チョイス

来深京人(くるしん きょうと)

一話完結短編小説

「リンゴとミカン、どっちがいい?」

「ええと、ええっと」

 どちらにするか、なかなか決められない。

 どちらも美味しそうだ。

 でももしかしたら、冷蔵庫にはイチゴもあるかもしれない。リンゴかミカンか選んだ途端、お父さんが、こっちのバナナの方が美味しいぞ、なんて出てくるかもしれない。

「ほら、どっちも美味しいから、早く決めちゃいなさい」

 お母さんが、僕を急かす。

「両方食べちゃ、ダメ?」

「だーめ。どうせ両方なんて食べきれないんだから、ひとつにしなさい」

 それでも僕は、ひとつだけ選ぶなんてしたくなかった。

 ちょっとずつ美味しいところだけ食べて、どこかに隠されたフルーツも探し出して、あれもこれも食べてしまいたかった。

 そんなこと出来ないのに。

 そんなこと許されないのに。

「もう!そんなに決められないなら、食べなくてよろしい!」

 リンゴとミカンは、片づけられてしまった。

 こんなことになるなら、どちらでもいいから目の前に出されたものを、美味しく食べてしまえば良かった。

 リンゴもミカンもイチゴもバナナもフルーツで、アイスクリームにもハンバーガーにもならない。

 そのあたりを僕は勘違いしていた。

 ちゃんとどちらか選んでいたら。

 イチゴもバナナも隠してないかと聞けていたら。

 おやつ抜きなんて酷いことにはならなかったのに。

 

        ***


 昨夜は少し飲みすぎた。

 家を出る前に、水道水で鎮痛剤を飲み込んできたけれど、まだ薬は効いていないようだ。幸い吐き気はないが、頭をズキズキする。体もだるい。

 珍しく、同僚から飲み会に誘われたのだ。中途採用で入社して半年。転職者が新天地に馴染むのには時間がかかる。自身の歓迎会以来、飲み会に誘われたことはなく、俺は少し物足りなさを感じていた。残業もそこそこに帰れるのに、まっすぐ家路につくのはもったいない。新しい職場で、新しい同僚と親睦を深めたいとも思っていた。だから飲み会に誘われて純粋に嬉しかった。

 それにしても40手前で転職出来て良かったと思う。ブラックIT企業にサヨナラできた。今の会社も業界は同じであるが、労働条件は格段に良くなった。残業はそこそこあるが、見込み残業は45時間だし、それ以降は残業代が出る。休日出勤もあるが、その分手当てがある。つまり、前の会社ではそういうお金は出なかったということで、働いた分だけ給与が払われるというのは素晴らしいことだ。

 金に関しては、満足している。毎月の給与明細を見るのが楽しみだし、自分の労働がサラリーとして反映されるのを数字で見るのは嬉しい。しかし人間、月並みだが、欲というのはつきないもので、一つ何かが満たされると、途端に別の何かを満たしたくなる。

 彼女が欲しい。金の次は女。単純だが欲求の順序としては至極全うだと思う。年を考えたら、本当は彼女よりも嫁、だ。この年まで独身できてしまった。同年代には、中学生の子供がいるやつもいる。妻お手製の飯を囲み、子供とその日あった出来事をあれこれと話しながらとる夕食。テレビのコマーシャルのような場面が頭に浮かぶ。理想といえば理想であるが、現実味がなさ過ぎて、実感が湧かない。まずは、嫁の前にガールフレンドだ。

 最後に彼女がいたのは、4,5年前のこと。もうはっきりと覚えてもいない。合コンで知り合った子だった。3年くらいは付き合っていた。俺の仕事が忙しくなって、デートの時間はどんどん削られて、自然消滅してしまった。

 訂正。自然に、ではなかった。結婚を意識していた彼女に聞かれたのだ、私と生涯を共にする気はあるのかと。当時彼女は30を超えたばかりだったと思う。そりゃ、結婚したかっただろう。だがその頃の俺は、ブラック企業で働くしがないイチエンジニア。周りが見えてなくて、彼女のことも見えてなくて、自分が結婚して誰かを養うなんて考えられなくて、答えを渋った。結婚したいとも、したくないとも言わなかった。結果、彼女からの連絡は途絶えた。俺が決める代わりに、彼女が決めた。俺は彼女の人生のパートナーには選ばれなかった。

