第26話:血祭り


 冬が少女達を連れて一階の玄関ホールに着いたとき。


 そこには何人もの黒服の男達が倒れ、大理石のように磨かれた白い床は、男達の体からすべて流れきったかのように赤く染まり。


 辺りはまさに、血の海と化していた。


「う……」


 その目の前の光景に、嘔吐したり、気絶する少女達も現れ、出口を目の前にして身動きがとれなくなり、冬はその死体を近場の部屋へと押し込んだ。


 歩く度に自身の足跡が赤色を潰して残し、ぴちゃりと水音をたてる。


 人の気配はまるでなく。

 この屋敷にすでに人がおらず、もう死体しか残っていないのだろうと思えるほどの静寂だった。


 それと共に、すぐにあの少年の試験内容を理解した。


 この屋敷内にいる人の殲滅。


 そう考えると、彼と試験内容が被っているようにも思えて疑問を覚えた。


 もし彼がこの屋敷にいる全員を始末するのであれば、この少女達も対象になるはずだし、その対象はこの屋敷の主も該当する。


 なのに、屋敷の主だけは僕が倒す?


 彼は先程自分の試験は終わったと言っていたのに、屋敷の主だけ殺していなかったのか、冬の代行として殺しに行った。


 彼よりも先に倒さなければいけなかった?

 でも、彼の試験内容には、僕も入っていたのでは?

 それに、彼よりも先に僕が屋敷の主の暗殺に成功していた場合、彼は試験に失格となるのでは。


 少女達が落ち着くまでの間に、冬は考えを巡らせる。


「……おかしいですね。試験官。いるんですよね」



 先程地下から階段を登ってくるときに声をかけてきた試験官を探す。



 彼は現役の殺人許可証所持者だ。

 まだ仮免許の冬では気配さえも探し当てることはできない。

 だが、傍にいることだけは先程思わずなのか声をかけてきたことから分かっていた。


 そんな試験官は反応することはなく。

 先程無視したことを根にもたれていないか心配になったが、そんなことはないだろうと奇妙な現状を考える。



 ……まさか、彼や僕の試験は、二重の試験内容なのでは。


 自身の試験内容がそもそも違っていることを前提に考えてみた。


 冬の試験内容は『首謀者の暗殺』である。

 あの少年の試験内容は『屋敷内の人の殲滅』が内容だと仮定し、それを実行しようとする場合には、冬が考えた通り、自身も、少女達も、冬の試験内容の標的も、彼の試験内容に入る。


 二人が出会うのは必然で。

 この矛盾に気付く、洞察力を試されているとしたら。


 そう考えると、自分の試験内容はなんなのだろうと感じ出した。



 簡単すぎるのだ。

 『首謀者の暗殺』だけでは。



 この屋敷には警備の黒服はかなりの数がいた。

 ただ、それらは銃を所持して威嚇するだけのような素人。表世界のごろつき程度なのだ。標的さえ素人どころか身動きさえもまともにできなさそうな図体だった。


 裏世界を目指す冬からしてみたら、見られずに侵入することは容易く。素人な集まりに、遅れをとるわけがないのだ。

 それは、一次試験で素人混じりのサバイバルから見て取れる。


 冬自身、裏世界の吸いも甘いも知っている存在より強いとは思っていはいないが、表世界の素人には負けない程度の力を持っていると自負している。

 そして、その結果は、一次試験の結果でも発揮されており、その試験結果を知っている裏世界の試験官達は、このような簡単な試験を与えてくるわけがないのである。


 だからこその違和感。


「やはり、おかしいですね……もしかして、僕の試験は……」


 そこに気づき、そして本来の試験に気づくことが、僕の試験……?


 だとしたら、どれだけ悪質なのかと、近くに潜んでいるであろう黒装束の試験官を恨みたくなってきた。




 そんな自分の本来の試験内容を考えている中。




 外から人の気配を感じた。

 玄関ホールにいるのだから、まさに、すぐ傍である。


 その玄関ホールの、豪華な扉が、ぎぃっと音を立てて、開いていく。



「……あ~? 何だ、出迎えも無しかよ」



 そんな気だるそうな声と共に、一人の男が姿を現す。


「……皆さん、このホールから離れてください」

「お~? それって俺が味見していいやつ? なんだ、いっぱいいるじゃんか。気前いいねぇ」


 笑いながら、自身の武器であろう切れ味のよさそうな軍用ナイフ――ランドールと呼ばれるナイフを両手でジャグリングするようにくるくると回していた男が、二本のナイフをそれぞれの手に握り締める。


