第9話:明日は我が身

 少女は球磨兄妹に憧れ親友と共に野球を始めた。いつしか夢もできた。親友と交わした約束、それは球磨兄妹と甲子園で熱い試合するというものだ。でも、その夢はもう叶わない。


 さて。黄昏町エスペラント VS 七森ブルースの試合が始まる少し前。




「あら、有栖さん久しぶり。七森ブルースの選手なんですってね? 1番ショートだなんて凄いじゃない。今日はよろしくねと言いたい所だけど……あなた、まだ野球してたの?」


「は、はい、おかげさまで……」




 球磨雪那くませつなとは約3年ぶりの再会だろうか。小学生の時に一度、病院で雪那の兄、球磨蒼士くまそおしの見舞いへ行った時以来になる。有栖燕ありすつばめは少女との久しぶりの対面に少し緊張していた。




「ふーん、おかげさまで?」




 燕は苦笑いした。相変わらずというか、自分は雪那に嫌われたままであった。嫌味の一言二言は覚悟していたが、けっこうくるものがあり、、、、相手は頭一個分背が高いから、冷たい目で見下ろされるとへこむ。




「まぁ、いいわ。それよりも、ヒトを待ち伏せして何か用かしら?」


「あの……試合が始まる前にどうしても球磨さんに知ってもらいたいことが。その、私が野球をまだしていることは気に入らないとは思うんですけど、それでも伝えたいことがあるんです」




 燕の今は球磨兄の犠牲の上にある。


 今こうして燕が野球をし続けられているのも、球磨兄が命がけで守ってくれたから。それは美談のように聞こえるが、命が救われた代わりに犠牲は出た。交通事故で、偶然そこに居合わせた球磨兄が燕を庇って大怪我を負った。


 球磨兄は足を負傷し、自分の身内に起きていた不幸とかもあり何もかもすべて嫌になり野球をやめてしまったのである。


 球磨兄妹にも夢があったそうな。球磨兄妹の名前を天国にまで轟かせるために2人でプロ野球界で暴れようという夢が。しかし、球磨兄はグレて野球と妹を見捨て、二人の夢は潰えてしまった。雪那にとって最悪の話である。燕は憎むべき敵である。


 開口一番に、雪那は言ったはずだ。懐かしむように、でも、野球していることを指摘したはずだ。2人の夢を奪ったお前がまだ野球をしているのかと……


 だから、自分の気持ちを伝えなければならないと思った。そう思われていると分かっていたから試合前に会いに来た。




「私が野球をまだ続けているのは球磨くんに命を救ってもらったからです。救ってもらった命だからこそ、私が野球をやめるわけにはいきません」


「じゃないと、兄さんが犠牲になってあなたを助けたことが無駄になるからかしら?」


「は、はいそうです……」


「だから、兄さんに顔向けできるように今日まで本気で野球をやってきた。今日の試合でそれを証明したいってところかしら?」




 本当にこの人は苦手だ。




「有栖さんって、おバカさんなのね。そんなことわざわざ伝えにこなくとも、あなたが野球を続けている理由は私なりに理解しているつもりよ。だけど、やっぱり本人の口から直接聞くってのは大事なことよね。あなたが兄さんに何も負い目を感じずにテキトーに野球をしているような美少女の皮をかぶったクソビッチじゃなくて本当によかったわ」




 雪那が一歩前に踏み出し、燕は一歩後ろに下がった。相手に気圧され一歩引いて下がってしまった。雪那の左手が燕の右頬を捉えていた。頬を撫でられていた。ゾッとした。背筋に嫌な汗が流れた。もう一歩後ろに下がってそれを拒絶したいのに、体は金縛りにあったかのように動かなくなっていたのだ。まるで蛇に睨まれている蛙のように……




