5.北コーカサスの餓狼たち(2)
【これまでのあらすじ】
・ジナイーダ・ナイジョノフは武装組織「シスコーカシア戦線」の構成員である。元は北コーカサス系民族で構成された反ロシア闘争組織だった彼らは、今や各地の戦乱に散らばって武力をひさぐ傭兵部隊と化しつつあった。
・アフガニスタン東部のワハーン回廊の雪山の中に地下基地を設けた彼らのもとに、現地の反政府勢力パシュトゥーニスタンとの折衝を行っている別派閥の首領・ゼリムハンが訪れる。
・パシュトゥーニスタンは彼らをPRTO(米印を中核とする先進国の平和維持軍)への対抗戦力として考えているが心底信頼はしておらず、オリジナルのT-Mech〈ジャハンナム〉を建造していた。
◆ ◆ ◆ ◆
「――参謀本部にこっちの『耳』を送り込めたか、素晴らしい成果だ。やはり君に任せて正解だったな、ゼリム」
記録映像を見終えたアリスタルフが大仰な仕草で賛辞を送ると、向かいに座るゼリムハンも頷き返した。
「実際俺も意外だった。こうもあっさり通るとは」
「ここ数年でPRTOが盛り返してきて余裕がないのさ。何のかんの言いつつ、実際は外様でも使わずにはいられないんだろう。――彼の話は理屈の上では正しいが、ね」
「というと?」
アリスタルフが机上のカップから茶を飲み、続ける。
「そもそも彼らの母体になったターリバーンってのは、もともとパキスタンが送り込んだ連中だ。ソ連侵攻のゴタゴタに乗じてアフガンに傀儡政権を作ろうとした」
「大昔に5年だけ政権を取ったんだったな。アメリカの攻撃で崩れたと聞いたが」
「そうだ。ターリバーンは地方軍閥と化した。一方の新政府も彼らを駆逐できるほどの支持は得られなかった。それで国が割れて、互いに引っ込みのつかない戦闘が数十年も続いたというわけだ」
「そしてパシュトゥーニスタンが反政府集団を吸収し、一つの中央集権的な組織となった」
「しかしまだ8年だ。未だ組織内には派閥意識が残っているし、その調整に割かれるコストも大きいはずだ。真の意味で強い組織になるにはまだ時間がかかる」
アリスタルフが姿勢を崩し、テーブルに両肘をついて顔の前で指を組んだ。
「どこも同じだよ。今の国際社会のシステムは、争いを余所に押し付けて先進国が得をするようにできている。彼らが事なかれ主義の日和見を続ける以上――ゲバラや毛沢東がしたような
やけに実感が込められた声色で言い捨て、眼鏡の基地司令は即興の講義を終えた。
この場にいるのはジナイーダを除いて全員がチェチェン系だが、中でもアリスタルフは生粋の
同国はで独立を巡ったロシアとの諍いが――ソビエト連邦、ひいてはロシア帝国時代の時代から――実に500年近く続いている。抱えている問題も今のアフガニスタンと実際さほど変わらない。
「……ま、それはいい。君らは引き続きパシュトゥーニスタンから譲歩を引き出してくれ。この調子なら難しくはないだろう」
「理解した。そちらは?」
「PRTOの内情を探る。彼らがどれほど本腰を入れているか、機を計らおう」
「そして〈シャングリラ〉で一手を打つか」
「そうだ。アフマド・ハーンのささやかな意地など国際世論の知るところではない。アフガニスタンで火事が起これば自動的にロシアが下手人にされる。その孤立に呼応して各地の独立運動が息を吹き返し、連邦は再び解体へと向かう……我々の故郷を圧制してきた憎き敵。〈シャングリラ〉の雷が奴らを打ち崩す号砲となる」
大仰な手振りを交えたアリスタルフの言葉を聞き、ゼリムハンはただ答えた。
「――そしてお前がチェチェンの、そして北コーカサスの盟主となるわけか?」
「ははは。さぁ、その辺はどうなるやら」
「…………」
ジナイーダが薄く薄く細めた双眼――白い瞼の下ではドス黒い眼球の中で深紅の瞳が昏く輝いている――から厭世的な眼差しを向けた。
(狡猾な人だけど、根っこは熱血漢というか……理想家なんですよね。革命家なんて須くそんなものだろうけど)
アリスタルフはあまり本心を表に出そうとはしないが、皮膚の温度変化で感情を読み取れる彼女には彼の上体が煌々と燃えて見えた。野望と闘争心のサインだ。社会への、世界への――彼女は眼鏡の奥で双眸をぎらつかせる基地司令から目をそらした。