 その後気が付けば、黙々と会社と自宅のアパートを往復するだけの毎日を過ごし、ある日パタンと倒れた。

 栄養失調だった。そんなもの、現代日本で起こるなんてにわかには信じがたいが、俺には起こった。元々食が細い方で、忙しいと食事をするのが面倒になってしまう。一日一食という日が、結構長い間続いていたのだ。自分のデスクから、トイレに行こうとして立ち上がった瞬間、気持ちが悪くなったのは覚えている。そこで意識を失い、俺の隣の席の同僚が救急車を呼んでくれ、そこから1週間入院した。

 入院中は暇だった。

 点滴して、食事をして、眠るだけ。見舞いには親と上司が来た。病室から仕事をするつもりで、上司も俺のラップトップを持ってきていたのだが、主治医からのドクターストップがかかった。その時は、俺の仕事を邪魔するなこの野郎、などと思ったものだが、今思えば、俺のことを思ってくれる良い医者だった。

 おかげで俺は暇を持て余し、自分の仕事、将来について考えた。

 決め手は母親の涙だった。今まで母親の泣く姿なんてみたことがなかった。群馬の山奥から都心の病院に見舞いにきた母親の背中が、とても小さく見えた。それで俺は転職を決意し、退院と共に、退職届を提出した。

 在職中に転職活動をしないで、退職後に一から転職活動を始めて、よく2ヵ月で新しい就職先が決まったものだと思う。俺はピカイチのエンジニアではない、と自認出来るくらいのそこそこのエンジニアだ。けれど、大学を卒業してからずっとネットワークエンジニアとしてやってきた。俺はそれしか出来ないということなのだが、それなら出来るということでもある。

 それに、昨今の社会が、元ブラック企業従事者に対して寛容だというのもあったと思う。月の残業が100時間を超えて、あげく栄養失調で病院送り。同情もかうだろうし、転職への理解も得られたと思う。

(お、鎮痛剤が効き始めたな……)

 急行電車を降り、私鉄から地下鉄へ乗り換える。

 私鉄の高田馬場駅のプラットホームから二階分階段を下ると、地下鉄の改札に出る。その改札の横にパン屋がある。イートインコーナーが併設された小さなチェーン店のパン屋で、俺はほぼ毎日ここでパンを食べてから出勤している。栄養失調で倒れてから、何でもよいから朝食は食べるように心がけていて、このパン屋は乗り換え経路上に位置しつつ、何故かいつも空いているから、俺のお気に入りのスポットになっていた。

 トレーとトングを取って、朝の焼き立てパンが鎮座した棚を眺める。食欲はあまりないが、アンパンくらいなら食べられるか。それとホットコーヒーで、午前中は乗り切れるだろう。そう思って、粒アンパンに手を伸ばしかけたところ、『新商品・どっちにする?』というタグが目に入った。一瞬、粒あんか、こしあん、どっちにする?ということかと思ったが、俺のトングの先には、いつも通りのアンパンが並んでいる。

(新商品か)

 アンパンの隣に、ウサギの形状のパンがあった。

 ウサギの中にあんこでも入っているのか?よく見ると、タグがもう一つある。

『赤と青、どっちにする?』

 よく見ると、ウサギの目の部分が、赤色のものと青色のものがある。

 昔食べた、合成着色料の鮮やかな赤色をした砂糖漬けのフルーツを思い出す。あれは動物の目だか口だかを模すために使われていた。妙に赤くて、美味くもなかったが、いったい何のフルーツを使っていたのか。

 今目の前にあるウサギ型のパンには、あの砂糖漬けのフルーツとは違うものが、瞳に収まっていた。ビーズのように整った円形で、ガラス玉のようにキラキラと光っている。

 赤い目をしたウサギ。

 青い目をしたウサギ。

 売れているのか、ひとつずつしかなかった。


『君は、どちらを選ぶ?』


 耳元で、子供の声が聞こえた。

 近くに誰かいる気配はなかったのに、一体どこから?

