第25話:受験者との遭遇

 ひりひりと痛む後頭部を押さえながら、冬は後ろに約八十人の女生徒を連れ、出入り口へと向かう階段をあがっている。


 少女達も先の一件で、少なからず冬のことを信用してくれたようで、今は怯えながらも冬の後ろを少し離れて着いてきている。



「……」



 今、冬は帽子を被っていない。


 先刻、美菜に被らせた帽子を返してもらおうと事を告げると、見事に「いや」と拒否されたためである。


 そんな美菜は、冬の帽子が気にいったのか、にこにこと擬音が出そうなほど嬉しそうに笑顔を浮かべ、冬におんぶされている。


 冬は癖になったため息をつき、そこでふと、ある事に気づく。


「……おかしいですね」


 足を止め、辺りを見渡す。必然的に、冬の後ろに金魚の糞のようについてくる少女達も止まり、何事かとざわめき始める。



 ……血の、匂いがします。



 その匂いは、階段を上がりきった先から。

 背後からも微かに匂うが、それは先に倒した黒服の一人からだと判断できたが、この上からの匂いに、やはりなにかが起きていたのだと感じた。


 まさか。

 試験中に暗殺任務を放棄したことがバレたのでしょうか。


 もしそうだとしたら、先輩のあのバスガイドか、それか、あの黒装束の試験官が僕を殺しにきた可能性がある。


 ただでさえ力量に差があるのに、後ろにお荷物がいる状況。


 地下へと戻ることもできない。

 上へと上がるしかないが、自身の本来の目的が砂のように手から零れ落ちていく感覚が冬を襲った。



 ……もし、そうであれば。

 僕は……この子達を……




 見捨てる。





 ……それは最終手段です。

 今は状況を確認することが最優先です。



 少女達を立ち止まらせ、一歩、二歩と階段をゆっくりと登る。


 後少しで階段の終着点。

 その先の光景が間もなく見える。



 の、だが――


「美菜さん、ちょっと離れて下さい」

「いや」

「いや、じゃなくて……」


 こんな状況に、いまだ美菜をおんぶしていたことを忘れていた。


「いやだもん!」


 それなりの年の癖に、美菜は駄々をこね、冬の腰に回した足に力が入る。「どこにそんな力がっ」と驚く冬の口から「かっ、かはっ」と、血でも吐きそうな声が漏れ、臓器を圧迫される苦しみが訪れるが、叫ぶわけにもいかない。



