小さな正義の矢は
菅原十人
第1話
儂は昔、正義の味方という奴に憧れていた。理由はそう難しくない。ただ単に、カッコいいから憧れただけ。
もちろん、そんな幻想は叶うはずがない。そんな憧れは知らぬうちにかき消えたがな。
※※※※※
そこは、小さな町だ。
これといった有名な特産品は無いが、ここには歴史があり。かつての伝説の跡が残っていた。その跡を見に、ここには多くの旅人が訪れる。
かくいう私も、その旅人の一人で。伝説の跡をこの目に焼き付けるため、来た者だ。
「・・・・・ 」
ここに来るまで、かなりの距離を歩いた。そのせいで、体が疲れに疲れている。
自らの体に鞭打って、景色がいいと評判の丘目指して歩みを進め。歩き続けた果てに、丘はあった。
丘の頂上へと着くと同時に、眼下の様子が飛び込んでくる。
空は蒼く、遮る雲はどこにもあらず。太陽は一切の遠慮無しで光を地上に注ぎ。樹々は光を夢中で取り込んでいる。
「来てよかった 」
私に、自慢の隠れスポットを教えてくれた彼には感謝しなくてはならない。戻ったら、何か奢ってやろう。
ともかく、今はこの絶景を噛み締めておこう。すぐにそのまま戻るのは味気ないからな。
「よいしょっ、と 」
ゆっくりと、私の腰を降ろす。そして、背負っていたリュックから食料を取り出した。
「ううむ、勿体ない・・・・・。こんなに綺麗な風景をお供にして、飯の時間を迎えられる機会はそう多くないというのに 」
携帯食料。
腹は膨れるし、安価ではあるのだが。あいにく、味が致命的だ。粘土を食べている気分になれる不思議な食べ物など、私はこの場に求めていない。
とはいえ、こればかりは仕方がないだろう。
元はと言えば、出費をケチった自分が悪い。
携帯食料をどうにか胃の中へと詰め込んだ後。私は、こののどかな風景を丘の上で眺めている。
「・・・・・ 」
そして想う。
ここよりずっと遠く、もう永遠に辿り着けない彼方へ想う。
実在するのかは、分からないが。
後の世に英雄と呼ばれ、人々にもてはやされたある男のことを。
※※※※※
儂はただの猟師だ。
野にいる獣の命を狩り、その肉を対価に金を稼ぎ。稼いだ金で家族を養っているだけの。
それ以上でも無く、それ以下でも無い。
儂はただの猟師だ。
「おい、テグ。あんた正気か!? 間違いなく殺されるぞ・・・・・! 」
ああ。
確かにな、トッド。その心配はもっともだ。でも、
「殺されるだあ? 笑わせるな。その時は殺し返すだけさ 」
出来るだけ笑ってみせる。
数少ない友人を安心させるために。儂の中にある心配を僅かでも吹き飛ばすために。
全部は消えてくれなかったが、少しはどこかへ吹き飛んでくれたのだろう。
体が軽くなったような、そんな気がした。
「じゃ、行ってくる。町一番の猟師の名に恥じないよう、獣を殺してやるさ 」
儂は猟師だ。
獣を殺す術は誰よりも心得ている。
※※※※※
血なまぐさい場所だった。実際に血が飛び散っているわけではなく、しっかりと掃除はされているが。それでも、こびり付いた匂いは消すことが出来なかったらしい。
・・・・・これほど濃い死の香りは嗅いだこともなかったし、出来れば嗅ぎたくもなかった。
「よりによって初めての闘技場が、観客席に座るわけではなく戦う側だとはな 」
それも、今の儂はただの見世物だ。
上の観客席に座る奴らの声がうるさいったらありゃしない。口を閉ざして黙ってられんのか、と文句の一つや二つは言ってやりたくなる。
目の前にある、檻の中の獣を観察する
その中には一頭のライオンが佇んでいた。
黒いたてがみと、所々残されている古傷が特に目立つ。幾多もの戦いを経た、歴戦の強者ような雰囲気を醸し出していて。それこそがライオンの力量を切に表していた。
牙を剥き、儂ただ一人を視界に収め。王者の風格を纏わせながら、血走る目で静かに儂を睨んでいる。