「計画は今のところ順調だ。どう転ぶにせよそう遠いことにはなるまい。君たちには今後も――」
「おい」
テーブルの向かい側でどん、と乱暴な音が響く。
「あんたよォ。黙って聴いてりゃあグチグチグチグチ、いつまで持って回ったような御託を並べりゃ気が済むんだ?」
机に握り拳を叩きつけ、不機嫌に唸っているのはシャミルだ。アリスタルフが紳士的な笑みを――その内心には不快感がちろちろと燻っていたが――彼に向け、続く発言を待った。
「要するに、俺らはここでPRTOのボケ共をブチ殺す。そうすりゃあんたが俺らに金を出す。それだけのこったろうが。解りきったことを言うためだけに俺達をこんなド辺境まで呼びつけたってのか? ええ?」
シャミルはアリスタルフのプランをほとんど理解しておらず、また興味もなかった。粗にして野にして卑、というのが彼を指すもっとも的確な言葉だった。
思想だの民族だのはアリスタルフ派の理屈であって、それを俺達に押し付けられる謂れはない。シャミルに自分の思考を自覚する知性はないが、敢えて代弁すればそんなところだった。
そして――こうした思考回路は決して彼一人だけのものではない。アサダーバードに残してきた数十人の仲間も、また彼らのリーダーであるゼリムハンも口には出さないだけで方向性は同じだ。
奇妙な逆転現象ではあるが、シスコーカシア戦線では新参のアリスタルフが理想に燃える一方で、古参派閥は当初のアイデンティティを失いつつあった。故郷チェチェンに帰れないまま、世代を重ねすぎたのだ。生物の分岐進化めいていた。
「そう思われるのは心外だね。我々は同胞であり同志だ、単なる雇用主と労働者のような関係じゃない。だからこうして本拠地に招いて計画を明かしているんだよ」
「カーッ! 小難しく言えば偉いと思いやがって! 背広の
ほとんど勢い任せにシャミルが激発して席から立ち上がった瞬間――ターニャが猟犬めいた俊敏さで椅子から跳躍し、彼の前に立ち塞がってケープを脱ぎ去った。
「司令への狼藉は許さない。三下の盛り犬」
その両手足を置き換えるサイバネ義肢が一斉に駆動、義足が延伸関節を展開して獣脚状に変形。ケープの下に隠れていた4本腕が放射状に広がり、関節をギチギチと擦り合わせて威圧的な音を鳴らす。
「薬中の人形女が! アッチの方もシリコン製か、ああ!?」
「『待て』も『お座り』もできないと見える」
多腕義手の三指マニュピレータをガチガチと打ち合わせながら、蜘蛛めいた半人半機と化したターニャが不気味な無表情で言い捨てる。彼女に精神的な動揺はあり得ない。が、聞く耳持たぬ相手を従わせる方法は十全に心得ていた。
もしあと一歩でも近寄れば、この戦闘用サイバネティクスで武装した少女はたちまち自分に飛び掛かって手荒な『説得』を始めるだろう――シャミルが一瞬怯んで動きを止める。直後に岩塊のような拳骨が脳天に叩き落され、彼は悲鳴じみた呻き声をあげて机に突っ伏した。
「恥をかかすなと言ったぞ、俺は」
握り拳を作ったまま、ゼリムハンが乾いた表情で言い捨てる。それを見たターニャも義肢を再格納し、ケープを羽織りなおして席に戻った。
「私って本当に世間知らずなんですね。会議とか話し合いってもっと非暴力的な場だとばかり」
ジナイーダが呆れたように皮肉を言うと、スキンヘッドの巨漢は返す言葉もない様子で溜め息をついて椅子に座りなおした。
「……話を戻させてくれ。パシュトゥーニスタンの方は解ったが、PRTOの偵察はどう行う? そう易々と入り込める相手ではないだろう」
「背広の
アリスタルフが作戦司令テーブルのコンソールを操作し、机上いっぱいに周辺の立体地形図を表示させた。そこに赤と青の立体マーカーが重なって出現し、敵拠点位置と哨戒予定ルートを指し示す。
「〈ティル・ナ・ノーグ〉を使った偵察は引き続き行う。それに加えてこっちの手勢をジャラーラーバード中央区に寄越す。ハサン政権が西ベルリンかパレスチナよろしく塀で囲ってるところだ」