「少し話が脱線したけども、あなたの想いを十分に受け取ったわ。話してくれてありがとう。それで、それを聞いた上で返答してあげるのだけど……だから、それが何?」


「な、なに……って」


「まさかこれで許されると思ってはなかったのでしょ?」


「そ、それは……ですけど、これぐらいしか私にできることはなくて。野球を全力でプレイして、貴女に認めてもらうしかなくて……何十年かかってもいい、あの日のことを許してほしいと思ってます…………どうか、私の全てを否定しないでほしいです」


「そう。でも、あなたを許すことはこの先永遠にないわ」


「…………」




 燕は俯いた。わかっていたはずだ。自分が兄妹2人の夢を壊したのだ。一生かかっても彼らに償うことはできないとわかっていたはずだ。だから、野球でプレイして球磨兄に助けられたことは無駄ではなかったと証明したいなんて、妹からしてみればなんで図々しいにもほどがあるものだ。




「だけど、勇気を振り絞って私に会いにきてくれたんだものね。このまま突っぱねるのも可愛そうだわ」


「………」




 雪那は俯く少女の顎を左手でくいっと持ち上げた。怯え切って見上げる蛙と、獲物を見下ろし舌なめずりする蛇のように視線と視線を絡める。燕は雪那に睨みつけられ声がでなくなっていた。ヒトは恐怖のあまり硬直しすぎると呼吸がうまくできなくなるという。




「なので、こうしましょう」




 顎から、また頬へ、そして頬から肩へと滑らかに手が這って、肩を軽く押し一歩引かせて、燕を開放した。燕は呼吸を再起動させ肺いっぱいに酸素を吸い込んだ。そして、むせて咳こんだ。




「野球で自分の価値を証明したいという有栖さんの希望も兼ねて、勝負をしましょう」




 咳き込む燕を他所に、これは名案と言わんばかりに無邪気に両手を合わせた雪那は提案する。




「有栖さんが試合で私に勝てたら、野球続けてもいいわよ。私に勝つぐらいなのだから、それは頑張って野球をしてきたっていう証よ。だけど、そのかわり負けた場合は――――――」




 そして、怪物は最大の慈悲と共に微笑んだ。




「負けたら、あなたが野球をやめない限り、あなたの大切なものを順番に奪っていってあげるわ」




 少女は小さい頃の夢を、親友と交わした約束を壊してしまった。親友に相談することなく球磨妹と会い、このことで相談することもできず試合に挑んでしまった。それが少女が親友に打ち明けれなかった罪である。






 〇






 天文白金野球同好会が観ている試合は異常な野球だった。


 一見して、最終回ツーアウト満塁で覚醒した天才バッターが怪物ピッチャーと互角の戦いをしているかのように見えなくもない。球速150キロを超えるストレートを次々とバットに当ててカットしていく。その度にベンチはよっしゃー!と吠え、今日決勝戦を見に来た客席の父兄や一般人は七森ブルース一色に少女を応援していた。中学の試合で2度とこんな白熱した試合はもう見れないだろうと、誰もが少女を応援していた。


 例えるなら、コロッセオのような闘技場で猛獣と剣闘士が死闘を繰り広げているようかのようだ。


 怪物が投げ、天才がカットする。今までカットすらできなかったそのストレートをカットしたのだ。それだけで歓声が沸いた。カットをする度に歓声が沸いた。1球、また1球と怪物が投げ、1球、また1球と天才がカットしていく度に歓声が沸いた。それが2桁を越えると観客はテンションはさらに激しくなり、20球を越えた時なんか、どこかのおっさんが絶叫した。こういうのが名勝負というんじゃー!とな。


 しかし、実際には互角に戦っているかのように見えて互角の戦いではなかった。


 怪物のストレートをカットしているように見えるが、天才はカットしかできないのだ。言い換えればカットしざるを得ない力量差が怪物と天才の間にある。これは本当にこの戦いが互角と言えるのだろうか。怪物のストレートをカットする度に天才は苦痛に顔を歪めているぞ。それに引き換え怪物はストレートをカットされても苦悶の表情1つさえしない。だが、無我夢中に試合を応援する彼らはそれに気づいていない。気づけない程の異常な野球になっていた。


