23.天の雷、地に焔(4)

【予備知識】

・舞台は2082年のアフガニスタン。

・味方は平和維持軍『PRTO派遣軍』。主人公ジーク・シィングは規格外兵器「戦術級機動装甲T-Mech〈ヘルファイア〉」のパイロットであり、僚機〈ピースキーパー〉と共に敵陣への斬り込み役を担う。

・敵は反政府組織パシュトゥーニスタン、そしてそれと連携する外様の武装組織『シスコーカシア戦線』。シスコーカシア戦線自体もアリスタルフ派(思想集団)とゼリムハン派(リアリストの傭兵組織)の2派閥に分かれており、実質的に三組織の連合である。


【これまでのあらすじ】

・宿敵〈シャングリラ〉の猛攻に対して、執念深く食い下がったジーク。自機もろとも巡航ミサイルの爆撃で焼き払うという荒業を敢行し、これを破壊した。

・しかし彼は〈シャングリラ〉を動かしているのが、つい先日州都ジャラーラーバードで共に時間を過ごしたジナイーダだということを知らない。

・そして〈シャングリラ〉を破壊しようとも、その核であるジナイーダを殺すことは不可能である。彼女の特異体質は物理的な破壊をまったく受け付けないのだ……!


◆   ◆   ◆   ◆


 日の出とほぼ同時に始まった戦いは、日没と共に終わりを迎えた。

 一時は6機ものT-Mechが乱戦を繰り広げた街道沿いは、嘘のように静まり返っていた。巡航ミサイルの爆発が終戦の号砲となったかのようだった。


「……見たか……〈ヘルファイア〉の装甲を舐めるなよ……」


 ジークが意識を取り戻した時には、着弾から5分ほどが経過していた。至近爆発の衝撃で脳震盪を起こし、意識を失っていたのだ。サイバネ義眼と直結した視界に表示された各情報を確認する。核融合炉の出力メーターはゼロから動いていなかった。


「クソが、核融合炉が落ちてやがる……音声認識、神経接続解除」

『神経接続解除、了解――完了。固定を解除します』


 ジークはBMIの接続を解除した。両手足を固定していた固定具が外れ、サイバネ義肢に自由が戻る。胸椎に移植したコネクタからケーブルを抜くと、背筋に不愉快な痛みが走った。


「『マント付き』はどうなった。爆発は起きたはず……」


 機体システム自体は内部コンデンサの電力で動いているが、外部視察カメラは残らず爆風で破壊されていた。敵機の被害を確かめるには、機体から外に出るほかない。

 ジークは棺桶のようなコックピットの壁を探り、小さなラックから50口径の大型拳銃を引っ張り出した。元が機動テスト機である〈ヘルファイア〉は、生存用装備の格納スペースをほとんど持っていないのだ。


「ぐ……!」


 厚さ20センチ超の装甲ハッチを開け、ジークは機体の外に出た。

 埃っぽい風と硝煙の臭い、ミサイルの爆裂に伴う熱気の残滓。サイバネ義眼のサーマル・モードが起動すると、焼けて熱を持った破片がいくつか見えた。


「……手酷くやられたもんだ」


 〈ヘルファイア〉の被害は甚大だった。

 最も頑丈なコックピットブロックは無事で、胴体と腰が辛うじて繋がっていたが、手足は粉砕されてバラバラだ。正面の複合装甲ブロックは砕けて半ば脱落している。ジークは走行テスト中に事故を起こした時の自分を想起した。


 そして――目の前の〈シャングリラ〉の被害も負けず劣らずだった。

 機体を覆っていたエアロカウルは根こそぎ剥がれ落ち、もぎ取られた頭部や手足が散乱している。背骨にあたるフレームは完全に圧し折れ、割れた胸部からはコンデンサらしき潰れた部品。腰部前面のハッチは爆風のエネルギーでへしゃげていた。


