第73話 紅蓮浄土 2
「君はこれで型式の第一歩を踏み出した。イメージが強ければよりいろんなことができるよ」
二人きりのその部屋で、弓は相変わらずの笑顔で冬に言った。
『焔』の型で初めて火を指先から出すことに成功した冬からしてみると、色々できると言われても、他の型式のことをすぐに考えることもできず。
「型式はイメージが重要なんだ」
「イメージ……それは、他の型式も、ですか……?」
「そうだね。全ての型のなかで焔の型はもっとも扱いやすい型式だ。火ってイメージしやすいでしょ」
「確かに……」
弓が両方の手のひらから炎を出しながら言う。
いくら簡単とはいえそんなあっさり炎を出されてもと思ったが、言われてみれば、火は確かにイメージしやすい。
弓のように手のひらから大きな炎を出すなんてことはまだできそうにもなかったが、指先に火を灯してみる。
イメージが定着したのか、先程よりも簡単に灯ったその火は、注意を怠らなければ消えそうもない。
だが、少しこの火には違和感を感じる。冬はその違和感に、これが弓の言っていた自身の不得手になるのではないかと感じた。
型式は他にもある。話を聞く限りはどれも満遍なく修練していく必要もあると思うが、それよりもどれを重点的に修練していくかによって、今後の自分の行く末が関わってくることになることに気づいた冬は、自分にどの型式が合っているのか考えた。
「弓さん、僕に合う型式は――」
「ああ、それは人に聞かないほうがいいよ」
「え……?」
「人に頼るべき力ではないってことだよ」
確かにこの力は危険な力だと冬は思う。先ほどの『焔』の型からもそれはよくわかる。
これからも自分が使っていく力を人に聞いて選ばれたものを使うというのもまたおかしい気もした。
「そもそも順序も違っているからね」
「順序、ですか?」
「君の場合は空間把握能力に長けていたから先に火を出すことが出来た。でも、本来であれば火を出すことよりも――」
弓は喋りながら、地面に捨てられていたバスケットボールを片手で持った。
弓の体からバスケットボールを持つ手に移動するなんらかの気配を感じ、ぐっと弓が力をこめると、バスケットボールはパーンッと大きな破裂音を立てて吹き飛んだ。
「――さっき説明した通りに、筋力を補助する力を先に会得してから、その力を昇華し、火を出すってのが正しい順序なんだけどね」
目の前で起きた大きな音にも驚いたが、片手で破裂させるのにはどれだけの握力が必要なのかと、そちらにも驚きを隠せない。
冬から見た弓は、悪く言うわけではないが優男だ。筋骨隆々なわけでもない。脱いだら凄いとか、着やせするタイプとかかもと一瞬冬の頭の中をよぎったが、それでもバスケットボールを片手で破裂させることなぞ普通は出来ないと思った。
「もう一度言うから覚えておくといいよ。『焔』の型は筋力を強化する。『流』の型は自己治癒力を上げる。『疾』の型は高速機動を可能にする。『縛』の型は硬くなれる」
「これが、型式……」
どれが自分に合うのか。どれを自分は今後使っていくべきなのか。
冬は考える。
満遍なく上げる必要があるので、不得手があったとしても、それが自分の戦いに合っているかどうかはまた別問題である。
「ふむ。ちょっと手助けしてあげようか?」
そう言うと、弓は半身になって構えを取った。
弓がゆっくりと目を開く。
その紫色の瞳を見た瞬間、冬の体がぶるりと震えを帯びた。
その瞳から発せられるは、先日も感じた気配。
弓としては先ほどバスケで行っていた遊びの延長上。『鎖姫』の遊びと同じく、これも遊びである。
「弓さん……」
遊びであるのだが、姫の時といい今のこの状況といい、どれだけ上位ランカーは自分と力の差があるのかと、すぐにそう感じた。
だが、これは遊びである。
殺されることもなく、ただ冬に教授してくれる修練である。
辺りの空気が一気に重くなった。おのずと、辺りの空間すべてが暗くなったような気さえし、その重さは冬の体に鉛をつけたかのように地面に縛り付ける。
それは錯覚だ。
その瞳から感じたそれは、現実さえ歪ませるのかと錯覚させる。
