第92話:大損害


 細い路地にかつんっと、幾つもの音が響く。


「何で姫さんが戦うのさっ!」


 その音は、投擲され続けるメスが狭い路地の壁や地面に突き刺さる音だ。


「なんでですかね?」


 裏世界は広い。

 だが、その裏世界では、弱いものは淘汰される。

 女性が弱いわけではない。争い事を嫌う女性が多いことがこの裏世界では弱者として先入観を持たれていたという意味である。

 裏世界においても、力を求める女性が活躍する場も多い。だが、絶対数として、少ないのは確かであった。


 殺人許可証所持者ともなればそれは尚更であり、


「いくら仕事に誘っても一緒にやらないしっ、なんでそんなやつ庇うのさっ! そいつがまさかの御主人様だからっ!?」

「なぜコレを私の御主人様と勘違いするのか、理解に苦しみます」

「じゃあ、なんでっ!」


 力を求めた女性許可証所持者は互いに協力体制を取っていることが多く、ピュアをはじめ、女性達はほぼ顔見知り、協力関係にあると考えて相違ない。

 それだけ数が少ないとも言える。


 だからこそ、争いが絶えず生まれるこの裏世界で稀有に。結束力も高い。


 姫も戦乙女も。

 例に漏れず、顔見知り程度の――姫は基本ソロだが――仲間である。



 水で出来た複数のメスが戦乙女から放たれ、姫がそのメスを弾き叩きつける。


 それが、今の数十分程前から行われる攻防の縮図である。


「何でだと、思います?」


 突き刺さったメスは、本来の水らしく蒸発するように消え、辺りにほんの少しの水溜まりを作り出す。


「私が相手したいのはぁっ! そこの女性の敵だよっ!」


 メスは常に冬に向かって放たれる。

 そのメスを、冬の前に立つ姫の前に一筋の白い一閃が浮かぶ度に弾き返されては辺りに突き刺さる。


「姫さんだって、そいつに何されるかわからないよっ!?」

「情報操作に踊らされてますね」

「枢機卿や情報筋から出る同一情報なら信じるでしょっ。情報操作っていう確かな理由でもあるの!?」

「偽善で他人を救う行為をしていることと、彼の学生時代に私が近くで見ているからですかね」


 時には姫を迂回するように弧を描いて冬を強襲し、時には上空から雨のように数多のメスが降り注ぐ。


「貴方は、この男を知らないからそう言え、そう動けるのでしょうね」

「知らないからなんだってのさっ! やましいことがあるからこの状況でしょっ!」

「ただの偽善者であり――」


 細い路地を縦横無尽に障害物を有効に使って多彩に動いては投擲する。

 時には水そのものを目眩ましに使い、間隙を縫って冬を狙う。


 それらは全て。

 姫が見えない速度で牛刀を振る、その白き一閃によって全てが阻まれていく。


「――御主人様の友人ですから。彼」

「……は?」


 そんな、戦いながらの会話が途切れたのは、戦乙女が姫の言葉を聞いて投擲を止めたからだ。


 姫とは少なからず顔を合わせたことのある戦乙女である。


 その姫と会う度に聞く、御主人様という単語。全ての罪が許される免罪符なのかとも思える発言。


 会ったことのないその姫の相手が、


「その御主人様、本当にいる――!?」


 空想上の存在なのではないかと疑う心が驚きの声となって現れた。


 その言葉を、更に大きな音が遮る。


「いますよ。当たり前です」


 姫が、ただ足を軽くあげて地面を踏み抜いただけの音だ。


 その爆心地はコンクリートの地面を簡単に抉り、破砕し分解。姫の足元をぱらぱらと粉が舞う。


「あー……やぶ蛇」

「いい加減飽きましたよ。殺す気もないのでとっとと道を譲って頂きたいのですが?」


 互いに本気を出していないかのような戦い。


 冬は、B級同士の戦いはこんなにも激しいものなのかと驚きを隠せない。


 何より、明らかに姫は手加減していることがもっとも驚くべきところではある。


 なぜなら、姫は。


「せめて、そこから一歩だけでも動かしたかったけどなー」


 戦乙女が言うように。

 戦いが始まってから。姫はその場から一歩も動いていなかったからだ。


「動く気も起きませんから」

「それは流石にー。トサカに来るわね」

「どこの方言ですかそれは」

「旦那の真似かなー」


 くすくす笑う戦乙女は、姫に向かって一本のメスを投げつける。

 姫はそのメスを牛刀で斬らずに受け止めて地面に捨てる。


「まー、時間稼ぎはある程度出来たから、私は満足なんですけどー」


 少しずつ口調が元の戦乙女へと戻っていく様をみていると、その互いに会話する内容も相まって戦いが終わったかのようにも思えた。


 だが。


「おい、こっちにいるらしいぞ!」

「誰が殺しても懸賞金もらえるんだよなっ!」


