないので、それにあやかろうと、皆この格好をしているのですよ」
御主人様が、メイド好きだといういらない情報も手に入る。
『鎖姫……?』
「なんですか?
『その……貴方の御主人様は……重度のロリコンと、聞いておりましたが?』
「正妻が義妹、側室が生まれて三年目の実妹ですから、それはもう、重度のロリコンでシスコンですね。もっとも、私のほうが愛されていますが」
「……義妹? 実妹?」
冬が知る同級生――水原凪には、傍に二人の女性がいた。
「
「義妹――華名貴美子様としての一人娘ですね。財閥令嬢として……貴方には、学生時代の学食にあったクレープパン発案者といったほうが分かりやすいですか?」
その一人は、彼のことを『お兄ちゃん』と呼んでいた。
「水原ナオさん」
「実妹のほうですね」
彼女は、『お兄たん』と彼を呼んでいた。
どちらも財閥令嬢と聞いていたが、言われてみれば何かおかしい。
「水原凪君は……後継者? 財閥の? 華名ではなくてですか?」
「ええ。当主――
「ああ……それで……」
「細かくは省きますが、色々ありましてどちらも血が繋がっておりませんので合法ではありますよ。……そのようなしがらみもない私がもっとも愛されていますが」
「合法……?」
実妹と言っておきながらも血は繋がっておらず、姫にも何かしらありそうだが、複数の嫁をもつことについては彼女達のなかではなんら問題はないのだと冬は理解した。
ただ。
そろそろ姫が要所要所で伝えてくる『御主人様に自分がもっとも愛されている』アピールにツッコミをいれるべきなのか冬は悩む。
「えーと。つまり? お姉様は誰よりもその御主人様に愛されている、と?」
チヨが、分かった部分に対して質問した。
ナイスツッコミっ!
思わず冬は、心のなかでチヨを褒め称えた。
姫が、「何を当たり前なことを。愛人ですよ?」と、自信たっぷりに呆れたようなため息をつくと、それを見たチヨの目が光る。
「メイド先生っ!」
チヨが、メモを片手に、素早く挙手。
枢機卿が呆れながら、『……私もメイド姿ですが……』と対抗しだすが、姫がくすりと笑いながら「なんですか、チヨさん」と魅惑の女教師を演じ出す。
「どうしてお姉様が一番愛されていると分かるのですかっ!」
「ええ。それはもちろ――」
『なぜなに姫様講座』が、また。始まろうと――
「――違うの」
そんな声が。
『なぜなに姫様講座』を遮った。
「あら。お迎えにあがられたので?」
姫がその声にすぐに反応して返事を返す。
そこにいたのは。
「姫が間違ったこと言ってるの聞こえたから来たの」
大きな黒猫――いや、違う。
ぶかぶかの大きめの黒いパーカーを被り、そのパーカーについた猫耳がぴこぴこと動く様が、猫のように見せているだけで、れっきとした人だ。
背丈は姫より低いが、生まれて三年目とは思えなく、気配もない、見た目は冬達と同学年と思われる女性。姫が妖艶で綺麗というのであれば、彼女は可愛い猫と形容されるであろう。
「何か間違っておりましたか? ナオ様」
「大いに間違ってるの。お兄たんはナオのことが一番好きなの」
どういう仕組みかは不明だが、ぴくぴくと、何かに反応する猫耳。
「だって。ナオはお兄たんの天使だから」
「私は御主人様の愛人ですよ?」
冬からしてみると誰がどっちを好きかなんて、どうでもいいことではあるのだが、彼女達にとっては必要な、互いの間に火花が散るほど張り合いが必要なようで。
「そこの、いつもナオのお兄たんを狙う同級生」
「……はい?」
なぜ、自分が彼女達の旦那を狙うことになっているのか分からず返事をした冬を、その黒猫パーカーのポケットに両手を突っ込んだジト目な彼女が見つめてくる。
座った冬を、ほんの少し、上から見下ろす彼女と目が合うと、
「武器、壊れたって聞いてるの。とっとと見せるの」
「……え?」
「ナオ様は、天才という言葉がぴったりな方ですよ。その証拠に、枢機卿のその体を作った方ですから」
『……あなたが、この体を……?』
そんな彼女が自身が作った機械の体で動く枢機卿に満足げに「うむ」と頷くと、ポケットから片手を出してピースサイン。
「どんな武器かはしらないけど、二分で直してやるの」
ピースサインではなく、ただ時間を示しただけだった彼女が――
――水原凪の実妹。
水原ナオ。
生まれて三年目とは思えない、猫っぽいちみっ娘な天才少女だ。
「――ぉぉおおおおーーーっ!」
そして、遅れて叫び声とともにもう一体。
「姫様っ! こちらにこの帽子のもちぬ――ひゅがっ!」
突如現れた何かの声に。
姫が一瞬で反応し、その何かに回し蹴りが炸裂。それは木々を薙ぎ倒して遥か彼方へ突き進んでいった。
「ナオ様の警護はよろしい。ですが、貴方に、姫と言われることを許可した覚えはありません。何度言えば分かるのですか」
「い……今のは……」
あまりにもいきなりの暴力に、綺麗なこの庭を台無しとするほどに傷跡を残していった何かから切り離されたそれがひらひらと舞い、冬の近くに落ちた。
それは、帽体の正面に白文字で『Λ』と書かれた、鍔の長い黒い帽子。
冬が、以前姫を緑地公園から正体不明の遺跡と化した場所を案内した際に奪われ、そのまま紛失した帽子だ。
「ああ、あれですか」
姫がその帽子を拾い上げ、驚く冬の頭にすぽっと被せると、「似合ってますよ」と一言添える。
「そちらで跪く使用人達と一緒の、『ギア』ですよ」
「ぎ……ギア……って……あの、数体で世界滅ぼせるって……」
周りにいた、それら使用人が全て
姫を連れて訪れた緑地公園で、問答無用で別れた後に、姫が目覚めさせたギア達だと気づくとともに。
「ええ。先程のはそのギアのリーダー格、第七世代のギア――」
そのリーダー格であるギアを、軽々と蹴り一発で吹き飛ばせる姫と、景観があっさり破壊された庭園に驚き続ける冬に、姫はその美しい唇で彼の名を紡いだ。
「名を、ポンコツと言います」
ポンコツ。と。
その名を。
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