「こいつもコックピットは下半身か。……あの高Gに耐える機体なら、中の奴が生きていることもあり得る。そうなれば……」

「殺すんですか?」


 背後から聞き覚えのある声がした。


「……ッ!」


 ジークが反射的に背後へ拳銃を連射し、〈ヘルファイア〉の胴体から飛び降りる。サイバネ義足が荒っぽい音を立てて衝撃を受け止めた。


 振り返って機体を見上げると、そこには淡い放電光を纏って風にたなびく純白の長髪。そしてジークを見下ろす赤と黒の双眸。



「――ジナイーダ・ナイジョノフ! 何故君が! 俺を騙して裏切ったのか!」

「そういうつもりではなかったんですよ、ジーク・シィング」


 白髪の少女――ジナイーダが言って、ジークの後を追うように跳んだ。結構な高さであるにも関わらず、直立姿勢のまま羽根が落ちるように舞い降りる。


「ジャラーラーバードで最初にお会いしたのは、本当に偶然だったんです。あなたが戦いのあと大声で名乗っていなければ、きっと気付きはしなかったでしょう」

「論点をずらすな。君は社燕秋鴻とか言っておきながら、何食わぬ顔でこの国に残って、『マント付き』のMechに乗ってパシュトゥーニスタンに味方したんだろ。呑気に鼻の下を伸ばしていた俺の姿は滑稽だったか? ふざけやがって!」


 ジークが一息に言って、冗談のようなサイズの大型拳銃を向け、撃った。大口径の拳銃弾がジナイーダの頭の数センチ横を通り抜ける。


「動くなよ。俺はサンドバルほど人を撃つのに慣れちゃいないが、殺しに躊躇いはない。今さら説明する必要もないはずだ、『マント付き』のパイロット」

「知ってます。――〈シャングリラ〉です。私の機体は〈シャングリラ〉」


 言いながら、ジナイーダが警告を無視して歩き始めた。


 ジークは銃口を相手の脚に向け、引き金を引いた。

 銃口で炎が弾け、目の前が黄色く染まる。大粒の銃弾がジナイーダの脛あたりに命中し――その瞬間、全てのエネルギーを失ってぽろりと落ちた。

 

「50口径、おっかない銃ですね。常人だったら一発で足がもげますよ」

「何だ、お前……!」

「御覧の通りの女です。〈シャングリラ〉のパイロット、兼……動力源」


 瓦礫の上をゆっくりと歩いてくる白髪の少女に向け、ジークは拳銃を連射した。


 しかし、やはり結果は同じ。銃弾はジナイーダを傷つけるどころか、足を止めさせることすらできない。黒いスーツの靴底が大きな装甲片を踏み、硬い音を立てた。


「一言で言えば、私は生きた対消滅炉なんです。受けたエネルギーや摂り入れた質量を電気エネルギーに置換して、別次元とか亜空間とか、そういうところに仕舞ってしまう」

「つまり無敵だって言いたいのかよ!」


 ジークが弾切れの拳銃を捨てて飛び退き、地面に散らばる〈ヘルファイア〉の残骸の中から長い棒状の部品――おそらくは折れた骨格フレームの一部を拾い上げた。


 同時に足元に落ちていた厚手のビニールの塊――破損した人工筋肉パックにもう片方の手を突っ込み、電解液に濡れたロープ状のCNT筋線維を引っ張り出す。


「喰らえ!」


 サイバネ義手が駆動し、左手のCNTロープを鞭のように振るった。

 当たれば人が死ぬ速度の一撃。しかしジナイーダは事も無げに片手を出し、非人間的な反射速度でそれを掴む。

 彼女はそのまま反撃の放電を仕掛けたが、そのときジークは既に左手を放していた。人工筋線維を伝って地面に逃げていく電撃を横目に、CNT強化チタンの棒で突きかかる。


「電流避け? でも……きゃあっ!?」


 自分に打撃や刺突は通じない。そう言いかけた瞬間、ジナイーダの足元が勢いよく傾き、彼女は重力に引かれて地面に倒れた。

 然り、ジークの狙いは打撃ではない。足元の瓦礫に棒を差し込んでひっくり返し、間接的に相手を転倒せしめたのだ。


「潰れろ!」


 ジークはそのまま手近にあった板状の瓦礫――剥離した重複合装甲モジュールを持ち上げた。サイバネ義肢とアシスト・スーツが軋み音を立て、テーブルにできそうな大きさのモジュールをジナイーダの上に放り投げる。


「わ……っと!」


 ジナイーダが倒れたまま両手を出し、軽く触れるようにして瓦礫を支えた。しかし彼女は圧死こそしないが、大重量の装甲モジュールを押し返せるほどの力はない。その上から追加の瓦礫が次々と投げ込まれていく。


