第七話 海とヤーパルマ

 ミンミンの街が面した海は、ほとんどが切り立った岸壁で、黒い岩肌に荒波が打ち寄せる厳しい海だ。


 漁師たちは長年の経験で海流を読む。いくつもの渦を避けて船を操る技は、勇壮でありながら繊細さも併せ持つ。海の男は、この街の子供たちの憧れの職業だ。


 青く澄んだ美しい海は、豊かさに満ちてはいるが、小さな子供が遊ぶにはちょっと厳し過ぎる。


 街の南側に、十三歳以下の子供が決して近づいてはいけない飛び込み崖がある。ここからの飛び込みは一種、街の子供たちの通過儀礼になっているようだ。


 崖から飛び込める年齢になると、子供たちは、大人への準備期間に入った事を自覚する。崖の上から身を躍らせる少年少女たちは、子供時代を惜しむようにも、自分の可能性を試しているようにも見える。


 眩しいったらありゃしない。ちょっと俺も無理して飛び込んでみたくなる。



 飛び込みは、助走をつけて高さと飛距離を競ったり、宙返りの数を競ったりする。


 ちなみに宙返りの記録保持者は、我らが教会のルル姐こと、ルルリアーナその人だ。記録はなんと五回転半! 十年間誰にも破られていない、不動の王者なのだとか。


 ルルは若い頃少しグレていた時期があったらしい。今でも近所の爺さん婆さんに、やらかしたヤンチャをネタに、からかわれたりしている。


 今の穏やかで物静かなルルからは、想像もつかないけれど、なんとなくスケ番の格好とか似合いそうだよな。うん、怒らしたらヤバそうな雰囲気とか、情に厚い感じとか、姐さんって呼ばれるのわかる気がする。


 まぁ、婆さんが言っていた海賊団を一人で潰したってのは、いくらなんでも言い過ぎな気がするけどな。


 うーん……。


 やべぇな、ルル……!




 さて、もちろんミンミンに、砂浜がひとつもないわけではない。小さい子供たちが遊ぶ、遠浅で穏やかな砂浜はというと……あそこだ。俺たちがミンミンの街に来た日に、教会の子供たちがナナミを隠していた『海の秘密基地』。


 弧を描いた岩礁に囲まれた、真っ白い砂浜の美しいビーチだ。潮の満ち引きで現れる足場や、波が穿った洞窟を抜けて行く、極上の秘密の遊び場だ。


 そこに今朝は、ヤーパルマという海の生き物が遊びに来ているという。ハルとハナは大人のコブシほどの大きさの、スイカに似た果物をたくさん持って出かけて行った。


 もう俺、なんで大人なんだろうな! 楽しそうなことが多すぎるだろう!


 まぁ、俺も楽しいんだけどさ。


 昨日はクーと二匹の毛玉うさぎの、二度目の毛刈りをした。クーはくすぐったがって逃げるし、毛玉うさぎのシラタマとクロマルは、跳ね回って逃げる。


 その割に毛刈りが終わったら、涼しくなったらしく、三匹とも上機嫌だった。


 三匹分合わせれば、なんとかナナミの分のポンチョが作れそうだ。ナナミは俺たち三人分のミョイマー地方(ミンミンの街のある地方の名前)の民族衣装を作ってくれたから、内緒でナナミのポンチョを作ろうと思っている。


 三匹の毛を、毛織物に仕立てるところからはじめる本格派だ。何度か毛織物の工房で練習させてもらったし、留め具はカミューが作ってくれる予定だ。


 クーの茶色の毛をメインにして、白と黒の毛玉うさぎの毛をボンボンにでもしよう。ハナのポンチョにも、お揃いのボンボンを付けたら、きっと喜ぶぞ!