 そんな喧騒が聞こえ出してきた。

 冬はその声に、追っ手が追い付いてきたことを理解すると共に、裏世界全てが自分の敵となっていることを理解した。


 誰もが、冬を殺したいと願う。

 殺せば金が手に入る。

 たったそれだけのことで人を殺そうとする悪意を垣間見たような気がした。


「時間をかけすぎましたね」

「姫さんには勝てる気しないから物量でなんとかならないかなってね~」


 そう言うと、戦乙女はしゃがみこみ、地面に手をつけた。


「でもさ~。流石にこうも虚仮にされると――」


 先程から戦乙女が大量に投げつけられたメス。

 それが作り出した、水溜まりの幾つかが消えると、周りに水蒸気となった気体が湿度を上げて視界を奪う。


 霧だ。

 濃厚な霧のような霞む世界を、戦乙女は戦いの場となった路地だけに作り出した。


 辺りに撒き散らされ、蒸発するように消えたメス。

 水溜まりをあちこちに作り出したこと。



「一歩、動かしてみたいよね~」



 すべては、この為にあった。





       『氷槍ひょうそう





 コンクリートに固められた、水はけの悪い地面の水溜まりから。

 細い路地の左右の建造物の濡れた壁から。

 空気中に漂う湿気の細かな塊が凝固し。


 全てが、急激に下げられた温度によって、一斉に牙を向く。


 ずんっと複数の音をたてて辺りに勢いよく発現された氷の槍。


 辺りに現れた、逃げ場がどこにもない槍の軍勢は辺りの建造物を破砕し、それらはすべて、冬と姫のいた場所を隙間なく埋め尽くす。


 戦乙女の必殺の一撃が、彼等を貫いた。


 の、だが――


「……永遠名冬の『無用心』に比べれば、素晴らしい技ですが」


 そんな隙間なく埋め尽くされた槍の内部から、変わらず声が聞こえる。


 純白の光に身を包み、妖艶な美女は動くことなく立っている。


「満足、しましたか?」

「無傷って……嘘でしょ……」


 そんな驚愕の表情を浮かべる戦乙女に。

 冬も、「そう思いますよね……」と同意した。


 明らかに型式の五つの型とは違う力。


 この力で、冬は先程の槍の一撃から護られていた。

 冬さえも包み込むこの光は、慈愛を心に感じるかのように温かい。


 その力が何なのかは分からないが、この純白の光を突破しない限りは、姫にダメージを与えることはできないことだけは分かった。


 戦乙女が作り出した槍は、その光に当てられて次第に溶けていく。


 かなりの水量で作り出されたそれは、水蒸気となって、先程の霧のように辺りに充満し、煙のようにもくもくと湯気を放つ。


「貴方のこの技の弱点ですが、貴方達の力に則ってお見せ致しますよ」

「え――?」


 姫は、牛刀を消し、片手を戦乙女に向ける。


「『焔』の型」


 ぱちんっと。指を鳴らすと、その指から炎が現れた。

 その炎は現実に。姫の全身に纏わりつくように燃え盛り、姫の周りの大気さえも熱していく。


「水を、一気に高温で熱すると、どうなると思いますか?」

「え、ちょ……や、やば――」



 そして。





 カッ





 と。







 周りの建造物さえ吹き飛ばす、大爆発が起きた。



 周辺を巻き込む大規模爆発。



 それは<鍛冶屋組合>の軒並みが乱立する場所で、冬を探していた追っ手さえも巻き込み吹き飛ばす。


 姫が現出した炎は、一気に燃え上がり、辺りの物質を熱く、溶かす程に熱した。


 その結果が――



「こうなりますので、これからは気を付けなさい」



 ――水蒸気爆発。



 大規模爆発となったのは、その水蒸気爆発のせいだけではない。

 鍛冶屋である。

 中には溶鉱炉や熱を扱うものでもあり、火気厳禁なものが多々ある。

 それらが一斉に吹き飛ばされ、誘爆したのだ。


 気づけば辺り一面。焼け野原。

 そんな爆風覚めやらぬ爆心地に、純白の光に包まれた三人が残る。


 二人は腰を抜かすように地面に座り込み。

 一人は優雅な佇まいで直立不動。


「戦乙女とのお遊びは終わりましたので、とっとと逃げますよ」


 姫は、相変わらずの無表情で冬を見る。


 綺麗に建物は瓦礫と化し、<鍛冶屋組合>の一角を再起不能なまでに叩き落とす、姫の指ぱっちん。



 この人が傍にいることは心強いのですが……


 改めて姫の力に驚きながら。


 命がいくらあっても足りない気がしてきました……。


 この姫に敬愛される御主人様は、なんなのかと。

 同級生であった彼も大変だろうと、何故か同情してしまった。


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