第104話:『三』つの攻防 弐


 表世界へと何事もなく上昇していくエレベーター。


 その内部にいる四人が見る景色は、鮮やかな裏世界ではない。


 いつも冬が使っていたエレベーターとは違い、ただただ、駆動音と外の景色を映す予定だったであろう強化ガラスの向こう側に、土の壁だけが映し出されたそのエレベーター。


 乗り入れたエレベーターには、外の景色を見るギミックはなく、上へと上がり続けていく。


「間もなく地上ですね」


 両手を腹部の前で重ねた立ち姿で細かな揺れに微動だにせず立つ姫が、何もない鉄の天井を見上げて言った。


 姫のぴしっと整った姿勢に、冬はなんて綺麗な立ち姿なのかと、ぼーっと見つめてしまう。


「じろじろと見るのは失礼ですよ」


 姫に言われてずっと見ていたことに気付き、顔を赤く染めて俯いてしまう。

 だが、その立ち姿に、そう言えば、と気になることができて姫に質問した。


「水原さん」

「なんですか?」

「その立ち方って、よく見かけるのですが、何か理由でもあるのですか?」


 呆れ顔で、「何を急に」と言われても仕方のない質問だった。

 現に、ただ上がり続ける狭いエレベーター内で暇だったので気分転換だけが理由の質問であり、じっと見続けてしまったが為の恥じらいの払拭でもある。


「あー、確かに美人さんとかでその姿勢の人よくみるよねー。確かに綺麗な立ち姿だよね、メイドさん……否っ! 立ち姿だけじゃなくてどこから見てもあたいと違って綺麗なんだけどもさっ」


 何と張り合おうとしているのかと、樹に軽く頭を小突かれながら、チヨは姫をきらきらと羨望の眼差しで見つめだした。


 なにやら妙な気配を感じるチヨに、姫は軽いため息をつくが、嬉しそうに口角をほんの少しだけ上げて笑顔を見せた。


「……コンス立ちのことですか」

「あ。呼び名があるんですね」

「ええ。胸元で結ぶリボンを押さえながらお辞儀をする作法が元となっています。……ああ、ちなみに私の場合は、何も手に持っていないことを表すために正面で手を重ねているだけですが。綺麗な所作かといわれるとまた違っていますね」


