八 鬼多見遙香(一)

「おねえちゃん」


 紫織に呼ばれてハッとした。


 でも、そこに居たのは妹に似た男の子と、メガネをかけた真面目そうな少女だ。


 おじさんッ?


 男の子は昨日見た、子供に戻された叔父さんだ。


 お祖父さんの幻覚だろうか?


 あれ? そもそもここはどこだ? わたしはお母さんと本殿に居たはずなのに。


「きょうもカキコーシュー?」


「そうだよ。

 早紀ちゃん、ゴメン、また悠輝の相手押しつけて。

 本来、オヤジが面倒見なきゃいけないのに」


 わたしの口が勝手に動いた。だけどこれ、わたしの声じゃない。これは……お母さんの?


「稽古が終わって、悠輝くんと少し遊んでいるだけです。

 好きでやっているので気にしないでください、遙香先輩」


 遙香……やっぱりお母さんだ! わたし、お母さんになってるんだッ!


 しかも、叔父さんの年齢を考えると、二十年くらい前の世界にいる。


「ホントに? せっかくの夏休みなんだし、カレシと居たいんじゃない?」


 早紀ちゃんは頬を赤くした。


「からかわないでくださいよッ。

 それに……カレも受験生だから、あんまり会ってばかりも……」


「あらぁ、気ぃ使っちゃってるの? ケナゲねぇ」


「だからッ、からかわないでください!」


「アハハ、ゴメンゴメン。早紀ちゃん、かわいいから、ついイジワルしたくなるなるのよ」


「もう……」


 今度は頬を膨らます。


「それより、法眼先生、今日も法事ですか?

 お盆が近いけど、このところ毎日ですね」


「うん……ま、法事って言うか、『副業』かな?

 色々坊主も大変なのよ、食べていくには」


 お祖父さんは拝み屋の仕事で留守にしがちなんだ。


 早紀ちゃんにその事は秘密なんだろう。


「じゃ、悠輝、早紀ちゃんに迷惑かけちゃダメだからね」


「うん、おねえちゃんもイネムリしないで、勉強しろよ」


「アンタこそ、遊んでばっかいないで、夏休み宿題ちゃんとやりなさいよ!」


 ようやく状況が飲み込めた。


 これはお母さんの記憶だ。


 そして、これがお母さんの験力なんだ。


 お祖父さんの幻覚に似た能力なのだろう。実際、どうやっているのか想像もつかないけど、自分の記憶をわたしに追体験させているんだ。


 自分の意思で話す事も身体を動かす事も出来ないけど、視覚と聴覚だけでなく、夏の蒸し暑さや木々の匂いも感じる。おそらく何かを食べれば味も感じるだろう、究極のヴァーチャルリアリティだ。


「起きなよ、遙香」


 声をかけられてハッとした。


 眼の前が、また真っ暗になっている。


「んん……終わったの?」


 まぶたが開かれる。どうやらお母さんは机で寝ていたようだ。


 早紀ちゃんとは別の女の人が覗き込んでいる。


 場所も戌亥寺の境内から、どこかの室内に変わっている。


 教室みたいだけど、学校じゃない。おそらく、塾か何かでやっている夏季講習なのだろう。


「せっかくお金払ってんのにさ、寝てちゃもったいないよ」


「授業はちゃんと受けてた。でも、さかもとセンセーのありがたいお話はいらない」


「そう言わず聞いてくれよ」


 背の高い三〇代前半ぐらいの男性が眼の前に立った。


「あ、センセ、いたの? ゴメン」


 まったく悪びれた様子がない、さすがお母さんだ。


 先生もあきらめているのか、苦笑いをしているだけだ。


「それがこの夏季講習のウリりだからね。せめて寝ないでくれ」


 そう言って少し寂しげに教室から出て行った。


「ただの授業だけなら個別指導の方がいいよ」


「念ずれば花開く? 努力しても必ず報われるとは限らないけれど、努力しなければ絶対に結果は出ない? その手のありがたい話は、親父からミミタコで聞かせられてる。

 そもそもこの講習、あたしゃヤだって言ったじゃない」


「うぅ、そうだけどさ……。普通の夏季講習じゃつまらないと思ったんだもん」


「名物『さかもとたつ先生の熱い格言』に惹かれたんでしょ?

 まぁ、いいわ。に付き合うって、あたし自身が決めたんだし」


「アリガト。

 ところでさ、この後ヒマ?」


「なに言っての? アンタ、今日、むろに告白するんでしょ」


「シッ! 声が大きいッ」


 玲菜さんは教室の一角を振り返った。


 そこには数人の生徒が談笑していた。


 中に一際目を引く男子がいる。恐らく彼が氷室さんだろう。


「ヤッパ明後日にする。講習最後の日の方がいいよ、うまく行っても行かなくても気まずくなるしさ」


「そんな事言ってると、結局告白できませんでしたって事になるわよ」


「だってアタシ、自分から告白したことなんてないモン……」


「だから? 何にだって初めてはあるでしょ」


「わかってるよ……わかっているけどさ……」


 玲菜さんはくっつくぐらい顔を近づけた。


「ね、お願い、遙香の力で何とかして!」


「ダメだって言ったよね? アレは人に使っていい物じゃない」


 一瞬、間を置いてお母さんは静かに言った。


「でも……」


「いくら親友の頼みでも、それだけは聞けない」


 辺りに聞こえないように小さな声だけど、強い意志を込めた口調だ。


「……………………」


 しばらく玲菜さんは、うらめしそうにわたしを……お母さんを見つめていた。


「わかってる。言ってみただけ……」


 玲菜さんはゆっくりと席から立ち上がった。


「うん、玉砕してきなよ。なぐさめてあげるから」


「縁起でもない事言わないで」


 ぎこちない動きで男子の一団に近づいて行き、例の男子に話しかけた。


 他の男子にはやし立てられながら、二人で教室から出て行く。


 何だかこっちまでドキドキする。これはわたし自身がときめいているのだろうか、それともお母さんの感覚を追体験しているだけか、あるいは両方か。


 わたしは告白した事なんてないし、されたこともない。もちろん恋バナはするけれど、実際に告白の現場に居あわせた事もない。


 さすが高校生は違う。玲菜さんはどうなるのだろうかと考えていると、また景色が変わった。


「ただいま~」


 お祖父さん家の玄関だ。


 廊下の奥から叔父さんと早紀ちゃんが「お帰りなさい」と言いながらやって来る。


「早紀ちゃん、まだ居てくれたの?」


「そろそろ帰ろうと思っていたところです」


「お昼、食べて行きなよ」


「そうだよ、いっしょに食べよう!」


「うん、でも……」


 早紀ちゃんが口ごもる。


「あー、そうだね。早紀ちゃんの家でもお昼用意してあるよね」


 お母さんは何かを察したようだ。


「は、はい……」


「え~、いっしょに食べようよぉ」


「悠輝、早紀ちゃんを困らせないのッ」


「ごめんね、悠輝くん。またね」


「う~、バイバイ、サキねえちゃん」


 そそくさと早紀ちゃんは出て行った。


 きっとカレシが待っているんだ。


 何だか、恋がお母さんの周りに溢れているな。お母さん自身はどうなんだろ?


「で、宿題ちゃんとやったの?」


「やったよッ、サキねえちゃんに算数てつだってもらった」


「あんた、早紀ちゃんに押しつけてないでしょうね?」


「そんなことしてないよッ。日記は、ぜんぶおれがやった」


「全部って、日記最後まで書いたの?」


「うん」

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