「地面に立ってるってことは重力の影響下にあるってことだ。それにお前はT-Mechに乗ってる。つまり機械のサポートが無きゃ放電以上の事はできない。違うかよ」

「さすがですね。うちのボスと同じ結論ですよ」


 瓦礫の下から声がした。


「やっぱり、こういうのは反射神経だけじゃ駄目なんでしょうね。生まれたときからこの体質ですから、どうも本能的な危機察知とかは縁遠くて……ところで」


 ジナイーダが続けた。


「私、さっき『摂り入れた質量も電気に変える』って言いましたよね。どうやって摂り入れると思います? 律儀に消化管でペプシンとかトリプシンとか使うとでも?」


「……何が言いたい」


 ジナイーダの答えはなかった。

 その代わり次の瞬間、黒い線が下から伸び、音もなく瓦礫を貫通した。


「……何だ!?」


 それ・・は靴紐ほどの太さの触手だった。人工物とも生物器官ともつかない外見――というより一切の光を反射しておらず、シルエットでしか視認できないのだ。

 それが無音のまま高速で跳ねまわり、瓦礫を数センチ角に切り刻む。熱や運動エネルギーによる破壊ではない。触手に触れた箇所が質量・・食われて・・・・跡形もなく消失している。画像編集ツールで消しゴムをかけるような異様な破壊。


「これは私にとっても奥の手なんです。ボスにだって一度も見せたことはない。封じ込められると思わせておいた方が、もしもの時に都合がいいですから」


 裁断された瓦礫を払いのけ、ジナイーダが立ち上がった。



 ――その左手は枯れ枝のように裂け、虚無ヴォイドとしか形容しようのない真っ黒な断面が血と肉の代わりに覗いていた。そこから先ほど瓦礫を切り刻んだ黒い触手が伸び、うねうねと意思をもって動いている。



「……俺は路地裏で君の方を助けたつもりだったが、どうも違ったらしいな」


 ジークは持てる知識を総動員して、目の前の現象を理解しようと試みた。


「いわゆる――低温対消滅ってやつか。生きた対消滅炉なら腹の中には反物質アンチマターが詰まってるはずだ。それをヒトデの胃袋みたいに吐き出して、体外消化した」

「ご明察。その比喩には思うところがありますが」

「SFの主人公になった気分だな。君は人の形をしているだけで、体構造からして人間じゃない……何者だ。妖怪かエイリアンか、それともラブクラフトの妄想か」

「人間ですよ。人間らしさヒューマニティの定義をどこに置くかにもよりますが」


 ジナイーダが肩を竦め、両手を軽く上げてその場に腰かけた。触手が異常な速度で腕の中に吸い込まれ、裂けた手が痕ひとつ残さず閉じる。


「もう何もしません。――良ければお話しませんか。お互い手空きでしょう」


 ◇


「……私が生まれたのはベラルーシ。両親の顔は知りません、ただ拾われたとだけ」

「まるで『マハーバーラタ』の半神だな」

「だからゼウスの末裔ジナイーダなんです。……あるいは神話の時代であれば、私も生きやすかったのかもしれません」


 言いながらジナイーダがケーブルの欠片を拾い上げ、手の中でループ状にして通電させた。ショートした電線が発火し、小さな火が起こる。ジークは自機に背を預けて立ったまま、手すさびのように行われる一連の動作を眺めていた。


「あまりいい施設ではなかったし、寂しい子供時代でした。小さい頃は何度もヘマをしかけたけど、自分なりに色々と研究して……まぁ、『不気味で近寄りたくない奴』くらいのポジションに落ち着いてました。田舎町のコミュニティで独り朽ち果てる未来なら、辛うじて掴めたでしょうけど」

「それでこの世を憎んだか」

「そこまでじゃないですけどね……うちのボスは共感能力の欠如した危険思想者ですが、私にとって彼の誘いはアリアドネの糸でした。可愛い妹分もできたし、少なくとも自分を隠すことは求められずに済んだ」

「お前、パシュトゥーニスタンでもロシア軍でもないな。……要するに自分探しでテロリストに加担したわけだ。今日の高高度砲撃で何人殺した?」

「……」


 ジナイーダが黙った。赤黒の目は何の感情も出さぬように努めているようだった。

 それまで底知れない悠然さ、神秘性のようなものを放っていた彼女の姿が、ジークには妙に小さく見えた。神がかり的な猛威を誇った〈シャングリラ〉の中身がこの少女であるという事実に、彼は未だ実感を持てていなかった。


「私を裁こうと?」

「別に。俺も〈ヘルファイア〉で大勢殺してきた。PRTOの大義のためじゃない。このT-Mechが俺の価値を証明する全てだからだ。……誰が救われ、誰が苦しもうが、それは結果だ。俺がどうするかについて、余所から口を出される謂れはない」