 妙に鼻息が荒くなったチヨが「メイド先生っ!」なんて挙手しだした。

「先生」という部分にか、珍しく悪ノリした姫が「なんですか、チヨさん」と、魅惑の女教師張りに指差すものだから話は止まらなく。


 『なぜなに姫様礼儀講座』が始まった。


「どうして最近その立ち方を見かけるんですかっ」

「単純に、綺麗に見えるからでしょうね」

「き、綺麗にっ!?」


 確かに。と、姫の立ち姿にチヨがごくりと喉を鳴らし、鼻息は更に荒くなる。


「このように立つ姿を『コンス立ち』というそうです。姿勢正しく行うと妙に礼儀正しく女性らしく見えませんか」


 クラシカルのメイド服の中で片足をほんの少しだけ後ろに下げた様子の姫を、「ふむふむ。参考になります姉さん!」とメモを取り出すチヨの手が止まらない。


 それは『コンス立ち』というちゃんとした礼儀正しい立ち方であり、体がS字を自然と形作りやすい姿勢だと姫は説いた。

 ただし、そのままお辞儀をすると腹痛を訴えているかのようなポーズになるため、特定の国では礼儀的によろしくないと、実演付きの姫講座が止まらない。


「お辞儀をするときは姿勢正しく。手を両腿に添わせてお辞儀するのが正しいので、お気をつけください。あくまで、私達がいるここで、ですので、他ではまた違ってきますが」

「ふんぬー! 分かりました姉さんっ!」


 と、興奮止まらないチヨをみながら、冬と樹は「礼儀について言われても」と苦笑いするしかない。


 冬や樹からすると、「それは何かに活用できるのだろうか」と疑問が沸くだけだった。


 とはいえ。あまりにも何もない空間であるため、いい暇潰しにはなったと思いつつ。


 エレベーターが、チンっと到着の音を小さく奏でたことで、四人のエレベーターの旅は終わりを告げた。


 ゆっくりと左右に開く扉。



 むわっと。


 鼻を突くのは鉄の香り。



 それは。



 血の匂いだ。










 くるくるくると。

 成人男性程の重そうな黒い棒を、片手で新体操のバトンのように軽々と回すその姿。

 鮮やかな緑の髪を、ギブソンタックに整えた女性。


 見た目も衣装も、冬の傍で冬を助けてくれていた、水原姫にそっくりなその女性。


 違うところといえば、その髪色と、濃緑の衣装――メイド服。

 そして、その青く澄んだ瞳だろうか。


 くるりと体ごと回転すると、ぴっと音とともに黒い棒から飛沫が飛んだ。


 その飛沫は赤く。

 明らかに人の血だ。


 そのメイドの傍には、


 何人もの人が。


 倒れ、潰れ、ひしゃげて折れて千切れては細切れになってその場を散らかす。




『ああ、やっと上がってこられましたか』




 身近でよく聞いたことのある声に、冬の動きはエレベーターの中で止まる。


「お、お姉さまが二人……」


 いつの間にかお姉さまと呼ぶようになったチヨが、エレベーター外と、自分の傍にいる二人の『姫』に驚きの声をあげ、樹がチヨの前に立ち、現れたもう一人のメイドに警戒する。


「……入り口前で、殺し屋が待ち伏せしていたのか」

『それはもう、組織総出でしたよ。確か脅威度はCランクの組織だったと思いますが』

「……で、お前は敵か?」

『まさか。見た目で分かると思いますが?』


 分からないから樹は聞いているのだが、冷静に考えてみれば、行動を共にする鎖姫と同じ姿だと思うと、敵とも思えないから不思議だった。


 ん? 待て……。そうなると、あの黒い棒上の物も……俺の知らない何か不思議な武器の一種――


 なんて思うからこそ、敵と思えなかったのだろう。

 緑のメイドがくるりと黒い棒――棍を回して地面に突き立てる様は、まるで猛将のように。

 樹はエレベーターからチヨを引っ張り出すと、ごくりと、突き立った棍をエレベーター前で凝視する。


「自分に似た姿を見ると、違和感を感じますね」

『ええ、本当に。……でも、感謝してますよ、鎖姫』

「満足なら何よりですよ。枢機卿カーディナル


 二人の姫は互いに近づき、話しだす。

 互いを見ながら話す二人は、まるで色だけの違う双子のように。


『冬は無事ですか?』

「ええ、あの通り――」


 黒の姫が、エレベーターを丁寧に指し示した。



 エレベーターは、ゆっくりと扉を閉め。

 冬を中に残して。閉まっていく。




 ……

 …………

 ………………





「何をやってるんだっ!?」


 我に返って必死にエレベーター横の上下のボタンを連打する樹のおかげで、冬を載せたエレベーターは、無事地上のままに、扉を開けた。


「……あまりの驚きに、動けなかったみたいですね」

『にしては、あのまままた地下へ降りていくつもりですかね?』


 くすりと笑う二人の姫に。



 驚くでしょう。驚かないほうがどうかしていますよ。



 なんて、まだ驚きから戻って来れない冬の口はぱくぱくと。


 まさか、枢機卿が動いているなんて。

 しかも水原さんにそっくりだなんて。

 何をやったらああなるのか。


 冬はまだエレベーターの中でぱくぱくと。


 また扉が閉まりかけて樹に頭を叩かれながら引っ張りだされても、目の前の枢機卿の変わり果てた姿にぱくぱくと口を開閉し続けていた。



『とにかく、余計なのも二人ほどいるようですが、共にこの場から去りますよ』

「保護する場所はもう決めてありますので、向かいましょう」

『そちらへの道案内はお願いしても?』

「ええ、ご安心を」


 そんなやり取りとともに、また姫に抱えられて進みだす冬。


 表世界に辿り着いてもまだ狙われる状況に、冬は一抹の不安を覚えながらも、助けてくれる仲間達にどう報えばいいのか考える。


 そんな考えは纏まらないまま、冬は数時間後には無事保護されることとなった。



 そんな、冬達が表世界に辿り着き、新たな仲間と合流していた時。


 その地下。裏世界では。


 瑠璃と松達の戦いはあっさりと終了し、別ルートを使って表世界で合流しようとしていたということを、冬はまだ知らない。

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