 俺は首をぐるぐる回して店内を見渡す。

 イートインコーナーに座るサラリーマンと、レジに立つ店員しかいない。

 レジから声をかけたにしては、やたらと近くで聞こえた。真横に立ってささやかれたくらいの音量だったし、第一あれは子供の声だった。

 気のせいか。

 二日酔いのせいで、おかしな幻聴でも聞こえたか。

 俺はのろのろと、青い目のウサギをトングでつかんでいた。


        ***


「はーやーしさぁん」

「あ、昨日はどうも」

 自席に着くなり、同じチームの熊下に話しかけられた。熊下は昨晩の飲み会メンバーの一人で、同世代だと思われる男だ。ノリが軽くて、調子が良い。

「あのさぁ、すっごく悪いんだけど、来週末のメンテ当番、変わってくんない?」

「えっと、来週末ですか?」

「うん、来週の土曜日。深夜メンテナンスがあるんだけど、日曜日に子供の発表会があるのをすっかり忘れてて。パパは仕事明けだから見に行けないって言ったら、娘に大泣きされちゃってさぁ」

「はぁ」

「それは娘さんがかわいそうだ。悪いけど林君、熊下君と代わってあげてくれないかな?」

 真後ろに座るチームリーダーの鳥飼が、椅子を回転させ俺の顔を覗き込む。中年の出木杉君といった風貌だ。昨日の飲み会は、彼が号令をかけたらしい。

「私は子供の行事には参加できなかった口なんだが、ああいうのは参加しておいた方がいい。後々の親子関係に響くからね」

「ですよねぇ。僕もそう思ってるんです」

 そこで二人は示し合わせたかのように、俺の顔を見つめる。

 今週末も別のメンテナンス作用があり、俺が当番になっている。チームは俺を含めて6人。年代も性別も様々だが、休日や夜間作業は平等に割り振っていると、入社前に説明を受けた。実際入社後にスケジュールを見ても、均等に作業がアサインされていた。

 いや。先月あたりから、俺の当番が多くなってきているような気がする。しかもこれで当番を代わったら、2週連続週末対応になってしまう。

 気のせいだろうか。悪く考えると、昨日の飲み会も、当番交代を頼みやすくするための布石だったように思えてしまう。中途入社とはいえ新人の俺には、負担を多めにするという方針なのだろうか。ブラック企業とはおさらばするために転職したのに、嫌な予感がする。

「独身だと、こういう時融通が利くのがいいねぇ。家族持ちだと、どうしても子供優先になってしまうからね。あ、それとももうデートの約束が入っているかな?」

 嫌味に聞こえるか聞こえないか絶妙なトーンで、鳥飼が追い打ちをかける。パワハラと言う言葉が頭をよぎる。

「大丈夫です。家にいてもゴロゴロしているだけなんで、来週末も出ますよ」

 “も”と付けたのは、ささやかな抵抗である。チームリーダー直々に依頼されては断れるはずもない。ここでチームメンバーに恩を売っておくのも悪くはないだろう。熊下がこの交代を恩だと思ってくれればの話だが。それにしても、2週連続で週末出勤とは気が滅入る。二人がそのことに気付いているのか不明だからこそ、俺はあえて“来週も”と言った。

「いやぁ、ありがとうね、林さん!助かったよぅ」

 熊下が調子のよい声で礼を述べたが、俺の2週連続週末出勤に触れることはなかった。

 土曜日に夜間作業があると、土曜の昼間はなんだかんだで落ち着かず、日曜日は土曜の夜中の作業が終わり次第朝から寝てしまって、何も出来ない。気分的には2週間まるまる連続勤務状態だ。かつてのブラック勤めの頃を思い出す。せっかく転職したのに、俺はまたブラックへの道を歩み始めているのではなかろうか。

