第91話:逃亡


「逃げてもどこまでも追いかけてみせるよ。手に入れるまでね」


 形無はにやにやと。


 許可証所持者の恥さらしである『ラムダ』を裏世界のために殺害しようとしただけなのに、『鎖姫』がついでとばかりに現れ、思い焦がれた生物ナマモノに出会えたことに歓喜と感謝をした。


 このまま手に入れて自分のコレクションに。

 彼女のすべてを手にいれたい。


 次第に彼の中で、手にいれた後のことが脳裏に浮かんでいく。



 だが、その邂逅と妄想は、すぐに終わる。



「ラムダ。飛びますよ」

「……え、あっ……」


 姫は、形無が言ったことに呆然とし、囲まれていることさえ忘れて隙だらけとなった冬を小脇に抱えだす。


「知りたいことは知れました。逃げますよ」


 この冬の精神状態であの数は無理だと判断した姫は、一気に飛び上がった。


 先程自身が開けた天井。

 その穴へ向かって羽毛が浮くように。

 その動きは、奇しくも形無が姫を形容したように――空を舞う美しき天女のように。


 何もない空間を蹴りながらジグザグに空へ。

 いとも簡単に空へと駆け上がり、まるでイカヅチのように宙を走り抜け。


 そして、消えていく。


 その動きに、その場にいた誰もが動くこともせずに、ただ、見つめて逃亡を許してしまっていた。






「逃げても追いかけるといったよ? 僕の権力を使っていくらでも」


 大きく開いた穴から消えていった姫に喋りかけるように、焦ることなく形無は呟く。

 自分が冬を殺すために集めた所持者達の輪から逃げだした彼女を見つめた目には、落胆の表情は一つもない。


「あの犯罪者……。あいつを使えば、必ず鎖姫は戻ってくるはずだ。御主人様とやらも見つけ次第殺さないと」


 そうぶつぶつと呟くと、形無は笑みを浮かべて枢機卿を起動した。


 起動したそれは、数多の人の名前が載った名簿だ。


「あの犯罪者はもう殺人許可証所持者じゃない。それなら――」


 かたかたと、宙に浮く枢機卿の画面を触り続け、その名簿へと文字を刻んでいく。


手配帳ビンゴブックにも載せておけばあっさり終わるかな」

「あの……彼を、追わなくても……?」


 そんな狂気染みた形無に、一人の許可証所持者が声をかける。


「これを受理してから追いなよ。お金、欲しいだろ?」

「これは……」


 形無は、エントランスにいる許可証所持者達へと。


 先程まで触っていた画面を公開した。


―――――――――――――――

 殺人許可証所持者として、表世界で所持者の品格を下げる行為を行ったB級殺人許可証所持者『ラムダ』を、許可証剥奪とし、裏世界で重要手配とする。


 生死問わず

 懸賞金:一億円


 尚、逃亡を手助けしたB級殺人許可証所持者『鎖姫』は捕縛対象とし、『疾の主』へと渡した者には追加報奨有。


 以後、ラムダを最重要犯罪者とする。

 この手配は、彼の犯罪者の死亡が確認されるまで永久手配とする。

―――――――――――――――


 冬の名は、犯罪者として。

 たった一人の男の指先ひとつで、裏世界で急速に。



 『形』の『無』い風となって、情報は『疾』やまいのように広がっていく。









 ――裏世界。とある路地裏。


「水原さん……」

「何ですか。永遠名冬」


 いまだ姫の小脇に抱えられたまま。

 冬は、自分の身に起きた覚えのない犯罪歴を思い出しながら弱々しく姫に声をかけた。


 流れる景色は、まるで以前和美と夢の世界で乗ったジェットコースターのように目まぐるしく移り変わり。

 だが、そんな景色は今は冬にとってはどうでもよく。


「理不尽ですよ……」

「理不尽ですね」


 殺人許可証所持者として裏世界に関われなくなれば、裏世界に蔓延る殺し屋達と変わらない。


 犯罪者となった今の冬には、枢機卿の莫大な情報や、情報屋として協力してくれていた香月にも協力を仰げない。


 尚且つ、指名手配となった今は。


 松にも瑠璃にも樹にも。

 弓やシグマにも。

 ピュアも。


 彼等も敵として、冬に襲いかかってくるだろう。


 そう思うと。

 今まで、自分がどれだけ周りに救われ、周りに助けられ。

 仲間に恵まれ、自分の周りにいた仲間達がどれだけ優しく頼りになる人達だったのかと。


 そして、その仲間達の標的になることが。

