SF小説短編集

プロ♡パラ

清純なる月の大地



「結局、おれもこいつも、Ⅰ型じゃない」Ⅱ型の男は、ひとつ咳払いしてから改まってそういった。Ⅲ型の男も、不本意ながらに同意する、という面持ちでうなずいてみせる。

「でも班長。このなかで、あんただけはⅠ型なわけだ。その点について、おれは敬意を払っている。道徳的には中立的であるといえるし、まともだといえる。……だから、おれはあんたの判断に従うよ。ちょうど、このままじゃあ意見が割れていてらちが明かないからな」

「おれも班長の判断には従おう」Ⅲ型の男は重々しく口を開いた。「だがな、班長。おれは、自分の意見をはっきりといわせてもらう。――あの女は、なかったことにするべきだ。この世界にあるはずのないものだ。あるべきでないものを、なかったことにする。それだけの話だ」

 Ⅲ型の男の視線は鋭い。すごんだ声にはの確信の響きがあった。

 班長――Ⅰ型人である男――は、即座に判断できずにいた。むろん、Ⅲ型の男の提案は残酷であるということを、頭では理解している。しかし、自分の本心がどちらを望んでいるのかという点については、彼自身、はっきりとした答えを出せずにいた。


 事の発端は、1時間ほど前にさかのぼる。

 月面にはいくつもの農業区域が存在している。地球文明の退廃を教訓として、倫理委員会は健全な範囲で人類の労働や農作業の余地を残存させることを決定しており、いくつもの長方形に区切られたそれらに、担当の清純人たちはそれぞれ割り振られている。

 第五〇一農地帯の共同住居施設にて、その農地帯を担当する班の班長であるⅠ型の男は、コンテナからの荷下ろしを行っていた。積み荷はさまざまである。生活用水のほか、食料、燃料、医薬品、書物……Ⅰ型の男がその見慣れぬ物体に気づいたのは、その作業の最中だった。なにやら奥まったところに、その身を隠すように潜んでいたその何か。はじめは、替えの衣類がケースから零れ落ちたのかとおもった。しかし、それに近づいてみて、Ⅰ型の男はぎょっとした。

 それは、意識を失って横たわる人間であった。

 くわえて、それはありえないことに、美しい少女の見た目をしていた。

 月には女人が存在しないはずであった。

 なにかの間違いではないかとⅠ型の男はその少女のそばに近寄り、顔を覗き込むようにした。

 その息をのむ造形の美しさ! Ⅰ型の男は、月面に来て以来初めての情動が、胸にこみあげてくるのを感じた。そこに横たわる美しく小さな人間は、たしかにそこに存在するものであった。

 服装こそは月面の農業区域でよくみなれた官給の作業着である。しかし小柄なその人間に合うサイズがなかったのか、いくらか丈を余らせているようだった。細く柔らかい髪は、肩まで伸びていた。透き通るように白い肌は、宇宙線に焼けていない証拠だった。信じられないほどに細い首、そして体。無骨な作業着とその人間の儚げな雰囲気の対比は鮮やかであった。

 まったく、わけがわからなかった。しかし、どのようなわけがあるにせよ、細く儚い人間をこの硬い床にいつまでも寝かせておくわけにはいかない、とⅠ型の男は思った。

 両手をその体の下に差し入れ、そっとその体を抱き上げる――そのか細い体温を腕の中に収めると、まるで自分がはなはだ大雑把で、粗野な存在であるかのように感じられてならなかった。実際、そうなのかもしれない――いや、どうだろう?


