第48話:提供

 病院。

 未保は呼び出されて往院していた。


 目はまだ治る見込みはない。

 病院から処方される薬を服用していても、悪化の一途を辿るその両目は、今はもう、暗闇しか映すことはなかった。


 当初告げられていた診断結果とは違うことがわかったのは先日。

 奇しくも冬と出会ったあの日に、担当医から告げられていた。


 原因不明、と。


 手術をすればまだ治る見込みがあると告げられ、手術が必要と聞かされた親は、愛娘の手術代の捻出の為に親族から更に資金提供を願う。


 だが、あまりにも高い手術費用に、親族は首を縦に振ることも減り、網膜の移植として快く提供してくれるはずのドナーも行方を眩まし。


 それでも、「未保はこれから色んな体験があるんだ」と諦めず、自分の目の為に奔走する親とは正反対に、生活が苦しくなっていく家庭に、申し訳なさが溢れ辛くなった。


 それはお金の問題以外にも、手術自体は本病院内で行う予定だが、院内でも事情があるようで、手術を行う医師との交渉にも難航していたことも拍車をかける。


 高額で効果の見えない薬。保険の効かない薬に。疲弊していく両親に。自分がそこまで価値があるのかと、何も出来ない自分に嘆く日々。


 もう、見えなくてもいい。


 そう思うのは何度目か。

 もう、家族を犠牲にしてまで治さなくてもいいと、決意するまでそう長くはなかった。


 効くことがなかった薬の服用も今日で終わりにしようと、親にも自分の想いを伝えるつもりだった。


「……?」


 慣れた足取りとは言えゆっくりと。看護師に助けてもらいながらも担当医のいる部屋へと歩いていくと、その部屋の手前で、担当医と誰かが話している気配を感じる。


 聞こえてくる声から自分の親だと気づき、それとは別に、他にも人がいる気配を感じて声をかけるのを躊躇った。


「……お母さん……?」


 誰かわからないためか、彼女は遠慮気味に母を呼ぶ。

 その声に振り返った母親と父親は――


「未保! 喜んでっ!」

「……?」

「お前の手術代が集まったんだよ!」

「え……?」


 父のその言葉に、未保の動きが止まる。


「この方が、あなたの手術代を出してくれるのよ!」


 感極まる。未保の親の心情を察すると、まさにこの言葉がぴったりだろう。


「え……?」


 手術代があれば見えるようになるかもしれない。

 それは親だけでなく。諦めていた未保でさえ、いまだ現実と思えず。しかし、喜びに震えることだった。


「あなたが、暁未保さんですか?」

「え? あ、はい……」


 その手術代を払うという人物は、まだ成年というよりは少年と言ったほうがいいほどの年齢だった。


 中国風の黒服を着、顔は帽子を深く被っており、見ることができない。


 しかし、目の見えない未保にとっては、声の聞こえる位置からして、自分よりは背が高いということと、声からして男性としかわからない。


 だけど、その声は。

 未保にはつい先日、やっと名前を知ることのできた先輩の声によく似ていて。

 まさか、と脳裏を過るが、先程名前を聞かれたことで、よく似た声だったのかと、考えれば考えるほどに困惑するしかなかった。


 それこそ、そこに。

 自分の手術代を払ってくれると言われているのだから尚更だ。 


「……暁さんに聞きたいことがあります。よろしいですか?」

「は、はい」


 やはり本人ではないかと思えるほどによく似た声に、未保の警戒心は自然とほぐれていく。


 未保は目が見えなくなってから、他の五感が発達していた。

 触覚と聴覚は特に発達し、それに伴ってか、記憶力も高くなったと自負している。

 だからこそ聞き間違えるわけがない。目の前の男性が先輩に思えて仕方がなかった。


「……僕の支払う手術代のことです」


 しばらく間をおいて、彼は話し始める。


 自身の為に支払ってくれるのだから、しっかりと事情や条件を聞かなければいけない。

 未保は見えない目で、どのような姿をしているか分からない男性をしっかりと見つめる。


「はい」

「最初に言っておきます。あなたの両親には先ほどお話し了解を得ましたが、僕は、殺人許可証所持者です」

「殺人許可証……?」

「ええ。……簡単に言うと、これを持っていれば、殺人を故意に行なっても犯罪にはならないと言う証明書です」

「国家試験で合格率が限りなく低くて有名な、あの……?」


 殺人許可証は、国家試験として有名であるが、一般人からしてみると、合格率も低く、所持者に会うことも稀、という認識程度である。


 実際は、受験をしたら戻って来れないから会うことがない、が正解であるのだが。


 それは、所持者や受験者にあまりにも出会うことがないから、本当に資格として正当なものなのかと疑われているからであり、『殺人を犯しても咎められない』というのは魅力的ではあるが、だからと言って、そこまで殺人したいと、表世界では思われていないからであった。


 それこそ。

 一般人には、まったく関係ない証明書である。


「つまり、です。このお金は汚れていると言えば良いのでしょうか。……人を殺して手に入れたお金です。……あなたは、人を殺して手に入れたお金でも、手術を受けたいですか?」


 沈黙。

 彼女はしばらく虚ろな瞳で男を見つめ、俯いて目を閉じる。


「……私、は……」


 その姿は、答えが出るまでにはまだ時間がかかるらしく、必死に自問自答しているようにも見えた。

 男はその姿をじっと、無言で見つめる。


 人を殺して手に入れたお金。

 そのお金は、人の命と等価値であると、目の前の人は言った。

 それを、ただお金を払えば治せるこの目に使っていいのか。

 その殺された人達は何をした人なのか。なぜ殺されたのか。


 そんなことを考えては失礼なのかもしれないが、それでもそう考えざるを得なかった。

 これから自分の目を治すために使われるかもしれないお金なのだから。


「焦ることはありませんよ。逃げるわけでもないのでまだ時間はあります。考えておいてください」


 そう言い、男は担当医や未保の親に会釈し、未保の横を通り過ぎていく。


「あ、あの……」


 その男を未保は呼び止めた。

 自分の目のことより。

 先ほどから、ずっと気になることをどうしても聞きたかった。


「……何か?」

「お名前は……?」


 違っていたら。いや、もし先輩であったのなら。


「永遠名、冬さんですか?」


 男の声は、冬の声に似ている。

 先日この病院で出会い、優しくしてくれた先輩に。

 なぜ自分がここまで先輩に固執するのか。

 そんなことは自分で理解できていた。


 学校で出会った時もそう。

 なぜか惹かれたあの人に、もう一度会えた時に。

 隣にいつも良くしてくれている水無月先輩がいて、酷く辛かった。


 二人はお似合いなんて、先輩のことを良く知らない私でさえもそう思えた。

 だから、私なんて入る余地はない。


 でも、せめて。

 せめて、一度だけでも。

 あの人の顔を、触れるだけではなく、この目で見てみたい。


 目が治る。

 また、世界を見ることができる。

 あの人を見ることができる。

 

 先程まで諦めていた心さえも、少しずつ、希望に開いていく。


「いいえ。……僕は、D級殺人許可証所持者、ラムダです」


 そう言うと、ラムダと名乗った男は、未保に会釈をして去っていった。

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