「……な、わけないよなぁ?……ここ、もう人ほとんどいねぇじゃん。お前がやったの?」


 ナイフを握り締めた瞬間、その笑顔は急激に凶悪な表情へと変わった。

 にやりと笑っただけであろうその笑みは、ただの微笑みだ。


「な~? お前さー。一応俺、裏からここまで出張ってきてるわけよ。いい金ヅル見つけたなぁって思いながら。美味しい思いも出来て、金も手に入って。終われば裏で捌いてしまえば更に金も手に入る」


 だが、その微笑みに纏われた不可視の気配は――殺気は膨れ上がり。ナイフと共に向けられる。



 先ほどまで血生臭かった辺りの空気は、重苦しく震え。物理的に振動するような錯覚を覚え。

 動けなくなるほどに重圧が体を襲い。潰されるように体を地面へと引き寄せる。


 その殺気だけで背後にいた少女たちが失禁するほどに濃厚な気配が辺りを支配する。


 そのまま気絶してしまえば失態は消えるだろう。意識を失ったまま逝けるであろう。


 なのに、意識を失う寸前には解放され、また圧力をかけられ、またことりと落ちかける頃には解放され。

 彼女達へのその気配は、生殺しのように強弱をつけられ襲いかかり、楽に落とさせてはくれない。


 次第に、涙を溢れさせながら「あはは」と笑い出す少女達も現れた。


「相手なら、僕がしますよ」


 そんな少女達を守るため。

 冬は殺気を自分だけに向けられるよう、男の意識を自分に向けさせた。


「……なんだぁ? すべて台無しにしてくれてんのは、お前かな~?」


 笑いながら、男が答えた。

 冬も笑顔を返しながら辺りに糸を展開する。


 だが、その糸は思うように展開してくれない。

 冬の指はかたかたと小刻みに震え、自身がこの男に恐怖していることを理解させる。


 軽口なんて叩ける状況ではないが、ナイフを向けられ冬は叩かずにはいられなかった。


「……僕では、ないですが――」


 ――そのナイフは気づけば目の前に。

 自分の目と鼻の先に突きつけられ。


 ――避ける。


 ゆっくりと、進んでくる。


 ――避けないと。


 鼻先に軽く刺さる。


 ――避けないと、刺さる。

 ――だから、避けないと。


 ゆっくりと、突き刺さる。


 ――痛い。


 ずぶりと、肉を裂かれる。

 肉と肉。固いはずの骨さえ、まるでゼリーのように。


 弾力さえ無視して突き刺さっていく。


 ――痛い、痛い。痛い痛い痛い。


 とん。と、柄頭が裂けた鼻に当たる。


 ――抜かないと。


 ゆっくりと、上へと。

 目と目の間の中央を、ゆっくりと銀色の刃は進んでいく。


 こつんっと、刃が固い骨に当たる。

 頭蓋骨――額の皮膚に隠れた骨だ。


 ――ああ、やっと止まってくれた。

 ――これで。死ねる。

 ――死なせてくれる。


 ――死なせてくれて、ありが――






「が――ば……おぇぇぇ……っ!」



 耐えられず。

 冬は地面に倒れこんで嘔吐した。





 違う。違う。

 今のは、違う。



 必死に自分が死んでいないことを確認する。

 鼻先には何もない。裂けてもない。


 死ぬ。

 死んだ。


 擬似的にとはいえ、間違いなく死の感触を味わった。

 自分の体が死の感触を味わった。

 かたかたと体全体が震え、立ち上がることさえ拒否する。


「……誰ですか、あなたは」


 辛うじて持ち上げることのできた顔を男に向けながら、冬は思わず、聞いてしまった。


「俺か? 聞いても無駄だけど、聞かれたら答えるようにしてるんだわ、俺」


 この、圧倒的なまでの、自分よりも格上の存在の名前を。


「殺し屋組織『血祭りカーニバル』構成員」


 男はナイフをくるくると回転させ、持ち直す。


不変絆ふへんきずなってんだ。死ぬやつには興味ないだろうが。ランクはBだ」






 人は、

 言葉でも人を殺せる。

 

 人は、

 自分達が作ったどんな物でも人を殺せる。


 ならば。

 その、人が放つ気配だけでも。


 人を殺せる。



 殺気だけで冬を殺せる男が、目の前に現れていた。

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