第46話:八文堂のクレープパン

 学校。昼休み。


「……ふぁ……」


 冬は相変わらず眠たそうに大きな欠伸をして、机に突っ伏していた。


「病院行ってきたの?」


 冬の欠伸が移ったのか欠伸しながら聞いてくる幼馴染みのスズが、いつも一緒に昼食を共にしている友達を差し置いて声をかけてきた。


「どうだったの?」

「どうって……安静にしていろ。と言われましたけど」

「安静にするんだよ?」

「はあ……」


 中途半端に返しながら財布からお金を取り出しスズに渡すと、不思議そうな表情をされた。


「では。お願いします」

「何を?」

「八文堂のクレープパン一つと、ハンバーガーを二つ。それに……」

「そうじゃなくて……何で私が買いに行かなきゃいけないのっ」

「安静にしろと言ったのは、スズですよ?」

「……売店まで行くのは許してあげる。ほら、一緒に行ってあげるから……」

「は、はあ……」


 と、冬が意外と元気で安心し、うきうきとするスズに背中を押され、冬達は売店へと向かう。


 スズはスズで、普段は弁当を作ってきているが、冬の診断結果や具合が気になって作ることが出来ていなかったのでちょうどよかった。






「ねえねえ。八文堂のクレープパンって、どんなの? 美味しいの?」


 売店に着くと、スズは巷で評判の学校の売店に興味津々だった。


 冬達が通う『護国学園』内の食堂に存在する軽食売店『八文堂』。


 近所のおばちゃんが、学生に美味しいものを食べてもらおうと、学園の許可を得て食堂の一角で販売し出したお店だ。


 菓子パン系がメインではあるが、毎朝手作りである、甘ったるいメロンパンや、定番の焼きそばパンは、一口食べると授業に疲れたHPMPを、ゲームのように癒し、馬車馬の如く学生の仕事を全うできると評判である。


 その中でも、最近販売されるようになった学生達の中で超人気となったパンが、『八文堂のクレープパン』だ。


 先日転入してきたメイド連れのお嬢様女子高生が提案した、手作りで試行錯誤の末に辿り着いた世界の製パン業界をざわつかせた至高の境地とも言われ、学生伝いに、コミュニケーションツールによって広まった、内外からも注目の一品。


 近々世界有数の財閥関係者であるその発案者のお嬢様女子高生によって全国販売されると噂にまでなっている。

 正式製品名は『御主人様のパン』と決まったと、ニュースにまでなっている程である。


 その、『メイド連れ』『御主人様のパン』という単語を聞くたびに、冬の脳裏にとあるメイドを彷彿とさせるのだが……


「気のせいにしたいですね……」


 こんな所でも関係性があるとは思いたくない冬である。


「御主人様の素晴らしさが分からないゴミども。心行くまで御主人様のことを想いながら食べなさい」

「なじってくれー!」

「おねえさまー!」


 妙に人だかりのできている三ヶ所の売り場の一つから聞こえた、聞いたことのある声はシャットアウト。


 ……気にしない。気にしたら負けです。


「美味しいですよ。ねえ、おばさん」

「え~え。甘党の人には持ってこいだね~」


 比較的空いている売店に並んでおばちゃんに声をかける。

 あんなぽっと出のメイド姿のうら若き美女は気にしない。気にしてはいけないのだ。


 なぜなら、このおばちゃんこそが、この八文堂の店主なのだから。


「スズは甘党でしたね」

「あ、うん」


 じぃっと、「あの人だかり……なに?」と気になってしょうがないスズを、必死におばちゃんのほうへ向けさせる。


「おばさん、予約訂正。二つにしてください」

「あいよ~」


 おばちゃんが、奥のほうから注文の品を持ってくる。今日の昼食もセットだ。


「一つはおまけにしておいてあげるよ~」

「ありがとうございます」


 お金を払って受け取ったその品は、少し厚めのクレープに包まれており、形は卵のように楕円形。触ると妙にぷにぷにしており、中には見るからに甘いクリームがたんまりと入っている。

 しかし、そのクリームが最後まで入っているわけではなく、ミルフィーユのように二重構造に。

 つまりは、ミルクレープをパンにしているのだ。


 どこにでもありそうだが、どこにでもありそうなものほど、それを作った人の価値が問われるのだ。


「それで~? お二人は付き合っているのかな~?」

「いいえ」


 間髪いれずきっぱりと言うと、激痛が脇腹を襲った。

 そこは例の、穴の空いた場所だ。


「おぉうぃっ!」

「?」

「な、なんでもありま……せん」


 涙目でスズに視線を映すと、にこっと、明らかに作り笑顔を見せられた。


 ……な、なな、何か、まずいことを言ったでしょうか……?