「パシュトゥーニスタンのトール・ギルザイは、あなたに兄を殺されたと」

「『バイク乗り』のパイロットだな。俺を憎んで殺しにかかるのは奴の勝手。それを返り討ちにするのは俺の勝手だ。それだけだ」


 サイバネ義眼の疑似瞳孔が、赤黒の目をまっすぐ睨み返した。


「エゴイストですね、あなたも」

「エゴさ。この世はエゴのせめぎ合いだ。……前に言ったことを覚えているか。全てを失くした俺にこの〈ヘルファイア〉が価値を与えた。両目と手足を引き換えに」


 ジークが沈黙した自機の方を振り返り、また視線を戻した。


「俺は怪物になりたい。何者も寄せ付けず、誰にも手出しできない怪物に。だが君の〈シャングリラ〉がある限り、俺と〈ヘルファイア〉は負け犬だ。だから壊した」

「ガリー・フォイルか山月記ですか。ろくなものじゃないですよ。暴力で全てを排除したところで、ただ孤独になるだけです」

「よくも言う。君の組織が君に求めているのが、そして現に君が行使しているのが暴力でなくて何だ? あのイカれたT-Mechとイカレたビーム砲が動かぬ証拠だ」


 ジークが〈シャングリラ〉の残骸を指して言うと、白髪の少女が言葉に詰まった。

 

「君は人の仲間に入れないのが寂しいと言いながら、力を隠すのは嫌だと言う。暴力は不毛だと言いながら戦いをする。言うこととやることがまるで真逆だ。都合よく自分を誤魔化しながら好き放題やってるだけじゃないのか。君の望みは何だ?」

「私は……私の全てを受け入れてくれるところが欲しいんですよ」


 やや言葉に詰まりながらジナイーダが言った。その身動ぎに合わせて不随意的な放電が発生し、周囲の金属片に稲妻が散る。


「ああ、もう。あなたと喋ってるとコントロールが変になります……私にはこの道しかなかったんです。今さら引き返すのも、止まるのも御免です。不本意でも最善でなくても、このままやり通す他にないんです――あなただってそうでしょう。〈ヘルファイア〉の外に居場所がないから、自分を捨ててまで勝利を求めた」


 白髪の少女の言葉には消しきれぬ不安が滲んでいたが、しかし切実であった。


「……そうだな――そうかよ」


 相対するジークのサイバネ義眼に、再び敵意の炎が灯る。彼は足元の金属棒を拾い上げ、次なる攻撃をどのように仕掛けるか思考を巡らせ始めた。


「いいさ、勝手にしろ。だが行動には結果が伴う。俺のしたことが復讐者を生んだように……お前、ここ最近で会った中じゃ、一番話が合う奴だったぜ」

「私はここ最近どころか、人生で一番でしたよ。ジーク・シィング」


 ジナイーダが立ち上がり、ジークとまっすぐ向かい合った。


「それで、その棒切れで今から神頼みの儀式でもやるんですか? はっきり言いますが、私を暴力で倒すことは不可能です」

「今しがたお前の機体を爆破してやったのを忘れたか。巡航ミサイル3発で」

「機体なんて所詮は物です。私がいる限りいくらでも再建される」

「それなら、お前を……!」

「私を? 殺すんですか。それともどこかに幽閉しますか。どうやって……」


 ジナイーダが更に畳みかけようとして――突然言葉を切り、空を見上げた。


「――隠れて!」

「何だ、いきなり!」

「早く! 殺されますよ! ……〈スカーヴァティ〉が来る!」


 ジナイーダが先程までの弱々しい様子が嘘のように言い放ち、脅すように全身から放電した。ジークが擱座した〈ヘルファイア〉の下に滑り込み、機体と地面の間に身を伏せる。放電の光がジークを影の中に隠した。

 

 しばらくすると、静音処理がされたジェット音とともに、空から未確認のT-MechがUFOめいて垂直降下してくるのが見えた。

 

 色は黒と金、四腕。仏像の蓮座を思わせる飛行プラットフォームに乗っている。

 ジークはその姿に〈ティル・ナ・ノーグ〉を想起した。姉妹機、恐らくは高高度にいたという電子戦型。〈ピースキーパー〉に無人機を突っ込ませたのもこの機体か。

 