 辛く。悲しく。


「どうして……僕が」

「どうしてですかね。わかりませんね」


 許可証所持者でなくなったら――


 憎き親を。

 探して救い出さなくてはならない姉を。


 探せなくなる。


 そして。何よりも。



 最愛のスズを、護れなくなった。




 スズが自分と一緒にいたことが知られれば、危険に晒されることとなる。

 今、そのスズが傍にいないという物理的な問題もあるし、周りにいた皆がスズを人質のように扱って自分を捕らえる、または殺そうとするとは流石に思ってはいないが、それ以外の殺人許可証所持者は違う。


 スズを護る為なら殺し屋に身を堕ちても構わない冬ではあるが、スズを危険に晒すことはまた違う。



「何も、していないのに……」

「今回の件に関しては無実ですね」


 夢であれば覚めてほしいと思いながら。いまだ納得のいかない状況に涙が溢れそうだった。



「あ~、みつけたぁ」



 その状況が起こした災難は。

 間髪いれず、追い討ちをかけるように冬へと襲い掛かる。


 女性の声が聞こえて、姫は立ち止まった。


 立ち止まったそこは、細い路地。

 <鍛冶屋組合>がひしめく、裏世界の暗器を扱う武具店の隙間だ。


 その細い道の先に、二人の行き先を塞ぐように、女性が立っていた。


「まさかね~。ちょと関わったことがある人があんなことやってる人だってのは流石に驚いたね~」


 間延びするような惚けた口調の声。

 その声の主が一歩ずつ近づいてくる。


「……誰、ですか……?」


 近づいてくるにつれ姿が露になるその女性は、長い髪を後ろで無造作に団子上にくるりとまとめた、医師が着ている白衣をコートのように着る女性だ。


「裏世界で会うのは初めてだね~。私もあなたも、名乗っちゃおっか」

「……ああ、あなたですか」


 姫がその姿を見て、抱えていた冬を下ろす。


「君の名前はなんだっけ~?」

「僕は……ラムダ――」

「違うでしょ~。今は殺人許可証所持者でもないでしょ~? 永遠名、冬君」

「……あなたは、誰ですか……」

「あ~あ、忘れられてるかぁ。一応依頼で協力したこともあるし、あなたのお腹を治してあげたことだってあるんだけどね~」

「え……」


 その言葉に、冬は一年前を思い出した。


 二次試験で傷を負い、裏世界の被害者であった美保と出会った病院に通った際に、冬は腹部を不可思議な力で治してもらったことがあった。


「……まさか……」


 あの時出会った女医が、目の前にいる女性だと、思い出す。


「私はね~。『戦乙女ヴァルキリー』」

「暁さんの目を治してくれた……」

「ごめいと~」


 B級殺人許可証所持者『戦乙女』。


「美保ちゃんも、こ~んな男のどこがいいのやら~」


 彼女の腕から、水がこぽこぽと溢れ出す。


「型式……」


 それは、『流』の型が作り出す水だ。


 冬は今更ながら、あの時傷を治した力が、癒しの力である、『流』の型を使った治療法だったのかと気づく。


「松君の彼女の……」


 そして。

 数時間前に聞いた衝撃の一言だったことも合わせて思いだし、口に出した。


「そばかすの?……戦乙女、婚期を逃さず頑張ったのですね。年下ですか」

「弟みたいに可愛がってるよ~」

「……ブラコン」


 姫が、冬を隠すように戦乙女の前に立った。


「その彼氏の友達に手を出すわけですか」


 その手には、すでに『牛刀』が握られている。


「あ~、そっかぁ……私、これから――」


 冬は、目の前の戦乙女を、自分を追う相手だと、今更ながらに認識した。


「私の未来の旦那の友達を、殺さないといけないんだね~」


 その水は、ゆっくりと彼女の手に集まり、やがて氷柱のように細く鋭利な水の刃を作り出した。


 シェイクハンドでその手が掴む刃は、小さな手術用ナイフ――メスのよう。


「ではでは」


 戦乙女はその言葉の後に、くるくると宙を舞わせたメスを器用に掴み直して今までの話し方を止め――


「B級殺人許可証所持者『戦乙女』。今から手術オペを、開始します」


 ――医師が手術を行うかのように名乗りをあげ、メスを冬達に突きつけてそう言った。

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