 思わず目を逸らすと、今では売店人気店員不動の一位――学園調べ――となったメイド服姿の美女と目が合い、獲物を見つけたように、にやぁっと笑われ、更に目を逸らすはめになった。


「……永遠名君。もう少し女心を知ったほうがいいよ~」

「は、はあ……?」


 曖昧な返事を返しながらその場を立ち去ろうとすると、いつの間にかメイド服の美女が背後に。


「永遠名冬。御主人様エキスを堪能なさい」

「水原さん……エキスってなんですか」

「冬、知り合い?」


 なぜ関わってくるのかと、スズに会わせたくない人だかりの元凶をどう説明すべきか冬が悩みだした時。

 メイドがぴくっと動いて振り返った。


「姫、俺にもひと――」

「御主人様ぁぁっ!」


 妙に感極まった叫び声が上がり更に食堂がざわついたが、そのおかげでメイドから逃げ切ることができ、冬は冬に手を挙げてひらひらと手を振る『御主人様』に感謝をしながら、そそくさと教室へと戻っていった。






「はむ……あ。あまぁ~い」

「スズ。歩きながら食べるのは行儀が悪いですよ」


 幸せそうにクレープパンを食べるスズを注意したが、無意識のうちに自分もそれを食べていたことに気づいて思わず赤くなる。


「……ふゆぅ?」

「……そ、そんな目で見ないでください」 


 スズに無言の圧力をかけられ、思わず一歩後ずさると、背後にいた人とどんっとぶつかってしまい、小さな悲鳴があがった。


「あ、すいませ……ん……?」


 慌てて振り向くと、どこかで見たことのある少女が地面に座っている。すぐに手を差し伸べると、少女はその手を無視して立ち上がった。


「こちらこそすいません」


 そう、冬のいない場所に向かって一礼し、去っていこうとする。


未保みほ

「……水無月みなづき先輩?」


 未保と呼ばれたその少女は、辺りをきょろきょろと見回した。


「……あの、どこに……?」


 スズが「ここだよ」と、肩を軽く叩くと、少女はスズの居場所をやっと掴めたらしく、スズのほうを見て微笑む。


「お知り合いですか?」

「うん。紹介してあげようか?」

「……いえ。二度目ですね」

「何が?」

「スズじゃなくて……」


 少女に向かって言った言葉にスズが反応し思わず苦笑いすると、スズが気づいて頬を赤く染める。


「あっ。その声……。お久しぶりです。えっと……」

「……永遠名冬です。病院ではお世話になりました」

暁未保あかつきみほです。……あの……」

「あ、ちょっと待ってね」


 何かを求めているようにスズのほうを見ると、スズも何を求められたのか理解し、なぜか冬を羽交い締めした。


「……スズ? 何を……?」

「いいから、黙ってなさい」

「胸、当たってます」

「嬉しい?」

「……」


 グギッ!


「いぃっ! は、は、は、はいはいっ! とても嬉しいですっ!」


 無言の了解。

 嬉しいには嬉しい。その気になればすぐにでも外せるが今は堪能しようと思う。


「未保。準備できたよ」

「えっ? 準備って……?」


 おずおずと、少し遠慮気味に、未保が冬の顔を触り始めた。恥ずかしいのか、少し体温の高くなった手が気持ちいい。


「……先輩。永遠名さんって、優しくて、いい人そうですね」


 しばらくすると、ほうっと熱い息を吐き、スズに羨ましそうに言った。


「う~ん? これは、いい人に分類されるのかなぁ」

「僕はこれ扱いですか」

「冬には似合ってるよ」


 これ扱いが似合うとはなんなのだろうかと、苦笑いしかできなかった。


「まだ手術は受けていないのですね」

「はい。やっぱり多額らしくて……」

「……何の話?」

「暁さん、目の手術を受ければ見えるようになるそうです」

「え、そうなの?……って、何で冬が知ってるのよ」

「だから、これで二度目ですって……」

「……どこで会ったの?」

「病院ですけど……」

「いつ?」

「いつって……一ヵ月ほど前のことでしょうか……」


 なぜそんなことを細かく聞いてくるのかわからなかったが、聞いたら聞いたで何かしらが飛んできそうだった。


「正確には、一ヵ月と二日目です」

「だそうです」

「……よく覚えてたね」

「変ですか?」

「ううん。別に変じゃないけど……」


 と、スズは冬の方を見てすぐに目を逸らした。


「私、こんな目になって、男の人と話す機会がなかったから……覚えてただけです」

「ふ~ん……」

「あ、あの……付き合って……?」

「……は?」


 今日はなぜこうもスズとの関係を聞かれるのかと不思議に思った。


「え、いえ……仲が良いから……」

「唯の幼馴染みですけど……」


 同意を求めるようにスズを見ると「う、うん……」と中途半端な答えが帰ってきた。


 しかし、同時になったチャイムに、その答えはかき消され、冬の耳には届くことはなく。


「あ……」

「昼休み、終わったね」

「……スズ。僕達、お昼まだですよ」

「あ、ホントだ」


 パンの入った袋を見て言う。

 流石にクレープパンだけでお腹が満たされる歳ではなかった。


「それに、次は移動授業ですよ」

「わっ。ホントだっ!」


 スズが慌てて未保に別れの挨拶をして走り去っていく。


「いろいろ大変でしょうけど、頑張ってください」

「あ、はい。……また……」


 冬はまた、走り去るスズを追いかけるように去っていく。


「永遠名……冬……さん……」


 未保は教室に戻る人込みの中で、冬が走り去ったほうを、虚ろな眼で見つめ呟いた。

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