第81話:違和感

「あなたがラムダ? 初めましてだねー。旦那からはよぉく聞いてるよー」


 正しくは一年前にファミレスでシグマの背中で眠る彼女を見ているので「初めまして」ではないが、冬も律儀に挨拶を返した。


 名を聞いた瑠璃と松は、殺人許可証所持者トップであるその女性の姿に思わず立ち上がり。


 『シグマ』と『ピュア』と呼ばれた、この夫婦の二人を知らない和美と未保は、出来上がった朝食を運ぶ手を止めリビングできょとんと立っている。


 スズはキッチンから出てくると、その姿に、瑠璃と松と同じく驚きの表情を浮かべて立ち止まった。


 軽そうな口調のその挨拶とともに、女性は顔を冬に見せる。


 白い髪の毛が黒いパーカーフードとコントラストを奏でるその女性は、若々しく美しく。


 ぱさりと、フードを外した先から現れた、リボンで束ねた尾のような白い左前髪は、彼女が動く度にふらふらと揺れる。



 美しいとは思えど、まだ学生と言ってもおかしくないほどのその幼さの残る顔立ちに、冬は――







「シグマさん。ついに結婚されたのですね。おめでとうございます」





 シグマがついに結婚したのだと、祝福の言葉を、告げるだけだった。


「いや、まあ……その、なんだ。うるさくてな」


 そんな、嬉しそうな表情で祝いの言葉を告げる冬を見て、シグマは恥ずかしそうにぽりっと頬を掻いた。


「うるさいってなによー」

「いや、うるさいだろ? 婚期が婚期がと」


 シグマにすかさず反論するピュアに言いながらため息をつくと、唐突に冬を指差した。


「当たり前でしょー。私と同じランクになったら結婚しようとか言ったのに――」

「そこにいるぞ」

「どこぞの所持者を助けるために昇格蹴ったりするし、その所持者出てこいって言ってやりたいわよっ!って先読みしないでー……」


 少しずつエスカレートしていくピュアが、シグマの指差した先を見ながらがっくりと項垂れる。


「他にも、婚約指輪くれたりしたときもポロリしながらプロポーズしたりするし!」


 ポロリしながら?


 それは凄いとしか言えなかったが、冬はシグマとそのこの女性は仲良しなんだなと思う。

 そのポロリが、冬の罠だったことは、冬は忘れているのだが。



「えっと、先輩のお知り合いですか?」

「ええ。とはいっても、裏世界側のですけど」


 和美がぴくっと反応した。

 新米情報屋として、裏世界に関わる情報を知れるのだと期待したようだ。


「A級殺人許可証所持者の、僕の試験担当して頂いたシグマさんです」

「え……A級……」


 その階級に和美は驚いたが、


「看板娘さん。僕もA級なんだけど?」


 瑠璃に言われて、和美は上位ランカーとすでに知り合いだったことを思い出して恥ずかしそうに頬を染めた。


「ちなみにな、看板娘はん。そこのピュアって人やけど――」

「旦那はA級、私はS級っ」


 胸を張るピュアが「どやっ!」と言ってそうで、そんなさらっと言うものでもない、と許可証所持者達は呆れてしまう。


「え……S級って……世界最高峰の……」

「最強と言われる殺人許可証所持者やで」


 ピュアは世界最強とまで言われる所持者であり、裏世界では畏怖の存在として知られている。

 だが、女性にしても小さめな身長の可愛い女性が。いるのかさえも定かでない存在が、目の前にいる、という状況が、和美には信じられなかった。


 その旦那となったシグマも、


『和美様。ついでに言うと、そこのシグマは私の製作者ですよ』


 という、稀有な存在なのだから、どんな馬鹿げた夫婦なのかと思わなくもない。


「枢機卿を、作った……?」


 さらりと追加情報を伝える枢機卿のその言葉に、驚きを隠せず言葉を失う和美と共に、冬は驚いた。

 それは、松や瑠璃も同じだ。


 以前、冬はこの枢機卿という裏世界、ひいては許可証協会にはなくてはならない人工知能を誰が作ったのだろうと思ったことがあった。

 まさかこんな身近にいる人が作ったとは思ってもおらず。


 それとともに、面談をした一年前に、冬が枢機卿にハッキングした時のことを話した時に、驚いていたシグマを思い出す。


 ……まさか、僕のハッキングを撃退したのは……シグマさん……?