「ちょっと、遊ぼうか。武器を使っても大丈夫だよ」
その言葉に、冬は辺りに糸をまき散らす。
その糸を感じながら、にこりと笑顔を見せると――
「これが、本来の……」
――弓の姿が消えた。
音もなく姿が消えたその動きは、『疾』の型。
気配さえも消えるその動きは、先ほどのバスケの時とは違って、姿を追うこともできない。
辺りに散らばる糸を操り見えない弓を探す。
弓もそれが分かっているのか糸に触れることもなく、糸に集中し空間把握能力であらゆる角度から探してみても弓の姿を捉えることができない。
「これが……『疾』の型……」
この動きを使えば、更に糸を強化できる。
『糸』は線だ。直線的に投げてもその一撃で相手を殺傷することは難しい。
もう一つの主武器となった『針』も直線的なものだ。
この部分を補強できるかもしれない。
辺りを探りながらも、冬の中で少しずつ型式を使った戦い方が構築されていく。
その線だけで相手を倒すには、数をもって仕掛けを作る必要がある。
糸であれば、捕まえる為の罠や、辺りに張り巡らせて動きを阻害する罠。気づかれないように張った線での殺害等。
針であれば直線的に投げることで傷を負わせることはできるが、一つ一つが一撃としての効果は薄い。
それこそ、針や糸に毒物でも塗っておけば殺傷には足るものになるが、冬はそれを行うことは嫌っていた。
毒物での殺傷は好ましくないと考えていたからだ。
そして、冬がこのあまりにも殺傷能力の低い武器を使っているのにもまた理由がある。
なぜなら、冬は。
「――いくよー」
前触れもなく、声とともに弓の姿が目の前に現れた。
現れた瞬間に一気に溢れ出す殺意。
その殺意を乗せられた脚が、伸びあがって冬を襲う。
「右!」
弓の言葉に反応して、右腕を咄嗟に上げてガードする。
重い衝撃が右腕に走った。
「くっ、この――っ!?」
やっと見つけた弓の姿を逃がさない為に、すぐさま弓の足を掴んだ。
その瞬間、急に右腕にかかる重さが増える。
弓の体は地面に足をつけていなかった。反対側の足は、すでに地面から離れて冬を強襲しようとしていた。
「左が行くよっ!」
「っ!?」
その言葉に反応しきれず、頬に固い物体で殴られたような痛みが走った。
瞬時に目を閉じてしまった冬が弓を確認しようと目の前を見る。
ばさばさとスーツが風に舞う音が聞こえ、弓の背中が目の前にあった。
そのスーツが見えなくなり――
「足を払うから!」
――直後。
足に何かが触れる感触を感じた時には、地面の感触が感じられなくなり、視点が変わっていた。
地面に這うように体を沈ませた弓が、冬の足を払ったのだ。
「顎を打つっ!」
声に反応して咄嗟に両手を顎の前へと持っていく。
冬の両手がガードの構えを取る前にすり抜けて顎へと到達したその掌底は、ごつっと脳を揺らす一撃とともに冬の体を更に浮かして吹き飛ばした。
その掌底が発したあまりの急加速に、冬は張り巡らされた糸で動きを無理やり制止させた。きりきりと糸が張り詰め、何本かの糸がその威力を吸収しきれず千切れ飛んだ。
宙に浮くかのように宙吊りとなった冬の前に弓の姿が現れると、高く振り上げられた脚が振り下ろされる。
腹部へと直撃したその一撃は冬を床へと叩きつける。
「『焔』の型での筋力強化……っ」
床へと接触前に糸を使って自由落下する体を制御すると、地面に手をつきその手を軸にしてくるっと一回転して体勢を立て直す。
「止まっていると死ぬよ」
冬の上空から声と共に更に落ちてくる弓。
「だったら、やりますっ!」
「いいよ、おいで」
ただ糸や針で攻撃するだけでは『疾』の型で逃げられる。
ならばと、冬は針を取り出し弓に投げ打った。
弓はその針を脚で払い落すが、その針の穴に糸を通して辺りに結界を張り、落下してくる弓の周りに張った結界の傍で上下左右から糸の槍を現出させ――
『
――槍を一気に弓へと撃ち出した。
冬の今持てる最大の技が、弓へと向かう。
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