 あくびとクーの騎乗くらにも、飾りを作ってやりたいな。クーは音が鳴るものを喜ぶし、あくびはキラキラ光るものが好きだ。そうなるとクロマルとシラタマにも何か作ってやらないと――。


 俺はこの街でも、似顔絵を描いている。こんな風にのんびりと考えごとをしながら絵を描いたりしていると、旅の間の緊張感が嘘みたいだ。


 ようやくナナミと会えて、しかも安全な街の中にいる。昼飯の材料は狩らなくても、階段下の商店街で新鮮な魚を買ってくれば良い。


 街の中には、耳なしを差別する人なんかひとりもいなくて、波の音を聞きながら夕立ちの心配をしている。


 これは一体どういう事なんだろう。


 駆り立てられるような、れるような感覚がくすぶる。



 こんなの、俺のキャラじゃないだろう。


 大して戦う力もなく、おまけに片腕だ。この地……パスティア・ラカーナに飛ばされて来て以来、家族揃って穏やかに暮らす事だけを望んで来たはずだ。


 ここには、望んでいた全てがあるじゃないか。


 ルルの代理の人の到着が遅れている。大岩の家族やキャラバンの連中の事が気になる。


 だが、それだけじゃない。


 俺は旅に出たいのだ。


 ミンミンの街は好きだ。ベッドで安心して眠れる生活は夢のようだ。海の絵も、街の絵も、まだまだ描き足りない。


 それなのに――。それでも、なお。


 俺は、旅に出たくて仕方ない。


 不安と隣り合わせの野営だ。朝陽が昇る瞬間の安堵感がハンパない。『ああ、今日も無事に朝を迎えられた』なんて生活だぞ? 若造じゃあるまいし、無茶できる歳じゃない。


 しかも俺は、ハルもハナもナナミも、一緒に連れて旅がしたいのだ。


 見たことのない景色を一緒に見て、その日の晩メシの材料を必死になって追いかけて、に照らされた顔を眺めて、四人で団子のように引っついて眠りたい。


 要は欲しい物を全部持って、楽しい事を探しながら、自由気ままに暮らしたいって事だ。我ながら、なんて子供みたいな事を考えているのだろうと呆れる。


 俺も海に行って、頭でも冷やしてくるか!


 ついでに、あくびを海に連れて行ってあげよう。あくびは意外にも、海で泳ぐのが好きだ。


 適当に手で食えそうな物を、バスケットに放り込んで自警団の詰所へ寄る。暇そうに駐在の仕事中のカミューに、声をかけてからあくびを連れて海の秘密基地へと向かう。


 海の秘密基地は、原則として大人のみだと立入禁止だ。子供のエスコート、又は許可が必要となる。


 ところが俺は『あくびを連れている時はフリーパス』という特別扱い。あくびは子供たちに大人気だ。


 あくびに乗って、秘密基地まで遠回りして崖沿いを走る。久しぶりの全力疾走に、あくびも俺もテンションが上がる。十分ほど走り、程よく足場のある崖から、ビーチへと下りる。


 あくびは俺が左腕をなくした時に、一緒に右眼を失っているので、右側は俺がカバーする。首を叩く事と声での合図を、あくびはあっという間に覚えた。


 危なげなく海岸へと下りると、俺とあくびに気づいたハナが、ユキヒョウ姿に変化しながら駆けてくる。


 俺の胸に飛び込んでから、人の姿に戻る。ハナも四歳になったんだから、そろそろどこでも気軽にスッポンポンになるのは、止めて欲しい。


「とーたん! たいへん!! ハルちゃとラランが、かえってこない!」


 海を見ると、ヤーパルマが何匹かゆったりと泳いでいるが、ハルとラランの姿はない。不安そうな顔をしてナユが走ってくる。


「ナユ、ハルとラランがいなくなった時の事を話してくれるか? 他の子たちは街へ戻ってカミューを呼んで来てくれ」


 全員の頭を撫でてから、なるべく平然を装う。


「大丈夫だ! おじさんと、あくびがなんとかする。落ち着いて、大人を呼んできて」


 俺は片腕では、前ほど泳げない。あくび、おまえが頼りだ。ハル、ララン! 無事でいてくれ!

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