第1話:その少年の名は


 とある高等学校の授業中。

 校内体育館。


 そこで体育の授業中に、丸く固いボール――バスケットボールが、何かにぶつかって大きな音を立てたのはつい数十分前のこと。


「あんた、何でこんなに運動音痴なんだよ」

「うぅ~ん。何ででしょう……」


 やる気を一気に削ぐような声を出す張本人は、現在少女に膝枕をしてもらい、額に濡れたハンカチを置かれていた。


 少女は何か言いたいのだろうが、その気の抜けた言葉を聞き、一部分だけ先天的に紫色に変色してしまった前髪を掬いながら言葉を失う。


「それにしても、痛かったですね」

「同意を求めないでくれる? 私はあんなこと、怖くてできないから」


 と、少女は少年のような口調で言う。少年は額に乗ったハンカチを軽く持ち上げ少女を見て苦笑いを浮かべた。


「そうですよね。スズはあんなこと、まずしないですよね」

「そうだね。バスケをしている最中に、ぼけぼけっとしてて、ボールを顔面で受けるとか。すごいよ」

「誉めてくれてありがとうございます」

「けなしてるんだよ」

「……」


 思わず無言になる。


 ついさっきまで、二人は学校の体育館にいたのだ。

 彼はその体育館の半コートでバスケットボールをしていた。

 学年の男子がここぞとばかりに、見学している女生徒に自分の凄さをアピールする青春真っ盛りの中、彼はいつも通り、そこにいるのかいないのか分からない存在感のなさで同級生とバスケットボールをしていた。


 時には渡されるボールを持ってはパスし、時にはシュートするように見せてパスし、ドリブルするようにパスし、いいパス回しのする彼ではあったが、俄然目立ちたくないのか、こそこそと試合に参加していた。

 先程スズと呼ばれた少女に『運動音痴』と言われていたが、それほど悪いわけでもないと思う彼は、パス回しにかけては一流ではないかと自負していた。

 そもそも、シュートしてもブロックされれば終わりだ。ドリブルしている間に取られてしまえばそれでピンチだ。

 であれば、パスをして仲間に渡しておけば自分のミスで何か起きるわけでもない。


 だが、そんな考えが悪かった。


 もう自分の番は来ないだろうし、先生にはある程度のアピールもできた。

 ボールを仲間に渡し、残り時間も間もなく。役目も終えて後は終了のブザーがなるのを待つだけ。

 なんてことを考え、少し端のほうでぼーっとしていた彼に、渡したボールがすぐに戻ってきたのだ。


 そんな自身のパス回しの出来に悦に浸っていた彼を、スズが声を張り上げ危険を知らせて覚醒させた時には時すでに遅し。既に彼の顔にボールがめり込んだ後だった。


 今日はツイていない。

 そんな風に思ってはみたものの、こうやって授業をさぼりながらスズという可愛い少女に膝枕をされている時点でツイているのかもしれない。


 とはいえ、彼にとってこんなことは日常茶飯事だ。

 毎日大嫌いな犬に追いかけられるやら、体育の時間はそんな感じでひょろひょろと……。勉強も、できないわけでもない。


 とんとんと、何にしても平均。ただ若干運が悪くてトラブルに巻き込まれることもしばしば。でも面白いやつだ。


 彼がどんな人物かというと、そんなことを同級生は言うだろう。

 嫌いにはなれないそんなやつ。


 それが、彼だ。


「……ねえ、冬」

「はい?」


 改めて自分の名前を呼ばれ、不思議そうに彼は言葉を返す。


「いつまで私の膝使ってるつもり?」

「ある程度感触確かめてからですかね」

「その言い方キモい」


 冬。

 それが、運動音痴と称された彼の名前だ。


 姓は永遠名とわな永遠名冬とわなふゆである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る