「あれ……、熊下さん。それってもしかして、入れ墨?!」

 頭の中では、ブラックという言葉がモクモクと沸き上がっていたのだが、俺の目は、全く別のものをとらえていた。

 熊下の青白い左腕に、ウサギの絵が描かれている。まくり上げたワイシャツの袖口から、俺のことを見上げるように顔を出していた。

「まさかぁ。ヤクザじゃないんだから。娘がタトゥーシールってのを張り付けたんですよ。剥がしたつもりだったんだけど。まだ残っていたかぁ、このうさちゃんめ!」

 シールに毛が張り付いているのか、イテテと言いながら熊下はシールを剥がす。シールのウサギは、ちょこんと礼儀正しく座っている。

「へぇ、今どきはそんな凝ったシールがあるんだねぇ。どれ、ちょっと見せてごらん」

 鳥飼は、熊下の腕毛がついたシールをつまみ上げる。

 ウサギは、招き猫のように片手をあげ、おいでおいでをしていた。


        ***


 きらめく太陽。エメラルドグリーンの海。心地よい潮風。

 旅行サイトの宣伝写真のような浜辺が、目の前にパノラマ状に広がっている。

 白い砂浜に建てられたパラソルと、その下でビーチチェアに寝ころぶ俺。手元にはフルーツが飾られたキラキラした飲み物が。

「天国かっ?!」

 ガバっと上半身を起こし、あたりを見渡す。

 オフィスの自分の机で、メンテナンス作業の準備をしていたはず。

 何故突然、こんな絵に描いたようなリゾートビーチに俺はいるのか。

「青い目を選んだからだよ」

「えっ?!」

 子供の、男児の声がした。

「仕事、嫌だったんでしょ?せっかくブラック企業から抜け出したのに、再就職先もなんだかグレーだしね」

「誰だ?!」

 声は近くから聞こえるが、姿が見えない。俺の近くには、子供どころか人の姿は全く見えない。

「家庭がなければ、子供がいなければ、ずっと働けるだろうって、失礼な話だよね。家族持ちだろうが独身だろうが、プライベートな時間は平等に与えられるべきなのに」

 熊下と鳥飼のことだ。

 あの二人の家族持ち優位論、独り者ならどうせ暇しているだろう的な話しっぷりには、内心腹を立てていたところだが、何故この声の主はそのことを知っている?

「誰だ?!どこにいる?!」

「ここだよ」

「どこだ?」

 声はするが、姿は見えない。

「いてっ」

 空から虫眼鏡が降ってきた。

「それで探すといい」

 声の主は小さくて見えないということか?

 俺の頭にぶつかってから砂浜に落ちた虫眼鏡を拾い、地面に向けて構えた。

「なーんてね」

「うわっ」

 突然毛布でくるまれたのかと思った。しかし毛布にしては、生暖かく生臭い。何か獣の腹に顔を突っ込んだらしい。ふわふわしている。

 と、思った途端、女物の香水の匂いが鼻孔に押し寄せた。

「は・や・し・く・ん」

 目の前にロングヘア―の女の顔が。瞳を三日月型にして、にっこりと笑っている。

「林くん、だーいすき」

「え、え、えっ?!」

 名前もわからない女の声は、柔らかく心地よい。水色のビキニが良く似合う。

 勝手知ったるしぐさで、デッキチェアに寝そべる俺の前髪を優しく撫でると、顔をゆっくりと近づけてきた。

(こ、これはもしや……!?)

 高鳴る鼓動。こんな風に心臓がバクバクと脈打つのは、何年振りか。

 いや、過去に誰かと付き合っていた時でさえ、こんな胸の高鳴りは経験したことがなかったかもしれない。今の状況が全く見えないが、少なくともこの目の前の女は俺に好意を抱いているようだし、このまま成り行きに任せればいいだろう。

 俺は期待を込めて、ぎゅっと目を閉じた。

「……なーんてね!」

「おわっ!」

 先ほどの男児の声。

 俺は飛び起きて、前、右、左とキョロキョロあたりを見回した。

 「うおっ」

 背後にいた。

 俺より背の高い巨大ウサギが、俺のことを見下ろしていた。


        ***


「これが青い瞳を選んだ結果」

「は?」

「この後君は彼女と結婚して、一男一女を儲ける。職場の理解を得て、残業と休日出勤は今より減っていくよ。マイホームは、30年ローンで埼玉に建てる。40過ぎてからローンを組むのはなかなか大変だよね。まあでも夢のマイホームが手に入るんだし、良かったんじゃない?そこで14年後に、奥さんのお父さんを呼び寄せて同居を始める。お義父さんは認知症にかかってるから、お世話が大変。奥さんに任せきりじゃなく、君もおむつ交換デビューすることになるよ。長男は一浪して大学に入るけど、長女は高校在学中に出来ちゃった結婚する。最初はもめるけど、孫が生まれればなんのその。孫可愛さに和解成立さ。あと君が52歳の時には胃がんが見つかって、手術をすることになるよ」

