第36話:病院での出会い

 翌日。


「……こんな怪我。階段から転げ落ちたくらいだとできないわよ。何をしてこうなったかは知らないけど、無理はしないように」

「は、はい……」


 冬は、病院で医師に腹部の怪我を見てもらっていた。


「……本当に、入院していかないの?」


 美人の医師が悩ましく足を組みかえながら入院を促してくる。

 思わず足の付け根のほうに目が行き、曖昧な返事をしそうになるが丁重にお断わりし、冬は診察室から出ていく。


 しばらく歩き、ふと気づく。


 妙な違和感があった。


 腹部の怪我は、スズが驚くほどにどうやったら治るかのかさえ分からない怪我だった。


 ただ、その怪我を負っていた腹部は、ぱんぱんに腫れ上がって、常に鈍痛があったにも関わらず、今はその痛みがなく。

 触れば痛みはあるが、悶えるほどの痛みはない。


 診察中に塗られた薬のおかげかとも思うも、医者が薬を出したような素振りもなく。

 ただの触診だったようにも思える。



 医者だから一般人には分からない痛みを消す方法があるのかもしれない。



 と最初は思ったのだが、やはりおかしい。



 とはいえ。



「……どうしたらいいでしょうか。ものすごく大変なことに気づきました」


 辺りを見渡してみると、ここは外来外科ではない。

 明らかに【B3-病棟】と書かれていることから、病室である。


「……迷ってしまったようです」


 おろおろと「ここはどこですか」と、普通の怪我ではなかったことからなまじ大きな病院に往院してしまい、慣れない場所で考え事しながら歩いてしまったのが要因である。


 通りすぎる看護師や見舞い客の後を着いていけばいいとも考えられないほどに焦っていた。

 【B3】と書かれていることから三階ではある。そこから飛び降りて怪我なく着地することなど造作もないほどの身体能力を持っているのだが、窓から外に出るという手段があることさえ頭にないほどに、冬は院内を歩く。


 辺りをきょろきょろと見ていて、見取り図を発見した時は涙に溢れ。


「神の助けですっ!」


 と、叫びながら思わずぽろりと涙をこぼしながら、見取図の前で手を合わせて拝み続ける姿は、傍から見ればおかしい人にしか見えず。


 だが、周りに誰もいないことから、そんなことに気づかないまま。


「ふむ。ふむふむ……? おお、全く逆の方向でしたっ!」


 冬自身、自分が方向音痴だと気づいた瞬間だった。



 気を取り直し逆の方向へ歩いていこうと向きを変えると、人影が目の前に。


 避ければいいのだが、表世界では不必要に力を行使しないと決めている冬は、甘んじてぶつかることにした。


 勿論、怪我させるわけにもいかないので、しっかりとぶつかった後のフォローは忘れずに。

 倒れそうになる人の腕を掴んで引き寄せると、小さく悲鳴をあげた。


「怪我はありませんか?」


 ぶつかったのは少女だった。声に反応し、冬の顔を見つめるが、その焦点は冬と合っていない。


 ……目が、見えていない?


 その目は、冬の顔は見ておらず、空虚を映しているかのようだった。


「……あ、あの……ごめんなさい」

「え。こちらこそ……」


 少女はその声を聞くと笑顔で会釈し、しばらくして、きょろきょろと辺りを見ながら口もとに人差し指を当て、眉根にしわを寄せて考え込むような仕種をしながら歩き出す。


「……あの、どちらへ?」


 冬は、立ち止まって考え込む少女に聞いてみる。

 その少女の服装――制服は知っていた。

 冬が通う学園の制服で、学年ごとに違う色のリボンタイから、今年入った学園生だと分かった。


「……え、あの、出口のほうに……」


 自分に聞かれているのだとは思わなかったのだろう。少女は遅れて返事を返してきた。


 先程ぶつかった冬がどこにいるか分からず、声だけで場所を特定しようとしているためか、きょろきょろと探している。

 冬は近づき、一声かけてから彼女の肩をとんとんっと軽く叩いて自分の位置を教えてあげた。


「……出口なら、反対ですよ」

「え。反対……ですか?」

「……丁度、僕も帰る所だったんです。一緒に行きませんか?」


 彼女一人だと、いつ出口に着くかわかりませんからね。


 自分のことを棚に上げて思う。

 実のところ、地図をみても方向音痴な自分が三階から出口まで辿り着ける自信がなかったのも確かである。


「でも……いいんですか?」

「ええ」

「じゃあ……お願いします」


 彼女は手探りで手すりを捜し、この病院に良く来るのか、慣れた足取りで歩き始めた。

 時折立ち止まり辺りに物がないことを探しながら歩く様に、まだ失明してから時間が経っておらず慣れていないようにも、失明と言うほどでもなく、ほとんど見えていないという表現の方が正しいようにも見える。


 冬はその隣に並んで、彼女がどこかにぶつからないように補助しながら歩き始める。


 時には人にぶつかりそうになるのを助けたり。先に道がないときは事前に伝え。


 次第に、人見知りが激しいと冬に伝えてきた彼女は、冬が同学園の先輩だと知ると、自分のことを楽しそうに話してくれた。


「ぼやっとしか見えなくて……」


 冬の思った通り、彼女の目は失明しているわけではなかった。


 後天的のもので、四年前までは見えていたとも教えてくれた。


 網膜が原因らしく、網膜を他人から移植すればまた元通りに見えるようになるとの診断結果ではあるが、最近ドナーが見つかりもう移植の手続きは整っているとも。


 今日はその打ち合わせで家族と来ていたそうだが、途中はぐれてしまったとも聞いた。


 だが、その手術は高額。

 本院に非常勤勤務の凄腕美人医師にしか出来ない手術だと聞いたとき、冬の頭のなかに、先程の美人医師の魅惑的な太ももが浮かんだ。


「……かなり、高いでしょうね」


 もわんもわんと、踵落としで毎度見ているスズとも違う美脚に、何を思い出しているのかと考えを払拭しながら話に相槌をうった。


「そうなんです。……親は、友人や親戚を頼っていますが、不景気ですので……」

「そうですか……。大変ですね」


 少し遠回りをしたが――冬が方向音痴で、途中で道を間違えたためだが、彼女にはそれはわからないのでセーフと思いつつ――一階の受付まで辿り着くと、後輩の少女の親が慌てて駆けつけてきた。


 冬はお金を支払いに行かなくてはならないため、そこで少女とお別れする。


「頑張ってください。遠くから、応援していますよ」

「ありがとうございます」


 名も知らない少女は、嬉しそうに笑みを見せ、会釈して去って行く。


「……さてと、僕も、頑張りますかっ!」


 何を頑張るのかはわからないが、冬は、もう一度彼女に会える。そんな気がしていた。


「……次に会えるときは、目が見えるようになっているといいですね」


 彼女が去っていたほうを見つめ、冬はそう呟いた。




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