『はい。私の父ですよ』

「そう思ってるなら、俺の情報を故意に漏らすなよ」


 一年前、冬がちょうど許可証を得たときのことだ。

 枢機卿は、冬達を許可証協会のデータバンクに登録していた際に、シグマの妨害を受け、その時にシグマの情報をとある情報筋に流している。


『あなたが無茶苦茶しなければしませんでしたよ。本来であれば、そこのそばかすだって、ちゃんと申請通りのコードネームだったのですから』

「そばかす言う……まてぃ……前にシグマはんからそばかすつけられたのは聞いたけど、枢機卿はちゃんと仕事しようとしてたんかい……」

『ええ、なんでしたか? 夜の踊り子?』

「騎士のほうやっ!」


 松が声だけの枢機卿に噛み付くが、周りの皆は「いや、そばかすのほうが似合う」と生暖かい目で松を見る。

 松がぶすっと膨れてソファーに座ると、「今のほうが可愛いよ、そばかすちゃん」と和美が更に煽り、「かんにんしてぇな……」と恥ずかしそうだった。


「ちなみに、僕はどんなコードネームを付けられる予定だったのですか?」

「あ。僕も聞きたいね」

『ラムダは『弦使いいとつかい』ですね』

「弦使い……」


 冬は、そのコードネームがつけられなくて良かったとほっとした。


 もし付けられていたら、今頃死んでいただろう。

 『糸』を予想されてしまえば強襲さえ半減する。冬の戦い方は知られていないからこそ効果を発揮するものでもあるからだ。


『ガンマは『ペンシルロケット』でしたね』

「ペ……」


 瑠璃のコードネームに全員が一斉に瑠璃の頭頂部を見た。


「筆ならまだ許容できるけど。そんなコードネーム付けられてたら泣くね」


 筆は許せるんですね……。

 なんて、ちょっとずれた感想を言う瑠璃に皆が苦笑いする。


『どちらにせよ。新人のコードネームをランダムで導き出された結果を元につけるのは私の密かな楽しみでしたので。奪った報いですよ』

「だからってなぁ。……よりにもよって情報屋の『愛の狩人ラブハント』に漏らすとか質が悪いぞ」

白土はくと様との追いかけっこは楽しかったですか?』

「……あいつを相手にするのは……大変だった」


 思い出したのか、ぐったりとするシグマを見て『ならよかった。すっきりしましたよ』と枢機卿は笑う。


「愛の狩人……」

「そら、また……でっかいの相手に……」


 松と瑠璃は、その名前に心当たりがあり、そんな相手からよく逃げられたと、格の違いを見せ付けられて言葉を失う。


「白土って……情報屋の中でもトップに君臨する人、じゃなかった?」


 新米情報屋である和美も驚きを隠せない。

 いくらシグマやピュアといった殺人許可証所持者を知らなくても、その名前は和美も知っていた。


 和美も、香月店長から存在を聞かされて、ちょっと癖のある人ではあるとは聞いているが、依頼をこなすところ「だけ」は確実とも聞いており、常日頃から目標しようとしている情報組合トップの存在である。


 そんなトップクラスの名を当たり前のように言うシグマに。

 その存在に知られてもなお、存在を公にされていないシグマという所持者に。


 裏世界って、奥が深い。


 そんな感想をもちながら、自分が身を置いたその先に、このような存在がいるのだと。そしてその存在と新米ながらも出会ったことに感謝する。


 やっぱり、冬ちゃんって面白い。だから大好き。


 冬の周りに集まる人達に、色々なことが知れて、これからも関わっていけば自分はきっと面白いだろう。

 なんてことを思う、和美であった。


「立ち話もなんですし、座りましょう」

「ああ。そう言えば立ったままだったな。失礼するぞ」


 そんな、話が盛り上がり、皆が思い思いの席につくなか。


「スズ、ちょっと手伝っ――?」


 一人だけ。


「ふ……冬……?」


 ずっと固まったままだったスズが、冬に声をかけた。


「スズ?」


 スズは、冬が何も気にしていない様子に、驚きを隠せず。

 周りの和やかさに相反するスズに、誰もが疑問符を投げ掛ける。


 スズもまた。

 なぜ? という想いと共に、ピュアを見た。


 スズの胸中に溢れる疑問は、一つのことだけ。


「……あら」

「ど、どうして……?」


 そこに。


 冬が殺人許可証を取得して裏世界に身を落とすまでに追い求めた――



 ――姉がいるのに。


 なぜ、冬は、何も気にしていないのだろうか、と。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る