「ちょ、ちょっと待て!」

「はい?」

「お、おまえはさっきから何なんだ?!ウサギだし、大きいし、しゃべってるしっ。だいたい青い瞳を選んだ結果ってなんだよ。俺の人生をそんなダイジェスト版で、なに淡々と語ってるんだよっ!」

「え?そこから説明が必要なわけ?」

「そうだよっ!」

「面倒くさいなぁ」

 なんだか鼻につくウサギだ。俺はパンチの一つでも腹にお見舞いしてやろうかと思ったが、いくら俺より大きくて獣臭くて生意気でも、外見はウサギだ。動物を虐待するわけにはいかない。代わりに俺は自分の頬をつねった。これは夢だろうか。そんなことを自問するのもおかしい。夢を見ているはずなのだが、匂いといい色といい、妙にリアルで困惑する。

「これは夢といえば夢なんだけどさ」

 俺の心の中を見透かしたように、ウサギがしゃべる。

「予知夢っていえばいいのかな。今後の君の人生のお知らせだよ」

「な、なんでそんなことが」

「何故って、君は見つけてしまったからね」

「何を?」

「僕を」

 話が見えない。

「そして君は、赤か青。ウサギの瞳の選択をした」

「……それってもしかして、あのパン屋のウサギパンのこと、か……?!」

「うん、そう。それに手招きしたらついてきたし」

 熊下のタトゥーシールのことか。

「無理に納得しようとしなくてもいいんじゃない?世の中には、君の知らないことがたくさんあるってことよ。そもそも全て知った気でいられるのが、僕らからしたら不思議なんだけどね。まあそれが人間の性ってやつ?」

 明るい口調でウサギは続ける。

「それでさっきの続きなんだけど、胃がんの手術は無事に終わるけ」

「ちょ、ちょっと待て!」

「はい?」

「そのまま俺が死ぬところまで、話し続けるつもりか?」

「うん、そうだよ」

 俺は大きく深呼吸した。

「聞きたくない」

「あ、そう?」

「それより、もし俺が赤い目のウサギパンを選んでいたら、俺の人生はどうなっていたんだ?」

「それは企業秘密」

「企業秘密、だと?」

「そうだよ。せっかく選択したのに、選ばなかった方のネタもばらしたらつまらないじゃない。あの時あっちを選んでいたら、自分の人生どうなっていたのか、っていうのを死ぬまで自分自身に問い続けるのが人生の面白みでしょ?」

「それは後悔しているだけで、面白くも何ともない」

「そうかなぁ?人間ってやっぱりよくわからないや」

「とにかく、赤い方を選んだ場合、俺の人生はどうなっていたのか教えてくれ!」

「しょうがないなぁ。じゃあ、三回まわってワンしたら、教えてあげる」

 このウサギの根性はひん曲がっている。さっき腹パンを一発キメておけば良かった。


        ***


「赤い瞳を選んでいた場合、結婚相手には巡り合わない。当然子供も出来ないね」

 俺のちっぽけなプライドなど、この際捨てるが勝ちだ。

「2年後に都内に中古のマンションを買うよ。駅から徒歩8分の1LDKね。17年後にお母さんとそこで同居することになるよ。2LDKを買っておけばよかったって後悔するけど、新しくマンションを買いなおす資金もないし、母親を施設に入れるお金もないからしょうがないね。ちなみにお父さんは同居前に脳梗塞で亡くなって、お母さんは認知症ね。あ、デイケアの介護士さんが彼女になるから、そう悲観しないで。その彼女には子供がいるから、疑似家族は体験できる。子供も君にそれなりになついて、このまま結婚してもいいかな、なんて思ったり。それから君が54歳の時に、すい臓がんになって手術をするよ」