 電子戦型が着陸し、熱核ジェットらしき爆風が地表を吹き払う。ジークは機体の影に身を伏せ、噴射が収まるまで息を潜めて耐えた。


「ご苦労様です。敵が予想以上に――」

「〈ケラウノス〉は無事か? 機体は酷い有様だが」

「……そっちに退避させてあります」

「よかった。アレを失ったんじゃないかと思うと、気が気じゃなかったよ」


 ジナイーダと、外部スピーカーを通した電子戦機のパイロットの声。ジナイーダの声色は明らかに冷めていたが、もう一人はそれを全く気にしていないようだった。


「それが『三つ目』か。パイロットは?」

「……亡くなってるみたいですよ」

「ふぅん。やれやれ、そいつ一機にずいぶん引っ掻き回されたものだ。ゼリムハンの独断行動で計画は狂うし、散々だよ。PRTOの戦力を削り過ぎたかもしれない」

「そうでしょうね」

「そいつの顔を拝んでみたいな。ちょっと引っ張り出してみてくれないか」

「嫌です。それより機体の回収は?」

「言われるまでもないさ」


 もう一人が言うと、即身仏めいた細身の四腕機が降り立ち、フック付きのワイヤーで〈シャングリラ〉の残骸とプラットフォームを繋ぎ始めた。それから遠くに落ちていたねじれた螺旋槍を拾い上げ、再びプラットフォーム上に座り直す。


「〈シャングリラ〉は直りますかね」

「2ヶ月はかかるな。……今日の君の行動とこれからの動きについて、話すべきことは山積みだ。〈スカーヴァティ〉に同乗してくれ」

「はいはい」


 ジナイーダが頷き、それから〈ヘルファイア〉の方に振り向いて、言った。


「さようなら。もう会うことはないでしょう」

「……!」


 それは明らかにジーク・シィングに向けた言葉であった。

 そして足音、ハッチの開閉音。再び熱核ジェット噴射が始まり、彼女らを乗せたT-Mechは北東へと飛び去っていった。


 ◇


「――クソッタレがァァァァァッ!」


 ジェット音が聞こえなくなった後、ジークは声を限りに咆哮した。

 彼はサイバネ義肢の拳を握り込み、力の限り自機の装甲を殴りつけた。ブラッドレッドのペンキが塗られた防弾外殻が僅かにへこむ。


「ジナイーダ・ナイジョノフ……何故、俺を生かした! 俺に何をしろと言う!」


 惨めだった。今日一日、戦って戦って、形振り構わぬ手段で〈シャングリラ〉を葬ったというのに――その結果がこれだ。またしても〈シャングリラ〉は去り、動かなくなった〈ヘルファイア〉はその場に残された。自分はベッドの下の間男のように隠れてやり過ごすことしかできなかった。

 これは勝利ではない。〈ヘルファイア〉の敗北を雪ぐどころか、屈辱の上塗りだ。


「そもそもお前の目的からすれば、俺を生かす意味などないはずだ! なのにお前は情けをかけて、俺を生かした! 何故だ! 機体をあれだけ粉々にしてやっても、まだ俺を子供か小動物くらいにしか思っていないのか! 殺すほどの脅威じゃないと! 馬鹿にしやがって……必ず……」


 そこまで声に出して、ジークは黙った。


 必ず、どうする?


 己の目で見て分かった。彼女は本物の怪物だ。

 核爆弾を叩き込もうが、〈ヘルファイア〉の全身にガタが来るまで殴りつけようが、涼しい顔をして立っているだけだろう。こと暴力という土俵においてジナイーダは無敵だ。殺すことは不可能なのだ。


 そして――少なくともついさっき――ジナイーダは自分を生かそうとした。

 打算のためではなく、ただ彼女自身がそれを望んだからだ。同じ寄る辺を失くした孤独を抱えた者として。そこに対して何の表意も見せぬまま殺しにかかるのは、ジーク・シィングの道理にもとることだ。


 だが〈ヘルファイア〉の雪辱は? これまで積み上げてきたプライドと信念を捨てるのか? そもそも〈シャングリラ〉を破壊し、ジナイーダをも殺さなければ、本当にジークと〈ヘルファイア〉の屈辱は払拭されないのか? 先ほどジナイーダに放った言葉が、ジーク自身に返ってきていた。


「――俺の望みは、何だ!」


 ジークの問いはヒンドゥークシュ山脈の夜の闇に吸い込まれる。

 吹き荒れる冷えた夜風に混じって、南から回収部隊のティルトローター輸送機の音が近づいてきていた。


(chapter4 終)

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