「ウィリアム・ビル、哀れな反逆者よ。我に歯向かったせいで、貴様はこれから獣に喰われるのだ 」
嗤う声が聞こえた。
そいつは丸々と肥えた腹と顔が特徴の、儂の住む国の国王だ。民に重税を課し、苦しむ儂らとは対称的に、自らは贅沢三昧の生活をしているとかなんとか。賢王から最も遠い愚王だ、などと揶揄されていたりする。
そいつはニヤニヤと下卑た笑みを浮かべながら、コロッセオの特等席に腰を下ろしていた。
「さて。どうだろうなあ王様。逆に獣が喰われるかもしれんぞ? 」
憎っくき王に嫌味を言われて、黙っている儂ではない。コロッセオ全体に響き渡る大声で言い返す。
「ほお、いらぬ口を叩く余裕がまだあるのか。やれるものならば、やってみるがいい。せいぜい、その言葉がただの飾りにならないことを祈っておこう 」
「儂がライオンを殺した時は、息子を解放することを忘れるなよ 」
それを違えるな、と儂は国王を睨む。
「もちろんだ。その暁には、国王の名に誓って約束は果たそうとも 」
国王は涼しげな顔で、さらりと儂の視線を流してみせた。
武器を確認する。
短剣が三つ。派手な装飾は付いていないため軽くて扱いやすく、小さめなので使いやすい。悪く言うのなら、剣身が中途半端な長さなせいでとても間合いが狭い。
実際、どうしてこの武器を選んだのかと笑われたし、今も観客席から貧弱な装備だなどと笑う声がちらほら聞こえる。
二つは両手で持ち、余った一つはポケットに入れておいてある。
ちなみに、防具は付けているがせいぜい気休めにしかならなさそうだ。なにしろ、いかにも安物の革装備なのだ。強度など、たかが知れている。
「さて、そろそろ初めようか 」
国王は右手を空に掲げ、少しの空白の後。手を下ろした。
それが合図となって、ライオンを閉じ込めていた檻が持ち上がり。
「グオオオォォアアァァ!!! 」
咆哮を撒き散らしながら。どす黒い殺意を滲ませながら。ライオンは高く飛びかかり。牙を、爪を、強靭な四肢を持ってして、儂を殺そうと迫ってくる。
しかし。その気迫を前にして、怯えを消し、恐怖を霧散させる。
勝負は一瞬。
この1発を外せば儂に勝ち目はない。だから、刹那の一瞬に全てをかけてやらあ。
いつも通り。
風向きを読み。
冷静に、狙いを定めろ。
弓ほどじゃないが、これでも腕には自信がある。
だから問題ないし。決して、問題は起こしてはならない。
右は頭部を。左は鼻を。
狙いを定めたのなら、まず、
左にある短剣をライオン目がけ投擲。
真っ直ぐに直進し。全くの狂いなく、短剣は弱点である鼻につきささった。
「グオオオォォッッ!!!? 」
突如襲いかかった激痛に、自らの体勢を保つことが出来ず。ライオンが無様に空から崩れ落ち、地面に衝突する数秒前。
その瞬間、生まれた隙を見逃しはしない。
右手に握っていた短剣は、既に放っている。
頭に描いた計算通り、短剣はライオンの頭へと吸い込まれ。地響きと派手な衝突音が聞こえ、勢いよく土煙がライオンを覆い尽くす。
「グ、ルルル・・・・ 」
はっきりと姿は見えず、聞こえるうめき声はとても小さい。
頭という急所に当てた以上、残された時間も、残された力も、そう多くはないはずだ。それでもライオンは最後に儂を睨んだ。
姿も見えていないのに、睨まれていると分かるほどに強く。瀕死だというのが信じれないほどの眼力で。儂を呪うように、ライオンは死ぬまで睨み続けていた。
※※※※※
あれほどうるさかった観客席の声が、静まる。
儂が勝つとは思っても見なかったのか。それか、瞬間で終わったあまりの呆気なさからか。
まあ、それはどうでもいい。
国王の方に視線を寄越す。
「国王。約束通り、ライオンは殺したが 」
国王は、ただ黙って儂を見下ろしている。
「当然、息子は解放してくれるんだろうなあ? 」
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