prologue 父の口ぐせ



 “ 努力は人を裏切らない。”



「──ええか真琴まこと。努力は人を裏切らへんのや。ステップバイステップ、一歩ずつ着実に進んで行くんやて、マイケル・ジョーダンも言うてる」

「──お父ちゃん、今そんな話してないわ。なんであたしの名前、男の子みたいやのんって聞いてるの。あとそれと、マイケルジョーダンて誰よ」

「アメリカのバスケットの選手や。バスケの神様言われてたんやで」

「知らんわそんな人」

「エア・ジョーダン、かっこええ靴が売れたんや」

「どうでもええし。あたしはさっきから、自分の名前のこと訊いてるんです」

「男みたいやとか女みたいやとか、つまらんなぁ。真琴はそんなつまらんこと気にしてんのか」

「つまらんことない。学校でみんながからかうんやもん。男みたいな名前やから、男みたいな性格になったんやろて」

「それがつまらんて言うてるんや。そんなこと言うやつとは、もう付き合わんでええ」

「……もうええわ」


 子供の頃の、父と私の日常会話だ。マイケル・ジョーダンが他の偉人に変わりながら、私たちは、毎日のようにこの押し問答を繰り返していた。


 ずっとこの名前が嫌いだった。たとえ漢字表記が柔らかでも、「まこと」なんて、男の子の名前だ。どうして両親はこんな名前を付けたんだろうと、恨めしく思っていた。父では埒があかないので、母に訊いてみたが、母は、

「わたしは好きよ。真琴の話す声が聞こえてくると、ほんまのお琴の音色みたいで、お母さん嬉しくなるの」

 と、満面の笑顔で頭を撫でてくれた。それで結局、私は名前の由来を教えてもらうことを諦めるとともに、母の優しさに満足していた。



 今では、懐かしい昔話。

 優しかった母はもういない。今から八年前、突然の病気であっけなく死んでしまった。



 料理人の父は、母と結婚した直後に地元の神戸こうべで洋食屋を開き、夫婦二人三脚で切り盛りしていた。途中、震災による休業、店舗の移転などを経たものの、父の好きな「努力」のおかげで平日でも行列ができ、ときおりテレビや雑誌の取材を受けるほどになっていた。


 母が亡くなったとき、落胆した父はふた月ものあいだ店を閉めた。病気に気付いてやれなかったと自分を責め、そのまま廃業も考えるほど、父の哀しみは深かった。それでも再開を望む常連客の励ましもあり、父は気力を振り絞って再び厨房に立った。やがて行列が戻り、移転の際に作った借金を返し終え、今ではすっかり元の頑張り屋の父に戻っている。


 ──そして、私は。


 ――“ 努力は人を裏切らない”――


 結局、知らないうちに父の好きなこの言葉を胸に留め、自分なりに精一杯やってきた。学校でも、職場でも、恋愛でも。


 だけど、どうもうまくいかない。思ったような成果を出せない。

 頑張れば頑張るほど、結果は中途半端なものに終わった。


 ──なんでやろ。いつも空回り。何があかんのやろ。


 悔しくて、涙が出そうになる。


 ──あいつは、どうも融通が利かん。

 ──一生懸命やればいいってもんじゃないよね。なんか、イタイわ。

 ──‟頑張ってます”アピール、ウザくねえ?

 ──でもたいがい結果はパッとせえへんやん。無駄な努力して、アホみたい(笑)


 そんな陰口を叩かれた。見返してやりたいと思ってまた頑張るのだけど、結局何も変わらなかった。


 それでも、愚直に努力することしか知らない私は、ただひたすらに目の前のやるべきことに打ち込んだ。そして、ある意味開き直りとも言えるほど、周りを気にすることをしなくなっていた。



 そんな私が、あるとき、あの男性ひとに出会った。



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