「ストップ!」

 ウサギが俺の死期をしゃべりだす前に、話を止めた。

「なんか、赤を選んでも、青を選んでもあんまり変わらないような人生だな」

「そりゃそうだよ。君は一国の王様でもないし、ノーベル賞を受賞する学者でもないからね」

「……じゃあ、もしあの朝、パン屋に立ち寄らず、赤だか青だかの目をしたウサギパンを食べなければどうなっていたんだ?」

「その場合は、来年また転職をして、転職先で奥さんになる人と出会う。年末には結婚式さ」

「……それが一番良い選択だったんじゃないか?」

「うーん、どうだろうね。子供は出来るけど、事故で3歳の時に亡くなるよ。どちらの親とも同居はない。昇進するけど、チームリーダー止まり。8年後、奥さんに乳がんが見つかって手術をする。その翌年、君に肺がんが見つかって同じく手術。治療費で、お金はどんどん無くなるよ。あと、夫婦とも術後の経過が良くなくてね」

「ストップ!」

「またぁ?今回くらい、最後まで言わせてよ」

「俺は自分がいつ死ぬかなんて、知りたくない」

「そうなの?じゃあ、しょうがないなぁ」

「結局どれを選択をしても、俺は癌にかかるのは同じだし、家族も大変なことになるってことか。しかもどちらのパンも食べなかった選択では、俺の子は、そんなに小さなうちに死んじまう」

「そうだよ」

「そうか」

「そもそも生き物は、死を迎えるために生まれるんだよ。生命を宿した瞬間から、死への道しか伸びていない。その道順は多少バラエティーがあるけど、そう大差ない。さっき例えに出した王様だって、学者だって、ああは言ったけど、死への道を歩んでいることには変わりないんだからさ。金をいくら持ってるかとか、歴史に名を刻むとか、そういう違いはあるけど、本人が死んじゃえば、そういうのは関係ないし」

「でも俺は生きている間に、大金持ちになりたいし、歴史に自分の名前を刻みたい。その方が絶対に良い人生だ」

「それは人それぞれだからね。君がそう望むなら、そういう道へいけばいい。でも、生物である限り、病気にはなるし、人間である限り、家族の問題も起きる。それは王様も学者も、君の会社の社長だって一緒さ」

「それはわかる。だが俺は、赤目の道でも、青目の道でも、その両方を選ばなかった道でも、金持ちにもなっていないし、歴史に名を刻んでもいない。俺はそうなりたいのに」

「そうだね」

「そうだね、って」

「大金持ちになりたいとか、歴史に名を刻みたいとか、君は心の底から、全身全霊でそう言ってる?その望みは、一長一短で叶えられるものじゃないのはわかるよね?つまり、君の努力が足りないとか、あとは運が悪かったね、とかそういうこと」

 ウサギの瞳の色は、真っ黒だった。

 俺はいまさらそんなことに気が付いた。同時に、ああ、そんなのいつも言われてることじゃないかと思う。

 努力、努力、努力。ブラック企業で働いた日々。今の仕事を頑張ってる俺。学生の時だって、試験に向けて、受験に向けて猛勉強をした。ああいうのは努力したとは言わないのか。いったいどれだけ努力をすれば、俺の人生は報われるのか。

 実際のところ、一生遊んで暮らせるほどの大金持ちを夢見ている訳ではない。ちょっといい車に乗り、広めの家に住んで、老後も生活に困らない程度の金持ち。ノーベル賞を取れるとは思っていないけれど、俺が生きた証を残せたらとは思う。家族は健康で、皆笑顔で……。現実離れした願望ではないと思うのに、明かされた俺の未来の人生には、これらが叶う選択肢はなかった。

 運が悪かったと諦めるのか。

 ああ、運も実力のうちってか。つまり結局俺は努力不足で、その実力もなかってこと。

「人生は努力と運、この二つの要素でほぼ構成されている。努力は自分でどうにか出来ること。運は自分でどうにか出来ないこと、ね。それくらいはわかってると思うけど」

 俺は答えるのも面倒になり、ウサギの耳の先をぼんやりと眺めた。

 潮風が気持ち良い。

 夢でもなんでも、俺は今リゾートビーチのようなところにいて、のんびりとカクテルを片手に巨大ウサギと話している。こんなところでこんな風にゆったりと過ごすなんて、今までの人生で一度もなかった。どうせなら、今この瞬間を楽しんだ方が得なのではないだろうか。