 怪物のストレートをカットする度に金属バットから伝わる衝撃は天才の指に伝わり両手、両腕、両肩までに伝わりフォームが崩れ身体を破壊していく。怪物の球威あるストレートをカットしていく度に、力負けして金属バットは稀に弾き飛ばされた。怪物の渾身のオリジナルストレートをカットしたはいいがカットの処理が甘い時は自打球が燕の身体に鞭を打った。何度も言うが中学生が投げるイカレた速さのストレートだ。オリジナルストレートと豪語するだけスピードは恐ろしく、球速150とはいうが中学生の体感なら160はあるのではなかろうか。それに加えてそのイカレた怪物が投げる球だから成しえる鉛球のような球威だ。自打球だろうと女子中学生の身体に当たっていい球ではないことは確かだ。いくら天才だろうとシャレでは済まないだろう。


 球磨雪那のオリジナルストレート『スノードロップ』はもはやストライクゾーンだろうが危険球でしかなかった。特徴としてジャイロ回転せず手元で伸びてこない変わりに少し軌道がズレるらしい。ツーシームやカットボールの亜種とでも言えばいいだろうか。カットボールの本来の用途はバットの芯をズラしてカットさせファーボールにしてカウントを取るか、ボテボテゴロ等で討ち取るものだが、このオリジナル種はバットの芯をズラしてバットごと打者を傷つけてしまうのだ。


 死球よりもこの危険球を相手のレベルに合わせて投げていたとしたら、あたかも互角のような戦いに見せてこの球種を投げてバッターを傷つけるためだとしたら、この試合を早く誰かが止めなければならない。だが、誰もこれを見抜けず雪那の狙い通りに試合は続行した。


 燕が天才だから、ここまで長期戦になってしまったというのも一つの原因だ。ゾーンまで入ってしまい、生半可では空振りになってゲームセットになることはなくなった。自身が持つ金属バットがへし折れるのが先か、文字通り体がへし折られるのが先か、そういう戦いにもなっていた。気力と根性も必要だろうが……体力を削られ、身を削られ、折れて軋む骨に歯を食いしばり、所々に痣を作りユニフォームの中で流血させても、少女は孤独に戦った。


 30球を越えても尚、有栖燕は戦い続けた。




「なぁ、ねーちゃん。これはなんだよ。これが野球なのかよ……っ!!」




 耐え切れず口を開いたのはメガネくんだった。試合観戦はまだ終わっていないのにも関わらず私語はご法度だ。監督の黒瀬伊織くろせいおりはそろそろ頃合いだと思ってはいたが、まさか自分の愚弟が開口一番だったとはため息をつくしかなかった。




「えぇ、そうね。これも野球よ」


「俺たちにこんなもん見せてんなよ! どう見てもただのリンチだろ! なんで誰も止めにいかないんだよ! トラウマもんだろ!」


「あっそう」


「あっそうって……なんだよ、それ。返答それだけかよ……ねーちゃんが俺たちに何でこれ見せてるのかわかんないんだよ……馬鹿な俺にでもわかるように説明しておくれよ」


「アンタ、次 馴れ馴れしくねーちゃんって学校で呼んだら対・球磨雪那バッティングマシンの実験台になってもらうから」


「そんな恐ろしいマシンの実験台にされてたまるかよ!? つーかなんでそんなもんが学校にあるんだよ、ねーちゃん!??」


「人の話し聞いてた?」




 メガネくんは裏・野球同好会で開発されていると云われる対・球磨雪那バッティングマシンの餌食になることは確定した。


 まぁ、こんな不穏なワードを聞いてしまっては試合観戦に集中できず辺りは騒然とざわざわしだすだろうと思ってた。不安と不満の声で教室がざわつきだした。


 全てはメガネくんのせいである。


 本来なら試合観戦が終ってから話すつもりだったが、まー丁度いい頃合いかと伊織はチュッパチャプス的な棒を左右に揺らして考えた。考えて吟味して、テーブルをバンと1つ叩き生徒たちを黙らし注目させた。