「いや、あのですね――っ!」

「ふぎゃ」


 殺気を感じ、冬は美菜を無理やり引きはがし、突き飛ばした。


 すぐに両手から銀糸を開放するが間に合わない。


「もろたでっ!」


 声が聞こえ、冬は反射的に後ろにワンステップする。


 間髪、数秒前に冬のいた場所に、一筋の閃光が走った。


 背後にいる少女達を立ち止まらせて正解だった。

 もし一緒に歩いていたら、間違いなく避けることはできなかっただろう。

 あと数センチ前にいれば、冬は、頭部と胴体が、永遠の別れをしていたと感じるほどに、鋭い一撃だった。


 糸の展開も間に合わず。額から鮮血が飛び散り、地面に舞い散る。

 それなりに、傷も深い。


「おおっ!……これは楽しめそうやな。ここの奴等、避けること知らんから、楽しくなかったんや!」


 切り裂いた動作のまま、目の前にいる嬉しそうに微笑む少年と目が合う。


 まだ、冬と同じ年代の少年だ。髪はどちらかと言えばぼさぼさっとした髪型。鼻の周りにはそばかす。そのそばかすが彼にはとても似合っている。


「……お互いに」


 そう言い返すと、少年はますます嬉しそうな顔をする。


 着ている学生服を腕まくりすると、彼の獲物が姿を現す。彼の左腕には暗器、カタールにそっくりな武器が装着されていた。

 それは、冬が実技試験のときに殺した男達や、先の試験で会った瑠璃と同じであった。


 しかし、彼等とは異なる部分がある。


「……刀?」


 刀身が日本刀にそっくりなのだ。


 少年は手首に巻き付けられた器具に軽く触る。

 錫杖のような音をたてて、その暗器は腕の延長上のような、切れ味の良さそうな長めの長さで言えば太刀程の日本刀となった。


「こっちのほうが、使いやすうてな」

「……どこの方便ですか?」

「……わいもわからへん」


 くくくっ、と面白そうに笑いながら、少年の姿が消える。


「っ! 皆さん下がってっ!」


 少年の姿を追い、冬の姿も消える。


 狭い階段だ。逃げる場所も限られる。


 やがて、壁に叩き付けられる音がして、壁にもたれかかるように座る冬と、冬の右腕を押さえつけながら冬の首筋に刀身を突きつけている少年の姿が現れる。


「……勝負、あったようやな」

「……」

「しっかし、まあ……あんた、武器持ってないようやけど? 格闘家か?」

「そうだと、思いますか?」


 冬が笑みを見せる。

 今度は、展開が間に合い、少年の首筋から血が垂れる。

 一筋の糸が――糸よりも細い、簡単には切れることのない鋼線が二人の間に張られていた。


「……どっちが、先に首を落とすか、勝負しますか?」

「……そうやな。面白そうや」


 二人は、笑みを見せたまま動かず。

 二人の手には、互いの命が握られている。


 冬の手には少年の命。少年の手には冬の命。


 一瞬。


 その言葉が、二人の運命を決める。


 生か死か。冬が死に、少年が生を得るか、少年が死に、冬が生を受けるか。それとも……


 今、二人の命は天秤にかけられていた。




 少年が腕に力を込める。冬の腕が微かに動く。

 二人の動きは同時。二人の喉からぽたぽたと微かに血が零れる。


「「……」」


 二人は、互いの敵を見据えたまま動かなくなる。


「……かっ。やーめた」


 少年が屈託のない笑みを見せ、殺気を消し去り冬の喉から刃を離した。


「……あんさんも、試験中なん?」

「試験?……では、あなたも……?」

「わいは終わった。あんさんは?」

「まだです」


 少年が刃を腕の機器に収めたのを確認すると、冬も鋼線を収納した。


 こんな所で受験者と会うとは思っておらず。この状況に笑える少年にも毒気を抜かれてしまう。



「試験内容は何や?」

「……暗殺です」

「暗殺?……誰をや?」

「この屋敷の主人ですかね」


 冬から試験内容を聞き出した少年が、にかっと笑顔を見せた。


「それ、わいがやったる! あれ、ガマ口みたいな口してでっかい人肌もった牛蛙みたいな気持ち悪いやつやなっ! あれはあかん! 人ちゃうであれ! どうやったらあんなでっかい図体になれるねん。見たやろ。あいつのズボンとか、人三人くらい入れるんちゃうかってくらいでかいで! まあ、脂ぎってそうやから入らんけどなっ!」

「……は?」


「牛蛙、くかかっ」と自分の言った、的確にこの屋敷の主人を表現しながら独特な笑い声をあげる少年の会話に追い付けない。


 だが、冬は目から鱗が落ちるほどに衝撃を受けた。


 試験を代わりに行う?


 ……言われてみれば。

 僕の試験を、僕が行う必要は、ない?


 仲間がいたら協力してもらえる。

 だけど、試験であるのだから、自身が行う必要があるはず。

 その為に試験官が傍で見張っているのでは?


 少年の提案に、脳内でぐるぐると考えが巡る。


「あんさんは、そこの金魚の糞みたいについてくる女子達を連れていきなはれ。そこの女子、桐生女子やろ? 誘拐されたっちゅうような話の」


 少年は彼女達を指さして言うと、冬の答えを聞くよりも先に少年の姿は階段を登りきった先へと消えていった。


 冬としてはありがたいのだが、それで試験を終了できるのかと、不安が胸の中に渦巻く。


「だ、誰が金魚の糞よ!」

「う~ん、でも、確かにそうね」


 そんな呑気なことを言って騒ぎだした後ろの少女達をたすけるのであれば、願ってもないことだと。


 冬は彼がわざわざ試験を代行してくれる謎の少年に感謝と不安を覚えながら、階段をまた登りだした。








「まあ。それでもいいんだがね。お前のその行動は好感は持てるよ。試験に関係なく、な」



 そんな声が近くで聞こえたような気がしたが、あえて無視することにした。

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