「奴らの橋頭堡か。確か近くに基地があったな」
「キャンプ・ビッグボードだ。航空機運用能力に3Dプリンターの生産施設まで備えた大型基地。あそこの近場で安全な町はここだけだから、基地の人間もちょくちょく訪れる」
「なるほど。その件はパシュトゥーニスタンには?」
「独断行動にいい顔はすまい。秘匿だ」
「承知した」
何の躊躇いもない眼鏡の基地司令の言葉に、ゼリムハンはあっさりと頷いた。
「潜入には私が経営する国際援助NGOを使う。ウクライナで立ち上げた団体だ」
「慈善団体に潜入なぞできるのか?」
「正面から入ればいいのさ。団体自体は正式な認可を受けたリーガルなもので、既に市内への立ち入り許可も取らせてある。……ああ、そうだ。それと――」
「――私も参加します」
アリスタルフの言葉を引き継いだのは、あろうことかジナイーダだった。巨漢の傭兵隊長が思わず無表情を崩して目を見開く。
「お前がか?」
「何か問題でも?」
「見てくれが目立ちすぎる。わざわざお前が出向くような仕事でもあるまい」
ゼリムハンが正論を述べた。ジナイーダの大理石像めいた白髪白肌の容姿は美しいが、町に潜り込むには誰がどう見ても不向きだ。そして万が一彼女が拘束されれば、アリスタルフは〈シャングリラ〉のパイロットと地下基地の動力を同時に失うことになる。
「外見はカラーコンタクトとお化粧でどうとでもできますよ。ここに腰を落ち着けるまではそうしていましたし。……それに私の精神衛生にはリスクに見合うリターンがあります」
「要するに休暇代わりというわけか?」
「あら、馬鹿にできませんよ。この基地も〈シャングリラ〉も私の精神衛生と一蓮托生ですもの」
白髪白肌の少女が首を微かに傾げて両目を開け、戯れたように笑った。
「なにせ半月に一度基地のキャパシタを充電する以外は、シミュレーター訓練か部屋に引き籠もるかなんです。毎日毎日同じことの繰り返し、このままでは倦んで電圧のコントロールが狂ってしまうかも」
「聞いたかいゼリム、この白々しい言い草を」
「さぁて、どこの誰に似たんでしょうね」
「ふはははは、さてもさても!」
「……」
芝居がかった声色で笑うアリスタルフの隣で、ゼリムハンはジナイーダの赤黒の双眸――その瞳に浮かぶ上位者の余裕に不気味さを覚えていた。彼女は根本的なところで恐れを知らない。
(ジナイーダ――この女は異常だ)
彼は
雷雲や火山が意思を持ったとして、それは人間と同じものだろうか? 彼女の愛想のいい立ち居振る舞いも、ゼリムハンには人ならざる何かの擬態行動にしか思えない。異物を排斥しようとする原初的な本能がそう思わせていた。
「リスターシュカ。お前はいいのか、それで」
「あまり喜ばしくはないけどね。どのみち〈シャングリラ〉も修理中だし、多少の我儘は聞いてやるさ。少し羽を伸ばすくらいなら問題はないだろう」
「ならば、俺が口を出すことではない」
諦めたように肩を竦めるアリスタルフに対して、ゼリムハンはやや眉を顰めて言った。原子炉の監視を放り出すようなものだと思ったが、結局は余所のこと。自分は仕事をするだけだ。
「相変わらずだね。君のそういうところは嫌いではないよ。……こちらからはこんなところだ。他には何か?」
「共有事項はもうない。――今後の展開、お前はどう見る?」
「ふむ。彼らは先の戦いで我々に出し抜かれた、少なくともそう認識している。そして今回、自前のT-Mechを見せびらかしてきた。となると次は――」
アリスタルフが眼鏡の位置を直しながら少し考え、口を開いた。
「――自分たちだけでどこかしら攻める気じゃないかな。力を示すためにさ」
◇
キャンプ・ビッグボード。基地内に設けられたトレーニングルームの中に、重々しい打擲音が響き渡る。何も知らない人間が音だけ聞けば、鎖で吊られたサンドバッグを殴る音だと考えるだろう――大型の両手持ちハンマーか何かによって。
だが実際に音を出しているのは、一人の徒手空拳の男だった。部屋は20人ほど収容できる広さがあったが、彼の他には誰もいない。
「……!」
サンドバッグに拳が突き刺さる。チタン合金の装甲と強靭な