 その人間を寝台に寝かせ、医療用具を用意していると、班員であるⅡ型の男とⅢ型の男も異変に気づいたらしく、レクリエーションをやめて寝室にやってきた。

 その場は、にわかに臨時法廷のような緊迫した空気に包まれる。

 Ⅱ型の男は、Ⅰ型の男からの説明を聞いている間にもなんどかうなずいてみせていたが、すでに最初から心が決まっていたかのようにきっぱりといった。

「倫理委員会に報告すべきだな」これが彼の結論らしかった。

 Ⅱ型の男は、班員のなかで一番若い男だ。若者らしい、軽妙洒脱な風で、それでいて悟ったようなところがある男だった。彼は興味深げに寝台に寝かせられた人間の顔をのぞき込んだり、脈をとったりしながら、思いだしたようにしゃべりつづける。

「月に存在するはずのない女――まあ、いくつかの噂話はきいたことがあるよ。たとえば、Ⅳ型人の開発に手間取っている倫理委員会が、それが完成するまでのつなぎとして、生殖用として限定的に女を月に連れてくる計画があるだとかね。あるいは、おれたち用じゃなくて、単に倫理委員会が楽しむために、地球の女を騙して月に連れ込んで慰み者のしているという話もきいたことがある。ほかにもいろいろ、それぞれ信ぴょう性の低さはさまざまだけど、いろんな話をきいたことはある。――でもさ、結局、何にしたって、倫理委員会に通報するしかないだろう? これはおれたちの問題じゃないんだから。そうしない理由がないじゃないか」

「そうやってⅡ型の連中は、すぐに倫理委員会にどうのこうのいいやがる」

 Ⅲ型の男は、憤然としてそういった。

 意志が強そうな太い眉が、意志が強そうな角度で四角い顔に張り付いてる。Ⅲ型の男は、雄々しい風体の男だった。普段は寡黙で口数は多くない、直接行動の信奉者であるが、清廉さというものに対しては強固な信念と言葉をもっていた。

「結局、おまえらⅡ型の思想的な弱点はそこだ。おまえらの清廉性は可逆的なものに過ぎない。あくまでクスリによってかろうじて担保されているに過ぎず、それがなかったら元の堕落した地球人だ。だからその餌をよこす倫理委員会に対してしっぽを振り、媚びを売る。通報だと? そんなこと、する必要はない」

「じゃあどうしようっていうんだよ。倫理委員会に報告しないで、なにができる。まさか秘密裏にここでこの女をかくまおうっていうんじゃないだろうな。それとも、ペットにでもにしようっていうのか」

 Ⅱ型の男とⅢ型の男はにらみ合った。

 Ⅲ型の男は、腕を持ち上げて、重々しく、しかし確信を込めて農場の方を指さした。

「複合処理機だ。その女が目を覚まさないうちにあれに突っ込めば、それですべて片が付く。――いいか、女というのは堕落そのものだ、とくに若くて、きれいな女はな。それは、いやおうもなく、周囲の男に堕落を感染させる。この清純なる月の大地に存在していいものではない」

「これだからⅢ型のやつは!」Ⅱ型の男は顔をしかめて見せる。「きっと、手術が適当だったんだな! 脳みその余計な部分まで取り除いたから、考えることが極端になるんだ」

「この世界においては、極端であるべきだ。ことにこういう問題については」Ⅲ型の男は毅然とした態度をとった。「女の存在を許容したら、次はなんだ? アルコールか? 向精神物質? 新興のカルト宗教? そうやって堕落し、退廃した結果がいまの地球人類だろう。おれたちは、そんな地球人の堕落と退廃から決別することが使命なわけだ。おれたちは、どのような組織に対してでもなく、自らの利益でもなく、清廉さあるいは潔癖さというもののためにだけ、行動するべきだ。――だから、あの女は、さっさと畑の肥料にしてしまおう。目を覚まされると面倒になるぞ」

「やれやれ。恐ろしい思考パターンじゃないか。きっとあんたは、Ⅲ型のなかでも志願者じゃあないな。人格消去刑に課せられた極悪人だったにちがいないよ。あんた自身は、脳改造手術をする前の自分がなにものかわからないんだろうが、おれにはわかるよ。あんたは、連続強姦殺人魔だったんだろうぜ」