「そうそう、それよ!」

「それ、って?」

「今この瞬間を楽しむってこと」

「……ああ」

「結局は、それが大事だと思うのよね」

 ウサギはにんまりと笑った。

(今を楽しむ、か……)

 このウサギは俺の頭の中の思考を読み取れるらしい。巨大ウサギに、俺の人生を語られるなんてことからして異常事態だ。この際、何でもありだろう。

「そういえばさっき、俺がそう望むなら、別の道にいけばいい、って言ったよな」

「うん」

「俺には3つの選択肢があったと示されている。俺が望めば、それ以外にも違う未来があるということなのか?」

「そうだよ」

「え?そうなのか……。じゃあ、もうこれ以上ないくらい努力して努力しまくれば、ビルゲイツと言わないまでも、俺の会社の部長レベルの金持ちになって、綺麗な嫁さんをもらって、可愛い子供を儲けて、家族皆で幸せに長生きすることは可能なのか?」

「それはYESでありNOでもあるね」

 思わず舌打ちしそうになったが、踏みとどまり、思い切りため息をついた。

「結局のところ、君の未来は不確定であるってことよ」

「……じゃあなんで、あんな風に俺を誘導し、選択させた?」

「暇つぶし」

「は?」

「僕のちょっとした遊び相手が欲しかっただけよ」

「はぁっ?」 

 拳に力が入る。子供が人形遊びでもするように、俺は巨大ウサギに遊ばれてたってわけか。

「まあまあ、そう怒らないで。とはいえ、僕は君にメッセージを伝えたかったんだ」

 それはいったい何なんだと言ってみたかったが、やつはどうせ俺が言葉に出さなくても、何を考えているのかわかっている。俺は無言で巨大ウサギの黒い目を睨んだ。

「君はよく頑張っている。ブラック企業を辞めて、転職したのは良かった。自分の人生を少しでも良くしようという、前向きの努力が見られた。辛いことを我慢するにも努力がいるけど、我慢から抜け出して変化を起こす努力の方が、数倍難しいからね」

 ほ、褒められた……?!

 なんだかムカつくウサギだが、俺のことを見ていてくれたのか。

 胸のあたりがじわりと温かくなる。


「そんな君に、僕からのご褒美だ……!」




        ***


「……林さーん、もしもーし、起きててますかぁー?」

「あ、れ。ここは……」

「もう、林さんってば、寝ぼけちゃって!まあ深夜メンテナンスの後だから、しょうがないけど」

「熊下さん……。なんでここに?」

 土曜の夜からメンテナンス作業に入っていた。腕時計を見ると、時刻は既に朝の9時を回っている。サーバールームのパイプ椅子で、俺はうたた寝していたらしい。

「朝食の差し入れでーす」

「え?」

 熊下は、ガサガサとマックのモーニングセットを袋から取り出した。

「うちの子、インターナショナルスクールに通ってるんだけど、会社の近くにあるのよー。で、うちの奥さんが、深夜作業交代してくれたお礼に、差し入れ持っていってから発表会を見にきなさいって」

「あ、ありがとう……」

 できた嫁さんだ。

 俺は少し冷めたホットコーヒーに口をつけた。

「それとね、これ!」

 熊下はにんまりとして、携帯の画面を、俺の前に突き出した。

「うちのラビ蔵くんとラビ子ちゃんに、たくさん子供が生まれてね。よかったら、一匹どう?」

 そこには、白くて小さな生き物が映っていた。

「かわいいでしょう?ペットがいると、人生変わるよ!」

 画像の中のウサギは、ばっちりカメラ目線で俺のことを見つめていた。

 ペットがいれば、人生が変わる。

 そうかもしれない。

 俺の未来は、未確定だ。

 茶色のつぶらな瞳が、とても愛らしかった。



                             了

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