二人の想い

第45話:焦り

 マンションの一室。


「……油断……」


 冬は脇腹を押さえながら冷蔵庫から冷えきった麦茶を取り出し、それを一気に飲み干す。


「……ふう……」


 脇腹から手を離すと、そこには赤い液体がてらりと光り、ぽとりと水滴のように床に落ちていく。

 仕事中、銃弾が脇腹を貫通してできた傷は、ぽっかりと小さな穴を開けて、冬の心身を苛んでいた。


 地面に零れた血を気にする事なく、冬はソファーに腰かけ、天井を見上げる。

 その零れた血は転々と玄関まで続き。

 今から拭いて綺麗にするなど、億劫すぎてやる気も起きなかった。


「……それなりに、緊張しましたね」


 冬は血のこびりついた手をじっと見つめると額に乗せた。

 額につく自身の血は、ただ額を赤く濡らすだけで、気持ちいいとも思えない。


「……」


 このままでは、ここで止まってしまう。


 冬は今日の仕事で、自分の力の無さを痛感していた。


 殺人許可証所持者となって初めての仕事。


 二次試験のような状況でもない。


 試験中に出会った不変絆のような高ランクの殺し屋と戦い苦戦をしていたのならまだましだった。


 武装しただけの素人に傷を負わされた。


 一般人より自分は強いと感じていた冬は、自身の強さを疑い始めていた。


 慢心と言うこともある。

 今まで戦ってきた相手がなまじ強かったこともあり、退けられていたことに自分の強さを疑うことはなかった。

 上には上がいることも理解でき、今の自分の力は、明らかに一般人――表の世界より強いと、疑ってはいなかった。


 なのに。その慢心が生んだ隙だとはいえ、傷を負った。


 武器を変える?

 今更体に慣れた糸から変えても、戦いのスタイルを変えてしまうことから弱体化するだろう。


 新たに武器を手に入れる?

 しばらくは糸で誤魔化しながら戦い、新しい武器との連携を考えスタイルを整える。

 ……それならまだ何とかなる。

 ただし、いきなり強くなれるわけでもなく、糸と合わせて使う武器とは何なのか、さっぱり思い付かない。


「一度……<鍛冶屋組合>で、何か……ないか探して……みま――」


 痛みと、初めての仕事に緊張していた冬は、どっと疲れを感じだして目を閉じた。








 次に目を開けたとき、少女の顔が目と鼻の先にあった。

 それはよく知る同学年の少女――スズだ。


「……スズ……?」


 誰かが家に入ってきた記憶はない。だが、ごっそりと記憶が抜け落ち、体の気だるさや働かない脳のことを考えてみると、意識を失うように眠っていたと冬は気づいた。


「ん。……怪我、したの?」

「……」

「キッチンに血の跡があった。それに、玄関からずっと、跡が続いてた……」


 至近距離の心配そうなスズの瞳を見つめながら、冬は言葉を失っていた。


 追い討ちをかけるように、スズに怪我をしていることを知られた。


 説明をしようにも説明が出来ない。



 何て話す?

 何を説明する?


 それとも――






          殺す?












「大丈夫? 酷い傷なら、病院に行かないと……」

「……明日、朝一番に病院に行きますよ」


 出来るわけがない。

 こんなにも心配そうにしてくる――なスズを、殺すなんて。


「そう……」


 スズの顔が離れていき、少し離れたところでごしごしと何かを擦る音が聞こえてきた。

 どうやら、床を綺麗に拭いてくれているようだ。


「……言えないこと?」

「……何が、ですか……?」


 擦る音がなくなり、沈黙が部屋を満たす。


「……眠ってたから気づかなかったかもしれないけど……傷口見たの。……何かが貫通した跡みたいだった……」

「……」

「あんな傷、普通できないよ」

「今日。ずっと家にいなかったし。昨日だって学校のプリント持ってこいって言ってたのにずっといなくて」


 今の状況を作り上げたのは自分。

 スズがここにいるのも自身がお願い事をしたため。


 そんな間抜けが、何をやれるのか。

 何を考え、何を成そうと言うのか。



 殺人許可証は取れた。

 姉も裏世界にいることはわかった。

 親へは何一つ報えていないが――それでも、一人で色々調べて考えた結果。


 この先へは、自分の力の限界を感じてしまった。


 ――ここで、終えるのも、いいのかもしれない。

 ここから先で、戦っていける自信がない。


「……何をやってるの? 危ないこと? そんなの、冬らしくないよ?」

「冬らしくない、ですか……」


 スズの言葉にそう呟いた後。

 はっ、と。冬は思わず笑い声をあげてしまった。


 スズに、少しだけ教えてもらった気がした。


 なぜ、自分は。

 なにも至ってもいないのに、諦めようとしたのか。


 殺人許可証の取得が、目的になってしまっていた。


 取って、満足してしまった。

 そんな小さな想いで、自分は裏世界へと足を踏み入れていたのかと、笑ってしまった。



 そう。

 自分は、そこまで何でも器用にできるわけではない。

 器用にできるように見せているだけで、実際は周りに常に助けてもらっている。


 これから表世界を捨て、裏世界へ行こうと考えていた。

 これからは、一人で何とかしていかなければならない。


 目的に近づいた。でも、焦っていたのだ。


 姉を売った両親を探して殺すつもりだった。

 裏世界の情報を得るために殺人許可証所持者となった。


 なのに。



 あれだけ探しても見つらない姉が、殺人許可証所持者となってすぐの自分が、見つけられるわけがないのだ。


 近くに情報屋がいたのに、それを使って動いてさえいない。



    『冬らしくない』



 自分は今まで、人に頼りながら生きてきた。

 人を頼らず自分一人で全てこなして生きていくなんて、出来るわけもない。


 頼っていいのだ。



「……変なこと、言った?」


 そんな、当たり前のことさえ、冬は忘れてしまっていた。


「いいえ。……僕だって、時にはああなるときもあり……ますよ。……スズの……言葉使いが……変わっ……よぅに……僕も……」


 だから、今は。

 そこまで執拗に問い詰めてこないスズに、甘えさせてもらいます。


「冬……?」


 スズが話の途中で静かになった冬の顔を覗き込む。

 冬は、軽い寝息を立てて眠っていた。


「眠ったの……?」


 そう聞いてみるが、冬からは寝息しか返ってこず。これでは何をやっているのか、問い詰めることさえできない。


 普段着ることの無さそうな黒い中国風の服を着たまま寝ている冬。

 先日見た傷や、今も負傷していることから、最近の冬が、何か人に言えないようなことをしているのは気づいていた。

 だが、それを本人に直接聞く時間も少なければ、聞いて自分の前から冬が消えてしまうのではないかと不安を感じてしまえば聞けるはずもない。


 こんな怪我をしている冬に勇気を出して聞けない自分を情けなく思いながら冬の寝顔をじっと見る。

 寝顔は普段の冬と変わらないのに、危険なことをしている幼馴染みに不安を感じながらも、放っておけない。


「……私の言葉使いが変わったの……冬のせいだよ……」


 スズは冬の頬を愛しげに撫で、「ばか」と呟いて冬の頬を軽くひねった。

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