続いて戻ってきたサンドバッグにボディーブローを入れてモーメントを相殺し、そのままバッグを抱え込んで膝蹴りを連打。虎が喰らい付くがごとき無呼吸拳打に鎖が悲鳴じみた金属音を上げた。
「――あれ、珍しい」
直後に背後でドアが開き、男が弾かれたように振り返った。義眼の疑似瞳孔システムが立ち上がり、黒く染まっていた双眼に白目と黒目の区別が生まれる。
入口にいたのはディナ・サンドバルだった。私物らしきトレーニングウェアに着替えており、普段は軍服で隠れている両肩の炎めいたトライバル・タトゥーが露わになっている。
「ここ普段はそれなりに人いるんだけど」
「いたな。俺が来た時には」
「追い出したの?」
「勝手に出ていった。奴らはそう思ってるだろうがな」
ナイフで刺したような傷痕の残る顔で厳めしい仏頂面を作り、男――ジーク・シィングは言い捨てた。ディナが「ふぅん」とさして興味もなさげに返し、棚からダンベルを二つとって近くのベンチに腰掛ける。
「義肢じゃ鍛える意味ないんじゃないの」
「筋力は増えない。だが
「それも『マント付き』の対策?」
「……暇潰しだ。今はシミュレーターも使えない」
両手足と眼球をサイバネティクスに置き換えた男はそれきり黙りこみ、再びサンドバッグを猛然と殴りつけ始めた。ディナが手慰みのようにダンベルを上下させながら、いつもどおり血圧の低そうな表情でその様子を眺める。
休暇が始まってから既に4日が経ち、そしてあと2日残っていた。
こういった長い休み自体はさほど珍しくもない。敵地への単独強襲用の特務機であるT-Mech、そのパイロットの任務は過酷だが同時に不規則である。
「そっち、機体どうなの」
「進捗報告のメール通りだ。今は兵装の取り付け工事と、昨日届いた複合エアロゲル材を
「耐熱装甲だっけ。あとどのくらいかかりそう?」
「装甲に二晩。残りにもう二晩だな」
暇を持て余すジークらとは対照的に、ロック・サイプレスをはじめとする整備班は今もガレージでフル稼働を続けている。〈ピースキーパー〉は既に修理とミサイルランチャーの増設改修を終えているが、〈ヘルファイア〉はまだだ。
「こっちも暇で仕方ないよ。……そういえば、兄貴と明日街に行くんだけど」
「次から次へと、お前は俺を邪魔しに来たのか? 奴の差し金で」
「そのうちタンスに脚をぶつけても兄貴のせいになりそうね」
ジークが舌打ちし、ひときわ強くサンドバッグを殴り飛ばした。彼はそれ以上のトレーニングを諦め、傍に掛けたタオルで汗を拭いながらディナの方に向き直った。
「街ってのはジャラーラーバードの中央区か。あの外国人街」
「うん。塀の中。行ったことある?」
「さして面白い場所じゃない。塀の中に限れば今のところ治安は良い方だがな」
「気晴らしにはなるでしょ。――あなたも来る? 明日は部屋にもいられないでしょ。清掃が入るんだから」
「街には行く。だがお前らとは御免だ」
ジークが一蹴した。
明日は宿舎の設備点検と清掃がある。基地施設班の担当将校も来る。顔を合わせてトラブルにでもなったら億劫だ。かといって多忙極まるガレージに居座れば、作業中のロックらに気を遣わせる。
だから街に出るのは実際悪くない考えだし、彼もそのつもりだった――が、サムエルが一緒となれば話は別だ。羽虫を避けようとしてドブ川に飛び込むほど自分は愚かではない。
「ふぅん。解った」
つっけんどんな返事だったが、ディナは特に不愉快げな素振りも見せずに頷いた。彼女は難しいメンタリティの持ち主との付き合い方を兄からよく学んでいた。すなわち余計なリアクションで相手の神経を逆撫でしないことだ。
「せいぜい塀の近くに近寄らないようにするんだな。ドローンと警察が見張ってはいるが、賄賂を渡して入ってくるロクデナシがいないとも限らない」
「覚えとく。兄貴には見かけてもちょっかいかけないように言っとくよ」
「そうしてくれ。じゃあな」
ジークはそのまま彼女の横を通り抜け、部屋を出た。
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