「手術前のおれ、というものは存在しない。おれは、脳改造手術によって生まれた存在であり、それ以前の人間は、いまのおれとは別人だ」

 Ⅲ型の男は憤然とⅡ型の男を睨みつけた。

 Ⅱ型の男は、もはやあきれ果てたように首を振った。――そして、彼はⅠ型の男のほうに向きなおる。

「それで、あんたはどう考える?」

 Ⅲ型の男も、Ⅰ型の男のほうをみた。

 ここで話は冒頭へと戻る。


「――まず、複合処理機にかけるのは、なしだ」Ⅰ型の男は一文字一文字を読み上げるように言った。あたかも、自分自身に言い聞かせるように。「理念的には、そうだ。原理的には、たしかにその通りなんだ。きみはまったく聖者だよ。しかし、逆に言えば、それは理念にこそかなっているが、現実には即していない。だから、その究極的な提案はみとめられない。なにより、そんなことをしたらいろいろとっちらかってしまうだろうからね」

「そうか」

 Ⅲ型の男は、黙して従う態度をとった。

「それと、倫理委員会に報告するという案に対しても、おれは懸念がある。つまり、この人間が倫理委員会の元から逃げ出してきた場合の話だ。そうであった場合、安易な選択は、結果的にはおれたちの高潔さを汚しかねない」

「まあ、それはそうなんだけど、さ」Ⅱ型の男は口をとがらせて続けた。「とりあえず、おれは倫理委員会への即時の通報を提案した、ってことだけは改めて言っておくぜ。その点は間違えないでくれよな」

 この言葉を聞いて、Ⅲ型の男は軽蔑的に鼻を鳴らし、横から口をはさんだ。

「ふんっ。おまえが望もうが望むまいが、いつだって証言してやるよ。おまえのその、あさましい得点稼ぎをな」

「ああそうかい! おれだって、おまえのいかれた提案を証言してやるさ!」

「――とりあえず、おれの意見としては」いさかいをさえぎるように、Ⅰ型の男は続ける。「この人間から事情をうかがうまで、問題は保留にしておこうと思う。おそらくは、単に気を失っているだけだ。たぶん、コンテナの運搬車も中に人間がいるとは思わずに、手荒な運転をして大きく揺れるとかしたんだな。だからそのうちに目を覚ますと思うよ」

 この自然発生した会議はいったんここで解散となり、Ⅱ型の男もⅢ型の男も、Ⅰ型の男のいうことに従ってそれぞれの持ち場へと戻っていった。


 地球の文明は円熟を通り越して堕落し、退廃していた。退廃に肩までつかり、あらゆる精神的悪徳が蔓延した地球人類であったが、しかし、そのような状況でありながらも――そのような状況だからこそ、多くの地球人の心の奥底には、清廉でありたい、あるいは、それがかなわないとしてもせめて清廉な存在がこの世界にあってほしい、という根源的で強い願いが秘められていた。

 すでに堕落した地球人類に、もはや大乗的な救済はない。しかし、素質のある人間と、投薬もしくは開頭手術によってそのように作り替えられた人間、加えて、そのように作られた人間──これらについては、希望が見出されていた。

 倫理委員会は、そのような清廉な人間たちを穢れのない月の大地へと送り出し、管理するための機構である。

 しかし、この場合問題になってくるのは──と、Ⅰ型の男は人間の寝顔をながめながら、ふと考えた。

 当の倫理委員会というもの自体が、必ずしも清廉ではないという点だ。その組織の大部分は堕落した地球人たちからなっている。その倫理委員会自身の理論――あるいは教義――にある清廉さの根本原理に則って考えてみれば、当然、地球人類が大部分を担っている倫理委員会自身は堕落した退廃的な存在だ。むろん、堕落した存在であるからといって、清廉さを熱望するという理念に間違いはなく、それを実現するべく組織は活動している。それでも、究極的には、倫理委員会は堕落した存在である。これについては、あのⅢ型の男の言うことは正しかった。