「どこぞのメガネのせいで試合に集中できなてないようだけど、あと少しだけだから試合を観ながら黙ってアタシの話を聞きなさい」




 これは命令であって、それが嫌ならどうぞご自由に出て行けというていの脅しだ。そして、彼らは再び黙りこみ、監督の声に耳を傾けた。




「今日、この試合をアンタ達に見せたのはこういう野球をしてる子もいることを知ってほしかったからよ。プレイスタイルは人それぞれと言うけども、あの子はいろいろと拗らせてしまってね。


 ほら、残酷でしょ?ボロボロのバッターをまだ弄んでいるわ。私に逆らう者は皆殺し的な?それはアンタ達も例外じゃないの。ここで野球をしたいなら明日は我が身と思いなさい。理由なら、そうね。それをアタシが望んだからよ……」




 試合を観れば35球目。そろそろだろうか、少数がざわつき始めた。初めは何かの冗談だと思った。少女の額から血を流し、全身打撲や傷だらけになっていた。ちょっと前までそれを自分達はカッコいい!ナイスガッツ!などといって応援していたベンチや観客がざわめきだした。


 監督や主審が止めようとしても天才は「ちょっと切れただけです、問題ありません。勝負に集中させてください」と言って続行した。



 天才は誰にも助けを求めていなかった。




「アンタ達が野球同好会に入部したい動機があるように、アタシにも譲れないものがあるの。だから、あの子とアンタ達を対決させるつもりだし、それは野球していく上で大会に出場していくと避けられないことではあるのだけど、あの恐ろしいストレートをフルスイングしろと命令も出すわ。


 だから、もし、それが嫌なら、アタシのやり方が気に入らないなら、この同好会に入らない方がいいわ。もちろん、アタシは責めやしないから安心して辞退しなさい。そして、慎重に考えなさい。一応、ちゃんと脅しておくのだけど、怪物の流れ弾に当たっても命の保証はしないわ。そのことも考慮し一晩考えた上でちゃんと結論を出して、明日、もう一度野球同好会へ入部するか決めてちょうだい。


 もし、入部する気があるなら明日の放課後、野球同好会専用のグランドに集合よ。場所は今から配るプリントに書かれてるから。


 アタシからは以上よ」




 そう言って、伊織はカエル顔のマシロ先輩に指示を出し生徒全員に明日以降のスケジュールが掛かれたプリントを配布していった。野球同好会専用のグランドの場所が地図で書かれていた。





「あ、メガネ、アンタだけは例外で強制参加だから。よろしく」


「そんなバカな!?」




 真っ先に同好会やめてやろうと考えていたメガネくんはあっさり掴まった。




「あ、あの、もう一つ、ボクに質問の許可をいただけますでしょうか?」


「何かしらイケメソ君? 次は意味のある質問だといいわね」


「す、すみません……その、このバッターの子は、試合が終ったあとはどうなったのでしょうか?」




 42球目が怪物の手から放たれた。


 最後の一球である。


 少女は証明しないといけなかった。絶対に。兄妹の夢を壊したとしても、親友と交わした約束を守れなくても。自分が野球を続けていくためにもバットを振るう。


 しかし………




「ゾーンが切れて脳震盪を起こし倒れ病院へ緊急搬送されたわ。幸い命に別状はなかったのだけど、長期入院を余儀なくされたわ。今はだいぶ回復して自宅治療の身だけどね、トラウマたっぷり植え付けられたみたいで……野球をやめて引きこもりライフを送ってるわよ」




 ストライク、バッターアウト。


 ゲームセットだ。

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