 そこに、この問題が発生する余地が生まれる原因があるのだ。人間の女という、この清純なる月の大地の上にあってはならない、大問題だ。

 Ⅰ型の男は、改めてその人間の顔を覗き込んだ。その人間は、まだ意識を取り戻さず、深い眠りについているようだった。

 目こそ閉じているが、どこか快活で、少女のような印象。いまにでも目を覚まして、眠気眼をこすりながら背伸びして、登校の準備でもはじめそうな、そんな少女性――もしかしたら、たとえでなく、本当にまだ幼い少女なのかもしれない。しかし、若い女の見た目の判別、あるいは分類というのは、まるでつかなかった。――まだ十代の女子生徒だといわれれば、やはりそうだと思うし、あるいは二十台も終わりに差し掛かった女だといわれても、なるほどそうだったのかと納得してしまうだろう。それは月で過ごしているうちに女人に対する分解能が低下したというわけではなく、地球上にいたころから、そうであった。

 ふと、その人間の目元が動いた。眉間にしわが寄り、瞼が小さく震えている。まだ目を覚ましていないらしいが、それが近いことを予測させた。

 ――この女の人間が、目を覚ます? 目を覚ますのは、ほんとうに、単に人間の女だけか? なにかもっと、邪悪で、悍ましいなにかが目を覚まさないと、だれが断言できる? Ⅰ型の男は、重大ななにかが差し迫っていることを、直感的に悟った。

 いったい、これからこの女の人間はなにをしようというんだ? なぜ、コンテナの中に隠れ潜み、ここまでやってきたんだ? ここまでやってきて、こいつは、いったいどのようなことをその口から語ろうというんだ?

 Ⅰ型の男には、なにもわからなかった。なにもわからないから――急に、すべてが恐ろしく感じられるようになった。

 Ⅰ型は、地球上でその素質を見出され、この清純なる月の大地に来て以来、その心に平穏があった。

 地球上ではあらゆる現実に心を乱され、思いだせる限りの過去への後悔で心が苛まれ、考えたくもない将来への不安と絶望に浸っていた。

 清純なる月の大地に降り立った時、解放があった。

 疑惑、単調さ、羞恥、指弾、蹂躙、嘲笑、軽蔑からの解放。すべてからの解放。

 いま、それが脅かされていると、直感的にそう思った。

 ――女というものは堕落そのもの、とくに若くてきれいな女は。若くてきれいな女は、周囲の男に、否が応でも堕落を感染させる。ついさっきのⅢ型の男の言葉が思いだされた。そしてそれが、心の奥底でわかった。

 女が憎いのでも、怖いのではなかった。男は、自分自身が憎く、怖いのだ。自分のなかの、女と堕落にかかわる、制御できない領域が、おそろしくてたまらなかった。

 寝ている人間の、白く細い首筋が目に入った。それ以外の世界が奥行きを失い、ただそれだけが視界の中心にあった。

 あらゆる男が、あらゆる女に対してできる行為、女に対してやってやりたいと思っている諸行為。それが頭に浮かんで、消し去りたくても頭から離れなかった。

 無意識の衝動が、Ⅰ型の男の両手を寝ている人間の喉元へと吸い寄せた――

 おれは、はたしてほんとうに、倫理委員会やほかの班員が認めているように、清廉な人間なのだろうか? 頭のどこか片隅で、Ⅰ型の男は自問していた。ひとつの、常に付きまとう、意識下の疑念としては、ほんとうは、自分は清廉な人間なんかではなく、単に、幼少期から今に至るまでに、屈折する機会を得なかっただけの、つまらなく、とるにたらない人間なのではないかという、なによりも、この世に存在するあらゆることよりも、すなわち死よりも、恐ろしい疑念が――

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